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『ノッキンオン 』
杜部・叉李2257)&高遠・紗弓(0187)



『もしも今夜お時間あれば伺つて、良いでしようか 高遠』
 早上がりのバイトがはねたあとで、着信していた携帯電話のメールをチェックした。
 何だかやたらと他人行儀なくせにずばっと単刀直入な、そんなメール。
 句読点の場所が妙だし、「っ」だの「ょ」だのの小さい文字を打ち出せないらしい。若者らしくない。
 何となく文法も変だ。
 おまけに『高遠』なんて言葉で締めるなんて、よそよそしい。
「嫌われてんのな……ホント……」
 グラスに入れた氷水を、ごくりと喉を鳴らして呑み込む。うまい。
 夜に酒を出す飲食店は、夕方になるとバックヤードも昼以上に慌ただしくなってくる。
 狭い通路を遅番のバイト君が、俺の背中を擦るようにして擦れ違っていった。
「杜部サン、彼女からのメルチェだったら外でやって!」
「バカ言わないでくれる」
 俺の呟きが聞こえなかったのか。
 バイト君はばたばたとローファーを鳴らしながら、ホールへと足早に去っていく。後には俺だけが残された。
 彼女からのメールだったら、こんなにぐったりと両肩を落とすわけがない。
 彼女候補の女の子からだったとしても尚更、ため息なんて出るはずもないだろう。
 彼女でもない、彼女候補からも辞退されてしまった、むしろ自分にちょっとした警戒心を抱いている女の子。
 高遠紗弓サンからの短いメールを読み返し、俺はいたたまれない気持ちになってグラスの中身をぐいっとあおった。
 ロッカーの前から、俺は休憩用の粗末なテーブルに移動する。水滴の付いたグラスをその上に置き、しぶしぶながらもメールの返事を返すのだ。
『オッケーデス ベッドを半分開けて待ってます サイ』
 返事はなかった。



「………もう少し、こう」
 にっこりとか、お辞儀、とか。
 笑わない美人は、それだけで充分な迫力がある。
 別に怒ってそうでも困ってそうでもない気がするけれども、ただ能面のような無表情で彼女が室内に滑り込んできたときは、少しコワイと思った。
「忘れ物だったの」
 ポツリと、呟くように彼女は云う。
 やっぱり表情は変わらない。
 そしてすたすたと足を進めて、気が付けば寝室へと続く扉に手をかけていた。
 今この瞬間、俺が彼女に対して恐れを抱いてさえいなければ、これほどそそられるシチュエーションもないだろうに。
「……こないだは、スミマセンでしたー。……まだ怒ってるの…?」
 そんなわけで俺はマヌケに、彼女の背中について歩きつつ頭を下げる。
 こんな時は謝ってしまうに限る。
 下手に出て謝り倒し、可愛らしさをアピールする。母性本能擽りまくりで、相手が狼狽えた隙にクッと踏み込めば良い。
 案の定、彼女は驚いて目を瞬かせた後、困ったように口ごもって視線をさまよわせる。
「……もう、怒ってないし」
「……。」
 ちら、と彼女の横顔を窺い見た。
 平静を装いつつ、枕やらクッションやらをぱたぱたひっくり返したり、テーブルの下を覗き込んだりしている。
 きゅっと結ばれた薄い口唇が面白かった。
 いや、可愛かった。
「――ねぇ怒ってない人は、」
 ぺたし。
「ココがこんなに強ばったりしないよ、普通は」
「……。」
 口唇に戸を立てるみたいにして、俺は伸ばしたひとさし指で彼女の眉間に触れた。
 女の子という生き物は、いつも表面がすべらかで、ひんやりとしている。
 脂肪の付きかたが原因だと何かで読んだことがある。ヤロウは筋肉、女の子は脂肪で出来ているから、燃えない脂肪は体温を下げる。
 女の子のほっぺたの柔らかさや滑らかな肌、ふっくらとした胸や尻のラインに至るまで、全てそんな『脂肪』が作り上げているんだと思うと、マシュマロみたいな女の子の触り心地は殊更に愛おしい。
 身体の中心にある、温かで優しい何かを、女の子はそんなふうにして守っているのだと感じるからだ。
「……本当なの。怒ってないんです。大丈夫」
 自分のひとさし指が邪魔で、彼女の表情がきちんと見えない。
 ので、首を傾げてまじまじと観察する。
 俺と目が合うと彼女は、じ、と大きな目で見上げてきた。真意を図っている、そんな感じ。
 一度も笑ってくれない。
「本当に?」
「本当に」
「怒ってない?」
「怒ってない」
「怒らない?」
「怒らない」
 最後の質問だけ、微妙にニュアンスを変えて、みたんだけど。
 更にそのさきの言葉を待つように、そして訝しむように、俺の指の下で彼女の眉間がほんの少しだけ寄せられる感触。
「……オッケー」
 俺はすい、と手を引いて、サイドテーブルの一番上の引出しを開けた。



