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『櫻柩 』
向坂・嵐2380

向坂嵐がその家に到着したのは、到着予定時刻を三十分ほど過ぎた後の事だった。
「マジかよ」
はめられたということならコレがまさにそうだろう。
嵐が配達に訪れた家は門戸も黒く腐っており、とてもではないが人が住んでいるという雰囲気はない。金属のポストが門の横についてはいるが、名前のプレートはつけられておらず、最近配達があったような感じはしなかった。錆でぼろぼろの端をつまむと、小さく砕けて赤黒い粉が空中に舞う。
門から玄関に続く地面には、春だというのに枯れた草が折れ重なり、人の手が入っていないことを静かに主張していた。
玄関の引き戸は割れてはいないが、桟のところに埃が白く積もっており蜘蛛が小さく巣を張っている。門灯も呼び出しのチャイムも取り外され、外壁に残った四角い汚れの中心にはむき出しの配線がぶら下がっていた。
門から見える玄関横の窓は、昼を少しまわったばかりだというのにぴったりと雨戸が閉められている。
「人、住んでるんだよな?」
嵐は誰に向けるともなくつぶやくと、後部のボックスから両手ほどの大きさの包みを取り出し、住所を確認した。貼り付けられた付箋には、走り書きだがここの番地がしっかりと記されている。
念のため会社から支給されている住宅地図とも照らし合わせてみたが、ちゃんと所有者の名前が記載されており、全くの嘘を教えられたという訳でもなさそうだった。
「新入りの通過儀礼……とかでもねぇみたいだし」
確かにこの仕事を始めて間もなく、配達件数もベテランライダーには及ばないが、それでも嵐は猫の手よりはるかに足りる存在だ。少数精鋭を社訓とする事務所には、子供じみた遊びの余裕など一秒もない。迅速を良しとする割にライダーの数を少しも増やさないと、初勤務の日に嵐は先輩からそう聞かされている。
「桜が目印、ってもなぁ……ねぇし!」
この辺りのように細い路地が繋がり、昔ながらの家屋が立ち並ぶ個人商店向けの集荷・配送は一年以上勤務しているライダーが担当しており、新人の嵐が担当している区域は区画整理が進み、住所番地も間違えようの無いオフィス街が中心だった。
ライダーとして地図を読むことと違い、バイク便の配送担当として住宅地図を読むこととは大きな隔たりがある。同じ番地に背中合わせで全く別の家が建っているなんてマシな方で、ややこしい住所になると「○番地○号、隣り」などと指定してあるものまであるのだ。
集荷を行なったのは嵐だが、会社規定に従うなら本来、包みは土地勘のあるこの区域担当に引継ぎされるはずだった。
「……連絡すっか」
これはどう考えても引継ぎをした方が無難だろう。嵐は赤茶の髪をかきあげると、目の前の家屋と包みを見比べた。
住所を確認した時に、配送管理者が疲れた声で「今日は忙しいから、たのむ」と言っていたのを思い出すと胸が痛い気もするが、目印であるはずの桜が無いのだからしかたない。
無線に出た配送管理担当はこの区域の前任者だったらしく、的確な道筋を嵐に示してくれたが、表札も無いのではここが本当に届け先であるとの確証は持てない。
生真面目な性格ではないが、与えられたことはきっちりこなしていく。それは小さい頃から天涯孤独の身の上である嵐の、世間に対する唯一の武器だった。
「ま、こういうこともあるだろ」
家屋がこんな状態になっているのだから、桜は前任者の引継ぎ以降に切られたかしたのだろう。または配送管理者が勘違いしているのかもしれない。
そんな事を考えながら嵐が無線機に手を伸ばすと、それをとどまらせるかのように薄桃色の花弁が指先をかすめた。
「桜?」
花弁の流れた跡を辿るように顔を上げると、所々崩れている屋根の端からいかにも新築といった瓦屋根が微かに姿を見せている。嵐がここまで走った道は緩やかな上り坂になっており、真反対の方角から伸びていたので気が付かなかったらしい。
隣家との境に立って覗くと、手前の朽ちかけた平屋の外壁とは対照的なコンクリートの壁が見えた。
「向こう、か?」
