▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『SAD EMOTION 』
寒河江・深雪0174)&九尾・桐伯(0332)
●さよならの準備
 2月14日土曜日。言わずと知れたバレンタインデーがやってきた。
 それは女性にとって、愛する男性に対して告白する神聖かつ大切な日。場合によっては、自分自身の存在をも賭けて――。
「……あ……つ……」
 そんな日の朝、寒河江深雪は頭の痛みを覚え、悪い形で目を覚ました。次第にはっきりしてくる視界。見慣れた天井が目の前にあった。
「え……家?」
 違和感を感じ、鉛のように重く感じられる身体を起こす深雪。途端にまた、頭にずきっと痛みが走る。
「痛っ!」
 深雪は頭を抱え、しばしうつむいた体勢のままじっとしていた。そのうちにどうにか痛みも治まってきて、そこでようやくゆっくりと辺りを見回した。
 深雪が居たのは自分の寝室であった。ベッドの上で、着の身着のまま眠っていたのだ。けれども、自室で眠っているのは当たり前のこと。これが見知らぬ他人の部屋だったら問題だが、何故に違和感を感じているのだろうか。
「ええと、夕べは……」
 深雪は糸を辿るように昨夜の行動を振り返る。親友の家で酒を飲んでいたことは覚えている。何度となく愚痴ってしまったことも、涙を流したことも覚えてはいた。
 が、その後となるとかなり曖昧になってしまう。記憶の糸が、ぷつっと途切れた後に絡まってしまっているのだ。
(でもどうやって帰ってきたのかしら)
 思案する深雪。ここに居るということは、何らかの方法で帰ってきたことには違いがない。でも、それが何なのか分からない。
「あ」
 その時、フラッシュバックするかのように深雪の脳裏に記憶が滑り込んでくる。闇の中で誰かに抱き締められ、何か囁かれたような記憶。耳朶に言葉が残っているようにも感じられる。
 しかし、その記憶が現実かと問われたなら、深雪には言い切る自信はなかった。
(……夢?)
 そう、夢かもしれない。全ては自らの希望、もしくは妄想、あるいは――切望。今の深雪の心を、鏡のごとく映した物で。
「顔……洗ってこなくちゃ」
 のろのろとベッドを降り、寝室を出る深雪。きっと涙のせいで酷い顔になっていることは、間違いないと思ったからだ。
 顔を洗った深雪がリビングに入ると、テーブルの上にはフランスワインのボトルと綺麗な布や包装紙、リボンなどが並んで置いてあった。ラッピングのために、深雪が昨日のうちに準備してあった物だ。
 立ち止まり、じっとワインボトルを見つめる深雪。それは愛する人へ贈るため、深雪が自らの想いを込めて選んだ赤ワイン――デュペレ・バレッラ『マイ・ラヴ』。
「私がこれからしようとすることは間違っている……かしら」
 深雪はぼそっとつぶやき、テーブルへと近付いてゆく。
 ある決意を深雪は胸に秘めていた。今日この日の趣旨に反する行動――別れを告げることを。
 愛の守護聖人の日に別れを告げるのは、罪以外の何物でもない。もちろん深雪にもそれは分かっていた。それでも、そうしなければならないのだ。愛してしまったが、ために。大切であるが、ゆえに。
「……私は……」
 ぺたんとテーブルの前に腰を降ろし、深雪はワインボトルを手に取った。
(……あの人を凍てつかせる存在でしかなくて……)
 ラベルに目をやる深雪。やけに空白があるラベル。深雪はそこへ、そっと唇を押し当てた。キスマークは、今はつかない。
(……決めたのは私……あの人を傷付けること、誠実であること……それを選ぶんだって、私が決めたんだから……)
 自分にそう言い聞かせながら、深雪は手にしていたワインボトルをぎゅっと抱き締めた。何故だか知らないが、自然と涙が込み上げてきてしまう。
「…………!!」
 涙が1滴、ワインボトルにこぼれ落ちた。

●TIME
 その日、夕刻。バー『ケイオス・シーカー』――バーテンダーである九尾桐伯が営む店だ。
 開店前の準備を済ませた桐伯が、店の中から姿を現した。そして空を見上げ、ぽつりとつぶやく。
「雪……降るかもしれませんね」
 空は灰色の雲に覆われていた。桐伯が言うように、雪が降ってきても不思議ではない空だ。
(恋人たちにはいい贈り物なんでしょうが)
 そんなことを思う桐伯。降れば間違いなく、そう考えるカップルたちは出てくることだろう。
「……今日も忙しくなりそうです」
 ふふっと笑い、桐伯は『CLOSED』の看板を『OPEN』にくるりとひっくり返した。
 同じ時刻、深雪も自らの部屋を出ていた。勇気奮い立たせ、想いの品抱き、大切な人のみ待つ『混沌を求めし者の棲家』へ向かうべく。
 『ケイオス・シーカー』は、本日もいつもと変わらぬ開店を迎えていた。