 彼女が口を『あ』の形で留めるのと、引出しから俺が小さな金属の音を立てて細いベルトの腕時計を取りだすのとは、ほぼ同時だった。
 ――怒らないって云ったよね。
 そんな無言のオーラを七光りのように纏いつつ、俺は手のひらに時計を載せて彼女に差し出す。
 彼女は何か言いたげにしていたが、俺の思惑を汲んだのかもしれない。俺の顔と時計を交互に見つめ、口唇を閉じた。
 何て頭の良い女の子なんだろう。
「……ありがとう」
「――と。」
 差し出した時計に、彼女が白く細い指をそっと伸ばしてくる。
 俺はその指が時計に触れる直前に、意地悪に自分の手を握り締めてしまう。
 彼女の指は俺の指に触れると、びっくりしたようにすぐさま引っ込められた。
 そして、んん、とも、うう、とも付かない小さな批難の声をあげながら、上目に俺を睨め付ける。
「駄目駄目。そんな可愛い顔をしても駄目。――お願いきいて、ひとつだけ。そしたら、この右手が開く」
 どう? って、首を傾いだ。
 彼女にとってこの時計がどういう意味を持つのかは判らなかった。
 とても大切なものなのかもしれないし、そうでないかもしれない。――普通なら、厭な思いをさせられた男の部屋にまで取りにくる時計だから、大切なものだと思うけど。
 こうして向かい合うのはもう二度目なのに、未だに彼女の考え方や気持ちが判らない、そんな自分がカッコ悪いと思った。
 表情からじゃ汲み取れない。
 今この瞬間だって彼女が、本当に怒ってはいないのか、実は怒っているのか、俺は判りあぐねて気が焦っている。
 じっと俺の目を見つめ返してくる彼女――紗弓サンの視線から、この目を逸らしてしまわないように、去勢を張ってにこにこ微笑み返したりしている。
 つくづく、男だなあと思う。
「――……」
 彼女は黙って、下唇をそっと噛んだ。
 長い睫毛がぱちぱちと瞬きに震えたのが、言葉の先を促す相槌のようにも見えたので、俺はにっと口唇を笑ませて返す。
 俺の、勝ち。
 意味もなく、そんなふうに感じた。
「んー。……とりあえず、ひと月。俺があなたを『食事したいなー』とか、『一緒に映画観たりしたいなー』って誘うから。あなたはそれを断らないで。あ、別に仕事が忙しいとか、疲れてるからとか、そういう理由で断る分には構わないけど。でも、メンドクサイからとか、ぶっちゃけウザイからとか、そういう理由で会いたくないとか云わないで。傷つくから」
 そんなふうに、俺がいっぺんにまくしたてる間、紗弓サンは眉の根ひとつ動かさず、じっと言葉に耳を傾けていた。
 どんな小さな表情の変化も見逃すまいと、俺も彼女の顔をじっと見つめていたけれど。
 やっぱり、彼女の考えていることは判らない。難しい。
 けれど。
「……ひとつって云った」
「ひとつだよ」
「ひとつ『き』?」
「それも正しい」
 んん、と彼女が思案げにかくんと首を傾ける。
 空気はとても重苦しくて、沈黙は長く感じられたけれど、それでも俺の心に不安や戸惑いはなかった。
 彼女は断らないだろう。
 それを感じ取っていたからかもしれない。
「……いい、よ」
 そしてぽつりと、彼女が答える。
 付きあおう、そう云ったときとは明らかに反応が違う。
 ――押しても駄目なら、ノックすれば良い。彼女なら自分から、その扉を開いてくれる。
 嬉しかったのは、そんな彼女の考え方を少しでも自分が理解できたような気になったからだ。
「オッケー、決まり。じゃあこれは返す」
 意外そうな彼女の眼差しが、開かれた俺の右手に落とされる。
 綺麗に磨かれた文字盤が室内の照明を受けて、彼女の表情を写しだしていた。
 彼女は、目の前の腕時計にすぐには手を伸ばさず、映り込んだ文字盤の自分の顔と、俺の顔を交互に観察している。
 ――普通は、約束のひと月が終わった時に『人質』を返すものじゃないだろうか。
 ――何かまだたくらんでいるのだろうか。
 ――でも、んなふうに悪いひとには見えない。
 意を決したようにそっと左手を伸ばしてくるまでの、紗弓サンの表情を見つめていた。
 良く良く観察していれば、彼女の考えていることはとても判りやすく、シンプルだと思った。
 するりと、手のひらの上の重みが解けていく。
 腕時計は持ち主の手首に戻されたことで、その輝きをことさらに増したような気がした。

『今夜メシ食い行きましょう 旨い魚食わせるとこ、連れていきます サイ』
『さゆみです 六時より後ならだいじようぶ 駅前で待つあわせで良いですか』
 彼女のメールは相変わらず変だ。
 小さい文字は出てこないし、変換の苦労が伺える。
『六時半に像のトコで スイートも予約しておきますか?』
 返事はやっぱり来なかった。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月19日

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