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『『Sleeping Beauty ― いばらの見た夢 ― 』 』
九重・蒼2479)&九重・結珠(2480)
 声を聞かせてください。
 愛しい愛しい貴女の。

 貴女のお話なら何でもいいのです。
 だから貴女の口から紡がれるお話に私は瞼を閉じてそっと耳を傾けていたい。

 貴女の声や、貴女の何気ない言葉を聞いているだけで、私の心はとても優しい気持ちに潤う事ができるのです。

 貴女の話してくれる何気ない言葉を聞きながら私は自分の体をぎゅっと己が両手で抱きしめて、幸せで満ち足りた気分に包まれるのです。

 だから貴女の声を聞かせてください。
 貴女のお話を聞かせてください。

 望みません。
 何も私は望みません。
 貴女の体にも、心にも触れません。
 それを欲しいとも思いません。
 だからどうか、私の瞳に貴女を映す事だけは、
 だからどうか、私の耳で貴女の声を聞く事だけは、
 許してください。
 私はただ貴女を純粋に愛しているだけですから、
 だからどうか、私が貴女を愛するこの気持ちだけは許してください。
 私は何も望みませんから。
 愛させてください、貴女を。

 彼はずっとずっと彼女を愛していた。
 彼女にとっては自分は大勢の中のひとつだということなんて意地悪な他の奴らに言われるまでもなくわかっていた。
 そう、大勢の中のひとつ。それでもいい。だって確かに彼女はそれでも自分の声に耳を傾けてくれていて、自分の声はたとえ一方的でも彼女には届いていて、そして彼女の言葉を聞かせてくれていたから。そう、たとえその言葉が自分に向けたものではなく自分を含めて、大勢に語りかける言葉でも彼女の言葉が聞けて、彼女に自分の言葉を贈る(送る)事ができていればそれで充分に幸せだったんだ。
 ………無論、自分たちの気持ちがわかるらしい彼女が自分の言葉を聞いて、それに答えてくれたら、反応してくれたら舞い上がるほどにもっと嬉しくって、幸せだけど……。

 伝えられない言葉。
 伝えてはいけない言葉。
 望んではいけない想い。
 それを口にしてしまったら、自分は彼女に嫌われてしまうかもしれないし、困らせて…この一方的でもそれは自分にとっては充分に嬉しく幸せな関係が壊れてしまうのがものすごく怖いから…。
 そうでなくとも彼女と自分は決定的に違っていて、住む場所も遠く違うというのに…。
 結ばれるはずがないのだ。自分と彼女とが…。
 それでも己にそう言い聞かせながらも願わずにはいられないのは…自分と彼女が結ばれる事…彼女を愛しているから。

 ******
 目標はいくつかあった。
 なりたい自分…。
 だけどそうなりたい自分になるにはまだまだ道のりはものすごく遠くって…。
「はぁ〜〜」
 結珠は夕暮れ時の道をひとり歩きながら大きくため息を零してしまった。きっと、もしもここに兄の蒼がいたのなら、優しく頭を撫でてくれながら「ため息を吐くと、吐いた分だけの幸せが逃げていってしまうよ」と、優しく言ってくれたのだろうが、生憎ここに大好きなお兄ちゃんはいない。
 それでも今日、学校でしてしまった失敗に落ち込んだひどく憂鬱な思いと言う奴は、兄、九重蒼の顔を思い出し、脳内でその声をリプレイしただけでだいぶ軽くなっている。
 そしてそう感じる度に結珠は想うのだ。
「お兄ちゃんって、本当に私の心のパレットだな」
 くすりと微笑む。
 そしてまたちょっと、憂鬱そうな顔。軽く握った拳を唇にあててしばし、沈む夕日を見つめる。
 思い出されるお手伝いさんの声。『本当にお嬢様は蒼さんと仲が良いんですね。でも、いくら仲がよろしいご兄妹さまでもいずれそれぞれに誰か大切な人ができるのだから、もうそろそろ兄離れしてもいいかもしれませんね』
 彼女にそう言われた日の夜は、まったく寝付けなかった。

 兄離れ?
 私はただお兄ちゃんの側にいて、お兄ちゃんを支えていてあげたいだけ…そう、お兄ちゃんが私を支えてくれて元気付けてくれるみたいに、私もお兄ちゃんにそうしてあげたいだけなのに…それって、そんなに変な事なの?

