▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『それは緩やかなる再生 』
楷・巽2793)&門屋・将太郎(1522)


 あの赤も、大きすぎる音も、過去の事なのに今でも巽の心に残り酷く重い何かを積み重ねていく。
 治療や時間がゆっくりとその傷を埋めていくのに、何かの拍子で簡単に傷口は痛み出すのだ。
 ふさがっていく傷。
 新しくできる傷。
 繰り返される記憶は傷をより深くさせ、見えない所で鈍く痛むのだ。

 繰り返し繰り返し。


 カタカタとキーボードを叩く音。
 打ち込まれて行く文字の羅列は巽が資料を集めまとめている論文の資料をまとめた物だ。
 人間はどのようにして相手の表情を読み取るか。
 このテーマを博士論文に選んだのは、巽が上手く感情を出せないからこそ関心を抱き調べたかった事だからだ。
 少しは、何か変われるのではないか。
 そんな希望から色々な事を調べた……。
 図書館にも通い、進路も神経精神科臨床心理士コースを選び……ネットでも専門的な知識を集める。
 数々あるサイトをまわっている最中。
「………」
 それはある心理学系サイトの掲示板の書き込み。
 数多くの書き込みに紛れ、他と変わらぬように幾つかのレスが付いただけの物。
 このまま流れてしまいそうなスレッドは……ともすれば見逃してしまいそうな、そんな文面。
 たった数行の文面は巽の目を引き込み、何度もその文面を読み返させた。

『ほとんどの患者をカウンセリングだけで癒せる臨床心理士がいる』

 もし、これが本当なら……会ってみたい。
 書き込みにはその相談所の場所が書いてあり巽はそれをメモに書き写す。
 場所が書いてあって本当によかったと思う。もし書いてなくて尋ねなくてはならなかったとしたら……もっと時間がかかっただろう。
 尋ねるにも勇気がいるだろうから。
 すぐに動けた事も、迷わずに済んだ理由の一つ。

 色々な事を考える。
 どんな人だろうかとか。
 どんな所なのだろうかとか。

 表面上には解らないだろうが、巽は今とてもドキドキしていた。
 地図とメモした紙を頼りにむかっている途中本当にこの方向で会っているのだろうか、なにせどんどん人の気配が無くなって行くのである。
 たどり着いた場所は古いと言えば聞こえがいいほどのボロビル一室。
「ここ、が……?」
 扉には掲示板に書かれていた通りに『門屋心理相談所』の文字。
 ノックをしてみたが、反応は返ってこない。
 留守なのだろうか?
 話がしたかっただけに気落ちするが、ここで引き返したら次に来る機会はもっと先になってしまうかも知れない。
「………」
 そっと伸ばしたドアノブは、軽い力で開いてしまう。
「開いてる……」
 最初から自由に入れるようになっていたのかも知れ無い。
 だとしたらノックの音で反応がなかったのもなんだか不用心な話だ。
 でももしかしたら取り込み中か何かかも知れない、失礼とは思ったが……ここでずっと立っているのも気が引け勇気を出して中へと足を踏み入れる。
「失礼します………」
 静かな空間。
 だけどそれは決して嫌な沈黙ではなかった。
 散らかった室内には確かに人が生活している気配がしたし、それは嫌なものではなかったからなのだが……。
「……?」
 驚いた事にすぐ側で繰り返されるいびき。
 中まで入ってきた巽に気付かず、古ぼけたソファーで熟睡をしている人が居たのだ。
 着流しを着た男の人。
 よく寝ているようだったから声をかける事は躊躇われたのだが、起こさないのもおかしい気がする。
 どうしたらいいかと思ったのがそのまま現れたおかげで、まともな言葉にすらなされなかった。
「えっと……あの……」
 単純な言葉だったが、それでも言葉は耳に届いたらしくぼんやりと目を開き起き上がる。
「うっ……ああ、いらっしゃい」
 ずれた眼鏡をかけ直しながら眠そうに起き上がた男性に、まさかと思いつつも問いかけた。
「あの、ここが門屋心理診療所ですよね……」
「もちろん」
「ここに……カウンセリングだけで、癒せる人が居ると聞いて……」
 本当にこの人なのだろうか。
 そんな疑問から出た言葉と共に、握りしめていたメモを手渡す。
「住所がここなら、俺の事だな」
「………あなたが……」
「ようこそ、門屋心理診療所へ。俺が門屋将太郎だ」
 驚く巽に、快く返事は返された。



 初めは本当に大丈夫なのかと信じられなかったが、席を勧められ、会話を交わしているうちに嘘ではなかったのだと実感する。
 これが治療なのだと言う事を意識させず、話しやすい状況にするのは想像以上に難しい事のはよく知っていたから。
 気付いたら自然と話が出来るような雰囲気になっているのだ。
「昔の事なのに、今でも忘れる事が出来ないんです……」
「うーん、忘れたいって気持ちの方が強いんだな。けどな、記憶って言うのは無理矢理忘れる様とすると痛くなるんだ」
「痛い、ですか……」
「努力をすれば表面上は何もなかったように振る舞う事は出来るけどな。それだとここが苦しくならないか?」
 トンと将太郎が巽の胸元を叩き、ドキリとさせられる。
 簡単な切っ掛けでこの傷が痛み出すのは、トゲのようにあの出来事が心の底の方で、消える事なく残っているからだ。
「焦る必要なんか無いだろう、ゆっくり大事に治してやればいいんだ」
「大事に……」
「今まで急いでたんだから。ゆっくり深呼吸でもして、休んだっていいだろ。痛みを感じる事も大事だけど、嬉しいとか楽しいとかって思った時の事も大事にしてみたりとかな?」
 今はもう手は離れて行ってしまったのに、叩かれた胸の辺りがとても暖かかい。
「…はい…ありがとうございます……」
 ここに来て本当によかった。
 ……彼なら、きっと巽の失われた感情を取り戻せる。
 そう感じるまでに、将太郎との会話は巽の心をつかんで離さない物だった。
「あの……」
 ここに居たい。
 ただの一人の患者や客ではなく、もっと別の立場で。
 勇気を出して、言葉を続ける。
「俺を、ここの…助手にしてください……」
「助手に?」
 突然こんな事を言いだして何て思うだろうか、それでも言わずにはいられなかったのだ。
 ほんの短い沈黙でしかなかったのに、心臓がとても早く鳴り響く。
「あ、あのな悪いけど……」
 断りかけた将太郎に、普段であったのならここで諦めていただろう。
 普段とは違う。
「お願いします……」
 深々と頭を下げ。 息すらままならない巽の様子に気付いたのか、言葉を続ける事はせず真っ直ぐに目を会わせられる。
「頭は上げてくれ、頼むから」
 何かを尋ねられるのだろうか?
 どんな質問が来ても、正直に答えよう。
 思う事は一つ。
 彼の下で働きたい。
「………」
「本気なんだな? うちは見たとおりこんな様子だからな、給料が満足に出せるか解らないぞ」
「構いません…お願いします……」
 決心は固かった。
 嘘偽りのない真っ直ぐな気持ち。
「うーん……」
 上を仰ぎ、唸りながら再び巽に視線を合わせる。
「本当にいいんだな」
「はい……」
 頷く巽に、将太郎が笑い手を差し出す。
「解った、これからよろしくな」
 この一言が嬉しくてしかたなかった。
 ほとんど表情には出ていなかったけれど、何時かはきっと彼のように笑う事ができるかも知れない……。
「ありがとうございます……」
 差し出された手をしっかりと握り返した。


 それは、緩やかなる再生へと繋がる出来事。



 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
九十九 一 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月29日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.