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『試練は乗り越えるためのもの 』
功刀・渉2346

1.曇天
今にも泣き出しそうな天気に、功刀渉(くぬぎあゆむ)は少々苛立ち気味であった。
いや、それだけが苛立ちの原因ではなく・・・
「すいません、功刀さん。予定ではこんなはずじゃなかったんですが・・」
平謝りを続ける建築事務所の事務員は先ほどからずっと功刀の後ろに引っ付いて離れない。
「・・僕の予定は伝えておいたはずなのに、なぜ今日のこの時に持ってくるんですかね? 僕はいつも言ってたはずですけどね。『連絡事項は2日ないし3日前までに伝えて欲しい』と」
「すいません、すいません。上が突然今日中にと言い出したもんですから・・」
功刀の冷静な言葉の中に見え隠れする怒りの棘がチクチクと事務員に突き刺さる。

ポケットの中には、愛してやまない劇団の待ちに待った新作劇のチケット。
今日のこの日をどれほどに待ち焦がれたことか。
1ヶ月以上も前から今日のこの日のためだけにスケジュールを前倒しにしてきたというのに・・・。

書類に一通り目を通し、サラサラとペンを滑らせて書類の山を片付けていく。
一部の隙もない仕事っぷりだが、口からは次々に毒が吐き出されている。
「今日を逃したら、当分スケジュールに暇などないのに・・あぁ、心の痛手は大きい・・。思わず1週間程寝込んでしまいそうだよ」
「く、功刀さ〜ん・・」
「誰もあなたのせいとは言ってない。そんな被害者のような声を出すのは止めてくれないか。被害者はむしろ僕なんだから」

そんな功刀の心を映してか、空はいつの間にか泣き出していた・・・。


2.雨に走る
時計は開演1時間前を差していた。
書類の山を片付け終わった功刀は事務員の「お疲れ様」の言葉も聴かず、外へと飛びだした。
大量の雨が降ってきていた。

傘をどこかで調達していった方が無難だな。

功刀は近くにあったコンビニへと駆け込んだ。
が、誰しも考えることは一緒である。
「ごめんなさいね、今日は傘、売り切れちゃったのよ・・」
レジのオバちゃんが困り顔で功刀にそう言った。
「・・そうですか」
功刀は手近なところにおいてあった雑誌を一冊買った。
オバちゃんに代金を渡すと、ビニール袋に入れてもらえるように交渉した。
雑誌を持っていたカバンに収め、カバンごとそのビニール袋へとしまう。
即席の雨よけである。
これならばカバンも濡れないし、カバンで自分の頭部ぐらいの雨よけにはなる。
それを駆使しながら、地下鉄の駅へと走りこんだ。
滑り込みで電車に駆け込むと、功刀は一息ついた。
とりあえず、電車の中では焦る必要はない。

・・・降りる駅を見逃さないようにする以外は。

周りを見ると、傘を持たない人々が電車の中で体を拭いていた。
電車の中は泥まみれで、ツヤツヤと濡れ光っている。
功刀は、しなくてもいい事務仕事のため少しウトウトとし始めていた・・・。


3.雲行き悪し
「・・お降りの方は、お出口左側でございます」
気がつくと、どこかの駅に着いていた。
功刀はハッと目を開け、駅名を確認するべく目を光らせた。

しまった! ここで降りないと!?

プルル〜っと発車音が聞こえ始める中、功刀は普段使い慣れない筋肉をフル回転させ電車から脱出を図る!
電車の床が濡れており、革靴が滑る・・が、ここでこの電車を降りなければ間違いなく観劇へ行くことは不可能となる。
功刀は一世一代の賭けに出た。
摩擦係数の減った床を逆手に取り、一気に扉の前へと躍り出る。
上部の棚を支えるポールに手をかけるとくるりと90度体を回転させ、そのままホームへと躍り出ることに成功した!!
見事な着地。
フーッと溜息をつき、背広を正した功刀の姿。
その場にいたものは思わず拍手喝采を功刀へと惜しみなく贈る。
功刀はそれを何事物なかったかのように受け止め、駅出口へと一歩を踏み出した。

グキッ!!

