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『盛宴 』
上総・辰巳2681)&村上・涼(0381)

「我が社の設立は昭和──」
 そんな下りから始まった面接は核心に迫る事無く、すでに八分五十二秒が経過していた。
 いつ果てるともなく続きそうな『お国自慢』に、耳が拒絶反応を示し出す。言葉を音と認識し、心地よい子守歌とさえなって、果ては無音と化した。
 何も聞こえない。
 話は『我が社の生い立ち』から、『我が社の未来』へと移ろうとしている。
 が、しかし。
 それどころでは無かった。
 村上涼は睡魔との攻防を繰り広げていた。何しろ、昨晩から今朝にかけての睡眠時間は二時間を切っている。それですら熟睡とは言い難い、夢うつつの状態であった。
 とにかく眠いのである。
 窓から射すうららかな陽も、睡魔を煽る敵であった。背中を包む心地よい温もりが、夜を徹して乱れた後にやってきた、あの解放感と余韻に重なるのだ。そして、数時間前まで一緒だった優しい腕とも。
 ──今日の面接は大丈夫かい? 送ってさしあげましょうか? リクルート中のお嬢さん。
 照れて背けた耳元で囁く声。
 そうやって、いつも向こうのペースに堕ちて行く。
 冗談じゃない。
 そう思うや否や、涼は男の幻に向かって吠えていた。
「いらないし、余計なお世話だし、うるさいわよ! こんなに眠くてまともな面接なんて出来るか! 落ちたらキミのせいよ、このケダモノーッ!」
 バサリと音を立てて、膝の上の書類が落ちる。
「ケダモノ……ですか」
 ハッとする涼の前で、担当官はただ静かに眼鏡を押し上げた。
 凄まじく重い沈黙に、涼は口を閉ざす。
 眠気は今や、跡形もなく吹き飛んでいた。


