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『覚悟の目方 』
上総・辰巳2681


 上総辰巳は、いい機会だと、純粋に思った。
「草間」
「ぅあ?」
 低い一声でデスクに突っ伏して寝ていた草間を叩き起こすと、
「呑みに行くぞ」
 簡潔に用件を言った。それは彼にとっては気の利いた誘いなのだが、草間その他の人間にとっては、他人の都合をかえりみない強制に近かった。
 辰巳が草間を引きずって入ったのは、馴染みの飲み屋だった。いつもの席に陣取る辰巳に、オーダーする前から熱燗とお猪口が差し出される。それを見て、草間が苦笑した。
「常連か。おまえ、酒が好きなんだな」
「悪いか?」
「いや、ただ」
「何だ」
「癖になっちまうと、厄介だぞ。酒も煙草も、仕事もな」

『癖になっちまうと、あとから困ることになる。ほどほどにしとけよ』

「――どうした?」
 お猪口を口元に持っていったまま一瞬遠い目をした辰巳に、草間が怪訝そうな視線を向けてきた。
「いや、ただ」
 辰巳は酒を飲み干した。
「いろいろ思い出しただけだ」


 その頃から上総辰巳の金の視線はするどいものだった。常に何かが気に入らず、絶えず何かを睨みつけているような面構えの彼は、知らず人を自分から遠ざけていたし、稀に引き寄せることもあった。
 学校の帰りに本屋に寄った彼は、いつもとは少し違う道を歩いて帰宅することになった。遠回りだった。まともにのんびり歩いていては、夕稽古に間に合わない。家の道場の稽古に付き合うのは至極面倒だったが、顔を出さなければもっと面倒なことになる。辰巳は急ぎ足で、少しでも距離を縮めるべく、薄暗い裏道に入ったのだった。
 そこで、やつらと目が合ってしまった。
 よくわからない言いがかりをつけて、アロハシャツや紫色のスーツや金のネックレスの男たちが掴みかかってきたため、辰巳は仕方なく、面倒な稽古で培った技を披露した。掌底で顎を打ち上げ、発勁で腹を打ち、軽く上段投げ。
 瞬く間に数人をのした辰巳は、鞄と紙袋に入った雑誌を拾い上げ、さっさと歩き始めようとした。
「オイ、待てよ」
 その場にいたごろつきどもは、確か7人いた。辰巳が叩きのめしたのは3人だ。残る4人のうちふたりは悪態をつきながらすぐに逃げ出したが、その場に留まってぽかんとしていたのが2人。
 そのうちのひとりが、辰巳の背中に声をかけてきたのだ。
「急いでるんだ」
 辰巳は振り返って吐き捨てると、足早に歩き出す。背後の男が何を言っても、立ち止まることはなかった。
「また会おうぜ、なあ?」
 ただその一言だけが、辰巳の心にしつこく引っ掛かったのだが。

 あのとき裏道で(結果的に)助けることになった男のひとりは、何でも、それなりに古い組の何代目かの若頭であったらしい。それを辰巳が知ったのはだいぶあとになってから、道場の周りをその筋としか思えない男たちがうろつき始めてからだった。辰巳以上に目つきの悪い男たちだったが、辰巳を悪いようにするつもりはないらしく、中には頭まで下げる者もいる始末だった。
「迷惑だ。僕はそっちの世界に興味なんかない」
「カシラのお墨付きなんだぜ。いいクチだと思うがねえ」
「僕は、思わない。さっさと消えろ」
 家族に見つかったら、厄介なことになる。辰巳は見かけるたびにこっそりと男たちを追い払ったが、暇な彼らは蟻のようにたかってきては、辰巳に甘く汚い言葉をかけてくるのだった。しまいには辰巳も相手をするのが面倒になって無視を決め込むようになった。
 やつらが辰巳の周囲に在る日常が、辰巳にとっても日常となってしまった頃に、ついに面倒なことは起きてしまったのである。
 
