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『三人とチョコレートと、その真意と 』
伍宮・春華1892

 崩れ落ちてきた山が散らばるのを目の前に、
「……お前……ッ!」
 一人の青年は愕然と、友人でもある少年のことを見下ろしていた。
 少年は、反射的に頭を被った両の手をそのままに、半ば泣き出しそうになりながら、青年の事をじ――と見上げ、
「なにこれ……」
 静かに静かに、周囲に散らばる??それ?≠ノ視線を巡らせていた――。


「よおおおおう春華(はるか)っ! 朝から日直ご・く・ろ・う・さんっ!」
 おーはーよー! 諸君っ! と勢い良く教室のドアを開け来たその姿に、
「……お前、なんか上機嫌そうだなぁ……?」
 本日の時間割を日直日誌に書き写すという、何とも暇で暇で仕方のない作業と睨めっこを繰り広げていた小柄な少年は――伍宮(いつみや) 春華は、顔を顰めて言葉を返していた。
 日直の仕事の為に、面倒ではあったが強制的に朝早く登校させられていた春華の名前を呼んだのは、いつもなればこの時間帯に一緒に通学して来ているであろう、春華とも仲の良い学友の内の一人――街に行けば必ずホストクラブに勧誘されるという、大人びた容姿の青年であった。
 そうしてその隣には、
「って、お前も。何だ、その大量の箱は?」
 大量の箱や袋を抱えた、将来の夢は旧教の修道士にして現代では珍しいキリスト教の熱心な信者、何ともある意味懐古趣味な少年が立ってた。
 ――二月も、十四日であるというのにも関わらず。
 相変わらずの春華の世間知らずな発言に、春華の傍までやって来ていた青年は、背負っていた鞄を机の上にどかりと下ろすと、
「ちちちっ、春華ちゃん。アイツの袋とか箱とかは、ヴァレンタインだからだろ? ば・れ・ん・た・い・ん!」
「……ばぁれんたいん? 何か発音し難いな? で、何でヴァレンタインだったら箱とか袋とかを持ってるんだ?」
 赤い瞳に真面目に問いかけられ、しかし二人はさほど驚きもせずに答えを返す。
 春華の世間知らずは、何も今に始まった事ではないのだから。
「ヴァレンタインって言うのは、恋人達の日だよ。日本では女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日ではあるんだけど、本来は神聖な日で――」
「ヴァレンタインだから、コイツもチョコをいっぱい貰ってきやがったんだよ。ヴァレンタインってーのは、女が男にチョコを配って歩く日でなぁ。で、ちなみにコイツな、朝下駄箱を開けたらチョコレートのアラレに降られてさ。可愛い顔して、女の子を口説いて歩いてるんじゃないのか? ん?」
「違うよ! 僕はそんなコトしてないって!」
「……えーっと……」
 今一見えない話の筋に、春華がぱたむ、と日誌を閉ざし、顔を上げる。
 その先には、チョコレートの数を妬まれているのか、青年によって首を絞められている少年の姿があった。
「痛いっ! 痛いってっ! いや春華、とにかくねっ、ヴァレンタインってゆーのは、聖ヴァレンティーノ司教の殉教日なんだよっ?! 痛いってっ! 司教はローマ帝国に隠れてこっそりと愛の誓いをたて――、ああっ!」
「煩い。今時そんな説教染みた事を聞きたがるヤツなんていねーよ」
 意地悪く笑い、青年が少年を突き放す。
 実際青年にとって大切なのは、ヴァレンタインの由来云々などではなく、
 ――例えそれが、お菓子会社の戦略だとか策略だとか謀略だとか何だとかしても、だッ!
「大事なのは、チョコレートがもらえるって言うその事実だ!!」
「断言しないでよ! そんな、司教に失礼だよっ!」
「俺は死んだ人間のことなんか知らんっ! 第一! そのなんとかしきょーだかこんとかしきょーだかしらねーが、俺はクリスチャンじゃねーから関係ないんだっ!」
「だけどっ!」
「……要するに、」
 はた、と。
 二人の言葉を交互に聞きつつ流しつつ、自分の中で要点を整理していた春華が呟きを洩らした。
 その頷きに、二人は一瞬言葉を飲み込み合い――、
「要するに?」
 だろ? なぁ春華、チョコレートがもらえる日がヴァレンタインだよなぁ?
「……に?」
 春華なら、わかってくれるよね! チョコレート云々よりも、大事なのは今日が神聖な日ってコトだよっ!
 二人同時に、問い返す。
 ――クラスのざわめきが、二人にとってはどこか遠く感じられていた。
 三人を取り巻く空気だけが、ほんのりと沈黙を携え、そうして、やがて。
「つまりは、だな」
 春華が、決断を下すその時が来る。
「今日はなんだか知らんがお得な日だってコトかっ!」
「「春華っ!」」
 その言葉に、二人が同時に名前を呼んだ。
 或いは歓喜を交えた声音で、或いは落胆を交えた声音で。
「そうだぞ春華っ! エライっ! はっ、ついでだから聞いて驚け春華っ! 俺なんてな、もう十日も前からヴァレンタインに手を打ってあるんだっ!」
 落ち込む少年はそのままに、青年は春華の肩をぐっと掴み、
「良いか。俺なんて十日も前から女子に親切しまくりだぜ? 落としたプリントを拾ってあげたり、スカートについてるゴミをほろってあげたりだな、」
「それってただのチカンじゃあ……?」
「事実殴られたけどっ! そんなんで落ち込んでられないしっ!」
「落ち込むとか落ち込まないとかの問題じゃないだろうが……それ、」
「おおおう、春華ちゃんって意外と冷静っ!」
「いや……」
 俺がそうするんだったら、もっと考えてやるし。
 コイツやっぱり馬鹿だよなぁ、とあからさまに溜息を吐きつつ、その先はふと、黙っていようかとも一瞬だけ思ったのだが、
「で、効果はどのくらいあったんだ?」
 ――問うてしまった。
 やっぱ、黙っているだなんて体に悪いし!
 そうして春華の笑顔に。
 問うた当人の予想通り、青年はぐっと重く沈黙し――、
「悪かったな! どーせ俺なんかっ! 俺なんかあああああああああああッ!!」
「くっ、くるしっ! 苦しいってっ! お前このやろっ! ――っ!」
「ね、ねぇっ! 春華死んじゃうよっ! 死んじゃうて! 離してよぉっ!」
「うっさいっ! お前等にはこの気持ち、わかるはずがねーんだよっ! どうせ俺なんか、俺なんかあああああああっ!!」
 春華の首を絞め、一番宥められたくない相手に宥められつつ。
 少年は己の意がままに、教室中に悲痛な叫び声を木霊させていた。

