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『やがて雨が上がるまで 』
柏木・アトリ2528)&白瀬川・卦見(2519)

 うつろう四季を、古来より間近で見てきた日本人の美に対する感覚は、あらゆる国の人々の中でも、トップクラスとの説がある。
 淡色から濃色へと移り変わる時の、儚くも艶やかな彩。手先の器用さを生かした様々な絵は、精緻でありながら時に大胆で、何時までも手元に置いて慈しんでいたいほどの、静謐な魅惑の世界に、人々を誘ってやまない。
 黒塗りの漆の上に、鮮やかに描かれた、金彩装飾も眩い螺鈿細工。本来は戦装束であるはずの太刀や鎧までも、大和の人々は素晴らしい芸術作品に変えてきた。
 墨書きの掛け軸一つにしても、何故、ここまでの細やかな華を生み出すことが出来るのか。海を、山を、月を、あらゆる自然を手に取って、彼らは、彼らの感性で、伝統を受け継ぎつつも、より高く昇華させてきたのである。

「ああ……すごい。綺麗……」

 巨大な美術館にある、有名な品の数々も、もちろん好きだ。
 だが、人が見向きもしないような無人の店の片隅に、思いも寄らぬ作品を見出したとき、柏木アトリは、いつにも増して嬉しくなる。
 自分だけがこれを目にしたのだという、優越感。かくれんぼの鬼が、逃げ回る子供をやっと見つけた時のような、ある種、不思議な高揚感。
 決して立派でも贅沢でもないアンティークショップの、憂鬱な雨に濡れる窓の向こうに、無造作に置かれた絵は、アトリの心をたちまち魅了した。
 誰が、いつ、描いたのだろう?

 空と、湖と、二つ鏡に浮かぶ、青い月の饗宴。

 惹かれるように、ふらふらと、前に進み出る。扉を開け、中に踏み込んだ。
 鼻孔を擽る、懐かしい木の香り。使い込まれた皮の匂い。奥に座っている店主が、キセルで煙草を吹かしている。
 
 時間が、止まっているみたいだ。
 
 アトリはそう思った。ここだけ、全てが、違う時の流れの中に生きている。
 人形がある。鏡がある。古い家具がある。曰くありげな物たちが、じっとアトリを見つめている。和も、洋も、一様に混在しているのに、何だか、それが、ここでは、当たり前のことのように感じられるから、不思議だった。

「あ……」

 隅の方に、等身大の人形がある。椅子に座り、テーブルの上に頬杖を付き、そして、ガラス越しに、じっと行き交う人々を眺めやっている。
 髪も、瞳も、銀色だった。それに、日に当たったこともないような、白い肌。
「いらっしゃいませ」
 人形が、ゆったりと、微笑んだ。
 アトリは目を丸くする。人形ではない。人間だ。あまりにも周囲の空気に違和感なく溶け込んで、馴染みの景色の一部と化していた。
「ええと……お店の方……ですか?」
「いいえ」
 白い占師が、テーブルの上に、筮竹を置いた。
「占い師さん?」
「はい」
 人形のように見えた占い師は、間近で見ると、意外に人懐っこい表情をしていた。どことなく浮世離れした雰囲気はあるが、それは占い師という職業を考えると、あるいは当然のことなのかも知れない。
「初めまして。占い師さん。えっと……何か、占ってもらえますか?」
 どうぞ、と椅子を勧める風もなく、占師は、じっとアトリを見つめる。筮竹を仕舞った。
「この店は、お好きですか?」
 質問の意味を図りかねて、アトリが首をかしげる。何となく、辺りを見回した。接客をする雰囲気もない店主が、のんびりと大欠伸をしているのが見えた。
 古い置き時計が、ゆっくり、ゆっくりと、音を立てて、時を刻む。
「好きです。ここの、ちょっと不思議な、この雰囲気」
「そう思いました。あなたは、ここの空気に、とても綺麗に馴染んでいますから」
「綺麗に……ですか?」
「はい。あなたが店に入っていても、空気が、少しも、乱れませんでした」
 何度でもここに来たいのなら、止めておきましょう。
 占い師は言った。
「わたくしが占った客は、なぜか、一度足を運んだきり、二度とここには来なくなってしまうのです」
 それは、少し、寂しいことなので。
「じゃあ、占うんじゃなくて……。何か、お話、聞かせて下さい」
 今度こそ、占い師は、アトリに席を勧めた。