 金の視線を除けばまるで別人のように顔が変わった辰巳が突っ込んでいったのは、古い組の古い事務所だった。猛然とドアを開けた辰巳を見て、あの日のあの男が嬉しそうに――或いは愉快そうに笑った。
「男が上がったじゃねェか。どうしたィ、その面ァ」
 お前さんをそんな面に出きるやつがいたなんてな、と続けるつもりだったのだろうか。
「お前には関係ない。それより、いい加減にしろ」
 辰巳は荒々しく言い捨てた。その一言で、血気盛んな男が幾人か、怒りも露わに立ち上がる。気が立っていた辰巳は即座にその殺気と闘気に反応した。
 ぶわりと大の男が宙を舞い、デスクに叩きつけられる。
 放たれた拳は軽く捌かれ、伸び切った腕は極められ、ごきりと鳴った。
「こンのガキァ!」
 ぎらりと光ったものに気づかなかったわけではない。だが辰巳はそれを握る手を、一瞬で極めた。こぼれ落ちる銀を掴み取ると、使い方もよく知らないままに、映画の見様見真似で構え――
 ソファーに座ったままのあの男に狙いを定めた。
 どよめきと鬼気が、煙草臭い室内に満ちた。
「オイこらァ、どっちがガキだァ、てめェ」
 ……しかし、その男が低い罵声を浴びせかけたのは、辰巳ではなく、銃を辰巳に向けた組員だった。腕を押さえてうずくまっていた男は、若頭のその一言と視線で、子犬のように小さくなった。
「こいつはなァ、腕ェ立つカタギのガキってわけだ。カタギにハジキなんざァ向けやがって、後でブッ殺すからな。覚悟しとけや」
「すっ、すンません!」
「……で、ボウヤ」
 ようやく、その鋭い目が、銃を構えたままの辰巳に向けられた。
「そいつを人に向けてってこたァ、覚悟が出来てンだろうな?」
「当たり前だ」
 辰巳は、いつもの調子で吐き捨てた。頬が腫れ上がっていたために、声は少しばかりくぐもっていたが。
「ならァ、良し。ンじゃ、使い方ァ教えてやる。……セーフティ、外れてねェぞ」

 迷惑なんだ、と辰巳はもう一度言った。
 血が滲む口元をいじりながら呟いたその一言は、いくらか弱々しくもあった。彼を痛めつけられる人間は、確かに限られていた。例えば、彼以上に気の練り方を心得ている者、例えば、彼の手の内をすべて知っている者だ。
 辰巳は、呑んだ。勧められる酒はすべて呑み干し、男の失笑を買う。
「癖になっちまうと、あとから困ることになる。ほどほどにしとけよ」
 言いながら、男は面白がって酒を注ぐのだ。
「お前さんちァ、古い道場だったなァ。オヤジとオジキのちっせエ頃からあるってハナシじゃねェか。お前さんちの人間ァ、みんなお前さんくらい強ェのかい?」
「かもな」
「はっ、勿体ねェ。でもま、こっちの道で使う力じゃアねェってわけだな」
 ふしゅう、と男は煙を吐いた。
「道ァ、自分で決めるモンだ。好きにしな。でも、忘れンなよ」
 男は席を立ち、辰巳の胸を小突いた。
「お前さん、もう道を決めちまったンだぜ」
 辰巳は、ひとり残された。バーテンダーは辰巳がこういった店に入るには若すぎると言うことには、触れなかった。
 辰巳は、あの男が小突いていった胸に手をやった。確かな重みがそこにあり、思わず知らず笑ってしまって、初めて自分が酔いすぎていることに気がついた。


 酔ってしまったらしい。
 辰巳ではなく、草間が。
 彼はカウンターに突っ伏している。
「草間」
「ぅあ?」
「そろそろ帰るぞ」
「……待てよ、いい気分なんだ」
「癖になると、後々困るんじゃなかったのか」
 草間を引っ張って席を立つと、胸ポケットの重みをずしりと感じた。あの日選んだ道そのものが、辰巳の懐の中に収まっている。
 わずかに眉をひそめてから、辰巳はうっすらとした笑みを浮かべた。重みを、けして重いとは感じない。むしろ、心地いい重さだ。自分にぴったりの重さなのだ。
 辰巳の酔いは、あの日の酔いに比べれば――ずっと、落ち着いたものになっていた。
 すでに癖になってしまっていたから。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2004年04月06日

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