 だがその後、青年の気分は、徐々に徐々に不機嫌なものへとなっていっていた。
「伍宮君、これ、はいっ!」
「あ、あたしも伍宮君にっ!」
「春華君、これ食べて〜」
「伍宮、仕方ないから持ってきてやったわよ」
 ――遠巻きに見つめるその光景に、青年の心になぜかわだかまりが残り始める。
 切欠は、一時間目の授業が終わり、春華が嫌々ながらに黒板を消しに行ったその道中、もの見事に女の子達に囲まれてしまってたその光景。
「おっ、チョコくれんのか?」
「うん、あたしのは手作りだけど、」
「義理よ、あくまでも義理チョコだかんね!」
「その、近くのお店で思わず美味しそうなチョコレートを見かけてしまって……」
 口々にチョコを差し出してくる女子へと、春華はぐるり周囲を見回してにっこりと微笑みかける。
「わぁ、ありがとな」
 義理だ、本命だ。
 そのような事は、春華にとっては全く意識すべきところでもなく、実際のところ、春華自身もその本当の意図を良く知ってもいなかった。
 んー、たしか本命ってーのが告白する時で、義理ってーのは、それこそギリでのチョコレート、だったっけか?
 ぼんやりと思い出しながら、一つ一つお礼と共にチョコレートを受取ってゆく。
 しかし、そうこうしているその内に、春華の頭の中身はこれ一つになっていた。
 即ち、
 お菓子がもらえるだなんて、何て幸せな日なんだろう……!
「……おー、春華。随分と大漁だなぁ」
 それから暫く、ようやく二人の元へと帰って来た春華に向い、青年は机に頬杖をつき、じと……と呟いていた。
 春華は腕一杯の彩り様々な箱や袋達をざっと机の上に、ほっと一つ息を吐くと、
「だなっ♪ これで暫くはチョコレートに困らなさそうだ! おおっ、クッキーまであるしっ!」
「ありがたさの欠片もないでやんの」
「ありがたいに決まってるだろ。こんなにいっぱい、お菓子なんかもらっちゃってさあ……」
 にやけそうになるのを堪えながら、幸せそうにチョコレートを見つめる。
 ――しかし。
 一方で、春華は??それ?≠ノ、全く気がついてはいなかった。
「おーおー、オメデタイですねー、春華ちゃんは」
「何だよ。お前、朝に比べると随分と不機嫌だな?」
 春華の周囲をぐるり取り囲む、女子の視線にも。
 そうして、目の前の青年が、先ほどから随分と不機嫌なその理由にも。
「……悪かったな」
 不貞腐れる青年に、
「どうしたんだ?」
「春華、それ以上刺激しない方が良いよ……」
 隣の机で黙って本を読んでいた少年が、不意にそっと顔を上げ、きょとん、と疑問符を浮かべている春華の制服の袖を引っ張った。
「駄目だよ、あんまりチョコレートの話は……」
「ああ悪かったな! どーせ俺はもらえませんよー! だ!」
 途端、ばんっ! と机を叩き、青年が勢い良く立ち上がる。
 少年も続き、慌てて立ち上がり、
「ね、待ってよ! あんまし気にしなくたって大丈夫だって! ね? ほら、もしかしたら帰りには下駄箱に本命のチョコレートが入ってるかも知れないし!」
「お前は下駄箱を開けるとチョコレートが雪崩れてくるから良いよなぁ、ああ?」
「何、お前もそんなにチョコが食いたいのか? ならわけてやるけど? 俺じゃあこんなに、食べきれないかも知れないし」
「春華っ!」
 何も知らない春華の言葉を、しかし急かされたようにして少年が叱咤する。
 その一方で、必死に青年を宥めながら、
「ね、キミも落ち着いてよっ?! ほら、深呼吸してっ! 春華のコトだから、悪気は無いんだって、キミもわかってるよねっ?!」
 少年の言葉に、青年は一度、はっとしたようにその動きを止めた。
 ――確かに。
 青年は、春華の世間知らずっぷりを良くわかってはいた。それが演じたものではなく、本当の春華の姿である事も良く知っている。なぜ春華がそこまで時代に後れているのか、その理由はわからないにしろ。
 しかし、それでも。
 だからこそ、今回の春華の言動に悪気が無い事も、良くわかってはいた。お菓子をもらえたというその事実に、ただ単純に喜んでいるだけだという事も良く知っている。
 事実女子達の殆どは、そういった春華の、ある意味可愛らしい姿を見たいと考えてチョコを渡しているに違いない。中には本命として春華に渡している女子もいるかも知れないが、そういう女子は、普通は後々春華を呼び出すなり何なりして、もっと正面からチョコレートを渡すのが殆どであろう。
 その全てを、わかってはいたのだが。
 実際、こうして癪に障っているものは、春華や少年に比べて青年のチョコレートの数が少ない事ではない事も、心の片隅で何となくわかってはいたのだが。
 それでもどうしてか、
 あー……むしゃくしゃするっ!
「トイレだっ!」
 少年を振り切り、青年はきっと踵を返す。
 なぜだか、微妙に気に食わない。
「トイレっ? だってお前、さっき行って来たばっかりじゃあ、」
「ほっとけっ!」
 春華の言葉にきっぱりと返し、青年はクラスメートの見守る中、教室のドアへと手をかける。
 そうして遠ざかる、一対の足音。
 ……その、足音を聞きながら。
 クラスメート一同は、事の成り行きを呆然と見守る事しかできずにいた。


