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『白樺の森 』
槻島・綾2226

 オカルト雑誌の短編、と聞いていたから、逆に、安堵していた部分もあったのだ。
 書く内容は、真冬のホラーか。世界七不思議の解答編か。あるいは、神秘なる秘境が舞台の紀行文というのも、なかなかに興味深い。
 難解にして長大な物語を、読者に飽きさせることなく綴り続ける自信は、今の槻島綾には無い。エッセイがお手軽とは言わないが、その方が気が楽だったのも、また事実。
 何かの拍子に余ったページを、やむを得ず埋める程度の仕事だと、簡単に考えていた。
 だからこそ、細かく述べられた依頼の内容に、綾とても呆然とせざるを得なかったのだ。

「槻島くん、あなたには、未完の推理小説の続きを書いてもらいたいのよ」

 アトラス名物、美しくも恐ろしい碇編集長から渡されたのは、今時珍しい手書きの原稿。
 少し黄ばんだ古い紙面に、几帳面な万年筆の文字が踊っている。
 作者の名は、聞いたことがなかった。少なくとも、現在で脚光を浴びているような、有名な作家の手によるものではない。
 こんな面倒な仕事なら、断ってしまおうと、綾は真剣に考えた。
 もともと、金に困っている身でもないし、親のスネかじりとはいえ、プライドもある。他人が中途半端に書いた小説を完成させるなど、そんな面白くない話があって良いものなのか?
 
「僕は……」

 綾は気の弱い男ではないが、万事においてのんびりした気性の持ち主でもある。どうやって断ろうかと頭の中であれこれと考えているうちに、押しの強さでは綾など足元にも及ばない女編集長が、かなり強引に、彼の荷物の中に原稿の入った書類袋を加えてしまった。
「頼んだわよ。槻島君」
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕は、引き受けるなんて、一言も言っていませんよ。それに、他人の原稿の続きを書くなんて、無理があります。最近は、それでなくとも、著作権とかの問題がうるさいし……」
「著作権のことなら、心配ないわよ。この作者は、三十年も前に死んでいるのだから」
「え」
 綾は驚いた。
 慌てて封筒から紙の束を取り出す。ちらりと見た限りでは、それほど古い話だとは思わなかった。
 文体は、流麗にして親しみやすい。殊更に、難解な表現を用いているわけでもない。これがミステリーという娯楽分野の小説であることを、あるいは完璧に忘れさせてくれるほど、特に情景の描写が細やかで美しかった。
 読み手をぐいぐいと物語の中に誘い込む、一種、媚薬のような、不思議な雰囲気のある文章だ。こんな人物が、三十年も昔に現れていたこと自体、綾は驚きを隠せなかった。
 天才かもしれない、と、ぞくりと肌が粟立つ。
 秀才の書く文章なら、嫌と言うほど、綾は読んだ。
 優れた書き手は、世に掃いて捨てるほどもいる。現代文学は、既に飽和状態だ。とにかく数が多すぎて、逆に、真実、自分が求めている創造者には出会えないのが実状である。

 星の海から、星の欠片を探し出すような、そのあまりにも希少な確率。

「もちろん引き受けてくれるわよね?」
 綾の迷いを、心の葛藤を、女編集者は、的確に見抜いているようだった。
「君なら引き受けてくれると思ったから、声をかけたのよ」
 なぜ、自分なのだろう?
 心に浮かんだわずかな疑問を、だが、かつて無いほど惹かれてやまない未完の小説の執筆という仕事が、払拭する。
「わかりました」
 綾は受けた。
 旅を始める直前の時にような、どうしようもないほど高揚している自身の心に、気付かないわけにはいかなかった。



