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『箱の中の彼女 』
向坂・嵐2380
 ――今日も居る。
 目の隅に映る彼女から、何事もなかったかのように視線を逸らし階数ボタンを押す。
 これで何度目だろうか。『彼女』を目に止めたのは。
 けれど、自分には何も出来ない。見えたところで、せいぜいそれだけだ。
 何か期待されても困る。
 そう思って、いつも無視し続けた。――いつか、誰かに何とかしてもらえ。扉の外へ出る度にそう思う。
「悪いな」
 ぽつりと一言。
 歯がゆい訳じゃない。無力な自分をどうこう思ってる訳でもない。
 只――いつも其処に居たからだろうか。
 つい、そんな言葉が口を突いて出た。

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「今日もあの会社かよ。出るぞー」
 からかい顔の同僚に、苦笑いして封筒を受け取る。毎回この会社の名が出るたびに起こるリアクション。
 『出る』という噂のオフィスビルは、無い方がおかしいくらいだと嵐はいつも思う。それがたとえ根も葉もない噂だとしても。そして、そういう噂のあるビルの中には、時たま『本物』も存在する――ただそれだけだと。
 …その辺、学校と同じか。
 メットを被り、真黒な愛車にまたがってそんなことを考えながら、いつものように流れに身を任せた。

 ――チン。
 ホールに着いたエレベーターの扉が開く。其処に『彼女』の姿を確認しつつ、やはりいつものようにさっさと乗り込み、目的の階を押して戸が閉まるのを待つ。
 ボタンを押す場所の対角線上の、隅。
 其処に、此方を向いて俯いた姿の彼女。普段利用する人はさぞかしやりにくいだろう、そんな事を思いながら。

 ――がくんっ

 不意に。
 上昇中のエレベーターが激しい振動と共に止まった。傾いでいる様子はない。天井の電気は点っている。だが、動き出す様子は無い。
「……」
 迷う必要も無く非常用ボタンを押す。だが、守衛室かセキュリティシステムの何処かに繋がっている筈のボタンは、全くなんの反応も起こしてはくれなかった。
 ――閉じこめられたか。
 腕時計で今の時間を確認する。…まだ頼まれていた時間には余裕があるが、かと言って一時間単位で待たされることも考えれば安心しては居られない。
 どうする?こじあけるか?
 …いや、拙い。それは最後の手段として…。
 ある程度ならどうにでもなる。それはどちらにしろ全ての手段が無くなった後の話、と割り切って、今度は携帯電話を取り出した。いつもなら此処からでも電波が届く。――だが。
 アンテナが1つも立っていない。そのことを確認し、軽く首を傾げた、そのとき。

 ――…。

 何かが、聞こえた気がした。
 どうして振り向いたのか、自分でも良く分からない。そして。

 彼女が。
 すぐ後ろに居た。

「――っ」
 綺麗に切り揃えた前髪の下は、うつむいているためどんな表情をしているのか分からない。それなのに、『見られている』という感覚は突き刺すように嵐へと向けられている。
 ちりちりと肌の表面を柔らかな針でつつかれているような感覚が消えない。

 どの位見詰め合っていたのだろうか。いや、彼女の目は未だ見えない。視線は感じるので彼女の側からは見えているのだろうが。
 小さく息を吐き出して、『彼女』を気にしないような素振りで振り返る。構っている暇も無く、また、嵐自身何も出来ないと分かっているからだ。だから、いつも無視し続けていたと言うのに。だが。

 ひやりと。
 剥き出しの首筋を、何かが撫でた。

 …背後で『彼女』が何をしているのか分からない。
 けれど、その視線は先程から絶え間なく嵐へと降り注いでいる。
 それは、突き刺すように。
 首に。肩に。背に。腕に。腰に。足に。
 『視線』が当たるたびに、その箇所がすぅ、っと冷えるような気がする。――気のせいだろうと思いたいが、配送物を持った手にソレが当たった時、手の力が一瞬緩んで床へと落ちそうになった。腕でしっかりと抱え込んで確かめるが、まるで凍えた場で動かずにいた時のように指先がかじかんでいる。

「悪いが、」
 ぐっ、と拳を握り締めて口を開く嵐。
「俺には何も出来ねえ。何かしてもらいたくて近寄ってきたんならお門違いだ。他当たってくれ」
 後ろを見ようとせず。
 けれど、言葉には意思を込めて。