 違う方向でまた袋小路に入ってしまう思考。
 憂鬱な想いは、結珠の胸の痛めさせた。なんだかよくわからない感覚が胸に宙ぶらりんになっているようなこの感覚はなんだろう?
 立ち止まった結珠は冬ももう終わろうという頃の夕方の空を眺めた。
 とても不思議な感じだ。
 冬の夕方はよく意味も無く寂しくなるという台詞を前にドラマで聞いたけど、今胸にあるこの感覚もやはりそうなのだろうか?
 幼い頃によく見ていた空は四角い空。窓の形の空。体の弱かった結珠は窓から見える世界しか知らない時期があった。
 それでも今はこうして、外にいられるし、高校にだって通えている。それはとても幸せな事なのに、どうして誰にも文句を言われずに、体の病弱な自分の部屋に毎日花を摘んで蒼がお見舞いに来てくれていた頃をあんなにも懐かしく…戻りたいとさえ…想ってしまうのだろう?
 つぅーっと頬を伝った温かい温もりに結珠は驚く。
 そして、
「大丈夫?」
 気づくと前に誰かが立っていた。蒼と同じ歳ぐらいの女性だ。茶髪で今風の格好をした。
 彼女は優しく微笑みながらハンカチを差し出してくれた。
「どうぞ、これを使って」
「え、あ、でも…」
「いいのよ」
 彼女はにこりと微笑む。
 結珠は内向的な性格のせいで、こうした事にもひどく戸惑ってしまい、少しぎくしゃくとした感じで、彼女から差し出されたハンカチを受け取った。
「すみません」
「いいえ」
 そして彼女はおもむろに、結珠の顔を覗き込んできた。結珠は驚いてしまう。そんな結珠のかわいらしい反応を見て、彼女の方はというとけらけらと笑った。
「あ、ううん、ごめんね。ただ綺麗な顔をしてるなって想って。モテルでしょう、貴女?」
 こういう場合はどんな態度を取ればいいのだろうか?
 怒ってもいいだろうし、また冗談で返してもいいのだろう。だけど結珠は箱入り娘で、世間に疎くって、色んな要因が重なって、馬鹿正直に答えてしまう。
「あ、いえ、うちの高校は女子高ですから」
 彼女はくすっと笑って、そして不思議そうに小首を傾げた結珠ににこりと笑って訊く。
「でも街を歩けばナンパなんてされるんじゃない?」
 結珠は顎に右手の人差し指をあてて、しばし考え込んで、
「あ、いえ、そういうのは無いと思います。街に行く時はお兄ちゃんと一緒ですから。休みの日はだいたい一緒に過ごすんです」
 お兄ちゃんと一緒、と、花が咲いたような満面の笑みで言った結珠に彼女は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「休みの日は一緒、か。でもさ、今度の休みの日は蒼さん、貴女とは一緒に過ごせないでしょう?」
「え、あ、はい」
 確か今度の休みはゼミの校外実習とかで法律学者の講演会を聞きに行くとか言っていた。いや、それよりもなぜ、この人は蒼の名前や自分が彼の妹である事を知っているのであろうか? 100メートル走を全速疾走した後のように心臓が脈打っている。
 そんな疑問符の海に溺れていた結珠は……
「その日ね、蒼はあたしと一緒にいるのよ」
 その言葉に一瞬固まってしまった。

 どういう事、それは?

