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『鍵をかける悪夢 』
蓮巳・零樹2577)&御子柴・楽(2584)


 無国籍な雰囲気を持つ日本人形だった。人形に詳しい悪友は持っていても、御子柴楽その人は人形に疎い。その楽をして、めずらしいと思わせる出で立ちの日本人形だった。人形はまるでゴミのようにゴミ捨て場に打ち捨てられていた。
「なァにバカなこと考えてんだ」
 傘をくるくると回して、楽は自嘲する。ゴミのように、とは何事か。ゴミ捨て場に(しかも電柱の下にあるといういたってオーソドックスなものだ)捨てられているものは、ゴミでしかあるまい。
 しかし楽は、そのゴミを拾い上げていた。無国籍な模様の振袖は、ゴミ溜めの中にあったためか少しばかり異臭を放っていたが、絹糸で織られている上物だ。黒々とした髪も、人毛であるらしい。すべてが、今日の昼から振り続けた雨をしとど浴び、不愉快なほどにじっとりと湿っていた。
 高そうな日本人形、と言えば――
 楽が思い出すのは、蓮巳零樹と云う青年だった。
 ――この俺が拾ってるんだ。アイツなら絶対拾ってるな。
 実際の零樹のように鬱陶しく、零樹の姿は楽の脳裏から剥がれない。ふるふるとかぶりを振り、楽は渋い顔のまま人形をバッグの中に突っ込んだ。異臭がバッグの中にこもるのは歓迎できなかったが、大の色男(無論、自称)が日本人形を抱えて歩いているという画もいかがなものか。
 どちらもまるで面白くない冗談だ。
 雨がまたぱらつきだした。


 刃が振り下ろされた。死神の鎌のように弧を描いた刃の軌跡だけが、光である。
 待ってよぅ。あたしもっとかわいくなれるわよぉ。
 ぶすりと刃が胃袋を抉り、血と溶けた夕食が迸り出る。
 五月蝿い、五月蝿い、もう死ね。
 ばららっ、と血を浴びたのは、自分であった。


 楽は人形を睨みつけた。持ち帰ってきたその日に消臭剤をこれでもかと吹きかけたが、人形から臭いは消えない。あれはゴミの臭いではないのだ。
 血の臭いだ。
 自分が夜な夜な見続ける悪夢が、この人形が見たものそのままであるならば。


 振り上げて、振り下ろす。
 無骨な指が、包丁の柄を握りしめている。
 刃が振り下ろされる先は、女の腹と脳天だ。
 殺されたのは女で、殺したのは男だ。
 ねぇねぇねぇねぇ、見て見て見て見て、かわいいでしょおかわいいでしょお。
 よくある話だ。
 人形が見ていたのは、ブラウン管に映し出されたドラマか映画なのかもしれない。


 ぐっすり眠っているはずなのに、身体の疲れはとれなかった。
 絶対にアイツのせいなんだ、とはわかっているものの――意識は混濁し、足腰に力が入らない。アイツのところにアイツを持っていけばきっとどうにかなる、ということもわかっているのだ。
 ――ああ、でも、俺の人生はこんなんばっかりだ。ばっかりだった、って言った方がいいか。もうじき死ぬからな、俺。あー、このままじゃマジで死ぬ。
「わ、凄い霊気」
 ぐたりとベッドの中に沈んでいる楽は、そのとき、聞きたかった声を聞いた。

