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『イア! もとい、ビバ! 温泉 』
星間・信人0377)&武神・一樹(0173)&九尾・桐伯(0332)


 満開の山桜が、見事である。
 今の日本にあって、懐かしい日本の風情をまとう山がある。
 春が始まったその山を、尋ねる客は数知れず――


 風の啓示と星の並びの囁きに従えば――ここだ。ここに、風の神の戒めを破るための、途方もない方法のうちのひとつが眠っている。
 星間信人は、或る山中の温泉宿にやってきていた。しっかり有給は取っているし、関連古文書も持ってきたし、夜更かしの準備も整えてある。
 くつくつと含み笑いをしながら、信人は眼鏡を直した。

 知り合いの鎌鼬3兄弟の話によると――ここの湯は格別らしい。看板に掲げられている効能も確かなものであるという。それなら、入ってみない手はないだろう。
 武神一樹は、或る山中の温泉宿にやってきていた。しっかり店番は頼んであるし、飲み食いするための資金も下ろしてきたし、夜更かしの準備も整えてある。
 顎を撫でながら、一樹はウムとひとり大きく頷いた。

 バーの常連がぽつりと漏らした情報によれば――この温泉宿には幻の銘酒が揃っているらしい。探し求めていた『龍哭大吟醸』を見かけたともいう。
 九尾桐伯は、或る山中の温泉宿にやってきていた。しっかり店は閉めてきたし、酒を仕入れた際の運搬の手筈も整えてきたし、夜更かしの準備も出来ている。
 銘酒リストをファイルにしまいながら、桐伯は静かに微笑んだ。


 3人の男が向かった或る温泉宿は、偶然にも同じ場所だった。桐伯と一樹がばったり出会うのはまだしもだが、そこに信人が入ると空気は一気に乾き、廃れ、つめたいものになったようだった。
 古文書を開き、口の中でかさこそと文節を拾いながら宿の中を歩き回っていた信人は、はたと足をとめた。空気の流れが変わったことと、人影に気がついたからだった。
「……よう、星間」
「……おや、星間さん」
「これはこれは、お二方」
 ちっ。
 3人は同時に顔を背けて、陰で舌打ちをした。
 一瞬後にはくるりと向き直り、真っ平らな笑顔に戻る。
「お二方とも、お店はお休みですか」
「お前も図書館はどうした」
「年中無休で働いているとご自分で仰っておりましたよね?」
「はは、お二方と違って僕は身体が弱いもので……骨休めというものですよ」
「はっは、なるほどな。……脳味噌をここの湯で洗っとけ」
「ははは、面白いご冗談を」
「ははは」
 ひゅるり、乾いた風が吹く。
 よりにもよって3人がばったり出会ったのは、温泉の脱衣所の前だった。一樹は入浴する気満々でしっかり準備(徳利、お猪口、盆に手ぬぐい、肝心の酒)を整えていた。桐伯は一般公開されている酒蔵に行くところで、信人はとりあえず何かの準備は整えているのだった。
「せっかくだから、入っていけ、星間!」
「おお、乱暴はやめて下さい」
「そうですね、せっかくですから。それに目を離すと何があるかわかりませんよ、山中というのは」
 星間信人がひとりで図書館の外をうろついているとき、それは彼が大抵世間にとってはろくでもないことを企み、実行しようとしているときだ。桐伯が漏らした通り目を離すわけにはいかない。一瞬の目配せののち、一樹が信人の右腕を、桐伯が残る左腕をがっきと掴み、ずるずると脱衣所に連れ込んでいった。
「僕はあとからひとりでゆっくりと楽しませていただきますから……」
「寂しいこと言うな。何なら脱がしてやるか」
「武神さん、今の発言はいささか危険ではないかと……」
「そうですよ、誤解を招かれては困るでしょう。しかも他のお客さまに聞こえるような大きな声で――」
 信人はぐるりと脱衣所を見回した。
「――その心配はなかったようですね」
 桐伯もつられて、室内を見回した。脱衣所にいるのは、この3人だけだった。いや、ひょっとすると今晩この宿に泊まる客自体が3人だけなのかもしれない。
「ともかく、こんなもん捨てて温泉を楽しめ!」
「!」
 信人が持参していたのは手ぬぐいでも石鹸でもなく、謎の古文書と謎の祭器であった。一樹は素早くそれを奪い取ると、脱衣所の片隅にあった燃えるゴミ専用のゴミ箱に投げ入れた。
「何をしますか、武神さん!」
「おっ? お前でも焦ることがあるのか。いいもの見せてもらった」
「さ、諦めもついたところで、お湯に入りましょう、星間さん。ここは満点の星空と山桜を望める情緒溢れる露天風呂が売りなのだそうですよ」
 桐伯はにこやかに、脱衣所の壁に貼ってあった宿のアピール文を淡々と読み上げた。


