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『一番強い人 』
影崎・雅0843

「なるほどねぇ。あの時のあのおっさんは、ここの人間だったのか」
 影崎・雅(かげさき みやび)は、そう言って微笑んだ。
『知り合い』に向ける笑顔では、恐らく最高のものだ。だが、向けられた相手は、飛び上がったあと目を逸らし、そそくさと黒い人垣きの中に身を隠した。
「へぇ、向こうも覚えてたか。残念、仲直りの握手でもしようと思ったんだけどな」
 人の悪い笑顔で笑う雅の脇を、また一人こそこそと過ぎて行く。喪服に身を包んだ若い男だ。細身のオールバックには、見覚えがあった。うずうずと湧き上がる悪戯心を抑えきれず、雅はその背中に声をかけた。
「本日は穏やかな良い天気で」
 ドドキーッ! ビクビクオドオド、助けてー!
 と、言った男の顔が振り返る。何故か、泣きそうであった。
「は、はぁ。へぇ、ヘヘ。ど、どうも……」
「亡くなられた組長さんも、さぞかし皆さんの集まりを喜ばれている事でしょう」
 雅は、ここぞとばかりに満面の笑みで男に笑いかけた。この手の丁寧が、時に人を威圧し困惑させると言う事を知っていての言動である。それはもう、人が悪い。
 そして、その効果は面白いほど現れた。
「あ、あぁ、えへ。えへへっ。そう言うあなた様は、おおお坊さんじゃったんたんでしゅね」
 青ざめた唇が吐き出した『じゃったんたん』と『でしゅね』。それは一体何処語で、男の齢はいくつなのか。極めて異邦人化した呂律は、日本風の異国語であった。謎の『たんたん星』から来た、宇宙人かもしれない。
 雅はちょっと悩ましいふりをした。
「悪霊が憑いてるなら払ってやろうか?」
 男はブンブンと首を振り、泣きながらおでこを地面にこすりつけた。
「かっ、かんべ勘弁勘弁してくださくださいよ!」
 謎の悪霊憑き宇宙人から、今度はラッパーになった。
 怖いのだ。怖くて妙なバイリンガルになっている。男を支配しているのは恐怖であった。たんたん星から来たわけでもなければ、謎の宇宙人でも、悪霊が憑いているわけでもない。
 男は雅にのされた過去があった。駅の裏手で酔っぱらい相手に、悪質な強請たかりをしていた所、雅にお灸を据えられたのだ。
 雅にとっては、適度なつもりだった。だが、男には全くもって適度ではなかった。流れる川の向こうに、安らぎの花畑を見た。雅が笑えば笑うほど、男は花畑が素敵だった事を思い出した。
「嫌だ、嫌だぁ! 助けてー!」
 ガバと立ち上がり、男は走り出した。いっそ無邪気とも言える、見事な走りっぷりである。驚いた周囲の者が止めるのも聞かず、人並みを掻き分けて逃げて行った。
 雅はそれを見送って頭を掻いた。
「親切で言ってやったんだけどなぁ」
 本日、安楽寺で予定されているのは、いつもより少し大きな年忌委法要である。たくさんの人が詰めかけ、一見、おごそかなようにも見えるが、なかなかに黒い気配が渦巻いていた。それもそのはず、偲ぶべき故人はこの界隈を牛耳るナナメ家業のトップ。雅の前を通り過ぎて行くのは、特徴のある者が多かった。
 肩で風を切る人、足を投げ出して歩く人、目つきの優れない人、ガラの良くない人、言葉使いの綺麗じゃない人、声に『ドス』と呼ばれるものが混じる人など、様々に黒い。そして、雅を見るなり逃げ腰になる面々も多数いた。
「久しぶりのお家仕事も、なかなか楽しくなりそうじゃないの」
 本日の進行役を任されている雅は、内心の笑みを押し殺した。
 歩く度に集まる視線も、また面白い。その原因は、雅の黒銀髪にあった。剃髪がトレードマークである職業だと言うのに、腰にまで届くのである。ただ歩くだけで脚光を浴びるのだ。それを、雅は楽しんでいた。
「お寺様」
 低い声に呼び止められ、雅は振り返った。そこにいたのは、スラリとした長身の男である。若頭と呼ばれる存在である事を、雅は知っていた。傍らに連れ添っているのは、喪主である中年の女性──亡き組頭の妻だ。こちらもキリッとした貫禄と、華のある女であった。
「そろそろ集まりましたんで」 
 と、男は言った。少し離れて数人の男達がいるが、いずれも幹部クラスのようだ。通り過ぎる若い顔が、一様に頭を下げて行く。
 それを横目に雅は頷いた。
「流れは弟から聞いてると思うけど」
「読経と焼香が済んだら、お参りへ向かってください。お話は結構です。気の短い者が多いので」
 喪主は凛とした顔を雅に向けた。笑みは無い。有無をも言わぬ気迫がある。しかし、雅はそれを、ニッコリ笑って受け流した。
「話は抜きと。それじゃ、どうぞ。本堂へ」
 雅に促されて、ドヤドヤと移動する一行。コソコソと移動する数十人。ササッ、サササッ、サササササッと、物陰伝いのゴキブリウォークが二、三人。
