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『キミとボクと、夢現 』
ロルベニア・アイオス1351

 膝を抱えて、闇の中に伏していた。
 両性具有、魔女裁判、悪魔の子……悪魔の子?
 扉の向こうから漏れてくる声音を恐れるかのように、少女はさらに、さらに深く己の膝を震え抱く。
 わかりきっていた、事ではあった。
 自分は普通とは違う――普通と同じ生活を、望む事は叶わない。望んだところで、どうにもならない。
 少女には、普通というものがどのようなものであるかは、良くはわからない。
 わからないが、知ってはいた。
 生まれつきの強い力は、人の心をも悟る事ができるもの。流れ込んでくる他人の感情に、少しずつ少しずつ、それが当たり前でない事を、いつの間にか悟らされてしまっていた。
 外に出て、友達と遊ぶ。夕暮れの中、母親と手を繋ぐ。父親にお帰りと抱きしめてもらう。
 そのどれもが、少女にとっては経験した事のない、しかし普通の、日常の風景であるという事を。
 外に出る事も許されず、友達を作る事も許されない。その上自分には、母親も父親もいない――自分のそんな生活は、当たり前のものだと、そう思っていたというのに。
「ボクは――……ボクは、」
 だからこそ。
 ある時期、思い悩んだ事がある。
 誰も自分のことを、抱きしめてはくれないと。どんなに大切にしてくれていても、結局は皆、自分のことを心のどこかで恐れているのではないだろうか、と。
 ――そうしてその内に。
 少女はいつの間にか、子どもであるということを隠すかのようにして、振舞うようになっていた。
 甘えては、嫌われると。これ以上もう誰にも嫌われたくないと、心のどこかで、ここを越えてはならないと、一本の線を引いていた。
 けれど。
『ロルベニア――様、』
 青色の瞳にほんのりと、ほんのりと悲しみの色を宿したあの人だけは。
 キミだけは、ボクの、ことを。
 恐れる事も無く、きつく、深く、抱きしめてくれたから。
「ねぇ……」
 九つも年上の青年に、こんな想いを抱いてしまって。
 自分勝手で、身勝手で。いけない事だとは、わかっていたけれど。
 それでも、どうしても望んでしまうことがあった。
 例え周囲からどう言われようとも、例えあの人自身から、迷惑がられていると――迷惑に思われているとしても、
 それでも、
 ――大好き、なのに。
 ボクはキミのこと、本当に大好き、なのに。
 それでもキミは、やっぱりボクのことを。
 ボクの、ことを――。
『あやつを捕らえ、自分達の研究材料にするやも知れぬだろう――?』
 扉越しの祖母の声音を、少女の耳はしっかりと捕らえて離さなかった。
 それに息を呑むあの人の気配に、少女は強く瞳を閉ざす。
 ……こんな会話。
 聞かないで。聞かないで、こんな所にいないで、ボクは部屋に戻っていれば、それで……良かったのに。
 でもどうしても。
 キミの答えが気になって、そうする事は、できなかったから。
 勝手かも知れない。
 迷惑かも知れない。
 でも、それでも。
「――……ンっ……」
 キミのこと、大好きだから。
 大好きだから――……。


 太陽の光から遮られた薄闇の朝の中、目を、覚ました。
 目を、覚ましていた。
 不意に現実に引き戻された事を悟った頃には、意識は段々と、その夢を忘れ始めている。
 夢――、
 夢?
 霧がかった意識の中、うっすらと沸き起こる自問に、少女の――ロルベニア・アイオスの赤い瞳は、無言のままに宙を彷徨い――、
「……ぁ……――、」
 何も無い天井に、ぴたりと止まる。
 思い返される夢の欠片に、ロルベニアは長く小さな息を吐いていた。
 或いはそれは本当に。本当に、キミがまだここにいた頃の夢であったような、気はするのだけれど。
 でも、だったらボクは。
 ボクは……何で、
 思いかけて、ベッドの上で寝返りを一つ。
 瞳の端に溜まった冷たさに、ロルベニアは強く、真っ白なシーツを手に握り締める。
 間違いなく、幸せであるはずだというのにも関わらず。たとえその世界がどこであろうとも、あの人と、
「……、」
 ――キミといられる時間なら、どんな時でも幸せなはずなのに。
 なら、どうして。
 どうしてボクは――ボクはどうして、
 泣いてなんか、いたんだろう……。
 閉め切ったカーテン。光を知らない部屋の中。世界が本当の色合いを、忘れて久しく。
 流れを塞き止められた時間は、さながら永遠にも等しく感じられるようで。
 不思議だね、と。
 少女は声にならない言葉を口にした。
 幸せな時間はあんなにも短いのに、辛い時間はこんなにも長いだなんて、と。
 ここにはいるはずもないあの人へと、子どもの頃と同じようにして、小首を傾げて微笑むかのように。
「ね……、」
 ねぇ、だって考えてみてよ。
 ――キミと出会ってから、一緒に過ごした時間は何年もあったはずなのに。
 キミがボクをおいて行ってから、まだ数日しか経っていないはずなのに。
 それなのにボク、まるで、ね。
 まるでずっと、こうやって、こうやってずっと、取り残されているような……そんな気分に、なってしまって。
 永遠に出口の見つからない迷路の中で、ずっと、
「終わりなんか……来ないよ、」
 彷徨っているみたいだから。
 終わりなんか。
 キミが迎えに来てくれるまで、キミともう一度出会える時まで。
 来るはずが、ないんだから……。