「わたくしは、白瀬川卦見、と申します」



 人と語らう時間は、好きだ。
 長い悠久の時を生きるからこそ、温かな触れ合いが、退屈を埋める糧となる。
 柏木アトリと名乗った女性の、この気配は、卦見にとっては好ましかった。涼やかで、優しい。緩く風が流れるような。澱んでいたものを、取り払ってくれるような。
「のんびりしすぎて、逆に、イライラさせてしまうこと、あるみたいなんです」
 そう言って、朗らかに笑う彼女に、卦見がいらいらさせられるはずがない。
「ここのお店、本当に、不思議な場所ですね。洋風だと思ったら、和風が似合っていたり。ゆったりしているかと思ったら、急にせかせかして来たり」
 店主の蓮が、どういう風の吹き回しか、珍しい外国のお菓子を持ってきた。お茶が欲しいと思ったが、そこまでのサービス精神はないらしく、またキセルを吹かしにカウンターの奥へと引っ込んでしまう。
 開けっ放しの扉の奥に、小さな台所が見える。好きに使っていいよ、と、店主が、卦見に顎をしゃくった。それから、くっと、少しばかり意地の悪い笑い方をした。
「忘れてた。卦見。あんたはお茶を煎れるのが下手だったねぇ……」
 痛いところを突かれ、卦見としても苦笑するしかない。卦見はお茶は好きだが、煎れるのが恐ろしく下手だった。玉露の味と風味を殺すことでは、天才的な手腕を誇る。
「白瀬川さん。お茶の煎れ方、私がお教えしますよ」
 アトリの丁寧な説明に従うと、卦見の拙い技術が、少々改善された。卦見が、お礼ですからと、アトリに和紙の小さな包みを差し出した。
「以前、占ったお客様から、頂いたお茶の葉です。温度によって、色が変わるそうですよ」
「もしかして……見料の代わりに、頂いた、とか?」
「はい。お茶屋のご主人でした。わたくしがお茶好きだと言うと、これは珍しい品だから、是非に、と」
 あの時の占いは、さほど良い結果は出なかった。だが、お茶屋の主人は、悪い見立てはありがたい警告だからと、ごく素直に受け入れた。警告に従って、慎重に行動した彼は、無理なく難を逃れたと聞いている。
 占いがあっても無くても、彼ならば身の破滅を呼ぶことはないのだろうと、卦見は、ふと、考える。受け入れる器の大きさを持っている人間は、多少の災いなどに、振り回されない。結局は、自分の力で全てを乗り越えてしまうのだ。
 それが、強さの証でもある。

「そうそう。アトリさんが、この店に入るきっかけを作った、あの絵についてですが」
 青い二つ月の、絵画。
 無名の画家の手によるものだが、美しいと思った。
「どなたが描いたか、知っているのですか?」
「わたくしの、古い友人が、描きました。手描き友禅の絵師です。今は……筆を置きましたが」
「手描き友禅……!」
「そういうものが、お好きなのでしょう? 毎年、決まった日に、彼は、このアンティークショップに顔を出します。また、おいで下さい。この店に。次は、きっと、彼にも会えるでしょう」
「また……」

 ああ、そうか。
 アトリは唐突に理解する。
 だから、卦見は、占わない、と、言ったのだ。アトリが、また、ここに来ることになるのを、知っていたから。
 
「ありがとう。白瀬川さん」
「美味しいお茶の煎れ方の、お礼ですよ」
「何だか、私の方が、たくさんもらってしまったような気がします」
「そんなことはありませんよ。わたくしも、あなたから、色々なものを頂きました」
「私が……ですか?」

 アトリが小首をかしげる。卦見は笑った。
「生きていくために必要な糧を、です。それは、必ずしも、目に見えるものではありませんが」
 不意に、カラン、とドアに吊した鐘の音がして、アンティークショップに、人が入って来た。
「お客さんですね」
 その客は、古道具ではなく、卦見の占いの方が目当てだったらしい。躊躇う様子もなく、占い師に近づいた。
「白瀬川さん。私、そろそろお暇します。今日はありがとうございました」
 アトリが去り、入れ替わりに、客が立つ。二度、この店に来る必要の無さそうな人物だ。卦見が、筮竹を指先で弄ぶ。愛想良く、彼は尋ねた。



「占いを、ご所望ですか?」



 アトリが外に出ると、陰気な雨は止んでいた。
 見上げた空の、雲の合間から、二月にしては眩しい太陽が、誇らしげに地上を見下ろしていた。





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東京怪談
2004年02月16日

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