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『悲愴の薔薇 』
新久・孝博2529)&新久・義博(2516)


「どうしました、孝博?」
 ふいに食事の手を止めた弟、新久 孝博(しんきゅう たかひろ)に兄の義博(よしひろ)が声を掛ける。
 視線の向こうには、確かに兄が居る。にこりと微笑みながら、孝博を見ている。あの頃の、―――18歳の姿のままで。
「…いいえ、何でも…。何でもありません、兄さん」
 孝博はぎこちないながらも笑顔を作り、義博にそう答え、食事を再開させた。
 義博は暫く弟を見ていたが、自分も食事を再開させる。
「………」
 喉を通るモノ全てが、砂のように思えた。
 重い沈黙。そして僅かな食器に当たる、金属音がやけに大きく孝博の耳の奥にまで響く。
 目の前の兄に、言わねばならないことが、ある。
 それでもそれを、喉まで持って来ることが出来ても、それ以上を吐き出すことが出来ない。
 おそらく兄は気がついているだろう。孝博の左手薬指にしか、指輪が残っていないと言うことを。それは孝博のものではなく、『形見』である義博のものであると言うことも。
 そう。
 孝博の目の前に居る義博は、18歳で自分の刻(とき)を止めたのだ。
 孝博が13歳の頃の話である。事故に巻き込まれ、兄義博は、生の時間を止めた。
 生前、義博に『私たちは前世では夫婦だったのですよ』と教えられ、その証である指輪を手渡された。彼も同じ、指輪を左手薬指にしていた。
 何よりも兄を尊敬していた孝博はその指輪と共に、兄の存在も、大切にしていた。おそらくは本能で、兄の想いと言うのを気がついていたのであろう。無自覚であったようだが…。そんな矢先に、義博は孝博の目の前から、消えた。
 それまで、前を見れば落ち着ける空間があった。手を差し伸べれば、優しくその手を取ってくれる存在が居た。
 それは、幼かった孝博には、あまりにも酷な現実だったのではないだろうか。
 悲しみの中、指輪を両手薬指に嵌める事によって、孝博は何か、救われていくような感覚の波へと囚われていった。
 孝博は生きながら、『往く』事を半分諦めてしまったのだ。
 それは、義博の思惑通りと言っても、過言ではない事だった。
『孝博を、自分だけのものに』
 心の奥で燻っていた、苦い想い。
 口に出すことは出来ないが、義博の想いは言葉では言い表せないところまで行き着いてしまい、死しても直、その想いは消え失せることも無く。
 孝博は義博の思い通りに、囚われの身になり、堕ちていった。
 だがそれも、永劫続くものでもなかった。
 孝博を取り巻く者達、そして彼の『恋人』と言う存在が、義博の束縛を打ち破ってしまった。
 それから孝博は、前を見て歩き出してしまったのだ。そして自分の指輪を、恋人に渡してしまう。共に、未来を歩んでゆく者との、証として。
 義博が世を去って、7年と言う時間の中で、ゆっくりと。
 それから色が変わっていった。孝博を取り巻く空間の、空気の色が。それが、義博にとってはどうしても目の瞑れない問題だった。このままにしてはいけないと思えたのだ。
 本来であれば、弟の明るい未来を願わなくてはならないのが、兄としての役目。
 しかし義博は『そんなもの』は疾うに、棄て去ってしまった感情であり。彼本人が気づくところにさえ、存在しない、もの。

