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『source of pride 』
上総・辰巳2681

「上総先生ェ〜」
講師室の出入り口、入室を禁じられている生徒は戸口から講師を呼ぶ。
 そう呼び掛けたのは制服の違う女子高校生二人、上総辰巳はコートに袖を通しかけた姿勢で視線をそちらに向けた。
「何か」
緩く流れた前髪の狭間、何よりも先ず鋭さを印象づける金の眼差しが射抜くが如き強さを緩めることなく向けられるが、お互いの脇を肘で突き合っているせいか彼女らがそれに動ずる事はない。
 問題作成や添削作業をする室内を長く生徒の目に晒す事をしないよう、廊下に出て応対するのが講師間の暗黙の了解である。
 その日の授業及び翌日の準備を終わらせ、後は帰宅するばかり、であった辰巳は膝丈までの黒いコートに袖を通してしまうと、そのまま部屋を出ようとした…が、並んで戸口を占領する少女達が退く事をしない為、それも適わない。
 しかも、辰巳を呼びつけたというのに互いに目配せするばかりで、用件が何であるのか、全く要領を得ない。
「……何か」
溜息混じりにもう一度繰り返す。
 それに漸く、片方が口を開いた。
「えぇっとぉ、アタシ達授業でワカンナイとこがあってぇ」
「ソコんトコ、自習室で教えて欲しいなー、とか」
「断る」
即時に断された答に、鰾も膠もありはしない。
 明確にも程があり過ぎて、思考が理解を不満に変える、その寸前に辰巳は問う。
「授業を聞いてなかったのか?」
「えー、聞いてましたけどぉー……」
グロスに光る唇を尖らせて少女らが口を揃え、続く理由を発する前に辰巳は顎を上げた。
「なら、不要だ」
その自信は傲岸不遜なまで、呆気に取られた少女等は、退けろ、と顎だけで示した動きに左右に別れて道を開ける。
 一顧だにせずその間を抜けて立ち去る辰巳の背を、少女等はぽかんと口を開けて見送り…その姿が夜の街に消えて漸く。
 彼女達は裏返った声を揃えて叫んだ。
「ナニアレ、ナニサマーッ!?」
俺様である。


 新宿まで足を伸ばし、馴染みの店の扉を開けば、顔を見せただけでいつものカクテルが出てくる。
 料理や飲み物を載せるスペースだけを平らに整えたカウンターは、古い桜だ。
 長く生きた命は形を変えて未だ息づき、老いを品に変えたバーテンダーがその向こう側に収まるのに調和する。
「上総様、お味を見て頂けますか?」
馴染みの客にも丁寧な物腰で、バーテンダーはカウンターの片隅、いつもの席に陣取る辰巳の前に小鉢を置いた。
 サーモンとタマネギをソースで和え、上に散る香草の緑が鮮やかだ。
「これは?」
「鮭のアラ、と言えば聞こえが悪うございますが。下ろした折に骨の間に残ります、身を削いで作ってみました」
 実際の所、骨に近い方が身に締まりがあって、火を通さない料理に使うに美味である。
 添えられた箸で摘み、口に運ぶと卵をベースに使ったソースの甘みにタマネギと香草の香りが混じり、サーモンの塩味を押さえすぎる事もない。
「このソースがいい」
端的な感想に、パーテンダーは表情を綻ばせた。
「よう御座いました」
出される料理は厨房の者の担当だが、バーテンダーは習作と称して時たま馴染みの客に料理を饗する。
 時にアルコールだけ摂取して、そのまま寝てしまうような人種の身を案じてであろう事が窺い知れるが、押しつけがましくないその厚意を無碍にする程、辰巳も人間が出来ていないわけでない。
 遠慮せずに頂戴し、もう二杯カクテルを飲んで店を出る。
 程よく身体を暖めたアルコールに、まだ春めくというには遠い風の冷たさが心地良く、店の前に活けられた白梅に見送られて駅へと向う。
