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『静寂、そして激昂。 』
季流・白銀2680)&河譚・時比古(2699)

「白銀様、ただいま戻りました」
 中学校から帰った河譚 時比古(かたん ときひこ)はいつものように主君である季流 白銀(きりゅう しろがね)の部屋を訪れた。小さく扉を手の甲で叩いたのだが、反応が返ってこない。
「……?」
 もう一度、叩いてみる。それでも主君の声は聞こえてこない。確かに気配は扉の向こうにあるのだが。
「白銀様…?」
 『失礼します』と言葉を繋げながら、時比古はゆっくりと扉を開けた。途端、彼の鼻を突く、匂い。
「!?」
 時比古は多少乱暴に扉を全開にし、部屋の中を確認する。
 主君の白銀は、確かにその場に居た。居たのだが、彼は部屋の到る所を黒い液体で汚し、自分自身も、銀色の髪を斑に黒く染め、へたり込んでいた。かくりと頭を落し、肩も、小刻みに震えている。
「白銀様…いったい何が?何を、しているのですか…?」
 時比古は白銀に駆け寄り、俯いている彼を覗き込む。
 途中、横目に入った、硯箱。時比古の鼻を突き、部屋中に充満している『匂い』は墨汁だったのだ。
「おばあ様が…」
「え…?」
 小さな口を開き、声音を漏らす。
 墨で汚れた白銀の手は震えながら、自然と時比古の腕の上に移動した。
「…、…おばあ様は…僕の髪がこんな色だから…抱きしめてくださらないんだ…だから、僕…ッ」
「…!」
 時比古は主君の口から出た言葉に、心臓を鷲掴みにされた気分に陥る。時比古の腕を掴み、必死になってそう言った白銀の瞳には、大きな泪が今にも零れ落ちそうなほど、溜まっていた。
 白銀は、自分で墨汁を使い、髪を黒く染めようとしていたらしい。
「…白銀、さま…」
「河譚みたいな色がいいな…でも…でも、上手くいかないの…。ねぇ河譚、どうしたらいいの?どうしたら、僕も、おばあ様に、抱きしめてもらえるの…?」
 時比古を見上げ、最初は笑みを作った白銀。だがそれはすぐに形を無くし、泪が彼の頬を伝い、絨毯が敷かれている床に音も無く落ちると、糸が切れてしまったかのように、彼はボロボロとその蒼い瞳から、新しい泪を零し始めた。次から、次へと。
「白銀様…」
 自分が汚れるのも構わずに、時比古は白銀をその腕に招き入れた。
 すると白銀は、飛びつくように彼に抱きつきながら、わぁっ、と声を上げて泣き始める。
「………」
 時比古はそろり、と白銀の背中に腕を回して彼を優しく抱きしめた。そして白銀の髪を一房、手に取る。普段静かな輝きを放っていた美しい銀髪は、今は無残に黒く染まり、松煙の匂いがさらに時比古の胸を締め付けた。
 この部屋に辿り着く前に、目にした光景が、脳裏を過ぎる。
 白銀の祖母が、白銀より後に生まれた『息子』を、抱き上げ溺愛していた。おそらく彼は、その光景を目に留めてしまったのだろう。それは八歳の、精神の揺れ動きが激しいこの時期の子供には、あまりにも酷な場面ではないだろうか。
 『銀髪蒼眼』として生れ落ちたために、欲する愛情を与えてもらえない、白銀。
「河た…っ、どうして、…っ、くだけ、黒く…なら、…いの…!?」
 泪で顔を哀れなものにし、時比古に問いかける白銀。しゃくり上げながら言う言葉は、半分は形を成してはいなかった。それでも時比古には十分に伝わり、それが逆に、彼の言葉を詰まらせている。
「…っく…」
 白銀を、苦しめるもの。髪の色が銀色だったと言うだけで、彼の心に深く痕を刻み込む。
 白銀には何も、罪は無い。そのような『罪』が存在するならば、何と言うものなのか、時比古は問い詰めてやりたい、とさえ思う。こんな幼い頃から、『生まれないほうが良かった』と、本能で思わせるようなこの家に、憤りさえ感じる。
「…白銀様、ひとまず墨を洗い流しましょう。髪が痛んでしまわれます」
「……っ…ぅ…」
 彼はまだ、肩を震わせ泣いている。時比古はそんな白銀の肩に手を置き、一旦は自分から離させた。家従に、この部屋へ湯を運ばせるために。こんな哀れな主君の姿など、家人には…特には彼の祖母の前に晒すには、あまりにも忍びないと思ったからだ。
 時比古は急ぎ家従を呼びつけ、湯を運ぶように手配をした。

