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『春の祝福 』
鬼柳・雪希2906)&神坐生・守矢(0564)

 鬼柳・雪希(きりゅう・ゆき)、23歳。茶髪で見目良い体格をしているが、これでも学校の保険医だ。自転車で通える距離にある男子校に所属している。
 いつも戦争のような慌ただしい日々を送っているので、帰り道に立ち寄る喫茶店や商店街はちょっとした息抜きに丁度良い。
 
 今日も雪希は夕食の食材を買いに、近所の商店街を歩いていた。
 最近、商店街の近くに大型ショッピングモール「ジェスコ」が出来た影響か、帰宅ラッシュの頃合いだというのに人の数はずいぶんと少ない。店のいくつかは早くも店じまいの準備をしているようだ。
 仕事で疲れていたせいもあり、早く買い物をすませて一息付きたいと思っていただけに、閑散とした商店街の様子は雪希をより一層、憂鬱(ゆううつ)にさせた。
「……こりゃジェスコへいった方がいいかな……」
 今朝の新聞折り込み広告で今日が特売日だと載っていたし、大型デパート店なら大抵の食材は殆ど整っているだろう。そう思い、自転車を反転させようとした時。ふとほんのりと甘い香りが雪希の鼻をくすぐった。
 辺りを見回すと、濃い桃色の桜の枝が店先で揺れていた。
 「フラワーショップ神坐生」の店先に並べられた枝きりの桜は、寂れた商店街に優しい色を添えている。ガラス張りの入り口の奥には色鮮やかな春の花達が咲き乱れており、その空間だけまさに楽園といった雰囲気をかもし出していた。
 桜の花に誘われるように、雪希はゆっくりと自転車を店先に寄せる。
 見慣れているソメイヨシノの桜より遥かに深い色合いの桜を、雪希は物珍しそうにじっと見つめていた。枝が刺しているバケツにも桜の枝にも名札が付けられていないため、これが本当に桜なのかすら解らないが、釣り鐘のように少し垂れ下がった姿はなんとも可愛らしい。
「その花は寒緋桜(カンヒザクラ)というんですよ」
 不意に声が聞こえ、雪希は目を瞬かせて顔を上げた。
 穏やかな表情をした店員らしき男性が静かに佇んでいた。
 彼は雪希の隣に腰を降ろし、桜の枝をバケツから1本引き抜き、丁寧に手持ちの紙で包みはじめる。
「綺麗な桃色をしているでしょう? 一見、梅みたいな色をしてるけれど……これもれっきとした桜なんですよ。下向きに咲いてるのが珍しいといえば珍しいかな。冬咲きだから、もしかすると……この形は雪避けなのかもしれませんね」
 何とも人なつっこい笑顔を彼は浮かべた。その表情につられて、雪希も穏やかな笑顔を返す。
「良かったら、少し早い春を1本どうぞ」
 そう言って彼は丁寧に包まれた桜の枝を雪希に差し出した。そのまま店の中へ入ろうとする彼を、雪希は慌てて呼び止めた。
「あ、あの……! ……代金は?」
「ああ、結構ですよ。その桜はお店に来てくれた方へ記念にさしあげているんです。それとも、もっと沢山の春を楽しんでいきますか?」
 彼はすっと一歩身を引いて雪希を店内へと案内する。
 さり気なく手を引かれながらも店の中へと行き、雪希は小さく声を上げた。
 雪希の瞳に飛び込んできたのは、満開に咲き誇る、菜の花の黄色い輝きだった。そして、その菜の花を囲むように、色とりどりの鮮やかなチューリップや純白のスイセンが咲いていた。
「こんなに花を売っているなんて知らなかった……」
「明日から行われる、菜の花祭りのために仕入れてきたばかりなんです。普段はこんなに飾っていませんよ」
 ああ、そういえばそんなものもあったな、と雪希は小さく相づちをする。
「祭りの当日はもっと沢山の春を用意しておきますので、遊びに来て下さいね」
 そう言った彼の笑顔に、雪希は心の奥がじんわりと暖かくなるのを感じていた。
 
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「神坐生・守矢(かんざき・もりや)さん、か……」
 ベッドの中にもぐり込みながら、雪希は部屋の中に視線を泳がせた。
 ベッドの向かい側にある机の上には桜と菜の花が仲良く花瓶に入れられている。
「……明日行ってみようかしら……」
 心の中でぽつり呟きながら、雪希はゆっくりと瞳を閉じていった。
 

 「菜の花祭り」は商店街で3月中旬に開催され春の大セール週間の呼び名だ。この期間は商店街にある店は無論のこと、その周辺の店も大売り出しを開催する。
 守矢の店でも多くのお客さんに届いたばかりの春を届けようと、店先に満開の菜の花の販売を行っていた。子供達は物珍しそうに、大人達は懐かしげに菜の花を手に取っていく。
 昼も少し過ぎ、何とか客足がおさまり落ち着きはじめた頃に守矢は見知った顔に出会った。
「いらっしゃいませ、やっぱり来てくれましたね」
「……結構売れたみたいね。私にも1本頂けるかしら?」
 弟へのプレゼントなのよ、と雪希は売られている菜の花達の中で一番つぼみの多いものを選びだした。つぼみが多ければその分、花を長く楽しむことが出来るのだ。
「そうだ……今日来たら雪希さんに差し上げようと思ってブレンドしてみたんです」
 守矢は胸ポケットから白い陶器の小瓶を取り出し、雪希に手渡した。小瓶の蓋となっているコルク栓を抜くと途端、甘いオレンジ果実を思わせる爽やかな香りが漂ってきた。
「ベルガモットとカモミールとグレープフルーツのオイルをブレンドしたものです。疲れた時に手首などに軽くつけたりするとリラックス出来ますよ」
 そう言いながら守矢は首筋にオイルを塗るようなそぶりをする。
「大分お疲れのようでしたから、気分転換にお風呂にでも入れてみてください。香る程度でしたら2、3滴入れれば充分だと思いますよ」
「あ、有難う……でも何で私に?」
「せっかく綺麗なお顔をしているのに、疲れた顔をしていては勿体ないですよ」
 さらりとした口調で守矢は言った。至極自然な物言いに雪希は思わず頬を染めあげる。
「雪希さんみたいな素敵な人は、いつもいい笑顔でいて欲しいですからね」
 初めて出会った時と同じように、守矢は優しい笑顔を雪希に向ける。照れるタイミングを逃し、雪希は言葉も返せずにうつむいた。
 その間にも守矢はてきぱきとラッピング作業を行っていた。たった一輪の菜の花は、守矢の手にかかれば、春を祝う立派なプレゼント用品へと変身する。最後に仕上げのリボンを付けて、そっと雪希へと手渡した。
「弟さんにも気に入ってもらえると幸いです」
「大丈夫、きっと喜ぶわ。だって……こんなに綺麗なんですもの」
 白い半透明フィルムに包まれた、鮮やかな菜の花を見つめて雪希は目を細めて守矢の瞳を優しく見つめる。その表情に微笑み返し、2人はしばしの間見つめ合った。
「すみませーん、これくださーい」
 元気な子供の声に、2人はハッと意識を取り戻す。あわてて視線をそらす雪希の隣を、守矢は足早に通り過ぎていった。
 
 親しげに子供達と会話する守矢を眺めてから、雪希はくるりときびすを返す。
 
 首もとにさりげなく付けたブレンドアロマオイルの香りが一瞬だけ辺りを甘酸っぱい香りでつつみ、春風に乗って商店街の街並みへと溶けていった。
 
 おわり
 
 文章執筆:谷口舞
 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
谷口舞 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月22日

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