 昨日はいつ布団を被ったのかなどと、そのような事すら、記憶の外で。
 あの日から――少女が一番大切に想っていた青年が自分の元を去ってから、どのくらいの時間が経っているのかすらも覚えてはいなかった。
 覚えている事はといえば。
 扉の叩かれる音に何度もはっとし、窓の震える音に幾度となく顔を上げてきた事。
 あの人が自分を迎えに来てくれたのではないかと。
 あの人が窓の外に来てくれたのではないかと。
 何度となく、期待を寄せてきた事――そうしてその事如くが、絶望へと変わる感覚。
 或いは乳母が、食事を持ってきてくれた時の入室許可を求める音であり。或いは風が、窓を揺らす音であったのだから。
 ――ありえるはずもない事を期待する自分に、嫌気がさしては来るのだけれど。
 このままではいけないと、心の片隅でわかってはいるのだけれど。
「――シェ……」
 窓枠が再び、音をたててロルベニアを幻想の中へと誘おうとする。
 あの日からずっと閉ざされたままのカーテンのその向こう、
『聴こえますか?』
 影が、過ぎったような気がした。
 声が、聞こえてきたような気がした。
 ――今よりもずっと昔、四年も、五年も前の話になる。
 あの大きな窓の向こうから、あの青年が、ロルベニアに語りかけてくれた――そんな事が、あったのは。
 事の始まりは、その日ロルベニアが、扉の向こうの祖母と青年との会話に、膝を抱えてこっそりと耳を澄ませていたところにあった。
『ボクは――キミの、何なの?』
 両性具有、魔女裁判、悪魔の子、研究機関。
 その会話の中に飛び交っていた不吉な言葉達全てが、自分自身の事を示唆するものである事は、ロルベニア自身良くわかっていた。
 良くわかっていたからこそ、責めてしまった。
 祖母との会話を終え、部屋から出てきたあの青年。ロルベニアの姿に気がつくなり、慌てて笑顔を取り繕っていたその青年に、
 ――その、笑顔に。
 まだ小さかった自分に気を遣い、膝を屈めてくれた青年に、
『やっぱり……研究材料?』
 全てをぶつけるかのごとくに呟いて、少女は自分の部屋へと通じる階段を駆け上がって行った。
 ロルベニアが口を開くその前、慌てて弁解を始めた青年の優しい声音はしかし、先ほどまでの会話を弁解するのには、
 ……ねぇ、あまりにも、足りなさ過ぎたから。
 堪えきれない涙もそのままに、だから少女はそう問うた。
 晴れ風の新しいあの日、その鮮やかな時間の流れを全て拒むかのようにして。
 しかし、その後。
 鍵をかけ、部屋へと篭もり、ベッドの上に伏せったロルベニアの耳に青年の声音が届き始めるのは、もう間もなくの話であった。
 ――遠い日の、あの人との思い出。
「聴こえますか――?」
 窓の揺れる音色に、だからこそ思い返し、ロルベニアは口にする。
「ロルベニア様……」
 あの日聞いた声音と全く同じ言葉を小声で呟き、そうして暫く、静かに布団を引っ被った。
 ――そんな事をしても。
 あの人があの時と同じように、自分に語りかけてくれるはずが、ないというのに。
 まるで無理やり時間の流れを催促したかのような感覚に、思わずながらに自嘲してしまう。
 しかしそれ以上に、どうしても言葉が欲しかった。
 だからこそもう一度だけ、カーテンの方を静かに見上げる。
 そこにはもう、影を見る事は出来ないと、わかっていたのにも関わらず。
「――……ずるいよ……」
 淡い期待と共に見上げたその先には、やはり彼の姿を見出す事など出来るはずもなかった。
 ロルベニアは再びシーツに顔を埋め、呟きを洩らす。
 体に、力が入らない。
 蘇る、最後の日。
 キミの姿を見た、最後の日。
 呼びかけられて、飲み込まれた自分の名前。
 薄く苦笑を滲ませて、それでも精一杯に笑いかけてくれた、あの人。
 さよならの一言も無く踵を返し、けれども又会いましょうの言葉も無く、
 ――そうして。
 そうしてキミは、
 遠くどこかへ、行ってしまったから。
「……お願い、したのに……」
 ずっと一緒に、いてほしい――何度も何度も、そうお願いしてきたというのに。
『あなたのためなら、何を投げ打っても構わない』
 思い出が、頁を捲られる本であるかのように、次々とその光景を変えてゆく。
 ううん、違う。
 投げ打ってなんか、ほしくない。ほしくないと言えば、嘘になる。
 けれど。
 そんな覚悟よりも。
 そんな大きな、犠牲の示唆よりも。
『ロルベニア・アイオス様に絶対忠誠を――誓います』
 ならお願い、ずっと、ずっと傍にいて。
 ボクのために全てを捨ててもらうよりも、ボクのために絶対服従を誓ってくれるよりも、そんな、ものよりも。
 ずっとずっと、傍にいてほしい。
 傍らで、名前を呼んでほしい。
 ロルベニア様、と。
 ――そうしたらボクも、
 ねぇ、
 キミの名前を、呼び返すから。
「お願い……」
 だからお願い。
 ボクをもう、ひとりぽっちのままにしておかないで――。

