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『エースを狙うべきなのだ 』
上社・房八2587)&本郷・源(1108)


「お父さん……それ、きもちわるい」

 衝撃的かつ、恐るべきひとこと。
 上社房八は、落ち込んだ。
 小学6年になった彼の娘は、ませた娘に育っていた。ぱぁぱ、ぱぁぱとカルガモの子のように自分の後をついて歩いていた記憶も、まだ新しいというのに――房八は昨夜、いちばん言われたくない一言を娘から食らったのである。
 ――きもちわるい、か、きもちわるい、ものなのでしょうかね。
 家の中に隠しごとを置きたくはなかったので、房八は自室の奥のコレクション部屋にも鍵をかけていなかった。しかし、父の部屋自体にそれほど入ったことがなかった娘は、その『秘密の部屋』の存在を、昨夜まで知らなかったらしいのだ。
 房八のコレクション部屋には、古今東西あらゆる着ぐるみが揃っていて、房八は昨夜定期的におこなっている着ぐるみのブラッシングに勤しんでいたのである。そして、ピンクのうさぎの着ぐるみにブラシをかけていたところに、娘が初めて部屋に入ってきた。
 放たれた言霊!
 突き刺さる視線!
 房八は、泣いた。
 彼は心から娘を愛していたから。

 そういったわけで、房八はその日は朝から仕事をする気分になどならなかった。美容室のバックヤードに引き篭もり、飛び入りの指名客などは無視して部下に任せ、ぼんやりとコーヒーや番茶や紅茶などをすすっていた。
「――じゃ! わしを待たせるとは何事か!」
 突然、美容室に響き渡った金切り声がある。
 ヒステリックな女性客のものではない。小さな子の、元気な叫び声だ。
 ぱぁぱ、まってぇ!
 房八が聞いた、あの日々の娘の声にまったくよく似ていたのである。
「責任者を出せい! わしは急いでおるのじゃ!」
 ひょい、と房八が誘われるようにバックヤードから顔を出してみると――
 見事な花柄の着物を身につけた、まだ歳も二桁に届いていそうにない童女が、スタッフのひとりに喚きたてていたのである。
 困り顔のスタッフが振り向き、童女が「む?」と口をつぐんだ。
「オーナー、お願いします」
 スタッフは房八に助けを求め、そそくさと持ち場に戻っていった。彼が担当していたのは、常連のセレブ。これ以上、時間を割ける客ではない。房八は納得した。
「おぬしが責任者じゃな。わしは急いでおるのじゃ。髪を結え!」
「……」
 きい、と自分を睨みつけてくる視線は、自分の娘と同じように強いもので、明るい茶の瞳の色も全くよく似ていた。
「かしこまりました。――こちらに、お名前とご住所、電話番号を。私の店は、初めてですね?」
「うむ!」
 房八は微笑み、カウンターの来客用リストを童女に手渡す。童女は小さな手でボールペンを掴んだ。ボールペンがひどく大きく見えた。
 リストに書かれた名前は、「本郷 源」。
「ほほう。あの、本郷コンツェルンの……」
「いかにも!」
「席は――空いていますね。では、早速」
 にこりと房八が微笑みかけると、源は満面の笑みを浮かべた。

 柔らかな髪は、さほど長くはない。横髪をしばったリボンをほどいても、その長さはほとんど変わらなかった。上質な香の香りが沁みついている。
 房八は本郷源のことを今知っている最中だが、源の実家のことはよく知っていた。源の気が強いのも、多少尊大なのも無理はあるまい、と心中で苦笑する。源の実家はこの不況の中にあってなお成長を続ける大財閥だ。
「さて」
 鏡の中を覗きこみ、房八は源の髪を手で梳きながら微笑んだ。
「今日はどのようにしますか?」
「うむ!」
 源は顎を上げて、口をへの字に結んだ。
「きゃっするろここなぽんぱどぅーる風じゃ!」
「……はい? ……ああ」
 源の注文をわかりやすく脳内で変換して、房八は大きく頷いた。
「縦ロールのパーマですね」
「それじゃ! マダム・バタフライを意識せい!」
「……はい? ……ああ」
 またしても変換。
「あの高校生なのに『マダム』という仇名の、華麗なプレーを見せてくれる、伝説のテニスプレイヤーですね」
「それじゃそれじゃ!」
「お客様の髪は短めでいらっしゃいますから、多少イメージとは違う仕上がりになると思いますけれども」
「そこがかりすま美容師の腕の見せ所というものじゃろ!」
「わかりました、善処しましょう」
 確かに上社房八はカリスマ美容師のうちに入るだろうが、どうも源は房八目当てでこの美容室に来たわけではなさそうだ。洒落た美容室の美容師はすべてカリスマであると思っている節がある。房八はそれでも微笑んで、源の手を引き、シャンプー台を示した。
「しかし、お急ぎだったのでは? パーマはかなりお時間をいただくことになりますよ」
「それも、かりすまの腕で何とかするのじゃ!」