功刀の体がその瞬間、不自然によろめいた。
思わずしゃがみこんだ功刀の右足首に激痛が走った。

・・・捻挫・・だな・・・。

今まで使っていなかった筋肉を使ったわけだから、故障が出たことは簡単に推測できた。
しばしの考察の後、功刀は再び走り出した。
その痛みよりも、やはり観劇が出来ないことの方が功刀には最大の苦痛だった。

開演まであと30分・・・。


4.そして光は差すのか?
駅を出ると、だいぶ雨は小ぶりになっていた。
劇場までは真っ直に突き当りまで行けばいい・・・のだが。

「こ、工事中!?」

黄色と黒のトラ模様の看板は功刀のその声にも構わず行く手を阻んでいる。
「なんでこんな日に限って!」
チッと舌打ちすると、功刀は左方向へと走り出した。
が、行けども行けども右方向に曲がる道が見つからない。

・・誰かが僕に術でもかけたのか!?
結界を張って僕の観劇の邪魔をするつもりだろうが、そんなことで屈する僕じゃない!

段々と目が血走り、功刀はひたすらに右へと曲がる道を探し疾走する。
「見つけた!」
キュキュッと右方向にターンし、再び全力疾走。
捻挫のことなどすっかり頭から消えていた。
右方向に曲がったはいいが、走れど走れど劇場は見えてこない。
どこかでもう一度右方向に行かねばならないが、あまりに細い道ばかりが出てくる。
腕時計は開演約10分前を指している。
このあたりからならどこの道を通っても劇場に着けそうだというのに・・!
焦りが、功刀の心を支配した。

そして功刀は一本の細い道へと右方向へ走りこんでいった・・・。


5.雨のち晴れ、そして・・・
開演3分前にチケットを渡し、功刀は席に着いた。
隣の席の人間があからさまに功刀の体からなるべく遠ざかろうとしていたが、功刀にそれを気にかけるだけの余力はなかった。

僕は勝った。

荒い息を段々と整えつつ、劇場のスタッフから借り受けたタオルで髪や服を拭いた。
ようやく一心地がつくとブザー音とともに開幕。
功刀は待望の新作を目の当たりにした。
それは功刀が期待していた以上の素晴らしい劇で、功刀は自分がここにたどり着くまでに苦労したことを全て忘れ見入った。

僕の苦労は報われた・・・。

最大の拍手で劇団員たちに何度もカーテンコールを求め、劇は約3時間後閉幕した。
功刀は少しの間、劇の余韻に浸っていた。
・・・と、ジワジワと何か嫌な感覚が這い登ってくることに気がついた。

あ、足が・・痛い?

恐る恐る功刀は右足首を見た。
右足首は、功刀の全力疾走に耐え抜いていたが見るも無残に腫れ上がっていた。
「あの〜お客様。どうかなさいましたか?」
いつまでも席を立たない功刀を不審に思ったのか、劇場の女性スタッフが訊ねた。
「できれば、ここから一番近い整形外科か接骨院を紹介していただけるとありがたいのですが・・」
功刀がそういいながらスタッフに腫れ上がった足を見せると、スタッフは瞬間的に蒼白な顔になった。
「ちょ、ちょっと待っててくださいぃ!」
「あ、ちょっと!!」
駆け出したスタッフは大急ぎで救急車を呼び、功刀は救急車に運ばれ整形外科へと搬送された。
医者の診断で功刀の右足首は全治6週間と診断され、病院通いの日々が確定した。
「・・とりあえず、観劇できたことは良しとしましょうかね・・」
そんなのん気なことを呟きつつ、功刀は激痛の走る右足首の治療を受けるのだった。


追記:そして、あの日地下鉄のホームで行われた華麗な滑り込み降車は
    伝説となり語り継がれているという・・・。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
三咲 都李 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月06日

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