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『love and duty 』
天樹・燐1957)&龍澤・直生(0722)

 春を直前に花に乏しい季節、というのは素人の浅はかさか。
 冬の花々は色濃く、早春のそれは香り高いものが多い。
 例えて挙げれば、どんな花よりも早く春の萌しを感じ取り花開く福寿草、雪に耐えて稟と張る椿の真紅、ほんのりとした梅は温もりを宿して、水仙は清しく空気を改める。
 絢爛たる温室の花々、それに負けない個性を持つ季節の花々、季節感のない都会でも花の軒先でそれを感じ取る事は出来る。
 天樹燐は赤からピンク、そして白へとグラデーションを意識して陳列されたシクラメンの鉢花に迎えられ、フラワーショップ神坐生の軒を潜った。
「いらっしゃいま……なんだ、燐か」
営業用のトーンとテンションが、平常のそれへのシフトする落差も明確な瀧澤直生の対応に、燐はつんと顎を上げた。
「失礼ね、それはお客様に対する態度ですか?」
「客じゃねーだろ」
内容を別にすれば、打って響くような会話のテンポに息が合っている。
「それはそうですけれど……」
確かに燐は、花を求める客として訪れたのではなかった。
 胸に大切そうに抱いた、赤い袋が何を意味しているか、今日という日のイベントを考えれば想像する必要すらない。
 2月14日、セントバレンタインデー。
 聖教で言う所の、聖ヴァレンティノの祝日は、恋人を取り決めるくじ引きから始り、想い人にその胸の内を告げる手紙へ変化して、贈り物を贈り合う日、と国や時代に変遷し、ここ、東の端っこの島国では女性から男性へ想いを込めたチョコレートを贈る…本命、義理と微妙な人間関係も関連してか今や国民的な大イベントだ。
 因みに、そのお返しと翌月同日のホワイトデーはこじつけで、聖マチルダの祝日とされるその日と何ら関係はない。
「仕事の邪魔すんなら帰れよ」
ぶっきらぼうに言い放つ、直生。
 普通なら其処で引いてしまう所だが、燐はその台詞の意味…仕事の邪魔をしないのなら帰らなくてもいい、の実に解りにくい真意を判じて、作業台の横に畳んで立てかけられていたパイプ椅子を拡げて、店の片隅に置く。
「そっちに行け」
片手に纏めた花束の根本を細いビニール紐で器用に止めながら、直生は燐に移動を促して顎をしゃくる。
 その先には、小さな灯油ストーブが赤い炎を点してささやかな熱を発していた。
 店内は少し寒いが、気温の変化に敏感な生花の為に、人間が快い室温まで気温を高くするわけに行かない。
 一日を凌ぐ為の小さな火の傍で、暖を取れという直生の好意に甘えて、燐は場所を移動した。
 観葉植物の影で視界を遮られる先の場と違い、其処は直生の手元がよく見えた…作業台の脇に無造作に押しやられた、華やかなラッピングの施されたチョコの山も。
「……沢山あるんですね」
義理・本命…売り場を巡ればその価格帯及び包装から気持ちの深度が量れるというものだが、特に、手作りと思しき代物ならポイントが高い。
「あぁ、稼ぎ時だからな」
複雑そうな燐の感想の意味を別に取って、直生は出来上がった花束を丁寧に水入れに入れた。
 存在感のあるガーベラの一輪を真ん中に、小さな花を彩りに纏め、可愛らしい、春めいて淡い色彩のリボンやセロファンで、くるくるとブーケの如く小さくまとめてある。
 色彩や花の組み合わせを変えて、同じ品が既に十ほどもあろうか。
「チョコに添えて贈るのに手頃だろう」
「男の方に花を贈っても、喜んで下さいますか?」
「さぁ、俺が貰うワケじゃねーからな……ま、売れてるから贈る方は嬉しいんじゃねーの」
なんともぞんざいな物言いである。
 燐はひとつ溜息をつくと、膝に置いたバッグから、小さな包みを取り出した。
「私からも、これをお渡ししておきますね」
ふんわりと布めいたラッピングペーパーに包んで、口をリボンで結んで指の間で摘める大きさの、どう見てもチョコ獲得数カウント用に、小さなチョコをひとつだけ包んでみました!という意欲も顕わな義理チョコ、である。
「いらない」
だが、直生はそれを見もせずに却下した。
「人の厚意に対してなんて無礼な! それともそれだけチョコを頂いているのに、私のだけは受け取れないとそういう意味ですか!?」
「ンな事言ってねーだろうが俺は甘いモンが嫌いなんだよ! コレは全部店長にってのを預かっただけで、俺は一つも受け取ってねー!」
立ち上がって詰め寄る燐に、応戦する直生…チョコの受け取りを拒否する様を目撃されていないのが目下の幸いか。
 女性に見られていればなんてデリカシーのない、と詰られるだろう。
「全部断ってんだ、お前のだけ受け取る方が義理が立たねーだろうが」
金髪に軟派な外見の直生だが、芯は硬派な正論…ではあるが艶やかな黒髪の美女のそれを断ったと世の男性が知れば、夜道に背中から刺されるのは必至か。
 だが、燐も負けてはいない
「何を言ってるんですか、これはただの差し入れですよ? バレンタインデーになんて、な・ん・の! 関係もありませんからどうぞ憂いなく召し上がって下さいな!」
人より身体能力が格段に上な精霊…戦乙女とも言える彼女に力業と速さで敵う筈がない。
 直生はチョコの包装を解く燐の行動に用心する間もなく、それを口に押し込まれた。
 そのまま掌で口を押さえられ、止めに鼻を摘まれて、嫌がる子供に無理矢理薬を飲ませる、そんな風景を彷彿とさせる。
 直生はもがもがとくぐもって形にならない反論をしきりにするが、全く手を緩められる事はなく、その内に酸素が足りなくなったのか、喉が大きく動いて口中のそれを嚥下するのに、漸く燐は手を放した。
「甘さを控えめに作ったです。美味しかったでしょう?」
にっこりと、同意を求める燐に、ぜーはーと肩で息を整えながら、直生は涙目に…口元を押さえてぐぅ、と唸る。
「………不味い」
「え?」
信じたくない感想に理解を拒否し、燐は笑顔を凍り付かせて問いを返した。
「不味いってんだよ、信じられねぇ! 買ってきた板チョコ溶かして型に流し込んだだけを手作りだと称するのも業腹だと常々思っちゃいるが、それを極めて不味い! それともアレか! 口の中で溶けずにゴムみてーな弾力で歯も立たない謎の物体を最近ではチョコだってのか!」
丸飲みか。
 小さなアルミホイルに、余ったチョコを流し込んで固めただけのそれだが、一応アーモンドなんかも添えて気を使ってあった品を貶されて、燐もいきり立つ。
「信じられません! 私はちゃんとアマゾンのとある筋からカカオポッドを入手して、カカオ豆の採取から始めたんですよ! 紛う方なき手作りです!」
そこからか。というか、とある筋とはどの筋だ。
「稀少なクリオロ種をローストしてプレスして! カカオ・マスを作り上げるのにどれだけ苦労したとお思いですか!? それをスペイン王国で秘中の秘とされた飲み物としての製法をアレンジして作り上げたんです! 甘い物が苦手な方にも大丈夫なように、フランス産の砂糖を使って……」
「……味見はしたのか?」
燐が切々と調理の苦労を主張しようとする、それを封じて淡々と直生は問う。
 詰まってしまった燐に、直生は問いを重ねる。
「味見はしたのか?」
視線を彷徨わせる燐…だが、中空にその答えがあろう筈ない。
「そ、そうです! 直生さんのは残り物だったから美味しくないんです! 店長に差し上げるのはちゃんと気持ちを込めて作りましたから、美味しいですわ、絶対に!」
力強い断言に、燐は鞄から平たい箱を取り出すと、その丁寧な包装を破って蓋を除いてずいと直生に差し出した。
「……人体実験かよ」
喩え本気だとしても絶対に冗談としかとって貰えない、それは巨大なハート型のチョコ塊である。
 表面に『愛』とか記されていないのがせめてもの救いか。
 それでも等閑な直生に向けてのそれと違い、気持ちは確かなようだ…自分宛の品は全てお引き取り願ったが、店長へと託された品は預かってしまっている。
 自分の裁量だけで、彼への気持ちを拒否するワケに行かない、それを大事に思った直生だからこそ……意を決して、彼はチョコレートを取り上げると、目を閉じてその端を囓った。
 一秒……二秒。一分経っても動きを見せない直生を、燐が胸の前で手を組み、祈るように見守っている。
 その間、直生は葛藤のただ中にあった。
 先ず、歯が立たない。否、先に小さな代物と違って完全に硬化してはいないのか、僅か沈む程度でも歯が入りはする…が、其処から立ち上る香りは独特で、食品とうよりも薬品に近く、苦いような甘いような…濃い何らかの成分に身体が摂取することを拒否して硬直する。
 だが、ここで自分が……不味いと引けば、燐が試食しようとするだろう、そして燐が作った代物だと知れば、店長も口にする、絶対に。
 直生は生唾を呑み込んだ。
 一度、口からその塊を離すと、彼は瞠目するように目を閉じ、勢いをつけてもう一度歯を立てた。
 チョコ塊はその勢いに…けれだ半生なせいか、割れもせず、それどころか生肉の感触で繊維めいて引きちぎれる。
 それでも直生は、想定される諸悪の根元をなき物にしてしまわねばという使命感……そして、本人はそうと思わなくとも崇高な自己犠牲の精神の元、チョコを食いちぎる、飲み下す。
 その餓えきった野生動物のような食いっぷりに、燐はほっと撫で下ろした胸を張った。
「ほら、美味しかったでしょう」
だが勝ち誇って華やかな燐の笑顔を、その場に頽れた直生が見る事はなかった。