 確かに、腕の見せ所ではあった。強いパーマを短時間で。しかも、パーマのイメージがマダム・バタフライの縦ロールというのが厄介だ。
 房八はプロとしての魂を揺さぶられた。絶対に、やり遂げてみせると。
 昨夜の悲劇など、そのときは頭の中になかった。源の幼い髪だけが視界にあって、パーマ液のするどい臭いが嗅覚を支配していた。香の香りが消えてしまうことにあとから気づいて、一瞬ためらった。
 しかしながら房八の葛藤や努力をまるで察しもせずに、源は女性週刊誌を手に取り、熱心に女優のスキャンダルについて綴られた記事を目で追っている。
「うむぅ、こやつのぼーいふれんどは一体何人おるのかのう」
「今回発覚した方で6人目ですね。同時進行中なのかどうかはわかりませんが」
「相手は多くてもふたりまでじゃな」
「ひとりにしておかれた方が、誰も悲しむことはありませんよ」
「世の中モテてなんぼなのじゃ!」
 予断を許さない施術の合間に、客の雑談に応じるサービス精神も勿論忘れてはいない。
 上社房八はプロであった。

 20分もすると、房八の奇跡の腕にかかった源の髪は、キャッスルロココなポンパドゥール風の縦ロールの片鱗を見せ始めた。週刊誌から鏡に目を移した源の目に、きらきらとした喜びが湧き上がっていた。
「お、おおお」
「いかがですか? まだ、四合目といったところですが」
「……素晴らしい! この調子で励め!」
「有り難うございます。――お客様は、これからパーティですか?」
「いや、勝負なのじゃ。すぽーつで華麗に、あやつを打ち負かしてやるのじゃ!」
「ほう、それでマダム・バタフライ……」
 スポーツに、マダム・バタフライ。テニスの勝負なのだろうと、房八は納得した。
「マダム・バタフライになりきることで、マダム・バタフライの力を得ようというのじゃ。名案であろう?」
「ええ。勝負は気合がすべてですからね」
 源の喜びは、房八の喜びでもある。
 源の視線はそれから、鏡に釘づけとなっていた。房八の手が織り成す技巧と、生まれ変わりつつある己の髪に、すっかり夢中になっている。
 大好きなアニメを観ていた娘の姿によく似ていて、房八はそのとき、何かに胸を掴まれた思いだった。


「では、行ってくるのじゃ!」
「ご武運を」
 くるんくるんの、見事な縦ロール。髪の量がまだ少ないので、サービスでちょっとカラーも変えてみた。源は房八の手によって、和装のマダムへと変身を遂げていた。仕上がりを見たとき、源のみならず、店のスタッフまでもが感嘆の声を漏らした。いつしかスタッフたちは、手を止めて房八の技に魅入っていたのだ。客も、そんなスタッフに文句を言わなかった。房八の技に、呆気にとられていたからだ。
 出来あがったばかりの縦ロールをゆらゆらぴょこぴょこと揺らしながら、嬉しそうに源は去る。房八の美容室の会員証は、しっかり持っていってくれた。きっと、また来てくれるのではないかと、房八は思った。
「……またのお越しを」
 その挨拶は、源が店を出たあとに成された。

 源がその見事な縦ロールの髪と、和装のままで手に取った獲物が、ラケットではなく羽子板であったことは――房八が知る由もないことである。
 その夜、源のことを思い出しながら、漫画原作のテニスドラマを見て微笑んでいた房八に、愛娘の言葉が突き刺さった。
「お父さん、にやにやしないでよ。……気持ち悪い」




<了>
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2004年03月22日

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