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『深紅の闇 』
向坂・嵐2380

 ああ、ああ。今日もここから、深紅の月が見える。


 ぽつりと立たされた、暗い世界。ただ一人、ただ一人だけ。
(俺は、知っている)
 向坂・嵐(さきさか あらし)はぎゅっと手を握り締め、赤茶の目で周りを見回した。真っ暗な中、自分以外は何も確認する事が出来ない。
(俺はこのような世界を、知っている)
 暗い世界は、初めて体験するものではない。だが、だからと言って好きだという世界でもない。寧ろそれは、逆。
(やめて欲しい)
 それは切なる願い。暗い世界は寧ろ嫌悪すら覚えてしまう、辛い世界。決して二度と体験したいとは思ってもいないのに。
(辛いから。悲しいから。……もう、嫌だから)
 そうした声すら、飲み込まれるかのようだった。必死で叫んだとしても、やんわりと闇によって吸収されるような錯覚。
(闇は嫌だ。闇は、怖い。……光を)
 ほんの少しでも、微かなものでも良かった。ともかく、闇を照らすには光が必要だった。光を渇望すれば、もしかしたら手に入るかも知れぬ。
(光を。ただ少しの、微かな、光を。……光、光を)
 こんなにも恋焦がれているのにも関わらず、光は未だ現れない。需要と供給が成り立たない。そうしてゆらりと嵐は自らの手を見た。
(光は……無い)
 自らの手は、闇の中でも恐ろしいほど克明に見えた。途端、嵐は笑い出してしまった。余りにも滑稽で、余りにも虚しくて。
 嵐の手は、赤く染まってしまっていた。