 塾講師という職業上、通常の勤務時間と別とする辰巳がこの街に出るのは大概に夜だが、新宿はどんなに更けても人の姿が絶える事はない。
 人々の流れが集中するのはやはり駅前の大路、其処から目的の場所へと移動する為に出来るそれなりの流れに乗り…かけてふと、辰巳は足を止めた。
 夜の街に有り得ざるべき、見慣れた制服が目の端を横切った為だ。
 辰巳の務める塾には様々な高校…特に進学有名校の生徒が通う為、見慣れない制服の方が珍しい。
 が、それは特に固いとされる校風の高校の代物で、夜の繁華街を彷徨いていたというだけで停学も免れないというように記憶している…しかも、見掛けた顔は彼が担当する生徒でもある。
『まあ、僕に何か責任があるわけじゃなし』
だが、辰巳は見掛けただけに終らせた。
 塾とはいえ、師であるという責任が懸るのは授業だけの事…生活指導は管轄外と、プライベートにビジネスの境が明確過ぎる認識で、辰巳は周囲を気にしながら裏小路へ向う生徒をそのままに立ち去る。
 否、立ち去ろうとしたが、生徒の姿を呑み込んだ影から微か、悲鳴を聞き取って足を止めた。
 放って行くワケにも行かなくなった…やれやれ、と肩を竦めて、一転、踵を返す。
 煌々と輝く街灯に、足下に落ちる影も薄い。
 が、小路へ一歩足を踏み込めば途端に明度は落ちる…それが飲食店の裏手にあたる、裏小路ならば闇に近くその箇所は人が出入りを臆するほどに暗い口を開けている。
 何かしらの悪事を為すに十分な。
 辰巳はその前に立つと、奥の気配を伺う。
 下卑た笑いを含んだ声が聞こえる。
「ナニナニ。悲鳴上げたいホド怖い?俺らァ」
「傷ついちゃったなァ、慰謝料貰わねーとやってらんねーよなァ?」
 辰巳は思わず空を仰いだ。
 分かり易すぎる展開に、折角の酔いが興醒めである。
 辰巳は不機嫌さも顕わに、小路に足を踏み入れた。
「せ、先生……?」
窮地に救いを求めて視線を泳がせていた生徒が、辰巳の姿を認めて名を呼ぶ。
「ンだァ?」
縄張りに入り込んだ新たな獲物を睨みつける、目にても明確に柄の悪い男を、辰巳は強い金の眼差しで睥睨した。
「第二百四十九条、第一項」
唐突に投げられた言葉に「はァ?」と、全員が異口同音に語尾上がりの言を吐く。
「人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する……試験には出ないが覚えておいた方がいい」
言いながら、辰巳は速度を緩める事なく続ける。
 ふ、と足を止める息を接ぐような一瞬の間、見事な回し蹴りが手前の一人を弾き飛ばした。
「刑法に於ける恐喝罪の規定だ」
軸足に揺るぎなく、膝から下に撓る勢いに重い一撃の速さに避けるどころか認識出来たかどうか。
 壁にぶつかって人事不省に陥った仲間に、残った一人が敵意を顕わに歯を剥き出す。
 それを涼しい表情で受け止め、辰巳は掌を上に差し出した手の、五指をく、と曲げて冷笑を浮かべた。
 あからさまな挑発に、叫びながら向ってくる相手が突き出した拳が身に触れる寸前、半身に避ける。
 拳に体重をかけた為、目標を失って体勢を崩し、転びかけた相手の首筋に肘を叩き込む…初撃から、辰巳は一歩も動いていない。
「上総先生……」
生徒は意外の何物でもない辰巳の姿を見る。
教壇に立つ姿しか見た事のない辰巳が、絡んできた相手を鮮やかな手際で倒し自分を窮地から救い出してくれようとは。
 生徒が向けてくる感謝の眼差しに、辰巳は盛大に吐息をついて、そのまま大路に向って歩き出した。
「せ、先生……ッ」
路地裏から出て、人の流れに乗る辰巳を生徒が追ってくる。