 真っ白になる思考。
 そして結珠は気づいたら走り出してしまっていた。

 ******
「あーーぁ、泣かせちゃった。あんた、サイテぇーー」
 二人より少し離れた場所にいたショートボブの女がけたけたと笑いながら言った。
 先ほどまで結珠と一緒にいた茶髪の彼女は、そんなショートボブを振り返って鼻を鳴らす。
「嘘は言ってないわ」
 ショートボブは肩をすくめる。
「まあね。確かに今度の日曜日はあんたは九重君と一緒にいるわよね。あたしもさ。だってあたしらは彼と同じゼミなんだから」
「でしょう。だからあたしは嘘は言ってないじゃない。何か問題があるとしたら、それは彼女の方でしょう。あの娘が勝手に勘違いして、勝手に最後まで話を聞かずに走ってちゃったんだから」
「はぁー」
 ショートボブの彼女は心の中で呟く。だからあんたは九重君にふられたのよ。妹に嫉妬してどうすんのよ。ったく。それにしても……
「まあ、でもさすがに九重君の妹さん。レベル高いねー。あんな綺麗な妹がいたらそりゃあ彼女に求める美レベルも高くなるってもんよ。だからもう、あんたは諦めなさい」

 ******
 どうやってここまで帰ってきたのだろう?
 記憶が無い。
 気づいたら、自分の部屋にいた。
 明かりも点けずに、部屋の三面鏡の前に座っている。
 結珠は無意識に手を髪に持っていきながらため息を吐いた。
 そして夜の闇に包まれた部屋に視線を向ける。部屋を満たす夜の闇。それと同じぐらいにこの部屋に満ちた思い出。
 今では随分と狭くなったベッド。だけどそのベッドにも結珠には広すぎる頃があった。そんな広いベッドに寝ていた頃の自分はとても病弱で、そしてそんな自分の下に同じく幼かった頃の蒼は毎日学校が終わると真っ直ぐに帰ってきてくれた。
「帰りたい…ただお兄ちゃんに何の気兼ねもなく甘えていられた頃に……」
 溢れ出る涙を結珠は握り締めた拳でぬぐった。どれぐらい泣いていたのだろう?
 ……わからない。
 そうしてもうひとつ、わからない事が……。
「誰の声?」
 泣いていた結珠を慰めてくれる誰かの言葉が心に流れ込んできていたのだった。

 ******
 好きな人が泣いていたら、貴女はどうしたい?
 私はこう伝えます。
『泣かないでください。貴女の泣き声を聞いていると、私も泣きたくなるから』
 好きな人が泣いていたらこう望みます。
『笑ってください。私が代わりに泣きますから。だから貴女は笑っていてください。私がなりたかった桜のように』
 私の想い人は泣いています。
 ただそれだけで私の心も悲しくなるのです。
 どうして貴女はそんなにも哀しそうに泣いているのですか?
 私は伝えます。笑って、って。
 心の奥底から何度も何度も何度も伝えるのです。だって好きな人には笑っていてもらいたいから。
「ありがとう。あなたが私を慰めてくれていたのね」
 そっと私に触れる彼女の温もり。

 どくん。心が脈打つ。押さえていなければならない想い。
 ………だけど

「ありがとう。茨さん」
 ずっと想っていた。誰かに私の名前を呼んでもらいたいって。
 そして私が想っていた貴女がこうして私の名を呼んでくれた。

 ああ、だから私はもう溢れ出るこの願いを止められない…

 だけど私の言葉は【良心の呵責】。そう、【良心の呵責】。だから私はその想いを必死に押さえ込もうとしたのだけど・・・
『あらあら。何をそんなに我慢しているの? だって、貴方は彼女が好きなのでしょう。なら、それで良いのじゃない? 貴方は彼女を…結珠を泣かせない。そう、それでよいのよ、すべて。さあ、だからすべては貴方のままに』
 それは誰かの甘い誘惑。
 どろりとした心に絡みつく想い。
 蜜のように甘い…誘惑の声。
 そして私は……

