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『天使たちの手まり寿司 』
嘉神・しえる2617)&嘉神・真輝(2227)

 ――春眠暁を覚えず。
「いーい言葉だなぁ。孟浩然は天才だねぇ」
 朝まだき、某駅前マンション10階のとある部屋では、嘉神真輝が至福の時を過ごしていた。
 カーテンの隙間から射し込む光は、まだうっすらと柔らかい。軽く欠伸をしてからごろんと寝返りを打ち、心地よいまどろみに身をまかせる。
 くしゃくしゃに乱れている髪とチェック柄のパジャマが、ただでさえ童顔なこの高校教師を一層あどけなく見せている。が、それは本人のあずかり知らぬところだ。
 何しろ、今日は休日。『嘉神真輝をオモチャにする会』の女生徒やら女性教師やら空手部員やらに、つきまとわれたりからかわれたり抱きつかれたりしなくて済むのである。
 この解放感。この充実感。休みの日は昼過ぎまで寝て過ごすのが恒例ではあるが、もう今日は一日中お布団とお友達でもかまわない。毛布をぎゅっと抱きしめて、真輝は幸福に酔いしれる。
 ――しかし。
 そんな幸せなひとときは、すぐに破られることとなった。同じマンションの別の部屋に住む『可愛い妹(自己申告)』嘉神しえるによって。
 
「兄貴ー! いつまで寝てるのよぉ! 起きて起きてほらほら早くー!!!!!」
 容赦なくチャイムを鳴り響かせるだけでは飽きたらないのか、どんどんどんと、ドアが凹まんばかりに叩かれている。マンション全体が揺れそうな勢いに、真輝は渋々愛しい布団と別れる羽目になった。
「……何なんだよ、朝っぱらから」
 とろんとした半目状態でドアを開けた兄に、しえるは胸の前で両手を組み、小首を傾げてみせた。
「おはようございます、お兄さま。あのね、しえるちゃんてばお願いがあるの♪」
「お兄さま、だとぉ?」
 真輝の全身に、ぶわっと鳥肌が立った。しえるは両手を組んだまま、駄目押しのようににっこりと笑う。
「そうよ。可愛い妹の頼みですもの。聞いてくれるわよね?」
 普段より1オクターブ高い声と、ダークブラウンの瞳をうるうるさせる攻撃が世にも恐ろしく、真輝は即座に降参し、がっくりとうなだれるのだった。
「何でも聞く。聞くから……頼む、いつもの強引で情け容赦のないおまえでいてくれ」
「しっつれいねぇ」
 すたすたとキッチンに直行したしえるは、壁のフックにかけてあった真輝のエプロンをひょいと取り、すばやく身に付けた。
「……しえるがエプロン……? 何が起こったんだ……」
「お花見用のお弁当を作りたいの」
「……勝手に作ればいいだろう。誰も止めねェぞ」
「だって、私はお料理とか苦手だもの。だから天下一品超一流疾風怒濤の家庭科教師であるところの兄貴に、ご指導ご鞭撻願いたいのよ。美味しくて豪華で、それでいて初心者向きの簡単なのがいいわ!」
 兄の眉間をびっと指差し、しえるは堂々と胸を張る。
「左様でございますか……。俺ごときでよろしければ、しえるさまのお弁当作りを手取り足取りお手伝いさせていただきとう存じます」
 もう抵抗する気力もない真輝に、しえるは伸ばした指先を左右に振った。
「やあね。全部手伝ってなんて言わないわよ。自分でやるから、横で教えてくれればいいの。――で、何作ればいいと思う?」
「……取りあえず、一服させてくれ」
 すっかりしえるのペースに乗せられつつも、真輝はKOOLに火を付けた。紫煙を吐きながら冷蔵庫の中身を思い浮かべ、しばしシミュレーション。さて、どうしようか。
 普段使いのスパイス類は切らしてないし、食材の備蓄も豊富だ。フルコースを作ることだって可能だが――モノは花見弁当。それもしえるにも作れそうな――
 そして、すぐに答えは出た。
「手まり寿司なんて、どうだ? 一個ずつラップでくるんで詰めれば痛みにくいし、何より簡単豪華だ」
「お寿司……? 寿司飯作るのって、大変なんでしょ?」
 しえるは難色をしめした。少しばかり優位に立った気分の真輝は、煙草をくわえたまま口の端で笑う。
「そういう知識はあるんだな。確かに、寿司飯作りはバトルだ。合わせ酢の配合、ご飯へ混ぜ込むタイミング、あおいで冷ますときの風の送り方」
「バトルなの? なら得意だわ」
 包丁を取り出して握りしめ、しえるはふっと笑って兄を見る。途端に真輝の口から、ぽろりと吸い殻が落ちた。
「包丁を使うのはまだ先だ! まずは炊飯! 米をよく研いでザルに上げて30分。昆布と酒を入れて少し固めに炊く」
 ――かくして。
 嘉神真輝先生のお弁当教室が始まった……のだが。
 
