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『Keening―死に行く者への哀悼の歌 』
城田・京一2585

■捜索 1日目

 ここ数日感じていた妙な予感が、今日の夕方にとうとう的中してしまった。
 伸ばし伸ばしにしていた捜索の依頼人が、『私』の事務所に現れたのである。
 とある男が、人を探してもらいたがっている――人づてにそんな話しを耳にしていた。
 『私』にそれを耳打ちした同業者は金にがめつく、常に黒い噂の絶えない奴だ(もしもの時のために名前は省く。メモに詳しく日付を印さないのも同じ理由からだ)。そんな奴が横流しする依頼なんて、ろくなものではない。
 そんな所でデリケートにならなくたってこんなご時世、仕事なんていくらでも転がっている。
 わざわざ自分から地雷原に足を踏み入れるようなことはしたくなかった。
 だから最近はできるだけ、登録している電話番号以外からの着信を無視していたのだ。
 それなのに。
「<ラボ・コート>と云う傭兵について、いろいろ調べて欲しいことがあるんですよ」
 いつまで待っても連絡の取れない探偵に――『私』のことだ――業を煮やしたのだろう、いつもよりも遅い時間に辿り着いた事務所の前で依頼人は『私』を待っていた。
 駅前でポケットティッシュを配っているようなぞんざいさで、男は『私』に一枚の名刺を差し出した。ありきたりな会社名と役職、それに名前と電話番号が印されている。この中で本当なのは連絡先になる電話番号くらいのものなのだろう。
 こちらとしても、別に依頼人の素性が知りたいわけではないので、よほどのことがない限りうるさくは云わない。
「<ラボ・コート>…出身地、居住地、年齢、職業、本名、全てにおいて不明。ただ、今現在は日本にいることだけは確か…だと信じたい」
 男は淡々とそう告げながら、ときどき自分のあごを指先でつるりと撫でた。
 目つきは鋭い。
 女としては、さして低いほうでもない『私』の身長と依頼人のそれは同じくらいで、小柄な方に分類される。肌が綺麗だが、眉が薄い。
 『私』はどういう訳か、眉の薄い男を信用するのが苦手だった。
 過去に何らかのトラウマがあるとか、苦々しい思い出があるといった訳ではない。
 ただ、眉が薄くて顔の印象が淡い男というものを、あまり好意的にみることができないだけだ。
 そんな厭みのある男の仕草から『私』は目をそらし、代わりに彼が説明した<ラボ・コート>という傭兵の容姿について考えを巡らせることにした。
 中肉中背。
 高いとも低いとも云えない身長。
 垢抜けてはいるが、アジア人であることを思わせる顔立ち。
 瞳だけが深い海を思わせる青で、顔立ちとは対称的である。
 ――そんな、瞳の色以外は徹底して無特徴の男を、この広い日本でどうやって探し当てれば良いと云うのだろう。それに瞳の色なんて、カラーコンタクトでどうにでも変えられるではないか。
「それと、真偽のほどは定かではないが――<ラボ・コート>は、医学の知識に秀でているらしい」
 さらに続けられた男の言葉で、細く掴み所のない糸を束ねあわせるようにして作り上げた『私』の中の<ラボ・コート>のイメージは本格的に霧散してしまう。
 ブルーのカラーコンタクトを愛用する、アナーキーでファンキーな医療関係者。
 日本中を探し求めれば、どこかに1人はいるかもしれないが。
「我々としても、調査のための助力は惜しまない。一日も早い<ラボ・コート>の発見を願っている」
 少し考えさせて欲しいと、『私』は最後に男に告げた。
 自分の云いたいことだけを的確に伝えた目つきの悪い男は、たったさっきこの事務所を出ていったところだ。
 正直に云ってしまえば、今回の依頼を自分一人の力で遂行する自信は、『私』にはない。
 あまりに手掛かりが少なすぎるし、捜索の範囲も広すぎる。
 明日は知り合いの興信所に足を向けてみようと思う。
 そこで手掛かりを得られないようなら、この依頼はキャンセルしてしまうことにする。

