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『藁人形のゲーム 』
田中・緋玻2240)&神山・隼人(2263)


 ――やれやれ、そう言えば、ひどい目に遭わされたんだったわ――
 駆け足ながらも、無事刊行されたハイファンタジー小説がある。最近よく本屋で平積みにされている系統の、立派な装丁を施されたハードカバーが、翻訳に携わった田中緋玻宛てで届いた。
 そのイギリス生まれの小説には、愛着とはまた違う思い入れがあり、緋玻はこれから先もまだまだありそうな生涯で、多分忘れることもないだろうという体験をさせられた。
 本に呪われ、転び、潰されかけ、喰われかけたのだ。
 地獄の鬼も、呪われることがあるらしい。
 緋玻にとっては不慣れな西洋の呪術が絡んでいたとはいえ、協力者がいなければ、ひょっとするとまだ呪われていたかもしれない。
 ぱらぱらとページをめくり、その字の意外な大きさに驚いてから、緋玻はふと思いついた。
 地獄の住人は総じて、呪いにかかるものだろうか。人間たちの呪詛や怨嗟を食らって生きているのは、緋玻も同じ。そして、地獄の住人は鬼だけではない。
 今すぐ実行しなければならないことでもないが、緋玻は機会があれば試してみようと、頭の片隅にその疑問を留めておくことにした。

 機会は、すぐそばにあった。

 それは郵便局に行き、貯金を下ろしに来たついでに切手も買おうと思い立ったかの如く。
 緋玻は、地獄の住人である悪魔を呪ってみることにした。
 そう言えば、知人に都合のいい悪魔がいるではないか。
 悪魔であることを韜晦すること自体を楽しんでいる悪魔だったが、緋玻はその男が神山隼人と名乗る前にどこで何をして何と名乗っていたかということも大体知っていた。むろん隼人の方も、夜な夜な歌舞伎町やらの物騒な界隈で田中緋玻が何をしているかということを知っているし、底なしの胃袋を持っていることも知っているし、そもそも人間ではないことも知っている。沈黙が、ふたりの間の約束だった。
 が、隼人はここのところ平和で油断していたので、緋玻の邪笑に気づかなかった。

「バイトくんを借りるわよ」
「どうぞ」
 緋玻の親戚がひとり、隼人の便利屋で働いている。緋玻がその少年を食事(世間的に見てまともな方の食事)に誘うのはさほど珍しいことでもなく、隼人は隙だらけであくびを噛み殺しているところだった。「どうぞ」は「ろうぞ」に聞こえた。
「どうぞ、って……いないじゃないの、バイトくん」
「もうそろそろ戻ってきますよ。彼はなかなか優秀ですからね」
「夕飯にもちょうど言い時間になるわね」
 そして食事に行くついでにとばかりに、緋玻は隼人の長い髪をちょんと1本引き抜いたのだ。
「いたっ! 何をします!」
「髪を抜いたのよ。あら、やっぱり大事?」
 緋玻はあっけらかんとした表情で、つんつんと自分の頭頂部を突いた。男の頭といえば抜け毛、抜け毛と言えば男だ。男の悩みと言えば抜け毛であり、抜け毛と言えば男の悩みなのである。
 ドラッグストアで育毛剤を買う中年と一緒くたにされた隼人は、ほんの少し自尊心を傷つけられた。片眉を上げつつも口元にはニヒルな笑みを湛え、隼人は髪をかき上げる。
「髪の100本や1000本、ご入用でしたら差し上げますよ」
「そんなに要らないわよ」
「何をなさるおつもりですか? まさか呪いでもかけようなどとは――」
「思ってるけど」
 どこからか取り出した藁人形。
 ご丁寧に半紙に筆でしたためた似顔絵を頭部に貼りつけてあり、緋玻が知る限りの隼人の名前の遍歴が、づらづらと胴に書き連ねられていた。
 優雅に脚を組んで座った体勢のまま、隼人は目を点にした。
 緋玻はそんな隼人の目の前で、藁人形の中に隼人の髪を埋めこんだ。うぞぞ、とたちまち藁人形に髪が生えた。背の半ばほどまで伸びた、ストレートの黒髪だ。

「死ね!」

 いや、隼人に特に怨みはないのだが、緋玻は牙を生やし、生成のような形相で――いや彼女は生成どころの騒ぎではない存在なのだが、ぐさりと五寸釘を藁人形に突き刺した。
 奇妙な呻き声(「うきょ」または「ひぉう」または「はひょっ」)を上げて、隼人が椅子から転げ落ちる。
「あら、死んだ?」
 なおも藁人形の胴に釘をぐりぎりやりながら、緋玻はデスクの下に消えた隼人の様子を伺った。その長身がぎりぐりするたびにびくびく痙攣しているところを見ると、悪魔にもどうやら呪詛はかけられるらしい。へえ、と緋玻は無邪気に微笑んだ。知人がこの場にいたらば、その顔で見合い写真を撮れとでも言ったかもしれない。それほど、かわいい笑顔だった。
 が、
 その笑顔が唐突に引きつり、緋玻は奇妙な悲鳴(「がべ」または「ぎぼ」または「あべし」)を上げてひっくり返った。
「おぼや、死ぼにぼまぼしぼたぼかぼ?」
 げぼごぼと咳込みながら、隼人が立ち上がる。どこかのビデオの怨霊のように長い髪を前に垂らした彼は、げぼごぼ血も吐いていた。
 背後に恐るべき影を湛えた彼が握りしめているものは、折れたまち針を突き立てられた腐った魚である。どこにしまってあったのかはたぶん企業秘密だ。魚の鱗は、ところどころが剥がされていた。目を細めて見てみれば、鱗を剥がされた部分が文字を象っていることがわかる。
「ちょっとォォォォ、なァにするのよォォォォ」
 どこかのビデオの怨霊のように、長い黒髪を床に広げながら、緋玻はずりずりと床を這いずった。彼女の匍匐全身には、血の軌跡がついた。
「私をォォ呪おうとするのォォはぼ999億年早いのですよォォォォぼ」
「ののの呪ってやるわあァァァァ」
「ォォォ面白いぼほほほはははは」

