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『闇中模咲 』
虚影に彷徨う蒼牙 禍鎚1245

 完全なる闇の世界。
 そこで許されるのは、ただ手探りで探す事だけだ。
 そっと手を伸ばし、そっと確かめるように。


 空にぽっかりと月が浮かんでいる。星がきらきらと光っている中で、月はそれらよりも一層光り輝いているかのように見える。
「いい、月だ」
 そう呟き、虚影に彷徨う蒼牙・禍鎚(こえいにさまようそうが かつい)は小さく微笑んだ。縁側に酒を持ち込み、一人で手酌しながら飲んでいるのだ。手には酒、空には月。絶好の、月見酒である。
(月は綺麗で……酒は旨い……これ以上の贅沢があるだろうか)
 禍鎚はそう思い、空になったお猪口に再び酒を注ぐ。酒は月の光を反射し、柔らかく光っている。
(……あそこの月も、綺麗だった……)
 お猪口を口に持っていきかけ、禍鎚はふと手を止めた。
(そう、あそこの月も……こんな風に綺麗で)
 禍鎚はじっと月を見つめる。空に浮かんでいる月は、その輝きによって自身を映し出すかのようだ。禍鎚の青い髪も、禍鎚の青い瞳も、全てを月にとっては曝け出させる為の一部でしかないような気分にもなってくる。外見をまずは映し出し、次は内面を。
(鏡のようだ……)
 コトン、という音を響かせながら、禍鎚はお猪口を下に置いた。月は相変わらず同じように光を放っているというのにも関わらず、何故だか先ほどまでとは違うような気がしてならなかった。
 禍鎚は気付いてしまったからだ。月が、鏡のようだと。
(あそこは……あの場所は)
 禍鎚はそっと心の中で呟く。月の光に、引きずり出されたかのように。


 立っていたのは、草原だった。
「……ここ、は」
 禍鎚は自分に吹き寄せる風に目をそっと細めながら辺りを見回した。青々と広がる草たちは、ただただ風に自らの体を任せており、ゆらゆらと揺れているだけだ。どこまでも草原が広がっており、山すら見えない。地平線が続いていっている。
「ここ、は……」
 再び禍鎚は呟いた。今までに全く見た事の無い場所であった。どう記憶の糸を手繰り寄せてみても、欠片すら見つからぬ。
(何故、ここにいるんだろう……)
 禍鎚は空を見上げる。空だけは、禍鎚の知っている空であった。青く広がっており、時折白い雲が流されていっている。
「夢、か?」
 禍鎚はそう呟き、そっと草に手で触れてみる。……確かに、草の感触がある。感触だけでは分からぬと、禍鎚は草を手折って鼻に持っていく。……確かに、草の匂いがある。青臭く、生きていると思わせられる匂い。匂いだけでは分からぬと、口で噛み砕く。……確かに、草特有の苦味が口の中に広がり、禍鎚は思わずぺっと吐き出す。
「……夢にしては、なんとも現実味を帯びている……」
 だとすれば、答えはただ一つだった。禍鎚はぎゅっと手を握り締める。
「ここは、現実か」
 確かな感触が、確かな匂いが、確かな味覚が。それら全てがここが現実世界であると指し示しているのだ。
「ならば……あそこは」
 今禍鎚がいる場所とは全く違う、嘗ていただろう世界を思いやる。そちらこそが夢であったのだろうか?……否。
 禍鎚は握り締めた拳を、再び強く握り締める。ぎゅっとした感触が訪れる。
「違う。……あの場所が夢であるはずが無い」
 禍鎚はそう呟き、目を閉じる。
(後悔など、しない)
 禍鎚は確かにそう思ったのだ。それは本心であったし、勿論後悔などする筈もないと確信していた。
(確かに、あの時俺は……赴いた筈だ)
 大きな戦があった。それは確かだ。幾つもの戦場を駆け抜け、いくつもの死線を潜り抜けて来た。死との隣り合わせは恐怖をも引き起こしたが、それでも共にいる仲間に安心していたりもした。自分は、決して一人ではなかった。
(そうだ……あの時も、俺は赴こうとしていたのだ)
 ここではない世界での禍鎚は、再び戦場へ赴こうとしていた。また死線を潜らなくてはならない事は、明白だった。だが、そういった事実すら禍鎚の足を留める事は出来なかった。傍には仲間がいたし、今まで死線を潜り抜けて来たという思いもあったから。
(俺が、赴かなかった……ということは、無い)
 赴こうとする戦地に赴かず、全く違うこの場所に赴いたとは考えにくかった。
(何が、あったのだろう……?)
 禍鎚は溜息をつく。記憶は、そこでぷっつりと切れてしまっているのだ。何故だかは全く分からない。今でも、あの時感じていた戦地への思いは途切れてはいない。ともすれば、今から戦場へ行かねばならないとまで思うのだ。
 だが、この草原はそれを許さない。
 今まで戦っていた世界とは全く違う、否、違うと思わせられざるを得ないのだ。今までいた場所とは違う、空気。あの世界では常に感じていた緊張感も、この世界には殆ど皆無といっても良いほどない。ざわ、と吹いてくる風ですら、違うと思わされるようなのだ。言わば、平和な世界。
 戦地など存在しないかのような、そんな空気が場を支配していた。今まで戦ってきた敵の片鱗すら見えぬ。
 そうすると、全てが何かの夢であったかのようにも感じてくるから不思議だ。あの時感じていた緊迫感も、死線を掻い潜ってきたという思いも、全てが儚き霧のようだ。
(だが……あれは、確かな世界だった)
 禍鎚は自分に言い聞かせるかのように心で呟き、そっと目を開ける。再び風なびく草と、何処までも青い空が目の前に広がった。禍鎚は苦笑する。もしかすると、今いるこの草原ではなく、今まで自分のいた世界が広がっているのではないか、と淡く期待していたのだ。
 この草原が、いわゆる白昼夢で。
 本当に自分がいるのは、この世界ではなく。
 だが、やはり広がっていたのはあの世界ではなかった。広がっていたのは草原だった。どちらも夢ではないと、禍鎚は諦めにも似た感情で気付き始めていた。どちらも現実世界であるのだと。
「俺の記憶さえ、もしもあれば……」
 禍鎚はそう呟き、溜息をついた。ぽっかりと抜けてしまっている記憶が、この不思議な現象を全て説明できるようにも思えた。戦地に赴いた筈の自分が、今こうしてこの場所にいるという現象の、その全てが。
 戦地が結局どうなったのか、赴いた自分がどうなったのか、そうしてどうしてこの場所にいるのか。それは全く分からぬままである。
「だが……俺は、生きている」
 ぎゅっと再び拳を握った。自分がこの場所に確かに存在しているのだと、こうして生きているのだという実感が全身を駆け抜けていく。
「生きている……」
 そう呟いた、その瞬間だった。禍鎚の頭の中を、言葉が横切った。女の声なのか、男の声なのか、それすらもわからぬ。ただ閃きのように、突如として言葉が蘇ってきたのだ。
『見つけなさい』
 言葉は問い掛ける。
『もう一度、見つけなさい。貴方が成すべき何かを……』
 閃いた言葉は、禍鎚の目を大きく開かせる。
「……成すべき、何か」
 禍鎚は呟いた。草原に吹く風に、溶けていくかのように。