 進学塾の講師と言う肩書きを持つ上総辰巳にとって、春は受け持ちの生徒達が入れ替わるシーズンである。
 合否の報告に訪れる顔を見れば、それなりに感慨も生まれるものだが、辰巳にはそれが無かった。
 全ては実力が物を言う。他力本願では成り立たない。良くも悪くも、全ては生徒達自身の努力がもたらした結果であり、辰巳は『講師』としての職務を全うしたに過ぎないからだ。
 いくら指導が優れていても、本人にやる気が無くては潰れてしまう。
 誰がどこへ進もうと、辰巳の中の分類は『ついてこれた者』と『これなかった者』の二つであった。そして、『ついてこれぬ者』に用は無い。
 それが辰巳の主義であった。
 しかし、時として実力では無しに成り立つ者もいる。
「不思議なものだな」
 辰巳は、明かりの灯るこじんまりとしたビルを見上げた。
 某探偵の事務所である。ここの主は自ら仕事に出向くより、圧倒的に誰かを向かわせる事が多い。興信所と言うより、仕事斡旋所と化していた。
 どんな事件にも対応するだけの人員と力。
 不思議な事に、草間からその人脈が絶える事は無い。何故かここには人が集まるのだ。
 それが草間の実力なのか。それともそう言った星が動いた結果なのか。それは分からない。
 だが、こうしてやってきた辰巳にも、これと言って用事は無かった。何となく、足が向くのだ。暇だからと言えば身も蓋も無いが、時間を潰すには持ってこいの場所だと言える事も確かのようだ。
 そして、辰巳と同じく足を向けた先客がいた。
 派手に陽気な声がドアの向こうから溢れてくる。こんな時の所内には、大抵、トラブルが渦巻いていた。
 帰るべきか、否か。
 辰巳は、しばしドアノブを見つめた。
「さぁ、飲め飲めー! じゃんじゃん行って行くとこまでー!」
「よっしゃあ! 次はビールで!」
 聞き覚えの無い若い娘の声を筆頭に、数人の若者がいるようだ。どうやら、宴会の真っ最中らしい。
「飲め飲めじゃないだろう!」
 主の空しいこだまを耳に、辰巳はドアを開けた。
 散らばった書類とビールの空き缶。鼻を突く酒と珍味の匂い。テーブルの上には、コンビニの袋と一升瓶、それに紙コップなどが投げ出されている。
 事務所はすっかり宴会場と化していた。
「あ、ちょうど良い所に来たわねー。キミも一緒に飲まない? って言うか飲め飲め飲まなきゃ損よ。お金は取らないから安心してー。おっさんのおごりだし」
 辰巳に気づいた先客は、ニッコリ笑って手招きした。
 本日は機嫌がやや斜め加減の涼である。草間はと言うと、部屋の隅にイスごと追いやられ、メソメソとやっていた。所長だと言う威厳は微塵にも感じられない。すっかり主導権を涼に握られていた。
「勘弁してくれ、村上……マルボロがまた遠ざかる」
「細かい事気にするとハゲるわよー。そろそろそう言う年なんだし、おっさんは」
「俺はまだ三十だ! 『そう言う年』って失礼じゃないか? 上総も何とか言ってくれ」
 疲れ切った草間の横顔に、辰巳は目をやる。
「そうだな。いつからここは『居酒屋』になったんだ?」
 ますますガックリと草間は項垂れた。
「居酒屋じゃない。お前までそんな事を言うとはな……」
「では、何屋なんだ? 宴会場か? 興信所には見えないが」
「ぐ……。誰が何と言おうと、ここは俺の『事務所』だっ!」
 草間はイスの上で頭を抱え、壁に無数の『のの字』を書いた。三十路男の拗ね様などに悲哀を感じるほど、辰巳は優しく無い。
「つまり──乗っ取られたと言うわけか」
 おもむろに取り出した煙草を銜え、辰巳は火を点けた。悠々と煙を吐き出す。その姿を草間は恨めしそうに見やった。
「落ち着き払っている場合じゃ無いだろう?」
「ここがどうなろうと、僕の知った事じゃない」
「あれを何とかしたら、報酬を出そう」
「仕事をしに来たんじゃないんでな」
「じゃあ、何をしに来たんだ」
「暇つぶしだ」
 フーッと。
 草間の大撃沈を気にもせず、辰巳は紫煙をくゆらせた。酔っ払いがここを占拠しようとも、辰巳には何の害も無い。
 気まぐれに来ただけなのだから、気まぐれに帰るだけである。
 灰皿のゴミを一つ増やした後、辰巳は出口へと向かいかけた。その背中を、涼はむんずと掴む。
「ちょっと! 最後まで付き合いなさいよ。中途退場なんて男としてどうかと思うわ、私は」
 大抵の男なら、首を縦に振らざるを得ない微笑を浮かべて、涼は言った。だが、辰巳は変化の無い瞳でそれを見下ろす。
「退場? 僕は最初から数に入っていないはずだが」
「入っていようが無かろうが、ここへ来たからにはすでにメンツの一人なのよ遅いのよ逃げられないのよ。良いからこっちへ来て私の話を聞きなさいよ」
 肺活量が並じゃないな。
 辰巳は、そんな事を静かに考えていた。息継ぎも無く一気にまくしたてた涼は、辰巳の腕を強引に引きソファーへと沈ませる。もはや涼は、小さなオフィスに立てこもる『虎』であった。
「はい。そこにグラスがあるから適当に注いで勝手に飲んで!」
「待て、上総! 何故、馴染む! 『それ』を何とかしろ!」
 隅から草間の声が飛んだ。
 辰巳は溶けかけの氷や、明後日に放り投げ出されたマドラーには見向きもせず、飲むには一番てっとり早い缶ビールを一つ手に取ると、あっさり言い放った。
「僕に害は無い」
「この期に及んで何を言うんだ! 捕まった身で説得力が無いぞ」
「言ったはずだ。僕は暇つぶしに来た。この酒もおごりだと言うしな。今のところ、デメリットは生じていない」
「がっ……」
 孤立無援の寂しい状況である。草間はパクパクと口を動かしながら、辰巳の顔を凝視した。眉一つ動かぬクールフェイスが、涼へ行く。
「それで、話と言うのは何だ? おおかた男にでも振られて、自棄酒に走ったんだろう」
『鬼』は『虎』にも鬼のようだ。涼は今にもこぼれ落ちそうなほどに目を見開くと、顔を朱に染め勢いよく立ち上がった。
「ままま待ちなさいよ! いつどこで誰に私が振られたって言うのよ! 向こうが一方的に絡んでくんのよ、向こうがっ! おかげで面接は台無しだし不採用食らうし、輝かしい私の未来にまでヒビが入ったのよ、あのケダモノのせいでっ!」
「やはり『男』か」
「う」
「ハハハ」
 口ごもる涼の背後で、草間が陽気に笑った。涼は草間をジロリと睨む。げほんと咳き込んだ草間は、イスを反転させ涼に背を向けた。
「とにかく。私は振られてなんていないわよ! こっちからのし紙つけた上に簀巻きにして、粗大ゴミの日にゴミ置き場直行にしてやるんだからー!」
「出来ないから、酒に逃げているんだろう」
「こっ、こ、これはストレスの発散よ、うん。逃げてるわけじゃないし。ほら、宴会って楽しいわよねー」
 涼の眉間には、うっすらと皺が寄っていた。笑顔も少なからず引きつっている。
 辰巳のような冷静な人間は、涼の不得手とする所であった。某男よろしく、話しているとボロがボロボロ出てくるのだ。
 一方、辰巳から見れば、涼のように単純な娘は扱いが楽であった。直ぐ顔に出るし、嘘のつけない直情型である。暇な時にからかうには手頃なタイプだった。
「う〜」
 涼は小さく唸ると、一気にあおって空になったグラスをテーブルに叩き付けた。
「あーもー! 今日は死ぬほど飲む! 決定! キミも遠慮はいらないわよ。どーせ、おっさんの懐から落ちるし」
「遠慮はしない主義だ。心配するな」
「いい加減にしてくれ! お前らの酒代の為に、仕事してるんじゃないんだぞ!」
 辰巳は灰皿を手繰り寄せると、唇に煙草を挟んだ。草間の悲鳴が背中に突き刺さるが気にしない。二本目のそれにゆっくりと火を点し、息を吸い込んだ。
 涼の声が頭の上を飛んで行く。
「その仕事とやらを手伝ってあげてるのは誰よ! おっさん一人じゃ解決しないでしょ!」
「ぐ。その稼ぎ以上を、飲み食いしてるだろうっ!」
 飛び交う喧噪をよそに、辰巳は灰を増やした。何気なく組み直した足が、空の一升びんを蹴飛ばす。テーブルの下に転がるのは、ツワモノドモのユメのアトだ。
 その視線に気づいた少年が、涼の肩を叩いた。
「村上、酒が切れてきたみたいだけど?」
「はいはい、気が付いた人が買いに行ってちょうだーい。いつもの酒屋で。ツケが利かないから」
「まだ、飲むのか? もう、十分だろう?」
 草間は深い溜息を吐き出しながら、胸ポケットをまさぐった。しわくちゃになった安煙草は空である。自分の持っていた一本を差し出しながら、辰巳は呟いた。
「多くの人間を束ねる力はあると言うのに、好きな煙草はままならないとはな」
 やはり、この世は実力主義、と。
 不運極まりない探偵の姿に、辰巳は再確認するのだった。



   終
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年03月12日

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