 しかし、よりにもよってこの3人が偶然に揃うとは、神も罪作りな――いや粋な――もとい無謀なこともするものだ。
 露天風呂から望める星空と夜桜は素晴らしいものだった。古い宿であるために、今の宿がするようなライトアップもなく、ただただ自然の自然な姿を楽しめる。
 しかし、3人は微妙な空気の下にいた。会話はなかったわけではないが、一樹と桐伯の間で交わされるものはともかく(またしても「ともかく」)、信人が会話に割って入ると、そこで会話は剣呑な雰囲気のまま終わってしまうのである。自然、3人は無口になっていた。
 ――しかし、どうしてまたこの3人が。
 3人が3人とも、そう思った。ここに来た理由は、特に後ろめたさは感じていないものの(信人も感じていないところがまたたちの悪いところなのだ)、どういうわけか口にしていなかったのである。
 ――しかし、どうにも……。
「熱ッ!」
 その通り。ここの湯は、異常に熱い。皮が剥がれそうだ。
 しかしそれは露天風呂の奥の方で上がった声だ。しかも日本語ではなかった。3人の視線が、露天風呂の奥に向けられる。
 どうやら、この宿に泊まっている客は3人だけではないようだ。しかも、3人が3人ともよく見る顔だ。細身の白人客が湯の加減を確かめて、入るのを諦め、さっさと脱衣所に戻っていった。
「おい、あいつは――」
「無理に誘うのは気の毒ですよ。欧米のお湯の温度は、日本に比べるとぬるいですからね。最初に入ったときは驚いたものです。……風邪も引きました」
「そうか」
「そうですよ」
「確かに、ここの湯はちょっと――」
 客が少ないのはそのせいか。
 しかしながら、これまた何故か、3人とも「熱い」と言いたくはなかった。
「星間、もう上がるとか言わないよな、まさか」
 一樹はにやにやしながら信人に目をやった。信人は曇った眼鏡を直しながら、いやいやと苦笑する。
「武神さんも、お顔が赤いようですが?」
「……星間さんも武神さんも、どうして眼鏡をかけたままお湯に入っているのですか?」
「いや、これは俺になくてはならないものなんだ!」
「僕はこれを外すと白痴の神とそう変わらない視力になってしまいますからねえ」
「暗い処で本を読まれるからですよ」
「視力まで持っていかれたか?」
「はっは、人間の視力ごときを欲する方々ではありますまい」
「というかお前、手袋したままだぞ」

 白人が、露天風呂に行こうとする連れの少女をやんわりと遠回しに制止している。殺人的に湯が熱いのでやめた方が無難だとか何とか言って家族風呂を勧めているようだ。どうにもあからさまに慌てているので、もっと別の理由から勧められないらしい。
 その脇を、盆に銘酒を載せた女将が通り過ぎた。