 あの日緋玻を襲ったトレーラーも、炎も、衝撃も、この日のものに比べれば、全くもって大したことはないのだ。所詮はヒトの呪いだったのだから。
 ただし、今は違う。
 地獄という枷をひょいと外し、時をも弄ぶ悪魔の呪詛が相手なのだからァァァァぼ。

 どこから何を取り出しているのか最早定かではないが、緋玻はどうやら49日かけて完成させた犬神の首を、隼人に視線を向けさせながら事務所の床を掘って埋めているようだ。
 首だけの犬の霊に頭をカプカプされながら、隼人は犬の首の前に奇妙な枠の鏡を置いた。鏡にうつる黒髪の鬼女。犬の霊がぴょいと緋玻に飛び移り、カプリと頭に咬みついた。
 緋玻が犬に「マテ」「フセ」を命じている間、隼人はどろどろ血を流しながら事務所の家具の位置を変えて四辻をつくり、その真ん中でガラスのコップを叩き割った。死ね死ね鬼死ねサノバビッチといったような呪文を唱えていたようだ。
 きゃいーん、と儚く犬神が散った。緋玻はだらだらと額から血を流しながら、凄まじい笑みを漏らす。
「ふははは莫迦め、ペットは呪いを肩代わりしてくれるのよぅおほほほほ!」
「ペットで犬神を作るとは鬼ですね悪魔ですねあははは!」
「最高の誉め言葉よ元・神の奴隷!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
 ぱかーん、ぱかーん――
 四辻でグラスが弾け飛ぶ。呪われろ呪われろという呪詛を抱いて砕け散る。
「呪ってやるー呪ってやルーのろってやルーるーるー」
 蝋燭を頭に縛りつけ、ジーンズを履いた鬼は、壁にびっしりと経文のようなものを書き連ねている。
「不幸になれ不幸になれ不幸になれ不幸二なれーれー」
 その対角線上の角から、隼人はヘブライ語らしきもので呪文のようなものを書き連ねていく。
 人間のものではない怨嗟の念が渦を巻き、暗雲さえ呼び寄せ、便利屋の周辺に不吉な影を落とした。

 神山隼人が運営する便利屋の屋根にとまった鴉が、たちまちげろげろと内臓を吐き、腐れ死んでいった。
 鴉の屍骸に気を取られた老婦人が転んで頭を打ち、吹っ飛んだ眼鏡が散歩中の犬の口の中に飛びこんで、目を白黒させた犬が車道に飛び出し、犬をよけようとした車が派手にスピンし横転したうえ、便利屋の入口に突っ込んで爆発炎上、飛んだタイヤが走行中のバスに当たってばいーんと跳ね返り、鬼と悪魔がぶつぶつ言っている応接室に飛びこんだ。鬼と悪魔はタイヤに轢かれてあちこち折った。割れた窓から、腐ったスズメやカラスやゴキブリが突っ込んできては、わさわさとうずたかく積もっていく。
 折りしもこの日の東京は南から吹く風に言い様になぶられており、便利屋一階で燃えている車の炎がやる気を出し、あっと言う間に便利屋事務所を舐め尽くした。便利屋の後ろにある飲食店のプロパンガスのフタが何故か落ちていたのでガスが漏れ放題になっていたので、そこに都合よく火が飛んだ。爆発! とにかく爆発だ! アメリカ人は爆発とニンジャが大好きだから!
「あーアアア! まずいわヤバいわ窮極の火だわ! 旧支配者よ! 閻魔様よ!」
「陛下ーッ、閣下ーッ、南無三だーッ! キリストなんかがパズスなんです!」
 そうとも、そろそろおかたの時間。


 藁人形が燃え尽きた。


 火事の現場検証に来た方々は、血みどろで黒焦げな死体がふたつ転がっていたので、とりあえず合掌した。
「合掌なんかやめなさい。あたしの機嫌が悪くなるわよ……」
 地の底から響いてきたかのようなその声は、死体のひとつから放たれたもの。
「ふ、ふ・ふ・ふ・ふ……これで呪いは消え失せた……私を甘く見ないでいただきたい……」
 這いずるような笑い声は、やはり、死体のひとつから放たれたものだ。
 消防隊員と救急隊員は腰を抜かしたあと、鬼と悪魔を担架に乗せて、病院に搬送した。
 緋玻と食事に出かけるはずだったバイト君は、隼人に言いつけられていた用事を済ませていま戻ってきた。そして、真っ黒に焼け焦げた勤め場所を見て、どさッと鞄を取り落とした。

 地獄の住人も呪われるのか?
 答えは、「はい」であったらしい。
 是非お試しあれなどという愚か者はあまりいないだろうが呪えるものは呪えるのだ!

 便利屋は翌日、何事もなかったかのようにそこにあった。バイト君、心配ご無用。主が地獄の住人だから。




<了>
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2004年04月08日

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