「痛ぃ」
 私はそっと私の体に触れる彼女の指に棘を刺した。茨の棘を。
 そうして彼女は私だけの物になる。
 だけど私は貴女を決して泣かせませんから。貴女が望む夢を見せるから、それで許してください。
『ええ、そうよ。すべては貴方の想いのままに。あたしは、蒼を…【鞘】をこの世から滅ぼせたらそれでいいだけなのだから』
 私は私の物となった彼女を抱きしめる。その声の主である女性のくすくすと笑う声を聞きながら。

 ******
 奏でられた携帯電話の着信音に俺は上着の内ポケットに突っ込んでいた携帯電話をどうでも良さそうに取り出した。俺の態度がそうなってしまったのはゼミの教授のアシスタントのバイトで疲れてしまっていたせいと、登録されたグループによって着信音を変えているからだ。この着信音は無理やり携帯電話の番号を交換させられたグループのもの。無論、待ち受け画面に表示された人物の名前は見覚えなど無い。
「誰だっけ、これ?」
 などと呟きながらその電話に出たのは、後から考えてみればその時にもう既に妹の結珠のピンチを感じていたからかもしれない。
「もしもし?」
『ああ、もしもし、九重君』
 携帯電話の向こうの人物の声を聞いても名前と顔が思い浮かばない。だが話は舌打ちしたくなるような内容であったのは理解できた。
 つい先日ヴァレンタインに告白してきた同じセミの女子が、何やら俺にふられた腹いせになぜか結珠をからかい、そのせいで結珠が随分と傷ついたらしいのだ。俺はわざわざ電話をかけて結珠の身を案じてくれた彼女への礼もそこそこに携帯を切ると、家に向かって走った。
「くそ。なんだって結珠の方に行くんだよ。結珠は妹だろう」
 まったく結珠以外の女の考える事はわからない。
 おそらくは今までの人生で一番のスピードで走り帰った俺が見たのは、なんと茨の前で倒れている結珠だった!!!
「結珠ぅ」
 俺は走り寄って彼女を抱き起こした。しかしどれだけ揺さぶっても彼女が意識を取り戻す様子は見られない。いや、もしも倒れた時に頭をぶつけていたとしたらそしたらあまり揺さぶるのはまずいか・・・。
 俺はざっと結珠の体をチェックする。外傷は右手の人差し指の先が何やらどす黒く変色してるだけで、後は何も異常は無い。だが、一体この人差し指は何なのだろう?
「心配なのはわかるけど、そう意識の無い女の子の体をまじまじと見るものじゃないわよ。たとえ自分の妹でもね」
 振り返ると、そこには前のミッションで一緒に戦った少女がいた。ひょっとしたらリュートという楽器を使って、人の状態異常を癒す事の出来る彼女ならば結珠を治療できるかもしれない。
「妹を、結珠を治せないか? 俺の大事な妹なんだァ」
 叫ぶ俺を彼女は、細めた瞳でクールに見据えて、
「落ち着きなさい。心配なのはわかるけど、ここで叫んでいても何も始まらないでしょう。とにかく彼女を部屋に運んで」
「ああ」
 俺は結珠を抱き上げた。俺の腕の中の結珠はぞっとするほどに軽く、そして冷たかった。

 ******
「まずは彼女に何が起こっているのかを説明するわね」
「ああ」
 一体、結珠に何が起こっているんだろうか?
 緊張しながら身を構えた俺に彼女は言った。
「結珠さんは眠っているわ。夢を見ている、彼女」
「・・・」
 俺は唖然としてしまう。そして次に猛烈に怒れてきた。今は冗談を言ってる場合ではない。俺は感情のままに…
 叫ぼうとして、頬を彼女に平手打ちされた。
「・・・」
 叩かれた頬を押さえて、俺は下唇を噛み締める。
「だから落ち着きなさい、と言っているでしょう」
 ………。
 頭ではわかっている。だけど結珠は俺の妹なんだ。大切な妹で、そして守らなくっちゃいけない大事な存在なんだ。たった独りぼっちだと想っていた俺に優しく手を差し出してくれた結珠……

