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『セピア色の風景 』
月見里・豪1552)&弓槻・蒲公英(1992)

 二月九日。
 柔らかな綿のシーツの上で、弓槻・蒲公英(ゆづき・たんぽぽ)は目覚めた。
 目覚めて5秒の間に、夢を見てた記憶というものは消えてしまうという。
 とても温かないい夢を見ていたような気分だけ、蒲公英の幼い体に余韻は残っていて、少し名残惜しいような目覚めだった。
「……」
 声にならないような、むにゃ語を呟き、蒲公英は意を決して身を起こす。
 小さな体の背丈ほどある長い黒髪は寝乱れて、ちょっとひどい状態。ベッドの脇にあるドレッサーにある櫛を取ろうと蒲公英はうんと手を伸ばした。
 その時、部屋の扉が突然開き、香水の微かな匂いが部屋に広がる。
「起きたな」
「……とーさま」
「寝る時には縛れって言ったやろ」
 寝起きの蒲公英の乱れ髪を見て、月見里・豪(やまなし・ごう)は苦笑する。
 艶やかな黒髪に漆黒の瞳が印象的な、一言で言って「いい男」である。六本木のナイトクラブ「侍国」のナンバー1ホストなのだから、それも当然というもの。
 仕事着にしては少し地味なグレーのスーツを着て、ワインレッドのネクタイを結びながら、彼はベッドサイドのドレッサーを覗き込んだ。
「出かけるで? 早く着替えや」
「……おで、かけ……?」
 蒲公英は髪を梳きながら、豪を見上げた。
 大きなルビーみたいな赤い瞳で。
「言ったやろ? ……いや、言ってなかったか? ……まあいい、もう朝食の準備できてるからな」
「……はい」
 ごしごしと蒲公英は目をこすり、ベッドから飛び降りる。
 白いネグリジェのまま、顔を洗いに部屋を抜けていくその姿を見送って、豪は再びドレッサーの中の自分に見入る。
 そして微かに微笑むのだった。



 その小さな少女が、気ままで華やかな生活を楽しむ青年の前に現れたのは、そう昔のことではない。
 おとなしく透き通る程白い肌をして、長い黒髪と、その下に赤い瞳を持つ少女。
 恋人を作ることすらタブーに近い、ホストの身の上の青年としては、「自分を父」と呼ぶ少女の存在がありがたいはずもなく。
 それでも少しずつ、親子の関係を築き始められた……そんな気がしていた。



「……とーさま、できました」
 朝食を終えた蒲公英が、小学校の制服を着て、居間で新聞を読んでいた豪に駆け寄ってきた。
「うん、よろしい」
 豪は新聞をたたんで立ち上がると、蒲公英の頭にぽん、と手を置いて、歩き出す。
「とーさま? ……どこに行くのですか?」
「ええから、来い」
「はい……」
 学校はお休みするからな、とさっき豪が電話を小学校にかけていたのをしっている。
(ほんとうに……どこにゆくのでしょう?)
 小さな不安を胸に蒲公英は豪と手を繋ぎ、マンションを出たのだった。

 マンションを出るとまず豪はタクシーを呼びとめた。
 タクシーで駅に向かうと、豪は切符を2枚買って、一枚を蒲公英に渡した。
「失くすんやないで?」
「……でんしゃに……のるのですか?」
 切符を受け取り、蒲公英が尋ねると、豪は軽く頷いた。
「黙ってついてくればいいんや」
「……はい」
 ちょっと不安そうに、蒲公英は豪を見つめ、頷いた。
 (もしかして……)
 背伸びして自動改札に切符を入れ、早歩きで急ぎ、背伸びして受け取る。その合間に少しずつ先に行ってしまう背中に追いつきながら。
 蒲公英は浮かんだ空想にちょっと泣きそうになった。
 (わたし……すてられちゃうんじゃ……ないでしょうか)

● 

 それは絵本で読んだ話。
 おとーさんとおかーさんが、こどもがいらなくなって山にすてにゆくの。
 さいしょは、光る石をおにいさんがぽけっとにかくしていて、おにーさんといもうとはおうちにもどってくるの。
 でも、2どめにすてられたときは、石がなくって、パンのくずをおとしながら歩いていったら、パンはことりさんにたべられてなくなってしまって、ふたりはみちにまよったの。
「………………」
「お。あっちらしい。ほな、いくで? 蒲公英」
 天井近くの看板の字を読んでいた豪が、何かを見つけたみたいに嬉しそうな声を出し、蒲公英の腕を引いて歩き出した。
(……どーしよう……、いしもパンもない……)
 蒲公英はポケットをさぐりながら、泣きそうな顔でそれについてゆくしかなかった。