■捜索 2日目

 結論から書こう。
 『私』は、今回の依頼を引受けることにした。

 久しぶりに顔をつきあわせた草間武彦は、『私』が<ラボ・コート>と口にするなり眉間に深いしわを刻んで首を振った。
 つまらなそうに目を半眼に伏せながら、待ちあわせをした喫茶店の店内をさっと見回す。さりげないそんな仕草を、『私』が見逃すはずもなかった。
 この男が、自分の損得の外でこれほどまでに明確な意思表示をすることは珍しい。情報を貰えたら、それなりのお礼はするからと何度言い含めても彼の態度は変わらない。
 彼は、<ラボ・コート>という言葉に聞き覚えがあるに違いない。
 それどころか、あからさまな拒否を現すところを見ると、何か確信に迫りでもするような決定的な情報を持っているのではないか。
 『私』は不意に先の展望が開けたような気がして嬉しくなったので、矢継ぎ早な質問を草間に浴びせた。
「結論から云う。俺は何も知らないし、一切お前の依頼に関わるつもりもない」
 この言い回しに、『私』がどれだけむっとしたかは、書き出しの一行に深く込めた。
 互いの事情を打ち明けあい、そこから二人で一つの結論を導く――それがコミュニケーションというものだと『私』は思う。
 それなのに、草間はその「結論」を『私』に告げたあと、一切の説明すらをも拒んだのだ。
「<あれ>をさぐると、ロクなことにならない」
 そんな言葉の一点張りである。
 草間も、<ラボ・コート>について探りを入れたことでもあるのだろうか。
 そこで何か、表ざたにはできない重要な真実でも知ってしまったのだろうか。
 ロクなことにならないというのは、具体的にどんなことを指しているのだろうか。
 そもそも草間は「ロクなことにならない」を経験したのだろうか。
 次ぎから次ぎへと沸き起こる疑問の、どれか一つでも答えてくれたなら――そんな望みも、質問攻撃を始めてから二十分もすれば絶えた。
 草間がピンとレシートを弾き、レジカウンターへと歩いていってしまったのだ。
 まさか草間から、お茶をおごられる日が来るなんて。
 普段ならびっくりして、いろいろと茶化してみるところだが、今日の『私』はそのせいで深くうなだれた。
 お茶代を二人分払わなくてはいけなかったとしても、これ以上<ラボ・コート>の話しを続けたくはないのだという草間の思惑を、痛いほどに感じてしまったからだ。

 事務所に戻り、きゅっと口唇を結んだままの草間の表情を思い浮かべた。
 興信所所長としての腕が良いかどうかは別として、草間の人望とコネクションはかなりの厚みを持っている。
 個人でせこせこと雑務までを賄っている自分の立場と草間の立場は全く違う。
 そんな草間ほどの男が厭がる依頼なのだ、これは。
 そう思うと、どうあっても引受けて、その<ラボ・コート>とやらの素性を明かしてやりたいような気持ちになった。
 草間に手を貸して貰えなかったことへのくやしさもある。
 が、何より『私』自身の中に沸き起こった<ラボ・コート>への好奇心が大きい。

 探し出してやろうじゃないか。
「ブルーのカラーコンタクトを愛用する、アナーキーでファンキーな医療関係者」を。

■間数枚 引き千切られた跡残る

■捜索 13日目

 知れば知るほどに、<ラボ・コート>への興味が次々に湧きだしてくる。
 瞳の色がカラーコンタクトではなく、彼の純粋な色素であると早くに気付いていれば、あと数日は彼に近づくのが早められたかもしれない。
 ラボと云うからには、おそらくは医療関係者である――そんな杜撰な直感が功を奏したか、つい数日前に接触を図ったとある病院の看護士から留守番電話が入れられていた。
 曰く、数ヶ月まえから非常勤として勤務している医師に、容姿の良く似た中年の男がいるとのこと。
 気の強い婦長に瞳の色を咎められたとき、「これは元の色ですから」と説明していた姿が印象的だったと云う。
 医療関係者、青い瞳、数ヶ月前より勤務。
 ――それが<ラボ・コート>だ。
 的確な指示と技術を以て看護士と患者に接し、人望もあつい整形外科医。
 が、戦場を駆け、人の命を無情に奪う根無しの傭兵の顔も併せ持つ。
 医師として患者の疾患と向かい合うことは、白。
 傭兵として敵の殺意と向かい合うことは、黒。
 相対する二つの立場に共通するのは、それぞれが生死を司っているということだけだ。
 人を生かす、人を殺す。
 そんな両極端を同時に内包している、やはり両極端に位置する生業。
 どちらが<ラボ・コート>の、本当の顔なのだろうか。