『お兄ちゃん』

「くそぉ。くそぉ。くそぉ。くそぉ」
 俺は握り締めた拳を壁にぶつける。振動ですっかりと古くなった鬼の人形が落ちた。俺はそれを瞳に映して、ぽつりと呟く。
「まだ、これ、持っていたのか?」
 彼女は鬼のぬいぐるみを取り上げた。
「誕生日プレゼント?」
「ああ」
 結珠と兄妹となって初めて迎えた誕生日に贈ったプレゼント。
「とても仲の良い兄妹なのね。本当に。そう、だからこそこうなった」
 俺は彼女の言ってる意味がわからない。
 彼女は肩をすくめて、そして真面目な顔をした。
「結珠さんは夢を見ている。おそらくは幼かった頃の夢を。そしてその夢を見せているのが、あそこの茨」
「嘘だろう?」
「嘘を言ってもしょうがないでしょう。それにね、これらはすべてちゃんとした根拠があって言ってるのよ」
「根拠?」
「そう。あたしは音を聴く事ができる。結珠さんの心から流れてくる音楽は幼い頃の思い出に想いをはせる音楽。そして茨から聴こえてくる音楽は、結珠さんへの恋心を感じさせる音楽。はっ。茨の花言葉は恋の矢と言うけど、あの茨は矢ならぬ棘を彼女に刺したのね。魔の眠りに誘う魔法の棘を」
 俺は眠っている結珠の額を覆う前髪をそっと梳いてやりながら、訊く。
「どうすればいい?」

 ******
「それではいい? 奏でるわよ?」
「ああ、構わない。やってくれ」
 彼女の奏でるリュートの音で俺の意識を結珠の夢の中に飛ばす。しかしこれは危険な賭けだ。もしも俺が結珠を目覚めさせる事が出来なければ、永遠に俺は結珠の夢の中。最悪、俺の心は異物として、壊される可能性もあるらしい。
 だが、それでも俺はやらねばならない。ああ、やってやるさ。
 そして俺は結珠の夢の中に。

 ******
 俺の精神は茨に向かう。
 不思議な事に茨は、俺が向かうと共に横に広がって、俺の道を開けてくれた。無論、結珠の心を囚えている茨が、自分からどいたわけではない。彼女のリュートの音色の力だ。だが、なんとなくその光景は俺に眠り姫を連想させた。
「ちぃ」
 そして俺は結珠の夢の中に舞い降りた。
 そこは桜の前。
 一本の老齢なしだれ桜の前。
 そこで幼い頃の俺は結珠と一緒に母が作ったいなり寿司を食べている。
「美味しいね、お兄ちゃん」
「うん。でも、なんでいなり寿司の形、三角なの?」
「だって、お兄ちゃん、キツネさんのお耳は三角だもん」
「あ、そうかー」
 結珠はにこにこと笑っている。屈託ない純粋な笑み。

 光景が変わる。
「お兄ちゃん、いくら、春だからって、ベランダで寝ていると風邪を引くわよ。ほら、これを体にかけて」
「あ、うん。ありがとう、結珠」
「いいのよ。でも、お兄ちゃん、昼間から寝てぇー」
「だって昼間に寝るから昼寝、って言うんだろう。それに寝る子は育つって言うし」
「んもぅー、お兄ちゃんはすぐにそうやって茶化すんだから。でも、昼間に寝るから昼寝って、なんかあらためて言われると面白いね」
 くすくすと笑っている結珠。
 ベランダで笑う俺たちを、近所にある公園に植えられた数百本もの桜の樹から飛ばされてきた花びらが包み込む。
「桜の花びら・・・」
 