やっと住居らしき建物を発見したのはいいが、今度はそこへ直接行けるような道がない。隣りとの境は垣根や板塀で仕切られており、人が通れるような隙間はぐるりと周ってみたが見つからなかった。
「……ま、なるようになるさ」
軋みのような違和感が脳に警鐘を鳴らしたが、バイク便ライダーとしてのプロ意識が勝ち、嵐は朽ちて細った門を一息にくぐり抜けた。
その後を追うように桜の香を含んだ風がふわりと吹き、崩れた屋根の端から鮮やかな桜色が一瞬広がり、消えた。

玄関に鍵はかけられていなかった。軽く引くと、戸は突然の訪問者に戸惑うようにつっかえながら、それでも嵐を拒むことはなかった。
開けきると薄明かりを含んだ黒い空間が目の前のすべてになる。視線を落とすと、上がりには磨かれた男物の靴が揃えてあり、ちゃんと人が居るようだった。
「すみません」
玄関は反響する構造になっているはずだが、かけた声はその黒に吸収されるように、空気の揺らぎを生み出さなかった。もっともこんな状態の家屋で明るく応対されたとしたら、その方が異常事態といえる。空気は両生類の皮膚のように、ぬるぬると不快な肌触りで嵐を包み込もうとしているようだった。
聞こえなかったのかと、嵐が再度声をかけようとしたタイミングで、小さく老人がするような枯れて乾いた咳が聞こえた。
嵐が目を凝らすと、他と違って弱いながらも明らかな光を含んだ個所があった。どうやら咳はそこから聞こえたようだった。
「失礼します」
儀礼的に挨拶をして薄暗い廊下に上がると、嵐は数歩で靴を脱いだことを後悔した。廊下は砂でざらざらとしており、ところどころ小枝や枯れ葉が落ちている。それらの発する死んだ気配は薄い靴下では防ぎきれず、ゆっくりと皮膚へ浸透するように嵐には感じられた。
門をくぐる時から鳴り始めた本能の警鐘は、薄明かりの漏れる所に近づくにつれて大きくなっている。細く光の筋がしっかりと確認でき、手を伸ばせば届く距離に立つと、それはもう嵐の中だけではなく本当に鳴っていると錯覚しそうな巨大な固まりとなって聞こえていた。血が全身をすざまじい速さで循環している。
覚悟を決めてふすまを開くと、茫洋とした裸電球の光と、暖かい血の匂いが嵐に向かって流れ込んできた。正面には枯れ木のようになった老人が縁側だった場所に腰を下ろし、庭だった場所を向いて座っている。
そう”元”縁側であり庭だ。なぜなら老人が向いているのは、電灯の光を息づくように受け止めている真新しいコンクリートの壁。
「……!」
本来ならそこに在るべきでない建物。
外から覗いたときに嵐は気づくべきだった。古い家屋と真新しい建物の位置が不自然なほど接しているという事。住宅地で四方を壁や家で閉ざした場所は、基本的に庭でしかないはずだ。
尋常ならざる光景に花を添えるように、老人の周囲は黒いゴミ袋のようなビニールが敷かれ、血色をした水で満たされた空缶や古い書物、赤黒い文字で書かれた短冊が散らばっている。
「……誰だ……」
それらの不吉をを暗示させるモノより強い臭気が老人の方から流れて、嵐は体液が逆流するような感覚を覚えた。木製の人形をひねるような不自然な動きで、老人が振り返る。ぱきりと骨がぶつかる音が聞こえてくるようだ。
狂人に会った経験は無いが、これが初めの一人だと嵐は思った。ゆっくりと淡い光に照らし出された老人の顔に眼球はなく、暗く地獄まで続いているような眼窩が開いているだけだった。頬に流れた血の跡はまだ微かに水分を含んで、皮膜のような光を湛えている。
伸ばされた指先は赤く、血がこびり付いている。
庭であるべき場所に建てられた、のっぺりとしたコンクリートの建造物。呪術に関係しているとしか思えない、散らばるモノ。
それらは意思を持ったパズルのように蠢くと、嵐の中で一つの答えを導き出した。
”いったい何を閉じ込めているんだ”
疑問がわくのとほぼ同じに、嵐の持っていた包みから薄紅の靄のようなものが吹き出した。
「なっ!」