     ※           ※

 炊きあがったご飯を飯台に開けて合わせ酢をかけて蒸らし、しゃもじで切るように混ぜ合わせながら、うちわであおいで冷ます。
 具はエビの酒塩炒り、鯛の笹づけ、スモークサーモン、炒り卵、花形に抜いたニンジンと、同じく花の形に切り込みを入れたレンコン、塩出しした野沢菜、彩り用の木の芽に刻み柚子。
 小さな正方形に切ったラップに、味をととのえた具を置いて寿司飯を乗せて、くるっと包んで出来上がり。
 かなり省略してあるが、そんな手順である。寿司飯と具が揃っていればさほど難しくない――はずだった。
 合わせ酢は作り置きしてあるし、エビや鯛やサーモンは下ごしらえを済ませた後、冷蔵庫に保管していた食材だ。
 であるから、しえるが行った調理といえば。
 ・ニンジンを花形に抜く。
 ・レンコンの端に切り込みを入れて花形に整える。
 ・ニンジンとレンコンをダシ汁(真輝特製。当然作り置き分)で煮てから冷ます。
 ・炒り卵を作る。
 ――以上であった。
 それなのに。
「おい。何なんだその手つきは! それじゃバトルにも負けるぞ!」
 口は出すが手は出さない。
 そう決心した兄の見守る中、必死に野菜の型抜きと飾り包丁を行うしえるであったが、その危なっかしさと初々しさを例えるなら、初恋の彼のためにお弁当作りに挑戦する女子中学生のようである。
 型抜きはズレるし飾り包丁はちっとも飾りになってないし、野菜を煮込めば吹きこぼす、炒り卵は焦がす。非常に香ばしい手まり寿司が出来上がりそうだ。
「おまえなぁ……。普段、どうやってメシ食ってんだよ」
 派手に焼け焦げのついたフライパンを見て、真輝は呆れ気味である。
「そうねぇ……。新宿だと『ルシアン・ダイニング』、渋谷だと『ルッコラ・ルッコラ』、代官山だと『万葉・摩天楼』。テイクアウトなら、ちょっと遠いけど丸ビル地下の『スープストックトーキョー』にお世話になってるわ」
「外食と出来合いかよ! まあいい、とにかく完成させろ」
 さりげなくニンジンとレンコンの形を手直ししながら、くわえ煙草で不肖の生徒を指導する嘉神先生であった。
 
     ※           ※ 

 それでも。
 二時間後には、綺麗にラッピングされた手まり寿司が重箱に詰められた。
 貴重な朝のまどろみを潰して取り組んだお花見用お弁当。真輝は感無量であった。
 思えば長い道のりだった。多忙な両親に代わって家事を一手に引き受けてきて幾年月。
 おかげさまでというか何というか、自分の料理と裁縫の腕は思い切り磨かれて現在に至っているわけだが、妹の料理スキルが少々アレなのを兄として気にはしてたのである。
「やったね、出来たわ。兄貴。ありがとうね」
 手まり寿司の重みを確かめるように持ち上げて、しえるは微笑む。
 ――!
 真輝は思わず目をこする。
 妹の背にほんの一瞬、半透明の小さな翼が見えたような気がして。
 ……今のは……? 天使の、翼?
「……んなわきゃないよな。まだ寝ぼけてんだ、きっと。それにこいつはどっちかっつーと堕天使だし」
「誰が堕天使ですって?」
「いや、ほんの独り言」
「堕天使は兄貴の方でしょう? 普段はちゃんとしまっておきなさいよね、その翼」
 えっ? と、真輝は首を曲げて自分の背を見る。――何もない。パジャマのチェック柄がヨレているのが見えるだけだ。
「あはは。冗談よ。……さてと、出かけましょうか」
 重箱を包み始めたしえるを、真輝は怪訝そうに見る。
「そういえば――何でいきなりお花見弁当なんぞを作る気になったんだ?」
「お花見に行くからに決まってるでしょ。井の頭公園は、今が桜の盛りだもの」
「げ」
 思わず真輝は眉を寄せる。あまり楽しくはなさそうな場所だ。
「おまえ、そんなところに出入りしてるのか? 井の頭公園て……確か、ヘンな異界になってたんじゃ……?」
「あら、それなりに面白いのよ。素敵な『彼』とお茶目な女神さまがいて」
「あ、そ。まあ個人の自由だし。気をつけて行って来い」
「何言ってんの。兄貴も行くのよ! 早く着替えてよ」

 ……いや、あの。
 俺は、これから……。
 一度は泣く泣く別れた布団ちゃんと、改めてやり直そうと……思って……。
 弱々しく首を横に振った兄は、しかしまたもや、可愛い妹のお願い攻撃に敗北してしまった。
 右手に重箱、左手に兄貴。
 嫌がる真輝を引きずりながら、しえるの足取りは軽い。
 手まり寿司をたずさえて、天使の末裔たちは向かう。神と幻獣がごった煮の異空間へと。
 
 本日のお花見に幸いあれ。
 せめて桜の木の下で、童顔の高校教師が春眠の続きを得られますように。
 
 ――Fin.

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月25日

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