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『小鳥は愛をその胸に抱く 』
イヴ・ソマリア1548)&天音神・孝(1990)


 開幕のベルが響き、緞帳が取り除かれた舞台にはもうひとつの世界が形成される。
 少女は歌う。
 純白の死の装束を身に纏い、8羽の小鳥たちを従えて、鳥姫は自身の復讐のために棺の中から蘇る。
 誰が彼女を殺したのか。
 ただひとつの命題と共に、その身に宿すのは狂おしいほどの深い情念。
 弔いの鐘が鳴り響く。
 愛するが故に殺めてしまった王子の罪。
 愛ゆえ深い嘆きと共に、愛しい人の骸を抱いて彼女は永劫の闇に落ちていく。
 鳥姫が奏でる歌は、今はもういない脚本家が作り上げた純然たる狂気と愛の物語――――
 凄絶な物語を紡ぐ歌姫のために、場内はしんと静まり返し、そして次にはオールスタンディングで惜しみない拍手を送った。

 イヴ・ソマリアは、満場の拍手喝采を全身で受け止めながらゆっくりと嫣然たる笑みを浮かべた。



 女王である姉と王座を取り巻く大臣達の前で、人間界で関わった全ての調査対象の分析結果と調査内容を読み上げるイヴ。
 故郷であるこの魔界は既に滅びの道を辿っている。
 自分たちに課せられた使命は、早急にかつ慎重に、自身らが適合できる移住先を見定めることだ。
 そして、いわゆる環境調査というカテゴリの中には、当然のようにその世界に干渉するあらゆる魔物の類に関する調査も含まれていた。
「以上が現時点で判明している人間界の状況です。また――――」
 人間の時間にして数ヶ月ぶりに行われた定期報告の場で、天音神孝は、自分が補佐についている彼女に対してごくささやかな違和感を覚えていた。
 膝をついて視線を床に落としたまま、自分の耳は彼女の声に潜む熱と僅かなノイズのようなものを拾っている。
 一体これはなんなのか。
 彼女の報告が終わり、女王より退室を命じられるまで、孝はじっとその違和感について考えていた。
 そして。
 謁見の間から遠く扉を隔てた長い廊下の中央で孝はようやく問いを投げ掛ける。
「なあ、イヴ?何を取り込んだ?」
 自分と肩を並べて歩く彼女へ、孝はちらりと視線を向ける。
「ん〜?」
 だが、口元に意味深な笑みを浮かべたまま、イヴは答えをはぐらかし、こちらを見ようともしない。
 長い間に培われた上下関係が、こんなところでも顔を出す。
「ああ、いい。ちょっと」
 周囲にほとんど誰もいないことを確認すると、彼女の腕を引いてすぐ傍の部屋に滑り込んだ。


