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『大切な落とし物 』
ぺんぎん・文太2769

 東京は浅草、いまや観光地として多くの人が訪れるこの場所は昔から江戸の下町として活気溢れる場所で知られていた。
 また、この辺りは良質な温泉が湧き出ることで有名で、温泉を浴槽に引き込んでいる銭湯もあちこちにたっていた。
 近年は家庭の内風呂化と、銭湯の衛生問題が過敏にされすぎてしまったせいか、利用者が減り多くの銭湯が店を閉めざるを得ない状況へと陥られている。そんな理由もあって、昔はにぎやかだった浅草銭湯商店街周辺も軒並みシャッターが並ぶ、侘びしい地域になってしまっていた。
 
 数少ない浅草温泉からの帰り路。頭に手ぬぐいを乗せて、ぺんぎん・文太(ー・ぶんた)は呑気に川辺を歩いていた。この辺りは車の通りも少なく、背の高いビルや工場が周辺にないため、川岸に建ち並ぶ平屋屋根を一望出来る貴重な場所だ。
 夕焼けに赤く染まる川面がキラキラと輝く姿を文太は橋の縁に立ってのんびりと眺めていた。
 時折、ぱしゃりと魚が跳ねる音と川がさらさらと流れる音以外、この空間に聞こえる騒音は殆どなかった。
 不意にどんっと背中を押され、文太はその場に転がった。
「ぺんぎんさん、ごめーんっ!」
 元気な明るい少年の声が背後から聞こえた。お使いの買い物を終えて、急いで家路に戻る途中なのだろう、両手に大きな買い物袋を抱えている。
 散乱したお風呂セットを拾いあげ、文太はふと何か足りない事に気付いた。
 ……キセルが無い……
 大事にしていた古いキセルの姿がこつ然と失せていた。あわてて辺りを探ってみるも、転がっていった形跡は見当たらない。
 まさか川に落ちたのでは……と橋の下を覗くが、太陽の光に照らされて良く見る事が出来ない。
 橋の下の川岸に降りて探してみるも、やはり見つからない。
 途方に暮れてがっくりと座り込む文太の視界の端に、ふと……女性の姿が通り過ぎた。
 はっと顔を上げると、黒っぽい衣装に身を包んだ女性の後ろ姿が見えた。川辺には彼女以外に人はいない。文太は何の迷いもなく、文太は女性の背中に飛びついた。
「きゃっ!」
 小さく声をあげて、その女性ー碧摩 蓮(へきま・れん)は驚いた様子で飛びついてきたペンギンをみおろした。
 じっと何かを訴えるような、つぶらな瞳に見つめられ、蓮はしばし言葉を失った。
「……えーっと……ご飯はあげられないよ?」
 ようやく呟いた言葉に、文太は激しく首をふって否定する。
「……迷子? じゃないよね……ここらで何か探し物……?」
 文太は頷きながら、ペンギン特有の片地をした両翼を巧みに動かし、大切なキセルを紛失してしまったことを伝えようと試みた。その仕草が妙に愛らしく、蓮は思わず笑みをもらした。
「それじゃ良く分からないよ。そうだ、一緒に探してあげようか? この辺りに落としたんだろう? だったら、すぐに見つかるよ」
 蓮は少しかがみこみ、懸命に辺りを探しはじめた。文太もその後に続いて、草むらをかき分けはじめる。

 探しはじめて約1時間。気付けば辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
「やれやれ、これじゃ探しようがないね……」
 堤防ぞいに小さな照明はあるものの、川岸を充分に照らせるようなものではなく、照明から少し離れたこの辺りは夜の闇に溶け込んでしまっている。
 それでも懸命に探しまわる文太を横目に見ながら、蓮は近くのベンチに腰掛け一服を始めた。
 立ち上る煙の香りに気付き、文太はくるりと蓮の方へと顔を向ける。
「どうだい? あんたも少し休んだ方が良いよ」
 少し古ぼけたキセルを優雅にくわえ、蓮はにこりとほほ笑んだ。
 暗闇の中、良く見えない目をこらし、文太は一目散で蓮の元へと駆け寄ると、半ば強引にキセルを奪おうと飛びかかった。
「ちょ……な…なんだいっ! このキセルがどう……」
 はたりと気付き、蓮は抵抗を止める。その隙を逃がさず、文太は華麗な動きでキセルを奪い取った。
 壊れていないか丹念に調べ、キセルを磨きはじめる文太に蓮は申し訳なさそうに告げる。
「そのキセル、あんたのだったかい。気付かなくてすまなかったよ」
 大事そうに風呂桶の中へしまい、文太はじっと蓮をみつめた。
「……さっき橋の下に転がってたんで拾っておいたんだよ。落とすにしては手入れも行き届いてるし、何より……妙に引き付けられてね。あんたに探し物があると誘われた時に、すぐに気付くべきだったね」
 風呂桶を抱え、手ぬぐいを頭に乗せる。表情は殆ど変わらないものの、文太の顔に安堵の色がみえた。その様子に蓮もほっと肩を降ろす。
「さ、早くお家にかえりな。でないと保健所の人に連れていかれるよ」
 ぽん、と軽く背を押し、蓮はいたずらっぽい笑みをわずかに見せた。
 途中、何度も振り返りながらも、よちよちとした歩みで文太は堤防へと上がっていった。

 ようやく頂上に到達し、文太は大きく深呼吸をしてぼんやりと眼下に広がる下町の景色を眺めた。
 平屋の続く商店街から銭湯の黒い煙突が1本突き出していた。煙突から立ち上る白い煙はゆっくりとうねりながら、夜の闇へ吸い込まれている。
 キセルに火をつけ、お気に入りの煙の味を楽しみながら、文太は汚れた身体を洗い直すために下町商店街へと足を向けていった。
 
文章執筆:谷口舞
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2004年03月11日

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