それは天井近くまで上がると、重力に任せてひらひらと舞った。それが桜の花弁だと認識するより前に、ギリと締め付けられるような痛みが頭部に走り、嵐は頭を押さえて膝をついた。額は火をあてたように熱く、眼球の裏に圧力がかかっている。筋肉が不協和音を奏で、血は沸騰したように血管を巡っている。
念を使った時に現れる現象が次々と身体に現れ、嵐は誰かによって能力を強制的に引き出されていることを理解した。そしてその元凶は灰色の壁の向こうにいる。
「ちっ、きしょう!」
何者からか力を奪い返すと、嵐は壁に向かって念を放った。
砕ける音がして亀裂が入ると、いままで動じなかった老人の口から、動物が脅えるような声が漏れた。
亀裂は連鎖的にヒビを発生させ壁全体を蔦のように這うと、一呼吸置いて中心からコンクリートが剥がれるように落ちていく。
閉ざされた庭に閉じ込められていたものは嵐の予想にたがわず、堂々と咲き誇った桜の古木だった。たとえ縄で八方から縛られ、血札による結界を施されていたとしても、その気品は少しも失われていないようだった。
その縄が一本、また一本と火を吐きほどけていく。燃え残り熱風に煽られた札は、真紅の花弁のように嵐の目には映った。
顔の辺りにまで火の粉が飛んできて反射的に払いのけようと嵐は腕に力を込めたが、能力の使い過ぎによる消耗のためか、崩れ折れないように身体を支えるのが精一杯で、持ち上げることすら出来なかった。
そんな嵐とは対照的に老人は桜に向かうと、先ほどから懸命に呪文めいた言葉を呟き続けている。そうしているうちに桜に繋がれた最後の一本が焼け落ちると、薄い霧のような影が桜の幹からすると抜け出てきた。
『よくも、かような場所に閉じ込めてくれたものよ』
長い桜色の髪を高く結い上げ、ごく薄い浅黄の着物を銀粉を散らした墨色の帯で締め上げた女性は、炎のような真紅の眼差しを老人に向け、忌々しげに呟いた。
『許さぬ』
白磁の腕が徐々に老人に近づく光景を、嵐は悪夢のように見つめていた。制止の叫びを上げたいのに乾いた喉から漏れるのは言葉をなさないうめき声だけだ。
老人は無くしてしまった眼で何を見ているのだろう、先ほどまでの呟きはピタリとやみ、表情は満足げに微笑みさえ浮かべているようだった。
嵐の脳裏にもう影でしか思い出すことのない姿がよぎる。もう誰であっても目の前で人が殺されるを見るのは嫌だった。
「……!」
嵐の声ならない叫びが届いたかのように、老人の首に伸ばされていた手が止まり、女性は般若のごとき笑みを浮かべた。
『殺さぬ……代わりに死より辛い絶望をやろう』
老人の肩が震え口が大きく開かれる。血で汚れた手で着物にすがろうとするのを、すんでのところでかわすと、女性は愉快というようにくっと喉を鳴らした。
『死するまでわらわを求め、自分の愚かさを呪う日々を送るがいい』
笑いを消し、老人を見下ろす眼はすらりとした鋭利な刃物のそれに変った。
『……もっとも、そう簡単には死なせぬがな』
その言葉を聞くと老人はみっともないほど狼狽し、涙の出ない目を押さえると獣のような咆哮をあげて泣き崩れた。
次に女性は動けないでいる嵐の方に向き直ると、老人に向けたものとは別の種類の微笑みを浮かべてみせた。
『判るな?』
瞳の奥にある感情を揺り起こし、罪に罰を持って臨むことの意味と覚悟を諭す救いの灯明のような眼差しだった。
「し、るか」
運命を止める手立てはない。それが生きていくことだと、嵐は七歳のあの日にとっくに悟っていた。
『……世話をかけたな』
女性の輪郭が波紋を重ねたようにぼやけはじめると、精気に溢れ咲き誇っていた桜は急激にその色を失っていった。薄紅の花弁は亀裂の隙間から高く空へと吸い込まれるように昇っていく。
薄水色にくすんだ空に桃色の霞はしばらく踊るように漂っていたが、やがてそれも溶けるように空に同化していった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
庚ゆり クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月16日

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