「なんか違うモンが混じってるだろ、お前?」
 自分を正面に捕らえてまっすぐに問いかけてくる孝に、イヴは空の色を模した髪を指先に絡めながら小首を傾げ、
「……ん〜、分かっちゃった?」
 上目遣いで彼を見る。
 その瞳に微熱と闇を揺らめかせ、浮かべる表情は確信犯の笑みだ。
「まあ、付き合い長いからな」
 どこか諦めにも似た苦笑で、孝が言葉を返す。
「そうね。結構長くなっちゃったわね」
 正確な時を数えることはやめてしまっても、ヒトが生まれ、その生涯を閉じ、そしていくつもの世代が交代するだけの時間が2人の間には確かに重ねられている。
 ヒトとして生まれ、ヒトとして生きていた彼を見つけたのは、ほんのささやかな偶然だったと思う。
 そして、孝の中に自分と同じ世界の血が流れていることを知り、自分の眷属に引き込んだのもまた数百年以上も昔のことだ。
「思い出すとちょこっと懐かしいかも」
「………だな…って、話逸れてる!なあ、お前の中に何がいるんだ?こっちの世界のものじゃないだろ?」
「あら、そんなことまで分かるのね?すごいじゃない」
 つい、くすくすと笑ってしまう。
 こちらの誘導にはあんまり引っ掛かってくれないらしい。
「笑ってないで答えろって。それとも言えないことか?」
「さあ、どうかしら?」
 答えたら、彼はなんと言うだろう。
 そもそもこの感覚を彼は理解してくれるのだろうか。
 3つの月が赤い絨毯に光と影を落とす窓の下、テラスへと続くその場所まで、イヴは孝の視線を惹きつけるようにゆっくりと歩き、そうして肩越しに彼を振り返る。
「わたしの中にはね、小鳥がいるの」
 月光を浴びて闇の中に浮かぶ少女の姿は、目を見張るほどに鮮やかで美しく、そして禍々しい。
「自分を生みだした青年のために復讐を始めた小鳥たちの欠片がここにいる。全てが浄化される前に、あの時ほんの一部だけわたしの中に受け入れたの」
 命を燃やし、身を焦がすような激しい情愛。
 水晶の力と鎮魂歌に乗せて、送り出すはずだった黒い意思。
 紙の上に書かれた文字の存在でしかなかったそれらはチカラを得て、あの世界に生きるものたちに愛しい人の悲痛な叫びを叩きつけた。
 愛の断末魔が無数の羽音を裂いて迸る。
 小鳥であるが故に、それはただひたすら純粋で哀しく狂おしい。
「なんでわざわざンな真似したんだよ」
 やはりイヴの示した答えが理解出来ないのか、孝は訝しげに眉を顰めた。
「危ないだろ?それはお前にとっては異質なもんだ」
「ん〜?」
 人差し指を唇に添えて小首を傾げる。
 やはり、彼には自分が何故そんな気まぐれを起こしたのか分からないらしい。
「一言でいうなら舞台のためだから、かしら?やっぱりね、いくらわたしでもホンモノにはさすがに勝てないもん」
「なんだ、それ?」
「鳥姫を演じるためには必要だったってことよ?」
 どんなに台本を読み込んで、どんなに鳥姫の想いを辿り、どんなに役を作りこんでも、自分の中に共鳴を起こすものがなければ所詮演技で終わってしまうことを自分は嫌と言うほど知っている。
「この子達が中にいることで、全然違う感覚を得られるの」
 小鳥を抱く胸にそっと右手を押し当てて、自身の中で眠る『想い』を呼び覚ます。
「鳥姫が秘める狂気と愛憎、あの激情をここで実感できる。すっごく新鮮。まだこんなにも心を揺さぶられることがあるんだって思えるの」
 内側から小鳥の羽音と囀りが聞こえる。
 白く艶かしい指先が胸元から空を滑って窓の向こうにひっそりと輝く月と差し伸べられ、視線がそれをゆるやかに追いかける。
 思わず息を呑んで自分を見つめる孝を意識しながら、イヴはあえて彼を見ずに言葉を繋ぐ。
「孝には見せてあげるわ。そうしたらきっと分かると思う」
 求めるように空へと差し伸べた指先に小さな明かりがふわりと灯る。
 優しい眼差しで見つめながら、聞き取れないほどの微かな囁きをそっと紡いでいけば、ぼんやりとした白い光はやがて小鳥へとその姿を変え、イヴの指先や腕、髪に戯れはじめる。
「ねえ?この子たちの声、聞こえる?」
 何故殺したの。何故殺すの。何故何故何故何故――――掻き立てられる感情と、混沌の渦。
 黒く激しく燃えさかる焔は、高純度の闇を模す。
 唇が、小鳥が鳴らす弔いの鐘に歌を乗せる。
 ほとんどのものが夜の闇に沈むこの部屋の中で、月光を浴び、小鳥と共に彼女はここではないどこか、そこにしかない『鳥姫の世界』を孝の目の前に構築した。
 自分は今、『イヴ・ソマリア』であると同時に狂気の愛に囚われて彷徨う『鳥姫』なのだ。
 調査員として潜入したこの人間界で、美貌と歌声を買われてトップアイドルとなった自分。
 大勢の前で歌い、演じ、次々と仕事をこなしていく。
 生気を吸い上げるための手段でしかなったこの行為に僅かながらも変化が訪れているのは、この世界の誰でもない誰かを演じる瞬間に魅了されてしまったからだと思う。
 そして、こうしていま舞台に立っているのは、一瞬一瞬に刻まれるあの情動の奔流にその身を置いていたいからなのかもしれない。