 『このままでは、孝博は【私】を忘れてしまう…』
 
 どうしようもない焦燥感。
 湯水の如く溢れ返るそれに、義博は全てを任せた。
 そして、義博は天に向かう事から逆らい、孝博の目の前に姿を表したのだ。18歳の姿のまま。
 孝博は拒絶はしなかった。…出来なかったのかもしれない。
 ずっと尊敬し続けていた兄が、戻ってきた。形はどうであれ。
 そして告げなくてはならない事が、出来てしまったのだから。
 自分に恋人が出来たと。その人と共に、未来を歩んでいくのだと。
「孝博」
 義博が、ゆっくりと再び、声を掛けた。
 それに孝博は、ビクリと身体を震わせ、手を止める。
「…孝博、最近おかしいですよ。具合でも悪いのですか?」
 そう言う義博に、視線を上げてみれば。
 孝博の目に映る、兄の心配そうな表情。―――言わなくては、いけない。
「……、…」
 一旦口を開いてはみるものの、その先の言葉を作ることが出来ない、孝博。
 微笑の向こうで、孝博からの言葉を、拒絶し続けている、義博。
「すみません兄さん、少し考え事を…」
 作り笑顔にしかならない、それ。
 それでもこれ以上の心配を掛けまいと、孝博はにこりと微笑み返す。
(何度、こんな時間を繰り返せばいいのか…)
 孝博は心の中でそう呟いた後、義博には気づかれないように、軽い溜息を零した。
 真実を話してしまえば。
 義博が悲しんでしまうと。兄を傷つけることになってしまうと、孝博には解っているから。
(だからと言って、どこからどこまでを、説明したらいい…?)
 兄の心を刺激しないような言葉。傷つけないような声音。
 尊敬している。だからこそ、その兄を傷つけることだけは、避けたい。
 言ってしまえば。真実を明かしてしまえば、確実に義博の心を揺さぶってしまうであろうと言うことは、解っているのだ。
「……すみません、兄さん。席を外してもいいですか…」
「ああ、かまわないですよ。…それより、本当に大丈夫ですか?」
 孝博は堪らず、その場から離れたい心境に駆られた。
 そして言いながら、ゆっくりと席を立つ。
 義博の目には、少しだけ青ざめた、弟の表情が映し出されていた。その表情さえ、美しいと思えてしまう、彼の脳裏。
「物事を深く考えすぎたようです。…食事中にすみません」
「外の風にでも当たっていらっしゃい、孝博」
 申し訳なさ気に孝博が言葉を作ると、義博は温和な空気の中、送り出してくれた。
 優しい兄の言葉に軽く頭を下げて、孝博は席から離れる。
 義博は、笑顔を崩しはしない。
 それが孝博にとっては、苦痛以外の何物にも変えがたいものになっていく。
 窓辺から外に出た孝博は、夜空を見上げながら、長く重い溜息を空気中に放った。
 夜風が、少しだけ冷たく、頬を掠め取る。そしてその風が、孝博の長く美しい腰までの金糸を、ゆらり、と弄ぶかのように揺らしていた。
「…まだ、大丈夫ですね…」
 そう、呟くのは義博。
 弟の背を見送りながら、口元を手で隠し…浅く、哂う。
 全て、解っているから。
 孝博の口から、その全てを聞きたくは無いのだ。
 だから、ギリギリまで追い詰めても。
 結果、それが孝博を苦しめることになったとしても。事実、彼は今苦しんでいるのだが。
 しかしそれは、義博の限界値ではない。
 まだ、孝博は堪えられる。大丈夫だと、確信をしているのだ。
「私を忘れてしまうなど…許されないことなんですよ、孝博…」
 手を伸ばせば、届く位置にいる筈の、二人。だがそれは、交差することは決して無く。
 指輪は目に見えない場所に居るが、それが逆に孝博を捕らえていて、離す事は無い。おそらく、彼の口から全てを語られるときまで、ずっと。
 『解放』は、まだ先の話だと。

 誇り高き青い薔薇は、毒持つ血赤の薔薇に魅入られ、永劫の時を囚われたまま、咲き続ける。例え立場を変えようとも。姿を変えようとも。何故なら血赤の薔薇は、仄暗く奥深い場所でも、輝き続けるのだから。
 光を必要とせずに、そして渇きを知らないかのように。


-了-


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新久・孝博さま&新久・義博さま

ライターの桐岬です。
予定より納品がギリギリになってしまい、申し訳ありませんでした。
美しいお二人のお話は、考えていてとても楽しかったです。
苦しむ弟さんと、苦しめているお兄さん。でもそれは煩く感じるものでもなく…。
綺麗なお二人をきちんと表現出来ているかどうか、少し不安でもありますが。
それでもご期待に応えられていれば、幸いです。
この度はご依頼有難うございました。
※誤字脱字はチェックしておりますが、見落としがありました場合、申し訳ありません。

桐岬 美沖。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
朱園ハルヒ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月22日

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