 それが、雅の後にズラリと腰を据えた。
 法事は静かに進んでいった。雅の読経の声が、本堂に響き渡る。親族や関係者一同が目礼を交わし、一つ二つと焼香が摘まれた。
 だが。
「どけぇ、こるぁ!」
「なんじゃああ、うるぁ!」
 そんな慎ましい時も、荒ぶる怒声によって破られた。門前で何か起こったらしい。
 腰を浮かす、関係者一同。
 雅も木魚を叩く手を止めた。
「何だ?」
『ばち』を手にしたまま振り返る。
「邪魔じゃボケぇ!」
「ボケは貴様じゃボケぇ!」
 騒動はこちらへ向かって移動しているようだ。
「てめぇ、何処のモンだ!」
「命が惜しくねぇのか、えぇ?」
 四、五人の若衆が取り囲んでいるのは、ちんぴら風の男である。それが、ナイフを突きつけ、男達を脅しながらやってくるのだ。
「邪魔じゃっつんじゃ! どけっ!」
「んだと、うるぁ! 通すかアホォ!」
 血気盛んな罵り合いを目にした幹部の一人が、組長の妻に耳打ちする。
「──会? こんな所まで、わざわざご足労痛み入るじゃないか。あの人の客人は、あたしの客人でもあるからねぇ」
「姐さん、騒動は……」
 チラリと位牌に目を走らせ、幹部の一人が言う。
「誰が騒ぐと言ったよ。あんた、『鎮めて』おいで。お寺さんの迷惑にならないように、別の場所でね」
 女から発せられる、沸々とした冷たい怒り。男達が顔を見合わせる中、雅はスッと立ち上がった。
 手には『ばち』。
「揉め事は困るんだよなぁ」
 そう言って笑う雅の手には、やっぱり『ばち』。
 何故か、ばちを離さず雅は本堂を下りた。
 果たして、それをどうするのか。
「坊主は危ないから、すっこんでろ!」
 いきり立つ若い衆の間を抜ける住職。手のばちに目が行ってしまう若衆達。
「何だ、こるぁ! やるってのか!」
 男は目をつり上げ、刃物を構えた。刃渡りは三十センチほどだ。
 よいせ。
 と、雅はばちを担いだ。長い間、木魚を叩いてきた革張りヘッドは、少し光沢を帯びている。
 殺傷能力の優劣を問うまでも無い。明らかに、ナイフの方が上である。なのに。
「悪いんだけど」
 雅の笑顔に、ナイフ男の眉が反応した。
 住職が穏やかに笑いつつ、肩でばちをトントンとやる姿が、路上で討っ手から逃れる為に、今まさに抜刀しようとしている辻斬りの迫力と重なるのは、気のせいだろうか。
 喪服の若い男達の喉も、ゴクリと鳴った。
 袈裟懸けの後ろ姿から発するオーラに、鬼神の凄まじさを感じるのは気のせいだろうか。
「見ての通り、今は年忌法要の真っ最中。それを邪魔しないで欲しいんだよね」
 こんなにも穏やかなのに。
 こんなにも優しい笑顔なのに。
 何故、雅の姿を見る皆の目つきが、蜘蛛の糸が切れる瞬間のカンダダのようになっているのだろう。
 肩のばちが上下するのを、ナイフ男はじっと見つめていた。
「う……」
 だが、次の瞬間、男は動いた。
「ふおおおぉぉ!」
 男はナイフを振り上げ、雅に襲いかかった。
「今のお願いが聞こえなかったのか?」
 体を退く。
 ギラリと光るそれが、雅の鼻っ柱を掠めた。雅は肩に預けてあった白木のばちを振り下ろす。その速さ。残像は白い滝のような閃光となって、男の手首を打ち砕いた。
「ウげッ!」
 苦痛の声と同時に、ナイフが宙に舞う。男が手を押さえて跪いた。落下してきた刃を蹴り上げて、雅は男の前に立ちはだかった。
「帰って貰えるかな?」
 優しい微笑が、灰色に染まった男の顔を見下ろした。
「……はい」
 木魚を叩き、亡き者を弔うはずの『ばち』。ぽくぽくと、少し抜けた音を醸し出す『ばち』。それが、恐ろしい殺人兵器と化す一歩手前であった。予想していた通りの『ばち』裁きに、本堂も静まり返っている。
「で。お兄ちゃん達も、終わるまでは静かにしてて欲しいんだよね。じゃないと、飛ぶからね」
 ばち。
 後ずさる喪服の若衆。
 雅は法衣の裾を翻した。
 
 仕事を無事終えた後と言うものは、誰しも気持ちの良いものである。雅もまた、本堂の廊下にブラリと足を下げて座っていた。
 アァと鳴くカラスが、夕映えを横切って行く。
「それにしても、これがこんなに役に立つとはなぁ」
 本日一番の敢闘賞を受賞した『ばち』を眺めつつ、雅は笑った。
 その姿をそっと見守る影一つ。
 ──雅兄さん。そんな事をして、『ばち』が当たりますよ?
 一振りで、騒動を鎮めた男も、影の住職の一言には勝てなかったようだ。
 バツが悪そうに、ハハハと笑って頭を掻いた。



                 終
PCシチュエーションノベル(シングル) -
紺野ふずき クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月18日

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