『どうして』

 不意に。
 耳元で、低く、囁くような返事が返って来た。意識していなかったせいか、びくりと僅かに体が反応する。

『…どうして』

 今度は逆の耳に。
「だから」
 もう一度繰り返そうと、声を張り上げて後ろを振り向く、が。
 …誰も、いない。からっぽの箱の中が妙に寒々しく見えるばかり。
 諦めて姿を消したのか?そんなことを思い、再び扉に身体を向ける。
「――っ!」
 目の前に、『彼女』が立っていた。先程後ろに居た時と同じ姿勢のまま。
「何だよ。何かして欲しい事でもあるってのか」
 無意識に彼女から距離を取りながら、嵐が訊ね、そして。
 にぃっ、と『彼女』の唇から笑みが漏れこぼれる。

『いっしょ、に』

 ふっ、と天井の電気が消えた。

『――いこう』

 がくん!と再びエレベーターが揺れる。それは始めのものとは違い、酷く不安定な揺れ。揺れは収まる事無く、がくん、がくん、と少しずつ下へと下がって行く。
 まるで、ワイヤーが切れかけているような動きで。

 ――落とすつもりか!?

 さぁっと青ざめた嵐が扉のあった場所へと飛びつき、ゴム部分に力をかけて無理に開こうとする。能力を使ってと言うのもちらと考えてはみたが、狭い密室内での行使は自殺行為になり兼ねず、しかも緊張状態にあるためか上手くコントロール出来る自信も無い。
 バチンッ!
 ぶちぶちぶちぶちっっっ
 少しばかり扉が緩んだかと思った瞬間、天井から凄まじい音がして――

 足元がふわりと浮いた。

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「――落ちましたよ」
 声を掛けられてはっと気付けば、目的の階の扉が開く所で。
 すっ、と目の前に差し出された配送物を「すまねえ」と言いながら受け取り、慌てて外へと飛び出す。中に残った女性はいいえ、と言い、更に何か言ったようだったが良く聞き取れず。
 無意識に見た時計はこのビルに着てからまだ数分しか経っていないことを示していた。…とは言え、エレベータに乗った時間としては長すぎ、夢を見たにしては短すぎたが。
「ご苦労様。急に頼んじゃって悪かったね。疲れたろ、お茶でもどうかな」
 契約先の会社に書類を運ぶだけで何が疲れるのかと不思議に思いながらも、それを断る理由も無く。一杯飲んだらすぐ戻るつもりで軽く頷いた。
「にしても若いっていいねぇ。階段使っても疲れてる様子まるで無いし。私なんかこれから外に出ること考えただけでも憂鬱なのにさ」
 話し相手が欲しかったのだろうか、愚痴りだした相手の言葉を聞き流しかけて、湯飲みを口に付けた姿勢でふと止まる。
「――あの」
 ん?と同じように湯呑みを手にした男がなんだい?と聞き返してきた。
「階段って?」
 社員以外の立ち入り禁止とかそういう話でも出たのだろうか。それにしては張り紙も何も見当たらなかったが。
「ああ。うちトコのエレベーター故障しちゃってさ、今使えないんだよ。なんでもワイヤーが切れたらしくてね…って、キミだって登ってきたんだろ?入り口に張り紙もしてた筈だし」
 怖いねー、と大袈裟に身を竦めてみせる男に気付かれないように、小さく湯飲みを握り締める。
「幸い怪我人は出なかったけど。お陰で暫くは階段通勤だよ。いっそ直るまで有給取って休んじゃおうかねえ」
 はっはっは、と他の社員に笑顔で睨まれながらも笑い飛ばす男の話を適当に聞き流し、ぐいっとまだ熱いお茶を飲み干すとまだ話足りなさそうな男に別れを告げてさっさと外へ出、そして見た。
 ――エレベーターの扉の真ん中に、でかでかと張り紙が張られているのを。
 帰りは当然階段を降りていく。
 1階のホールにも同じように事故による補修工事のお知らせが張られており、足元にはブルーのシートがガムテープでべたべたと固定されていた。――来た時には全く気付かなかったのだが。
 ふと気になって上向きの矢印を押してみる。…当然、ボタンが明るくなる事も無く。
 なんだったんだ、そう思いながら仕事に戻ろうと背を向けた。

 ――チン。

 後ろで、エレベータの扉が開く音がし。
 だが、嵐は振り返ろうとしなかった。

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 ひとつ、職場に戻ってから嵐が思い出したことがある。
 それは、エレベーターの中で荷を拾ってくれた女性の、別れ際の呟き。
 その言葉は、柔らかな微笑と共に。

『またね』

 ――と。

-END-
PCシチュエーションノベル(シングル) -
間垣久実 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月25日

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