 明日の夜、電話をくれた看護士に会いに行ってみようと思う。

■次頁 半分ほど引き千切られた跡残る



 ここまでのことをどれだけ書き記せるか、思い出せるか自信がない。
 『私』に残されている時間は、もしかしたらとても短いのかもしれない。

 『私』は、今日までにまとめることのできた何種類かの書類を、あの目つきの悪い依頼人のもとに届ける予定だった。
 電話にでた依頼人はあの日と同じようにやはり淡々とした口調で『私』の言葉に返し、待ち合わせの場所と時間を指定してきた。
 それが今日の夕方、都内のファミリー・レストランでの約束だった。

 心臓が高く、痛々しく鼓動を打つのがとめられない。
 どうして『私』は、いつまで待っても現れない依頼人を、あと一時間早く諦めなかったのだろう?
 せめて、どうしてあと一時間待ち続けていられなかったのだろう?
 一人店を出て、事務所に帰るまでの道を歩いた。
 大きくて縦に長いビルの電気屋の前を通りかかったとき、どうして『私』は陳列されていたテレビのモニタを見てしまったのだろう?
 四角い顔写真の下に流れているテロップは、『私』の知らない名前だった。
 ありきたりな名前というのは、実にたくさんのバリエーションに富んでいる。
 『私』が依頼人から受け取った名刺に刻まれていた名前が「甘い焼き菓子」といったジャンルに分類されるタイプの「ありきたりな名前」だとしたら、その写真の下に刻まれた名前は「油を使った炒め物」といったジャンルに分類されるタイプの「ありきたりな名前」だった。
 どちらもありきたりで、どちらもたいして人の興味を引かない。
 だけど『私』の足は、その場に凍りついてしまったように止まってしまい、両目は食い入るように画面に映しだされている写真を凝視していた。
 それは『私』に<ラボ・コート>の捜索を依頼してきた、あの目つきの悪い依頼人の顔だったからだ。
 分厚いガラスの向こうで、大きくて新型の五台のテレビがアクティブにコーディネイトされ、飾られている。
 その五台が五台、すべて無音のままで同じニュースを流していた。
 名前の上には、名前よりもほんの少し大きな白い文字で【死亡】と書かれている。
 死亡?
 誰が?
 あの目つきの悪い、依頼人が?
 『私』の頭の中は真っ白になってしまった。
 ただ、胸に抱えていた書類の封筒を、強く抱くことしかできずに、足早に電気屋の前をあとにしたのだった。

 事務所には戻れなかった。
 真っすぐに自宅に戻り、今、テーブルの上に置いたナベの中で書類を燃やしている。
 玄関の鍵は掛けた。
 この部屋以外の灯りは全て消した。
 窓という窓も閉じたまま換気扇だけを回しているので、うっすらと部屋の中に黒い煙が垂れ込めている。
<ラボ・コート>に関する書類は全て隠滅し、もしも明日以降に警察が来ても、知らぬ存ぜぬを通さなければいけない。
 草間がどうしてあれほどまでに<ラボ・コート>の捜索を渋ったのか、今なら痛いほどに判る。
 ロクにことにならない――そんな言葉の意味も、判る。

 彼は『私』の依頼人を殺めたあとで、どんな行動に出るのだろうか。
 依頼人はその身辺に、『私』に繋がる何かを残していただろうか。
 自分の周りをこそこそと嗅ぎ廻っていた『私』の存在を知ったとき、傭兵上がりの医師は何を思うのだろうか。
 彼は『私』に辿り着くのだろうか。辿り着いて、しまうのだろうか。

 小さな空気の震えのように燻っていた書類が灰になっていく。
 黒い煙がゆらりと揺れて、机に向い一心不乱にペンを走らせる『私』の背後から大きな影を覆わせる。
 そろそろだろうか、ヤカンの中に溜めておいた水をナベに掛けようとペンを便箋の横にそっと置いたとき、

 ――冷たく重々しい金属の口が首の後ろに宛てがわれ、喉の後ろで撃鉄を起こす音を


             『私』は聴 い

(了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月12日

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