 六時間の授業は、長いようで、それとなく短い。
 あれから数時間、終業のチャイムが鳴り響き、帰りのホームルームを終え。
 マフラーを取りに教室の後ろへとやって来ていた春華と少年とは、青年の方を振り返りながら、密やかに言葉を交わしていた。
「は、好きな人?」
「そうなんだよねぇ。絶対、そうだよ。だってあの人は、チョコレートの数を気にして怒るような人じゃないもん。ま、多く欲しいのは事実みたいだけど。――でもそれだけで、あんなに不機嫌になったりしないもの。それは僕が、良く知ってるよ?」
 緑のマフラーを手に、少年はちらりと青年の方へと視線を投げかける。
 その先には、
 トイレから帰って来たあの後は、いつもと同じく振舞っていた、しかしやはりどこか寂しそうな、二人の、友人の後ろ姿があった。
「……へぇ、」
「こんなコト、絶対本人には言わないでね? だからきっと、その子からのチョコがほしかったんじゃないかな、って、僕は……そう思う。あれでいてデリケートだからさ。結構ショック、なんじゃないのかなぁ」
「俺には、春華ちゃんにも春が来たのかぁ――なんて随分と言ってくるくせに? アイツこそ春かよ」
「春華、本当に知らなかったんだね」
「……ん?」
「あ、いや、春華って本当、こういうのに疎いなぁ、って、そう思って……」
 馬鹿にしてるわけじゃないけどねっ、と慌てて弁解を付け加え、少年は両の手を振って見せる。
 ……でも、
 でも春華、
「こういうの――って、ヴァレンタインにか?」
「まさか! 恋愛とか、そういうののコトだよ」
 春華ったら、他の事にはやたらと詳しいのにね。
 僕達のクラスメートに対する感情とか、好きな相手とか嫌いな相手とか、趣味とか。そういうのは良く知ってるくせに、本当に恋愛には疎いんだから。
「ヴァレンタインだって、確かにお菓子をもらえて嬉しい日――でも悪くないんだけど。ああっ、説教するつもりは全くないんだけどねっ! でも事実として、本当に好きな人に、告白したりする日でもあるんだよ? 西洋では本当にそうなんだから」
 ふぅん、と話を聞きながら、春華は手元のマフラーを二、三度ぽむぽむと軽く叩いてやる。
 ……へぇ、
 そういう事も、あったのか――なるほど。
「……俺、悪い事してた、って事か?」
「いや、そんな事はないと思うけど……春華は何も、悪くないよ」
 小さく微笑みかけられ、しかし春華はうーんと軽く唸り声をあげてしまう。
 そりゃあ確かに、俺は悪くないかも知れないけど。
 でも、
「――傷に、触ってたのかな」
 その青年の後姿に、不意にそんな事を考えてしまう。
 しかし、
「……だ、なーんて、俺が思ってるはずもないだろ?」
 己の呟きに、ふと少年が傍にいた事を思い返し、春華は慌てて弁解の言葉を元気良く付け加えていた。