「……白銀様。貴方は今のままで、よろしいのですよ」
 ぴちゃん、と雫が銀色の髪を伝い、湯に落ちる。
 白銀は勢いこそは落ち着かせたものの、その瞳からは未だに泪が溢れては落ち、を繰り返していた。溜め込んでいたのもが、糸が切れるかのように壊れてしまったのだ。
 時比古は、それを無理に止める術を、知らずにいる。…知る必要も、無いからだ。
「河譚は…どうして僕に、…優しいの?」
「それは、貴方が大好きだからですよ」
 ぽつり、と、泪を流しながら顔を上げて、時比古を見上げた白銀が、言った一言。それに遅れを取らずに、時比古はにっこりと微笑みながら、そう返した。
「………」
 それに対する、白銀からの返事は望んではいない。
 案じたとおり、彼は無言のまま、再び俯いてしまう。頭の中が整理し切れていないのであろう。これだけ長く泣いたのも、おそらく初めてのことではないのだろうか。泪を止める方法から始まり、自分のやったことや、渦巻く思い、そして時比古が少しも怒らずに、自分に接していてくれること…。それを全て整理整頓しろと言うのは、この幼い子には、それこそ酷な話である。
「白銀様」
 銀の一房、一房を優しく洗い流しながら、時比古は白銀に声を掛ける。それも、返事は待つことも無く。
「白銀様はお綺麗ですよ。私は、白銀様の髪が大好きです」
 髪を梳き、最後の一房を流すと、白銀の髪は本来の色を取り戻した。時比古は予め用意してあったタオルを静かに彼の頭の上に被せ、髪を傷めないように、そして白銀自身が冷えてしまわぬよう、手早く水分を拭き取ってやる。
「………」
 白銀は俯いたまま、時比古のさせたいようにしていた。
 髪を乾かす間も、着替えを済ませる間も、ずっと俯いたまま、口を開くことは無かった。
「……白銀様…?」
 とん、と時比古の肩に重みを感じたときには、空気が少しだけ穏やかになったことを表す報せのように、思えた。
 泣きつかれたのか、白銀は時比古へと倒れこむように、眠ってしまったのだ。おそらく、髪を乾かしているあたりから、眠気はあったのだろう。
「………」
 溜息の後の、苦笑に似た、それ。安堵の笑みでもあるのだが、心中は未だに複雑なままである。
 時比古は白銀をゆっくりと抱き上げ、静かに彼の寝室へと足を運んだ。
 起こさぬよう、神経を白銀だけに集中させて、彼をベッドへと寝かせる。その体制のまま、瞼の腫れた主君の寝顔を数秒見つめて、離れようとした瞬間。
 腕に、僅かな引力。
 そこに視線を落せば、無意識だろう、時比古の袖口を掴み、放そうとしない白銀の小さな手が、あった。
「白銀様…」
 時比古は自分の体制をゆっくりと直しながら、その位置に腰を降ろして、袖を掴んでいる手に、自分の手を重ねた。
 まだ、本当に幼く、多感な時期だ。
「私が、お守りいたします…白銀様…」
 誓いとも、取れるそんな言葉を。
 囁きかけるように、ゆっくりと、紡ぐ時比古。
 手を静かに移動し、銀糸に、繋げる。そして、何度も何度も繰り返し、美しい白銀の髪を、梳いてやった。
「…せめて、今だけは…」
 それは、祈りにも似た、感情。
 眠りの時間だけでも、と。彼の心根が、少しでも安らかであるよう。そして、自分の存在が、白銀にとって僅かでも救いになれるように。
 誰かに縋る訳でもなく。
 ただ、自分が。自分だけが、彼の『救け』であるようにと。
 時比古の心の中は、穏やかであるも、激しいものに包まれていると言うことは、確かであった。

 静寂の中。時計の秒針が動く音だけが、やけに大きく響いている。
 時比古は、白銀の傍を離れるは無かった。
 胸のうちの静かな激昂の上に、穏やかな感情を植え込みながら。


-了-


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季流・白銀さま&河譚・時比古さま

ライターの桐岬です。再びのご依頼有難うございました。
今回もとても楽しく、書かせて頂きました。脚色も多々あるのですが
如何でしたでしょうか…。
私はお二人が、大好きです。
素敵なお二人に出会えて、とても嬉しいです。
もしよろしければ…またお二人のお話を書かせていただけたらな…と思っています。

今回も、有難うございました。
誤字脱字がありましたら、申し訳ありません。

桐岬 美沖。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
朱園ハルヒ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月11日

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