 そして光景がまた変わり・・・
「見て、お兄ちゃん。これ、私が来週から通う高校の制服なの。似合う?」
「ああ、似合う。似合う。かわいいよ」
「やだ、お兄ちゃん。ちゃんと見て言ってよ。ひどい」
 ああ、そうだった。この時はなんか結珠ももう女子高生なんだって想ったら、なんか急に少し気恥ずかしく思えて、真っ直ぐに見れなくって、それで怒らせてしまったんだっけ。
「お兄ちゃんなんか知らない」
 庭までひらひらと舞ってきた桜の花びらと同じように桃色に染めた頬を膨らませた結珠。

 光景が・・・
「お兄ちゃん、私、不安なの。今まで、その、ずっと、病弱で満足に学校に通えなかったから・・・だから・・・・・学校でちゃんとやっていけるかって・・・」
 舞い狂う桜の花びらの中で、顔を俯かせてしまった結珠。

 そしてまた光景が変わる。
 桜の花びら舞う空間で・・・
「桜、さくら、サクラ・・・か」
 彼女は言っていた。茨は結珠の指を棘で刺し、その棘についた血を繋ぎにして、結珠の心の中に入り込んでいる、と。茨はこの夢の世界では、ここを維持するための核となり、必ずそこにいる、と。
「桜なんだな」
 俺がそう呟いた瞬間、誰かの悲鳴が聞こえた。
「ビンゴ、か。実にわかりやすい」
 そして俺は腰のベルトに帯びた鞘から刀を抜いた。
 どくん、と心臓が脈打つ。
 桜の前に立ち、刀を上段に構えて・・・
 ・・・・だけど
「「「「「「いやぁ。やめて・・・」」」」」」
「結珠ぅ・・・」
 俺と桜の間に割って入ったたくさんの結珠。
「お兄ちゃん、やめて」
「ここにいれば私はお兄ちゃんと一緒にいられるの」
「ここにいれば誰に気兼ねをする必要も無い」
「私はいつまでもお兄ちゃんと一緒にいたいだけ」
「変よね。私たちはただ仲がいい兄妹なだけなのに・・・皆が、私たちが一緒にいたらダメみたいな言い方をして・・・」
「お兄ちゃん。お兄ちゃんもここにいて」
「「「「「「お兄ちゃん」」」」」」
 これが結珠の本心?
 こんなにも結珠は苦しんでいた?
 知らなかった。
 気づいてあげられなかった。
 ああ、俺は何をしていたのだろう?
 俺は刀を地面に突き刺した。
 そしてそこにいる結珠に言う。
「結珠、ごめん。結珠は俺の前ではいつも笑っていたから、だから気づいてあげられなかった。忙しさにかまけてちゃんと見てあげられてなかった。ごめん。ごめんな。だけどさ、結珠。結珠はいいのか? ずっと、こんな所で・・・想い出に埋もれているだけで。思い出はさ、確かに大切だ。俺の中にもある。たくさんの大切な想い出が。九重という家族ができた思い出。結珠が俺を『お兄ちゃん』と呼んでくれた思い出。そう、皆大切な思い出だ。だけどね、結珠。思い出は逃げ込むための物じゃない。未来を生きるための力にはなっても、逃げ込むための物ではないんだ。なあ、結珠。思い出せ。結珠は言ったじゃないか。俺に。高校に行くのは怖いけど、だけど今まで病弱だった分、たくさんの大切な想い出をいっぱい作りたいって、友達と」
 桜の花びらは激しく舞い狂う。
 その花霞みの中に逃げ込んでいく結珠たち。
 だけどその中のひとり・・・俺に高校でたくさんの思い出を作りたいと言った結珠がそこにいる。
「結珠」
 俺は手を差し出した。
 彼女はその手から逃げるように後ずさる。その彼女を守るように…逃がさんとするように激しく舞う桜の花びら。
「お兄ちゃん。ごめんなさい・・・」
 俺はその彼女の言葉に頭を横にふる。
「謝らなくってもいいよ。その代わりに俺もここにいる」
 そう言った瞬間に桜の花びらが俺を襲ってきた。激しく舞い鋭い刃となった花びらが俺の体を切り刻む。
 世界に悲鳴があがった・・・結珠の悲鳴。
「逃げて、お兄ちゃん。お兄ちゃん、この世界から逃げて」
 泣き叫ぶ彼女に俺はふっと笑う。
「嫌だ。俺はあの時・・・結珠が俺の手を握って、お兄ちゃんと呼んでくれた時に決めたんだ。兄として、結珠を守るって。あの高校の入学式の日の朝に俺は言っただろう。俯く結珠に。お兄ちゃんはいつもおまえの側にいて、おまえの一番の味方となってやるって。おまえは俺の大切な妹。誰が何を言おうが、俺たちは仲のいい兄妹。それ以上でもそれ以下でもない。それでいいじゃないか。俺たちは別に何も悪い事をしてるわけじゃないんだから」