 何故殺したの何故殺すの愛してる殺したいほど愛してるだから愛してる愛してる愛してる―――――

「なんだ?」
 孝の中で何かがさざめき、それは次第に大きなうねりへと変わっていく。
 久しく感じたことのない感情の波に飲み込まれそうになる。
 そんなにも自分の中が揺らぐのは、彼女の持つセイレーンの能力故なのかもしれない。
 だが、その恍惚とした時間は、イヴが歌をやめると同時に小鳥を伴って消失する。
 後にはただ、余韻が残るのみ。
「…………あ…」
 惜しむような声がつい唇から洩れる。
「ほうけた顔してるわよ?なぁに?わたしに惚れちゃった?」
 目を細め、すぅっと蠱惑的な仕草で身を寄せるイヴ。
「な!?何言って…ッ」
 そんなつもりはなかった。
 それでも見透かされたような気持ちになって、どこかにまだ夢現のような感覚を残していた孝は、一気に現実へと引き戻される。
「そんなんじゃっ」
 熱が顔に一気に集まっていく。
「あら、照れなくってもいいのに」
 艶を含んだ眼差しでギリギリまで顔を近付け、それからもう耐えられないというようにおかしそうに彼女が吹き出す。
 ここでようやく、孝は自分がからかわれていたことに気付いた。
「ね?これで分かったでしょ?わたしが小鳥を取り込んだワケ」
「……ああ………」
 落ち着くために大きく深呼吸を数回繰り返し、最後は溜息のように息を吐き出して、孝は彼女に頷きを返した。
「……で、いつまでソイツといるつもりなんだ?」
 自分の顔を覗き込む視線をしっかり捕らえると、深い暗緑色の瞳を眇めて正面からイヴを見据える。
 彼女の指先から生まれた小鳥は、おそらく再び彼女の中に還っているのだ。
「さあ、いつまでかしら?とりあえず公演の日程を全て消化するまではここにいてもらうつもりだけど、その先は未定ね」
「拒絶反応が起こるかもしれないし、逆に適応しすぎて同化するかもしれない。俺みたいな融合能力はないはずだよな?なら危険度は数割増になる……とかまあ、上げればキリがないわけなんだけど」
「でも、舞台には必要だもの」
「だよな。そう言うよな………」
 諦念の溜息が思わず口から洩れてしまった。
 イヴは自分がこうと決めたらけして引かない。
 説得や、まして力づくでその考えを曲げることなど孝には不可能だということも分かっている。
「…………うぅ……」
 かしかしと不揃いな髪を掻き混ぜて、なんとも言葉にしがたい逡巡の後に孝が達した結論は、
「ま、心配要らないよな。イヴだし」
 彼女のチカラを自分は知っている。
 多少の闇を取り込んだところで、彼女がどうこうなるはずもないのだ。
「そうよ?わたしだもの。心配しないで」
 くすりと笑って、イヴはいとも簡単に孝の心配をかわしてしまう。
「さ、定期報告は終わったんだもの。早く向こうの世界に戻りましょ?」
 振り返った彼女が向ける、冷たく浸透する月光のようなきれいな微笑み。
 孝は苦笑を浮かべつつも彼女に従おうと足を踏み出しかけ、そこでふと別の疑問が浮上する。
「なあ?今どんな気持ちだ?」
「なにが?」
「好きな奴、いるんだろ?」
「いるわよ?」
「人間界の男だろ?」
「そうね」
「いずれ別れるよな」
「…………そうね」
「どうするんだ?」
「わからないわ」
 それは不可避の未来であり、事実だ。
 ヒトの時間はあまりにも短すぎる。
 そして、自分達の時間はあまりにも長すぎる。
 有り余るその流れの中で、イヴもまた、愛を注ぎながらそのどこかに諦めにも似た想いを抱いていたはずだった。
「どうするのかしらね、わたし?」
 彼女が纏う白いドレスが風のない空間でふわりと羽根のようにひるがえり、白い小鳥たちがそれに戯れ舞い遊ぶ。
 イヴの中に棲まう狂気の具現。
「…………ほんと、どうなっちゃうのかな?」
 ちょっと楽しみね。
 そんなふうに呟く声が耳に届く。
 いつもと変わらないはずの彼女の、いつもとは微かに違う表情が、再び不安のようなものを呼び覚ます。
 あの情念を取り込んだ彼女が選択する未来。
 だが、もう孝は問いたださない。
 自分の中からも、そしてイヴの中からも、愛に対する激情は既に失われてしまったことを知っている。
 長い年月の中でいつの間にか鈍化し、麻痺し、気付くと風化してなくなってしまった激情。
 だが、イヴはいま、自身の中に狂おしいほど剥き出しの『愛』を宿している。
 舞台のために、狂気を演じるためだけに、自身の中に失ったはずの『小鳥』を飼った彼女はこれからどうなるのだろうか―――――?




END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高槻ひかる クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月26日

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