『燐さんが店番をしてくれるそうだから、心配せずゆっくり養生するといいよ』
電話口で穏やかな雇用主の声を、直生は絶えず鈍痛を訴え、鉛の塊と化したような胃を押さえながら聞く。
 チョコを完食して倒れた直生に罪悪感が芽生えたか、休日、常より多い配達に店長不在の店を燐が見てくれるのは正直有り難い…喩え、事態の元凶だとしても。
「すいません、日曜なのに……」
吐き出す声は、平気を装おう事すら許さずに弱々しい…意識がある時は痛みに、眠ればバッド・トリップをしたような悪夢に苛まれて心身ともに弱り切っていた。
 チョコレート文化発祥の地とされた古代アステカに於いて、それは神々の飲み物として王と、祭祀の生け贄となる者だけに許されたという事から、古代のそれは麻薬の成分を有していたのではないかという説がある。
『配達ついでにお昼を届けに行くよ。胃が痛いのか……うどんだったら入るかな』
「ありがとうございます……」
心からの気遣いが沁み入るようで、直生は携帯電話を支えるも億劫な手で目尻を拭った。

 聖ヴァレンティノ…恋人達の守護聖人。
 想いを伝える者にだけでなく、人の思いやりを知り知られた彼等にも是非、祝福を与えてやって欲しいものである。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月20日

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