 お兄ちゃん・・・

 そして世界が悲鳴をあげた。
 先ほどとは違う声で悲鳴を。
 全身の切り刻まれた傷から血を流し片膝をつく俺の前に結珠たちが両手を広げて守るように立ってくれる。
『どうして? どうして、そちら側に立つんですか? 貴女はずっと夢を見ていたいのでしょう。私は貴女に貴女が見たい夢をずっとずっとずっと見せてあげます。だから・・・』
 切々と訴える桜。だけど結珠は顔を横に振る。
「ごめんなさい。私は逃げていた。私は弱かった。だけどもう私は逃げない。強くなる。だって私を支えてくれるお兄ちゃんとの想い出があるし、お兄ちゃんが私を支えてくれる。だから私は前に歩いていけるの」
 凛とした声。
 迷いも哀しみも無い・・・ただ前だけを見据えた。
 そして桜は・・・
『いやだぁぁぁぁぁぁーーーーー』
 悲鳴をあげた。
 嫉妬と怒り、憎悪に歪んだ。
 俺はなんとか桜を打ち滅ぼさんとするが、しかし血を流しすぎて動けない。
 だけどその時、結珠が・・・

「桜。
 サクラ。
 さくら。
 咲く花。
 その薄紅は誰がために・・・
 ただただ恋焦がれる貴方を想い・・・」

 結珠は歌を謳う。空虚な世界の約束に打たれても、それでもしなやかに軽やかに誰か好きな人を想い、世界を生きていく綺麗な花の想いを。
 桜の語源は咲く、花。
 その花言葉は永遠の愛。
 それを連想させる結珠の歌に俺はいつの間にか涙を流していて、
 そしていつの間にか世界は真っ白な空間になっていて、
 その空間の中心にはただ静かに咲く桜・・・いや、茨があった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許してください。私を。私を許してください」
 茨があげる声は悲しみと自己嫌悪に塗れていた。
 そして結珠は、自分の肌が傷つくのも構わずに、茨を抱きしめて、言った。
「いいの。もういいのよ。ありがとう。茨さん。私を好きになってくれて」