「なんでこんな所にとか……聞かないんですか?」
問われてまた一つ、息を吐く。
「生活指導は僕の仕事じゃない」
事も無げに言い放たれた言葉に、気遣いは欠片もない。
「話したいなら話せばいい」
だが、先を行く背の確かな許容に、生徒は辰巳の三歩後について速度を合わせた。
「……先生は塾終ったらいつも新宿に出てるんですか?」
しばしの沈黙の後、生徒が口火を切る。
 辰巳はそれに振り返る事なく、応えを返した。
「今は授業じゃない……先生は止めろ。公私は分けてるからな」
教職にある者に対して、公私の別なく先生と呼び掛けるのが当然だろう。
 辰巳の思わぬ言に、生徒は戸惑いを隠せない。
「え……と、それじゃ、上総……さん?」
「それならいい」
それは授業の折に公式の解が合っていた時に出る一声で、生徒は少し笑う。
「先……上総さん、はいいなぁ」
続く溜息。
「頭良いし、強いし……ボクなんか、最近授業についてくのも精一杯で……」
今自分の子供にありがちな不満にぼやきが続く。
 生活態度は真面目、授業態度は勤勉…制服を僅かも崩す事なく着込んで、絵に描いたような優等生っぷりの生徒の成績が、目立たずにそれでも下降し始めていたのを辰巳は思い出した。
「なんか家でも学校でも……息が詰まっちゃって。停学にでもなったら父さんも母さんも諦めて何も言わなくなるかなぁって……」
それなら校内で酒なり煙草なりを持っているだけでもよかろうに、それに思い及ばず夜の街を彷徨くだけ、というのは衝動的に…けれど蓄積された不安からかと辰巳は判じる。
 成績の順位、偏差値…個人の基盤は全て数値に置き換えられ、分別され、それに因って振り分けられる岐路を少しでも多くする為に、詰め込めるだけの知識をただ呑み込んで、一本道を迷う暇はなく急き立てられる間に、ふと気付く。
 道なりに進めなくなった時に、手元に残る過去の数字…他者から見て明確な価値、に選択の手がかりがない事を。
『なんでこう間が悪いかな僕は』
辰巳は天を仰いだ。
 生活指導は仕事じゃない、人生相談は柄じゃない…のだが。
「僕が数学を教えているのは、人の教えられる位に得意だからだ」
其処で溜息を一つ。
「知りたいと思う知識なら、調べるのも苦じゃない、覚えるのに難もない……ただ呑み込むだけじゃ息も詰まる」
知識でも要求でも、自分で要不要の選択を為せないのなら。
「襟でも緩めたらどうだ?」
……なんとも即物的な助言である。
 だが、生徒は虚を突かれた表情で、襟元に手をやった。
「……そう、ですね。苦しかったら、緩めたらいいんですよね」
気の抜けた笑いが洩れるのを、辰巳は足を止めて振り返って見た。
「ほら、もう帰れ」
その目の前には駅がある…話しを聞きながら送ってくれたのだと、何も言わない辰巳に察し、生徒は何とも言えずに、ただ頭を下げた。


 辰巳は首を左右に倒して関節を鳴らした…慣れない説教などするから肩が凝る。
 常識と良識の観念から見れば、勘当同然に家を出ている自分が偉そうに説けるモノなど、解の明確な数式位だ。
 人波の中に建つ姿に揺るぎなく、眼差し迷い無く…辰巳が揺るぎないのはただ己、自身が選んで其処に在る、その確固たる一点に因る。
 生徒が改札を抜けるのを見届けると、辰巳は踵を鳴らしてまた街へと足を向けた。
「……飲み直そう」
ある意味、境地であるそれに本人も気付いているかどうかは謎である。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月09日

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