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『crossing 』
スピネル1682)&ミカエラ(1681)


 屈辱を強いられる公務から、解き放たれた時の事。
 休日に。
『真紅の髪』に『王位継承者と同じ顔』を生まれ持った、影の身である狂王子は、束の間の静けさを訪れる。


 人々からは最早忘れ去られた――王城の、離宮に。


 真紅の髪の彼――スピネルが用があるのはその中庭。
 一年中、四季折々の花が咲く美しい花園。
 ここには、今は亡き母が眠っている墓がある。
 生前、母が愛したこの場所で。
 母は、永遠の眠りについている。


 今日、スピネルがこの場を訪れたのは中庭に咲く花の世話の為。


 この王国にしか咲く事の無いオルレシアの花。
 …シアンと菫、ひどく儚い赤みを帯びた淡い青。


 想い人を思わせる淡い花。


 そして今では――想い人でもある彼女自身をも示す、可憐な花。


 スピネルはその花を、特に大切に手入れしている。
 やり過ぎないよう、水をやる。
 日当たりは大丈夫か。
 辺りに雑草は伸びていないか。
 根は大丈夫か。
 土に栄養は。
 …こちらは少し剪定しておいた方が良いかもしれない。
 慈しむような指先がオルレシアの花、その葉に触れる。


 ………………他の誰にも、この中庭に手は出させない。


 やがて無意識に、スピネルの口から歌が流れ始めた。
 ぽつりぽつりと呟くようなテノールの声。


 その声が、いつの間にかひとつの旋律に紡がれている。


 ………………それは、子守唄。


 それは、スピネルがまだ幽閉されていた頃にも、口寂しさからよく歌っていた歌。
 昔、母に聴かされたもの。
 たったひとりにだけ、愛された証。
 今のスピネルに遺された、唯一の優しい想い出。


 スピネルはしゃがみ込んでいる。
 …まだ短い内に、余計な雑草は排除。
 この中庭にあるのは良い土だからか、結局、草むしりはいつも必要。いつも通り庭いじり用の手袋をはめ、ぽつぽつ生えている緑の草をひとつひとつ丁寧に取る。


 その時のスピネルはひどく静かで穏やかで。
 普段とは違い、裏の無い優しさをも感じさせる、その横顔。
 なのにそれは何処か、寂しげなものも垣間見え。


 ………………王宮の誰かがその姿を見たらどう思うだろう?


 大切なものを包み込むよう子守唄を口ずさみながら、優しい手付きで、ひとり、土いじりをしているスピネルの姿を。


 ………………とても意外な姿に見えるに違いない。


■■■


 城に来た。
 私の生まれた場所。


 ………………やはりここに来てしまったか。


 あの人との事があり。
 心ならぬ事とは言えど、刃を向けてしまった自分。
 それでも変わらぬ彼らふたりに、どう接したら良いのかわからなくなって。


 ………………足が向いてしまったのは、こんな私でも何か頼るものが欲しかったから…だろうか。


 優しく迎え入れてくれた兄王子。
 有難い事だと素直に感謝する。
 だが、中を歩けばそれだけでは済まない訳で。
 自分の存在を快く思わない者ばかり。
 …わかっては、いた事だが。


 第一王女、ミカエラ。
 …それは彼女の過去の身分。
 だが、今は。
 王城に居るべき者ではないと自覚している。
 何故なら。
 魔剣の呪いを言い訳に、穢れた生業に手を染めた女だから。
 名誉を汚した王女は要らない。


 ………………その通り。


 それでも。
 …私はここに来てしまった。
 兄上に甘えて。
 だが、いつまでもその好意に甘えている訳にはいかない。


 ………………これから、何処へ行こうか。


 目的もなく思いつつ、ミカエラは城内を散策する。
 ごく、幼い頃、幽閉される以前に――見慣れていた風景。
 ここは何も変わらない。


 ………………私は、変わったが。


 既に呪いの解けた今も、穢れた生業から手を洗いはしていない。
 あの家には恩がある。
 …私の手も、まだ動く。


 ………………ここに私の居場所は無いのだと、自分の心に言い聞かせる。


 場所はわかる。
 何処に何があるのか。
 だから足だけは動いていて。
 …やがて、離宮の近くにまでも、来てしまった。
 随分、離れているのに。
 …帰らなければ。
 内心、俄かに焦る。


 が。


 慌てて元来た道を戻ろうとしたミカエラの耳に。


 声が聴こえた。


 テノールの。
 ちょっとびっくりするくらい、美しい、歌声が。
 柔らかい旋律を刻んでいた。


 ………………誰も居ないと思っていたのに。


 ミカエラは思わず声の主を探してしまう。
 離宮の中庭。
 その、垣根の向こうだ。
 …覗いても良いものだろうか。
 誰だろう。


 躊躇いつつも、ミカエラは垣根越しにその声の主を見た。


 そこには。
 真っ赤な髪の男の人が居た。
 優しげな、寂しげな…何とも言えない、深い想いがあるような、表情の。


 その顔は。


 良くしてくれる兄上と。
 同じ顔。


 ………………もうひとりの兄王子。


 腹違いの。


 …確かに、兄上や城の皆が言っている通り。
 瓜二つと言えるその顔。


 けれど何かが、違って見えて。
 …それは別人なのだから、違うのは当然なのだろうが。


 違うにしても。
 ひどく、引っ掛かる。
 …ミカエラの鋭い勘が、何かを訴えてくる。


 けれど。


 哀しさと、優しさに満ちた表情と、この歌は。


 何なのだろう。
 …とも思う。


■■■


 赤い髪が揺れる。
 彼の瞳が、垣根の向こう、ふと、去ろうとする長く伸ばした銀の髪の先を捉えた。
 僅かな、残像。


 そこに居ただろう、銀髪の持ち主。
 スピネルは目を険しくし、歌を止めた。
 ――誰だ。
 咄嗟に思うが、異様な気配の無さと悪意の無さから導き出された答えがひとつ。
 悪意が無い――即ち、殆ど自分を知らない相手――ならば本来、城に居る人間では無い。
 それでいて気配を完璧にまで消す事の出来る人間。
 銀髪。


 …兄王子のものであった『魂喰いの魔剣』の呪いを受け、今は暗殺者として生きている筈の、妹王女――ミカエラ?


 その身に流れる同じ血故か、スピネルの中から導き出されるその答え。
 …けれど追う気も何も無い。
 城を追われたあの女ならば、どうと言う事も無いだろう。
 俺の事などろくに知らない筈だし。
 …ああ、この顔で、俺が誰だかはわかるか。
 それでもまぁ、どうでも良い事に変わりは無い。
 俺の邪魔をする事さえしなければ。


 結局、スピネルは殆ど気にしないまま、再びオルレシアの花を見、寂しげな微笑みを。


 ………………そんな、静か過ぎる兄妹の出逢い――すれ違いは、ほんのひとときの事で。


 後は、互いの運命の時に至るまで――二度と交差する事は無く。


【了】
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聖獣界ソーン
2004年03月16日

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