 ******
「大丈夫? ご苦労さま。もうすべてはOKよ」
 瞼をあけると、俺は結珠の部屋の床で寝ていた。声の方に視線を向けると、彼女が結珠の椅子に足を組んで座っていた。
 そして彼女はおもむろに、
「エッチ」
「・・・?」
 なんの繋がりがある?
 訝しむように眉根を寄せる俺に彼女はため息を吐いて、
「その角度から椅子に座る女の子の足を見てる事が」
 そう言われて俺は、初めて気がついて、顔を真っ赤にして、ばっと跳ね上がった。そんな俺に彼女は意地の悪い声で言う。
「結珠さんもお兄ちゃんのエッチ、って、泣いてるぞ」
 どきんと心臓が跳ね上がって、俺は結珠の方を向いて、手を合わせて謝る。
「違うんだ、結珠。俺は断じて彼女の足・・・なんて・・・・って、寝てるじゃないか」
 俺が彼女を恨めしそうに睨むと、彼女はけたけたと笑って、椅子から立ち上がり、部屋のドアノブに手を触れる。
「玄関まで送るよ」
「いいわよ。もう少し、側にいてあげなさいな」
 そして彼女はそこで、おどけたような表情を真面目な物にさせた。
「ねえ、蒼さん」
「ん?」
「これはあたしからの忠告。あなたはあなたが想っている以上に血に縛られている。血とは幻想ではない。確固たる因縁を持っている。そう、その因縁という奴はあなたの想いなど無視して、どうしようもなくあなたを苦しめるでしょうね。でも、あなたには幸運な事に結珠さんがいる。彼女の存在は本当に貴重よ。あなたの血の因縁にとって、ね」
 俺は何を言っていいのか、わからない。だけどそんな俺の心のうちなど無視して、彼女は、もう既にその顔に浮かべる表情をおどけた物に変えていて・・・。
「まあ、今度、もしも前みたいに結珠さんに花束をプレゼントするなら桃色のチューリップになさいな」
「どうして?」
 と、訊いても、悪戯っ子の表情で笑う彼女が答えてくれるとは思えない。そして事実、
「教えない。自分で花言葉を調べなさい。ほんと傍から見ていてじっれたいったらありゃしない」
 そして彼女は帰っていった。
 俺はため息を吐いて、気持ち良さそうに眠っている結珠の額を覆う前髪を梳いてやる。と、
「お兄ちゃん・・・」
「うわぁ、ごめん。起こしちゃったな」
「それじゃあ、キツネの耳じゃなくって、タヌキの耳だよ。そんなおいなりさん・・・食べるぅーー」
 しばし、俺はそんな寝言を言った結珠をじっと見つめて、そして噴出した後に口を片手で覆ってくすくすと笑ってしまった。
 そして彼女がすやすやと眠るベッドの横に座って、彼女の顔にかかる髪を払ってやりながら囁く。
「そうだな。だったら今度は一緒に桜を見に行こうか、結珠」
「ううん。だからたぬきの耳・・・」
 俺はくすくすと笑い続けた。


 **ライターより**
 こんばんは、九重蒼さま。
 こんばんは、九重結珠さま。
 今回担当させていただいたライターの草摩一護です。

 今回も本当にありがとうございました。
 ちなみに桃色のチューリップの花言葉は恋の告白・真面目な愛、です。
 最初から最後まで、フルアクセルでストーリーを進めさせていただきました。
 今回もお気に召していただけてましたら幸いでございます。

 今回は二つのテーマを込めさせていただきました。
 一つはやはり【兄妹】という二人の絆。今回のお話の後に以前書かせていただいた【薄紅の嵐の中で】に続きます。^^
 もう一つは【蒼に流れる血の因縁】の序章とも言うべき感じですね。
 今回出てきた【女】と【鞘】という言葉はこれからの蒼さんの運命において重要な役割を成してきます。期待していてくださいね。

 この花の精が恋をした女性を夢の世界に連れて行ってしまうというストーリーはずっと僕の中にあって、いつかやれたら! とずっと野望を持っていましたので、こんなにもストーリとぴったりとくる結珠さんで、やらせていただけて嬉しい限りでございます。そしてヒロインが素敵なら、やはりそのヒロインのピンチを救う王子様にもがんばってもらわねばならないわけで、やはり蒼さんもこんなにもぴったりなお方はいないわけで。本当にありがとうございます。
 本当にずっと温めていたストーリーを使えただけでなく、こんなにもストーリーにぴったりなPCさまで書かせていただけて嬉しかったです。

 それではこれで失礼させてもらいますね。
 本当にありがとうございました。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月20日

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