 何故か我慢風呂と化した露天風呂の中、3人の男の間からすっかり会話は消えていて、鼻血を噴き出さんばかりに顔も赤くなっていた。そこへ、タイミングがいいのか悪いのか、女将が銘酒を持ってやってきたのだった。
「おお、『龍哭大吟醸』」
 のぼせかけていたはずの桐伯の目が、きらりと輝いた。
「ご希望でしたら、もう1本お持ちしますが」
「是非お願いします」
「おっ? 俺が持ってきた酒と違うようだが」
「これは幻の銘酒ですよ。何はともあれ、こちらを堪能するべきです」
 桐伯は慣れた手つきで瓶を開け、一樹が用意していた空の徳利に酒を注いだ。湯気でだけでも温まりそうなこの露天風呂の中に、芳醇な米酒の香りがふわりと浮き立つ。途端に、信人が顔をしかめてぱたぱたと鼻先を扇いだ。
「星間、どうだ、やるか?」
「いえ、僕は結構……」
「そう言わずに」
 がし! 桐伯がにこやかに信人を羽交い締めにした。
「まあ呑め呑め!」
 ぐいっ! 一樹がにやにやしながら、お猪口を信人の口に突っ込む。信人はビール一杯すら呑めない下戸の中の下戸であった。眼鏡を直しつつ咳込んでお猪口を吐き出し、彼は桐伯の手からするりと逃れる。
「アルハラという言葉をご存じですかッ!」
 訴える信人の目には、狂気と殺意が満ちていた。
「ははは!」
「武神さん、確かに呑めない方に無理強いするのはいささか時代遅れですよ」
「俺は万年時代遅れだ、時代遅れの何が悪い!」
 珍しくやや取り乱す星間を尻目に、桐伯はいつの間にか用意していたお猪口に酒を注ぎ(言っていることは良心的だが、信人の方を一切見ずに言っていたので説得力は皆無だ)、一樹は湯の中から一升瓶を取り出した。
「おお、武神さん、それは!」
「酒天童子からふんだくってきたんだ。こういうのもあるぞ」
 ざばり、ともうひとつ。桐伯の赤い目が輝く。彼はすでにすばやく銘酒を一杯やっていた。いつもの彼の、憂いすら伺える眼光はそこにない。
「すばらしい! 長草天神のどぶろくですね!」
「こうなりゃさっきの外国人も呼ばないとな! おーい、女将さん! 細い灰色っぽい客がいだろう、あいつを呼んでくれないか!」
「星間さん、死んでいる場合ではありませんよ、銘酒ですよ!」
「……やく ぐぶるたぐん おぐに=もるく ふすぐるたぐん ぶるぐとん……ひひひ」
「ほらほら、呑め呑め、呑んで神を忘れろ星間!」
「『ホット・ウイスキー・トゥディ』をご馳走しましょう」

「あの、露天風呂でお知り合いの方がお呼びですが……」
「日本語がわかりません! 知りません! そうっと放っておいて下さい!」

 笑い声と呪文のようなものが、山桜の花びらを散り飛ばす。
 欠けた月が昇ってきた。
 星間信人などは、鼻血を出しているか吐血しているかのどちらかだ。しかも湯の上にぷかりと浮いている。一樹と桐伯はその横でけらけら笑ってた。べつに信人の惨状が面白いわけではなく、ただ単に湯の熱さで酔いが恐ろしい勢いでまわって頭の中が凄いことになっているだけだ。
「いあいあよぐそとす! わはは!」
「ニャルさまはサイコー! ははは!」
「……ごぼぶるぐるぐぶ ごぼるぼん……」
 露天風呂の中を覗きこんだ宿の客の少女が、ひええ、と戦慄を隠しもせずに声を漏らした。
 少女と月と山桜が呆然と見つめる中、湯にぷかりと浮く身体の数が増えた。


 九尾桐伯が経営するバー『ケイオス・シーカー』で、黄色の上着を着た男と、和装の男がちびりちびりと酒をやっている。長髪の、若いマスターがセレクトする酒はどれも絶品だ。しかし、欧米情緒溢れるバーで、マスターが勧めるのはなぜか日本酒ばかり。
 空調の調子が悪いのか、店内はサウナか温泉のようにな、むっとする暑さだ。一樹と信人の眼鏡などは、真っ白に曇っている。暑い湿った空気の中を、上品な米酒と、神聖などぶろくの香りが羽ばたいている。
 3人はそんな夢の中に溺れた。


 ……ひゅるり、と乾いた風が吹く。
「あのお酒を一升あけた?! しかも西の風呂の中で? あちゃあ」
「ウオッカくらいアルコール度数高いのに……」
「いやそれは大袈裟だが」
「どうせなら東のお風呂で呑めば、ねえ。お湯もぬるめだったのに」
「いやそれもあんまり意味ないだろうが」
 救急車の中に仲良く運び込まれていく3人の客を、宿の関係者たちは呆然と見守っている。女将は早くも事件の隠蔽工作に入っているようだ。露天風呂はさっさと閉鎖し、転がっていた空の酒瓶をとっとと片付けてしまっている。
 信人はともかく(「ともかく」もこれで3回目だ)一樹と桐伯は酒に強いのだが、やはり50℃に近い熱湯の中で50℃の酒を大量に呑んだのはまずかったようだった。急性アルコール中毒であちらの世界行きである。
 救急車が去ってから2時間後には、女将が完璧に事件を亡きものにしてしまったため、露天風呂の中で何が起こっていたのかは、月と山桜のみが知るところであるのだ。
 合掌。
 ぴゅるり、と乾いた風が吹く。

「……入らなくてよかった」
「……でしょう」



<了>
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2004年03月25日

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