 思い出の中に、ある時の流れの緩やかな、青空の良く似合う一日があった。
 街の郊外にひっそりと佇む広い屋敷の中に、一人の少女の声音が鳴り響き――その声音に、胸に揺れる十字架を握り締め、はしごを引っ張り出して屋根の上へと歩みを進める青年の姿があった。
 青年は、過去を語る。
 部屋の中へと篭もってしまった少女を想い、その過去を、語る。
 どうかこの気持ちが伝わりますようにと、
 どうかあなたは一人じゃありませんよと伝えたくて、
 しかし、
 そうしている、その内に。
『も……いい、よ……』
 気がつけば青年は、小さな腕に、しっかりと抱きしめられていた。
 いつの間にか痛々しくなっていた青年の過去に、殺された青年の妹の話に、少女が知らず、その背をすがるように抱きしめていたのだから。
 求めて、いた。
 少女はその詰まるような声音に、彼の笑顔が遠くへ行ってしまう事を、心のどこかで恐れてしまっていた。
 一番大切なあの人に。悲しい思いは、してほしくない。もうこれ以上、自分を責めるような思いはしてほしくない。
 少女には、青年しかいない分、
 ――ボクにはキミしかいない分、キミにはそれだけ、ねぇ、傷ついてほしくはないから。
『もう、わかったから――……』
 だからもうそれ以上、自分を責めないで。
 キミが、ボクにしてくれるだけの事を、ううん、違う。叶うのならば、それ以上の事を。
 キミに、したいから。
 ボクが、傍にいるよ。――本当は傍にいてほしいのは、ボクの方だけど。
 それでも、ね。
 ボクは、出来る限りの事を、キミにしていくから。
 ……見捨てないで、
 離れないでいて。
『妹にしてやれなかった分、せめて、あなたに』
 ボクもキミにしてもらった分、一所懸命、返してゆくから。
 キミの心の虚空の部分に、ボクのせめて、できるだけの事を。
 できるだけの、事を――。
「でも……」
 ふ、と。
 うたれた寝返りに、ロルベニアの長い金髪が、ふわりとシーツの上に広がりを見せる。
 ぼんやりと考えるその内に、また暫くの時が経っていた。
 あの人は、思い出の中にしかいない。逢いたいあまりに思い出に沈むその内に、こうして過去に思い浸る毎日に、ロルベニアには、色々と考えてきた事もあった。
 ねぇ、
 妹さんを失ったキミの気持ちとか。キミもきっと、こういう気持ちだったんだね。
 でも、ボクだって、同じだよ。
 食事も喉を通らない。誰にも会いたくなくて、世界が、こんなにも冷たくて。
 寂しいから。
 ……あの日。
 あの日求めてきたのはキミだったけど、
 今ではその立場、
 逆転、しちゃったみたいだね。
 今きっと、窓の外で泣いているのはボクだから。ボクはきっと、あの日のキミと同じ。同じように、窓の外で泣いているから。
 だから、
 だから――ね、
 あの日ボクがそうしたように、もう良いよ、って抱きしめて欲しい。
 もう、そんなに泣かないで下さいよ、って。
 ほら、ロルベニア様には、笑顔が似合いますよ、って。
 抱きしめて、そっともう一度、その笑顔をボクに見せてほしい。
 だってきっと、今はキミの番だから。
 窓の向こうから、今度はキミが。
 今度はキミが、ボクのことを抱きしめる番。
 ロルベニア様、どうなさったのです?――ちょっと遠くに、行って来ただけじゃないですか。
 私はここですよ、ここにいますから。だからもう、泣かないで下さい、って。
 ……すみませんでした、だなんて、軽い笑顔で謝って、
 ずっと一緒にいますから、って、堅く約束を結んでほしい。

 どんなに離れていても。
 キミの想いも、変わらないでいてくれたその時は、きっと――。


Finis


10 febbraio 2004
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月12日

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