 結局、あの言葉の主が誰であったのか、あの言葉の意味はどうであったのか、全てが分からぬままである。だが確かなのは、その言葉に導かれるかのように今自分がこうして生きているということなのだ。
「分からぬのなら……探せば良い」
 禍鎚はそう呟き、縁側に置いていたお猪口をそっと手に取る。お猪口の中の酒は、柔らかく光っている月を映し出している。自分を曝け出そうとした月だ。禍鎚はお猪口をぐい、と飲み干す。全てを飲み込むかのように。
(これが、運命だというのなら)
 夜は深い。月がいくら柔らかく光っていようとも、夜が蒼き闇であることには何も変わらぬ。
(こうして在る事すら、運命だと言うのなら)
 探す事は決して苦痛ではない。いつしか対峙したあの頃の戦いが、少しだけ違うものになってしまっただけなのだから。
「皆……きっと帰る……そして……」
 大事な人の名は、あえて口にはしなかった。そうして、禍鎚は再び口を開く。
「必ず、帰る……だから、待っていてくれ……」
 ただただ彷徨っている身だが、確固たる存在である事には変わらないのだ。そう、いわば己の為の戦いが始まったという、ただそれだけなのだ。
「必ず……!」
 禍鎚はそう呟き、空を見上げた。蒼き闇の中に浮かぶ、柔らかな月の光。自らを曝け出させようとする月に向かい、禍鎚は意を決した。
 まだ見ぬ運命を、その目で見据えるかのように。


 闇の中で彷徨える、蒼き牙。
 彷徨う事は決して不幸な事ではなく、また悲しい事でもない。
 どんな闇の中であろうと、どんなに絶望的であろうとも。
 必ず、光は花のように咲き誇るであろうから。

<闇の中で模り咲く月に意を決し・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年03月22日

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