●CONFESSION
 夜11時44分――間もなく日付が変わろうかという頃、『ケイオス・シーカー』のたいして広いとも言えない店内には、客の姿は全くなかった。
 ほんの30分ほど前までは、バレンタインのカップルで賑わっていたのだが、さすがにいつまでも飲んでいる場合ではないと思ったのだろう。1組、また1組と夜の街へ消えていった。
 恐らく日付が変わってしばらくすれば、今度はやけ酒を飲みに来る客も居ることだろう。男性女性、関係なく1人で。
 有線放送が甘いラブソングを奏でている中、桐伯は黙々とワイングラスを拭いていた。そこに、扉が開かれる音が聞こえてきた。
「いらっしゃ……ああ、こんばんは」
 笑顔で客を迎える桐伯。いや、客ではない。そこに立っていたのは、恋人の深雪であったのだから。
「……こんばんは」
 ぺこりと頭を下げる深雪。だが、その表情はとても神妙だ。
「どうぞ。今は誰も居ませんから」
 カウンターを出て、深雪を促す桐伯。そして桐伯は表に出て、『OPEN』の看板を『CLOSED』にくるりとひっくり返した。これで邪魔者が入ることはない。
「何かカクテルを作りましょうか」
 カウンターへと戻りながら、桐伯が深雪に尋ねた。だが深雪は黙って首を横に振った。
「……フレッシュなオレンジジュースでも、作りましょうか」
 くすっと笑い、再度尋ねる桐伯。しかし、またしても深雪は首を横に振った。少しして、深雪が口を開いた。
「あの」
「何でしょう」
 沈黙がこの場を支配する――しばし見つめ合う2人。
「あの。夕べは……何だかご迷惑をかけたみたいで……」
 電話で昨夜のことを教えてもらった深雪は、まずそのことを桐伯に謝った。
「いいんですよ。夕べは珍しく暇で、早く閉めようと思っていたんです」
 もちろん嘘である。有線放送が奏でるラストバラードを、2時間も早く流したのだから。
 でも桐伯にとってはそうすべきだと思ったから、そうしたまでのこと。言う必要もないし、言うべきでもない。言ってしまえば、目の前の愛しい人はきっと気にして、自らを恥じてしまうだろうから。
「それで……これ」
 深雪がカウンターの上に、ラッピングされリボンまでつけられた2つの品を並べた。
 1つは深雪お手製の、甘さ控えめチョコフィナンシェ。もう1つはフランスワイン、デュペレ・バレッラ『マイ・ラヴ』。ラッピングで分からないが、ラベルの空白部分にはきちんと深雪のキスマークがつけられている。
「いや、これは嬉しいですね。来月は期待していてください」
 桐伯が嬉しそうに深雪に言った。けれども、贈った方の深雪はずっと唇をぎゅっと結んだまま。
「……どうかしましたか?」
 深雪の様子が妙なことに気付いた桐伯が、心配そうに尋ねる。そこでようやく、深雪が口を開く。
「桐伯さん」
「はい」
 しばし見つめ合う2人――また、沈黙がこの空間を支配する。
(……本当に言ってしまっていいの……?)
 今なお深雪は迷っていた。自らの口から言うのだと、心に決めて出てきたはず。だが、実際はなかなか店に行くことが出来なかった。行ったり来たり、何度繰り返したことか。
 だけど、やっぱり言わなければならないのだ。深雪に『自由』と『孤独』を教えてくれた桐伯へ……全てを。
「私と、別れていただけませんか――」

●愛をそのままに
「…………」
 桐伯は何も言わなかった。いいや、この瞬間は言えなかったのだ。聞き間違えたのかと思い。しかし深雪の固い表情を見て、聞き間違いではないことを理解した。
「それは……あれですか……?」
 じっと、じっと深雪の瞳を見つめる桐伯。ややあって、深雪がこくんと頷いた。それ以上、言葉は必要なかった。深雪の瞳が、全てを語っていたのだから。
「ごめんなさい……桐伯さん」
 深々と頭を下げ、立ち上がる深雪。そしてゆっくりと扉へ向かい、くるっと桐伯の方を振り向いた。
「桐伯さん……貴方は私の夢ですから」
 にこりと笑顔を見せる深雪。
(例え……叶わぬ夢であっても)
 それはとてもとても哀しい笑顔。無理をしていることが、桐伯にはひしひしと伝わっていた。
 けれどもその笑顔も、徐々に、徐々に泣き顔へと変わっていってしまう。やがて――涙が深雪の右頬を伝った。
「み……」
「さようなら! ごめんなさい!! 桐伯さんごめんなさい!!!」
 桐伯が話しかけようとした時、深雪は泣きながら叫んで店を飛び出していった。外から雪が舞い込んでくる。
「深雪さん!」
 カウンターを飛び越え、扉へ向かう桐伯。だがもう深雪の姿は、見えはしない。
 店を飛び出した深雪は、雪の舞う夜の街を涙がこぼれるのも構わず歩いていた。何組も、何組もの幸せそうなカップルと途中擦れ違ってゆく。そのいずれもが、驚いたように深雪のことを見ていた。
 舞う雪は地上に落ちるとすぐに融けてしまう淡い物。しかし、深雪の心の中にある桐伯への想いは淡くはない。
 それでもこの想いは、無理にでも融かして流し去るしかなかった。そうしなければ、心がガラス細工のように壊れてしまいそうな気がしたから。
(夢が……夢が無理であるならば……こうするしか……こうするしかないんだもの……)
 如月に降る淡い雪に包まれ、深雪の姿は夜の街へ消えていった――。

【了】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年03月08日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.