 カタンコトンと電車は行く。
 都会の町並みを過ぎ、港町を過ぎ、山を越えて。
 向かい合わせの電車の席なんて、久しぶりに乗った気がする。
 隣ですやすや寝ている豪を少し振り返り、蒲公英はまた窓の方に視線を戻した。
(こんなにとおいとこだと……きっと光る石ころもたりなかったです……)
 ますます不安は高まって。
 もう一度、泣きそうな顔で蒲公英が豪の寝顔を見つめた時。その形よい瞼がぱちりと目覚めた。 
「蒲公英、腹減らないか?」
「……だいじょうぶ……です」
「遠慮なんかいらへんで?……俺は減ったから買ってくるわ」
「あ……とーさま」
 豪は立ち上がると、とっととどこかへ行ってしまった。
「……」
 しかもその帰りが遅かったりすると、蒲公英は電車に捨てられてしまったのではないかと思ってしまう。
 すっかり憔悴してうなだれていたところに、豪はサンドイッチとスパゲティを抱えて戻ってきた。
「食堂車のテイクアウトって遅いんやな……あれは絶対、俺の注文忘れてたで。待たせたなぁ」
「……とーさまぁ……」
「な、なんで泣くんやっ!?」
 抱きついてきた蒲公英に目を丸くする豪である。



 昼過ぎに辿りついたのは静かな山村の町だった。
 何度も乗り継ぎした電車を降りて、最後にはバスに乗った。
「……こっちや」
 竹林に囲まれた細い道を豪は蒲公英の手を引き歩く。
 一体何があるんだろう。
 蒲公英は不安そうに何度も瞬きをしながらその後をついていく。
 道は次第に山の中になり、一件の古い建物の前に彼はようやく足を止めた。
【白樺療養所】
 その看板の文字を読み、豪はどこか寂しそうな、ほっとしたような視線を見せる。蒲公英にはその難しい漢字は読めなかったので、その豪の横顔を不思議そうに見つめただけだった。
 扉を開け、豪はその中に声をかけた。
「ごめんくださーーい」
「はーい」
 中老の白衣のおばさんが出てきた。
「すんまへん、先日連絡した弓槻の身内ですけどもー」
「……あー、貴方ね。……まー、東京の方はいいにおいがすること。……さー、こちらですよ。案内しましょう」
「……一応おとしたつもりやけど、匂いますか?」
「そういうのには敏感でね。……そちらのお子さんがそうなのね」
「ええ、そうですわー」
 弓槻の身内って、豪が言った。
 蒲公英はますます不安になり、目を見開いていた。
 ここは、孤児院かもしれない。育てられなくなった子供が入るとかいう……。
 豪は蒲公英をここに預けにきたのだろうか。
「さあ、ゆくで?」
 豪は笑って蒲公英の腕を引っ張った。
「……!」
 蒲公英は思わず足を踏ん張る。
「? 何やってんの?」
 豪はこくびをかしげ、さらに引っ張った。顔を赤くして足をさらに踏ん張る蒲公英。
「もー、手間かけさせんといてや」
 豪はため息をつき、その蒲公英の脇の下に両腕を入れると、軽々と抱えて歩き出した。
「〜〜〜!!!!」


 
「はい、ここや」
 蒲公英の体を床に下ろし、豪は一つのドアの前で立ち止る。
 ぷん、と鼻につく消毒薬のにおいがした。
「? とーさま?」
「入ってごらん?」
「…………?」
 蒲公英はあけてもらった扉の中にそっと入る。
 そこは薄暗い小さな部屋だった。部屋の半分を占めるのは、白い寝台。その上に寝ている人は。
「……!!」



「……貴方はお会いにならないのですか?」
 お茶を入れながら、豪に、職員の女性が笑いかけた。
 あの部屋にいるのは、……蒲公英の母親なのである。そして……豪にとっても思い出の人。
「後で少しは会わへんと……な」
 お茶を受け取り、豪はそれをすすった。
 2月9日の誕生日に蒲公英を連れて行くという約束をしたのは、豪の方からだった。
 けれど、病気でやつれてしまっているだろう彼女を見るのに、抵抗を感じてしまう自分はひどく滑稽に思えてしまう。
「まあ親子水入らずを邪魔すんのもな!」
 明るく笑って、それから「……パパは俺やんか……」とため息をついてみたり。
 昔、知っていたあの人はとても綺麗で優しくて。
 彼女と結婚していたら、きっとこんな商売はしていなかっただろう。 
 そしてもしかしたら彼女も……病気にもなってなかったかもしれない。
「では、ごゆっくりしていらしてね」
 職員の女性は微笑んで、部屋から出て行った。
「はい、ありがとうございます」
 豪は見送り、それから肩を落とし、深い深い息を吐いた。



 思い出はいつもセピア色で美しく。
 どんなに憎んだり、恨んだり、悲しかったことでさえも、時が経てば、また恋しいと思ったりするもの……。

 部屋から出て廊下の窓にもたれ、そこから煙草をくゆらす豪の視線の先にある部屋。その揺れるレースカーテンの向こう側で、蒲公英は今どんな表情をしているのだろう。
 久しぶりに会えた母の胸で、泣いているだろうか、微笑んでいるだろうか……。それとも。
 豪は小さく微笑みながら、想像するのだった。

 ++fin++
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
鈴 隼人 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月12日

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