「相変わらず散らかってるね」
「ちがう、取りやすいトコに置いといてんだ」
「そういうのを散らかすって言うの。それで、どうかした?」
「わかってるくせに訊くんだな、この野郎!」
「聞きたいから訊くんだよ。キミがどんな失敗をどのような感じでしでかしたのか」
「訊くなよ! あーもー訊くな! あれ見ろ! 以上!」
 楽はそれでも叫んでいたし、ガバと布団の中に潜りこむ程度の余力はあった。
 いや、訪問者があったことで少し気力が回復したのかもしれない。楽の散らかったアパートを訪れたのは、若いながらも人形店を切り盛りする蓮巳零樹だった。
 楽が布団に潜りこむ直前に指差した方角を見て、零樹は「ああ」と大きく頷く。
「これかあ、物凄い霊気の原因と――楽がしでかした失敗って」
 にこにこしながら、歓声のようなものを上げた零樹ではあったが、けして人形に触れようとはしなかった。
 和とも中華とも西洋のものともつかぬ、めずらしい柄の着物。
 あまり見ない顔立ち。
 零樹は、一目でその人形が気に入った。有体に言えば、一目惚れをした。しかしその感動と興奮を、表には出さなかった。楽がもぞもぞと布団から顔を出していたのだ。
 楽のいつも能天気な顔は、苔むしたかのような土気色に変わっている。いつも笑っている細めの目は落ち窪み、唇はかさかさに乾いていた。
 やれやれ、と零樹はかぶりを振る。いつもの笑みは、少し薄くなっていた。
「キミの命はあと3日っぽいね」
「ずいぶん具体的だな、バカ」
「バカはどっちだよ。こんな中身いっぱいの『器』を拾ってくるなんて」
「俺はおまァじゃねェわけ。どれになにが入ってるかなんてわかるはずないだろ」
「でもこれ、僕のために拾ってきてくれたんだね。そうだろ?」
「……」
「僕が喜ぶものかどうかは、わかったってことだ。――買うよ。5万」
「おお、マジで?!」
「ただし、こんな汚いままじゃとても買い取りは出来ないね。中身入れたまま売ってる『器』なんて、普通有り得ないじゃない」
「うう……任せた!」
 楽は再び布団の中に潜りこんだ。
 やれやれ、またしても零樹はかぶりを振る。ちらり、といつでも涼しげな目を人形に向けた。
 かわいいでしょお、かわいいでしょお、あたしってかわいぃい、ああかわいい、かぁわいぃい! かわいいでしょかわいいでしょかわいいでしょかかかかかかかききききききゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃあああああぃひひひひひぃききききぃきぃきぃいいいかわぁいぃいぃ!!!!!
「……だめだ、こりゃ」
 話にならない。人形の中に入りこんだ魂は、すっかり気がふれてしまっている。余程ひどい死に方をしたか、死ぬ直前にひどいショックを受けたのだ。
 まさかこんな事態に陥っているとは思いもしていなかったので、こういうときに役立つ人形『薊』は、店に置いてきてしまっている。
 零樹は人形から目を背け、こんもりと丸く盛り上がった布団に手をかけ、一気に剥ぎ取った。楽の腕からは力が消えているようで、あまりにもすんなりと布団が剥がれた。
「うがぁ! 何する!」
「聞こえないの? この声」
「だァかァら、俺には何にもわかンねンだってば!」
「それが問題なわけ」
 零樹が真顔で言い放ち、楽はぽかんと口を開けた。
「『器』の中身がこぼれないように、自分で自分を押さえつけてるんだ。話を聞いてもらいたいのに、『器』の居心地が良すぎたから篭もりっきりになってる。拾ったのはキミなんだから、今の所有者はキミ。持ち主は最後まで物の面倒見なさいね」
「……篭もりっきり……ああ、なるほど……」
 乱れた長髪をばりばりと掻いて、ぶつくさと漏らしながら楽は身体を起こし、ベッドの上に胡座をかいた。
 蓮巳零樹と御子柴楽には、力がある。零樹が今楽の意識を人形に飛ばそうとしているのも、その力のひとつに過ぎない。
「はい、人形持って」
「はい」
「はい、目を閉じて」
「はいはい」
「いくよ」
「あーもーヤダよチクショー!」
 ひとしきり喚いたあとに、すとんと楽は首を項垂れた。
 それでも、彼は胡座をかいたまま、湿った人形を持っていた。そばには、楽の額に指を置いた零樹。
「……僕がこの『器』に飛ぶのは、ごめんだからねぇ」
 ふぃっ、
 零樹はいつもの笑みを浮かべた。天邪鬼な、人を食った笑みだった。


 ばしゃア、
 楽が投げ出されたのは雨降りの車道。電柱の下。雑多なゴミの山の上。視点は動かず、ただ、逃げるようにして立ち去る大柄な男の背中を見つめていることしか出来なかった。
 ――なんだ、もう『入った』のか。
 楽は拍子抜けした。鍵をこじ開けたつもりはない。楽が存在しただけで開いた、人形の心の扉。鍵は、壊れてしまっていたのだ。
 ――か、
 ――ん? なんだ?
 楽の意識の中に割りこんでくる、
 ――かわいいのに、かわいいのに、なんで、どうして、こんなにかわいいのに、どうして、あたしこんなにかわいいでしょ? でしょ? でしょ? ね! ねっ!
 あまりにもわざとらしい、甘えた声。
 ――うぇ、チョト苦手なタイプのコだ。
 楽が好きなのは、素で可愛らしい仕草が出来る女性だ。わざと可愛らしく見せようとしている女性は、アイドルだけで充分だと思っていた。無論、アイドルと付き合えるのなら多少のわざとらしさには目を瞑るつもりだが。
 ――かわいいのに、あたし、かわいいのにぃ、あたし、あたし、ゴミ、かわいいのにゴミぃ、すてられたの、ああんあああああああぅん、かわいいのにぃ、かわいいのにぃ!
 コロス。
 捨てないで!

「零樹! 零樹!」

 楽は伸びない手を伸ばし、そばに居るであろう悪友に呼びかける。
 呼びかけながら、『器』を満たす狂える霊をなだめすかした。
 ――わーかったわーかった、かわいいかわいい。憎いあの男の人相も覚えた。ケーサツに届けておくよ。それでいいだろ? 向こうの世界に続くドア開けてやるから、俺の夢からとっとと出てって消えてくれ。
 ――ねぇね、あたしほんとにかわいい?
 ――あー、かわいいよ。
 ――ほんとにほんと?
 ――ホントだって。マジマジ。
 ――わあい、しあわせぇ!

「零樹!」

「なーに?」

 はあッ、と目を開けた楽の視界を、零樹の緑の目が占拠した。うおッ、と驚き、楽は胡座をかいたまま仰け反る。
「見つめんな、気持ち悪ィ!」
「ごめんごめん。ちゃんと戻ってきたみたいだね」
 零樹はすでに心ここに在らず。薄汚れた人形を手に取り、髪を撫でている。何をしてもとれなかった異臭が、すっかり消えていた。
「ご苦労様。中身はなくなったよ。これ貰っていくから」
「待て待て! それは5万――」
「除霊代として5万徴収しまぁすってことで」
「ぐぬぅ!」
 言葉を失う楽を尻目に、零樹は人形を懐に入れた。銀ねず色の着流しと、品のいい日本人形は、ひどく相性が良かった。
「はは、かわいいなぁ、この子」
「!」
 くるりと玄関へ足先を向けた零樹のその言葉に、楽は肩をすくめた。
「ああ、しばらく『かわいい』って言葉聞きたくね!」
「楽、キミはかわいい、かわいい、かわいい」
「やめぃ!」
 零樹の懐の中で、無国籍な人形が、ふうわりと幸せそうに微笑んでいた。




<了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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2004年03月15日

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