 そうして、春華が日誌を職員室へと届け終えたその後。
 他愛の無い話を繰り広げながら、三人はいつものように笑い合い、階段を下り。
 ――今度は三人揃って、各々の下駄箱の蓋に手をかけていた。
「……んで? つぶれるんだろ? その店。不便になるよなぁ。帰りに餡蜜とか、美味しかったのに」
 春華は何も意識せず、いつもと同じように蓋を開ける。
「春華、学校にお財布なんて持ってきちゃあ駄目だって……」
 少年も春華と同じく、不注意に蓋を開ける。
「んなコト言って、この前お前だって一緒に餡蜜食べに行ったじゃないか。その時お前だって、財布、持ってきてただろ?」
 青年は、極力意識しないようにと勤めながら、その蓋を開いていた。
 会話で何とか気を紛らわせながら、
「だって、あの時は二人して持って来ないと怒るって言うから……!」
「ほおおおおう。正しい修道士は、きっとそうやって人に罪を被せたりしないと思うけどなぁ?」
「うっ、煩いよ! いっつもそうやって、僕のこと……あたっ!」
「煩いって、本当の事だしなぁ、春華……ん?」
「――どうしたんだ? 二人して」
 下駄箱から靴を取り出し、上靴を脱ぎながら、春華はふ、と、二人の様子に視線をめぐらせた。
 ――そこには。
「……いったぁあ……」
 朝と同じく、再びチョコレート――ちなみに殆どが、少年の普段の親切に感謝する女子の義理チョコらしいのだが――の洗礼を受ける少年の姿と、
 そうして、
「……おい?」
「どうしたの?」
 思わず二人が声をかけてしまうほど、かちんこちんに固まってしまった青年の姿が。
 青年は。
 二人に声をかけられるなり、慌てて下駄箱に恐る恐る入れていたその手を、ポケットの中へと突っ込んでいた。
「――何でも、ないっ!」
 しかし言葉とは裏腹に、ほんのりと赤く染まった顔が全てを物語っているかのようで。
「……もしかして、チョコでもあったのか?」
「だ、ね。しかも多分、好きな人から、しかも手紙つきだよ……あの様子だと」
 半ばどこかに行きかけているその青年を後目に、春華と少年とは密やかに言葉を交わす。
 ――恋愛だ、何だ、と。
 そういうものは、春華にとっては良くわからないものでもあるのだが。
 しかし、
「良かった、んじゃないのか?」
 そうとだけは、素直に感じる事ができているような――そんな気がして、ならなかった。
 それほどまでに。
 青年の表情が、どこか幸せそうだったのだ。


 その後勿論、春華はそれを種にして青年をからかう事となるのだが。
 ――しかし、だからこそ。
 青年をからかうのに夢中で、春華の気がついていない事が一つあった。
 即ち、
 伍宮さん……と。
 影ながら春華達の様子を見守っていた、チョコレートの箱を抱えた内気なクラスメートの姿があった事、なのであるが――。


Finis


13 febbraio 2004
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月13日

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