 がばっと嵐はベッドから跳ね起きた。はあはあと息を切らし、目を見開いて辺りを確認する。そこはいつもと同じ、施設の中の一室。施設から貰った、嵐の部屋であった。
「くそ……」
 嵐は息を整え、それから大きな溜息をついた。すると、ばさりと何かが床に落ちた。小首を傾げながら拾いに行くと、それは嵐が寝る前に確かに机の上に置いておいた煙草の箱であった。それが、机から1メートルは離れているだろう場所に落ちているのだ。いや、先ほどばさり、という音と共に落ちたのだ。それはつまり、先ほどまで宙に浮いていたという事でもある。
「またかよ」
 小さく呟き、嵐はくつくつと笑った。このような事は、初めてではない。寝ている間に無意識に使ってしまった力が、放出されてしまっただけだ。
「興ざめだぜ」
 小さく呟き、嵐は立ち上がった。まだ、外は暗い。起床の時間にもなってはいない。それでも、嵐は起き上がり、服を着替えて顔を洗った。赤茶の髪をかきあげ、時計をちらりと見る。午前2時。
「草木も眠る丑三つ時……か」
 嵐はそう呟いて小さく笑い、ポケットに先ほど浮いていた煙草の箱を突っ込む。そうしてそっと靴を履き、窓から飛び出した。二階にある嵐の部屋から、地上はそんなに遠い場所には無い。綺麗に着地し、嵐はそっと空を見上げる。綺麗で、恐ろしくなるような満月だった。
「ばっかじゃねーの」
 ぽつりと呟いてから、嵐はゆっくりと歩いていった。既に、施設に再び帰る気など何処かに吹き飛んでしまっている。今週に入ってから、二度目の脱走である。
(前は二日前だったっけ?)
 嵐はぼんやりと歩きながら、一本煙草を口にくわえる。
(ゲーセンで学校をサボってた時に、補導のオッサンに見つかったんだよな)
 煙草に火をつけ、ふう、と白煙を吐き出す。
(大体、何だって学校なんかに行かないといけないんだ?)
 口一杯に広がる苦味に、嵐は眉間に皺を寄せた。
 どうして学校に行かねばならないのか、という嵐の問いに対して帰ってくる答えはいつも同じだ。嵐が中学生という定義に入っている以上、義務教育を受けなければならないというのだ。施設に入っているからといって、それは変わり無いのだと。
(放っておけばいいのに)
 嵐は溜息をつく。年齢を持ち出すのは、限りなく卑怯だと嵐は思う。恐らく、周りが思っているよりも自分がそんなに子どもではないのだから。
(もう、うんざりだぜ)
 嵐は大きく溜息をつき、それから目の前に行きつけのゲームセンターが在るのに気付いた。何気なく、自動ドアをくぐって中に入る。
「おお、嵐じゃん」
 ゲーム台の一つから、手がひらひらと伸びた。
(こいつか)
 嵐は心の中で毒づく。だが、相手は嵐の不愉快さも気にせずに嵐のところにやって来た。親しげにぱんぱんと軽く嵐の背中を叩く。
「なんだよー。こんな時間にさ」
「……別に」
「あ、さてはまた脱走したんだな?くくく、悪い奴だなー」
 悪い奴、と言いつつも、相手の顔は笑っている。
(うざい)
 嵐は冷たい目線を相手に向けながら、ぎゅっと手を握り締める。
(こういうおせっかいな、妙に馴れ馴れしい奴も嫌いだ)
「まあ、俺もだけどさー。……どうだ?一戦やるか?」
 相手はそう言い、一台のゲーム台を指差した。嵐は「いや」と小さく答え、再びゲームセンターを出ていった。相手は「またな」と言いながら手を振っていたが、嵐は手を振ることも振り向く事すらなかった。
 嫌いなものを相手にするのは、酷く疲れてしまうから。
(嫌いなもの……)
 ふと足を止め、嵐は考え込む。ゲームセンターを離れると、騒がしさというものを全く感じられなくなってしまっていた。今は真夜中、草木も眠る丑三つ時。
「俺は、大人が嫌いだ」
 口に出すと、しんとした街に静かに響いていった。
(何でも知ったかぶりに、偉そうに言ってきやがる)
「ああ、そうだ。先生というのも嫌いだ」
 呟きは、街の中に響き溶けていく。
(偉そうに喋ってくる。俺の事を分かっているとか言い出す始末で手におえない)
「同級生、というのも嫌いだな。さっきみたいな友達面してくる奴も、だ」
 だんだんおかしくなってきた。変に笑いがこみ上げてくる。
(俺がどうだって言うんだ。俺に何を求めているんだ)
「そうだ……俺は、他人というものが嫌いだな……!」
 人というものが、そしてそれに関わる人の和というものが。嵐は自分の事を放っておいて欲しいのに、それは出来ないと大人が言う。先生が言う。同級生や先ほどのようなおせっかいな奴が、放っておく事もせず仲良くしよう言う。どれもこれも、うんざりの対照でしかありえないのだ……!
「俺は全てが嫌いだ……そう、大嫌いだ!」
 不意に笑いがこみあげた。それを阻む事すら出来なくなってくる。嵐は小さく、はは、と笑った。最初はほんの小さく、だんだんと大きく。
「はは……はははは!」
(大人、嫌い。先生、嫌い。同級生、嫌い。おせっかい、嫌い……!)
 笑いは止まらない。静かな街に、嵐の笑い声は響いていく。何処までも遠くのほうまで響いていくのではないかと思うほどに。
「あははははは!」
(全てだ!俺は全てが嫌いだ!そう、俺は全部が大嫌いなんだ!)
 嫌い、という言葉を呟くだけで、妙な高揚感が嵐に襲い掛かってきた。笑いは止まらない。否、止める術を知らぬのだ。魔法の言葉のようだった。口にすると、笑いが溢れる魔法。どうしてそうなるかなど、分からない。理屈など、理由など、そんなものはいらない。ただ支配しているのが嫌悪感と笑い出す心。ただそれだけ分かれば、それでいいのだ。
「……はは」
 嵐は笑い終え、下を俯いた。再びしんとした街へと元に戻る。先ほどまで響いていた嵐の声は、すぐに消え失せてしまう。
「嫌い、なんだ」
 ぽつりと呟く。何が、とも誰が、とも聞かれない呟き。嵐しかいないのだから当然といえば当然なのだが、そこにどうしても違和感を拭えない。
「もし、俺の嫌いなものが全て無くなったら……俺は全てを好きになるのか?」
 そう呟き、そして笑う。今度は声に出す事なく、ただ口元だけで笑う。どこか皮肉めいた笑みを。
「それはありえない……決してありえない!」
(嫌いなものを全て無くすというのは、無理だ)
 大人を、先生を、同級生を、おせっかいを。それらを無くす事はそこまで難しい事ではないかもしれない。だが、嵐は分かっていた。嫌いなものを無くす事が、決定的に無理だという事が。
「だって……一番嫌いなものは決してなくならないから。俺がいる限り、俺が好きになろうとする限り、絶対になくならないから」
 ぽつりと呟き、くつくつと笑った。街に溶けるように、そっと。
(今日も、勝手に煙草の箱が浮いていた。俺はそんな事をしようとしてなかったのに)
 ぎゅっと握り締める、煙草の箱。
(俺という存在は何だ?俺はどうしてここにいる?)
 アスファルトに押し付ける、煙草の吸殻。
「俺は……俺が一番嫌いだ」
 小さく呟き、嵐は空を見上げた。相変わらず、月は綺麗に輝いている。柔らかな光を静かな街へと降り注ぎながら。
「俺は、俺は……!」
 嵐はぎゅっと手を握り締める。
 悪い事、といわれる事をたくさんしてきた。
 施設を抜け出したり、学校をさぼったり、補導をされたりしてきた。
 だが、そんな事はどうだって良い事なのだ。どのような事をしても、嵐が嵐であるという事実は、変わりは無いのだから。
「嫌いだ……」
 再びぽつりと嵐は呟いた。月は綺麗で、そして赤く光っているのだった。


 嵐は昔を思い出す。13、4だった頃の自分を。今見ているような、満月の夜にはどうしても思い出してしまうのだ。
「……赤いな」
 ぽつりと呟き、嵐は煙草に火をつけた。煙草の先が、赤くともる。それと同じ、空に浮かぶ満月。相変わらず綺麗で、そして恐ろしい。
「変わらないな」
 そう呟き、小さく笑った。あの頃は、ただひたすら全てを拒絶していた。自分という存在すらも。だが、そのような時代から幾年か経った今でも、同じように月は光っている。嵐の頭上で。
「本当に、赤い……」
 嵐は呟き、煙を吐き出した。白煙がゆらゆらと立ち昇っていく。昔と変わらぬ、赤く輝く月へと向かって。

<過去と現在は赤い光に見守られ・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月10日

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