 小説の舞台は、北海道。
 延々と続く雪深い細道。白い幻想の向こうに霞む、蜃気楼のように揺れて定まらぬ連なる霊峰。夜闇の中に、何かの獣の慟哭が響く。吹雪の唄とは別の次元で、高く、低く、物寂しく木霊する……。
 果てなく広がる茫漠たる白樺の樹海のただ中に、何十年もの長きに渡り放置された、若い女の不思議な亡骸が、あった。
 彼女の体は、夏でも氷の溶けることのない永久氷壁へと続く湖の真ん中に、放り込まれていたのだ。そこだけ時間が凍り付いて、生きていたときと寸分違わぬ姿を抱いて、永遠に、眠り続ける。
 待ち続ける。
 自分を殺した人間の、その帰還を……。

「この光景、どこかで……」

 物語は、唐突に、途切れる。
 様々な伏線を張り巡らせ、いよいよ複雑に話が絡み合ってきたときに、何の前触れもなく、そこで終わりを迎えるのだ。何一つ、謎は解き明かされていないのに。
 女は、何者なのだろう?
 溶けない氷の向こう側に身を沈めて、ひっそりと外界を眺めやる、死者。
 本当に人間なのか。
 種も仕掛けもあるミステリーだとわかっているのに、綾は、彼女に、別の何かを期待してしまう。
「それにしても、覚えがあるなんて……」
 そう。綾は、この光景に覚えがあるのだ。いつか、どこかで、確かに見た記憶がある。目の奥に鮮やかに浮かび上がる、白樺の森。たおやかに、あるいは時に猛々しく、碧く蒼く冴え渡る、悠久の水の連なり。
 神の意志でも働いているのだろうか。風が、目に見えて、手に掴めそうな気さえしてくる。
 声が聞こえる。遙かに遠く。彼方より近く。

「ねぇ……貴方は、私を、迎えに来てはくれないの?」

 迎えに行きたい。引き上げてやりたい。限りなく氷点下に近い水底から。だが、綾は、それが何処であるかを知らないのだ。何とかしてやりたいと切実に願う反面、祈りが強ければ強いほど、幻の光景はいよいよ遠離る。
「駄目だ…………思い出せない」
 もしかすると、まだ十歳にも満たないような、幼い頃の思い出なのかも知れない。
 それならば、一人悶々と考えていても、答えは出ないだろう。両親に聞くのが、最も手っ取り早い。
 心を決めると、綾の行動は早かった。書きかけの原稿を片手に、車に乗り込む。売れない物書きが住むにしては贅沢なマンションを、後にする。綾が自力で手に入れたわけではない。全てが親の借り物だ。これを目にする度に、心の奥底で、何かが疼く。
 恵まれすぎている事への、不安。
 翼をもがれた鳥のように、羽ばたきたいのに、それが出来ない。いつも、どこでも、絡め取られているような感覚が、ついて回る。
 欲しくもなかった、親の七光り。だけど、彼らを尊敬しているから、捨て去ることも出来ない。
 
「ただいま」

 一人暮らしをして、久しく、家にはあまり帰っていない。
 両親は、はっきりとは口には出さないものの、心なしか楽しそうだ。聞きたいことを聞いたらすぐにも帰るつもりだったのに、結局、その晩は、泊まっていくことになった。

「ある雑誌社から、変な仕事をもらってしまって」

 綾が渡した原稿を、父親は、黙々と読み進めて行く。厳しい作家の目で批評を下しているのかと思ったら、そうではなかった。
 嬉しそうな、懐かしそうな、その表情。皺の目立ち始めた目元に、微かに、光るものがあった。
「父さん……?」
「これは……この未完の小説は、私の兄弟子が書いたものだ」
「父さんの……兄弟子?」
 天才だったよ、と、父は言った。
「若気の至りでね。売れない物書きばかりが集まって、文芸誌なんかを作っていた。その中の一人に、彼がいたんだ。素晴らしい話を書く人だったよ。だが……病気には勝てなかった」
 生きてさえいてくれれば、いずれは、文学界を背負って立つ存在になっていたはずだった。様々な賞を取り、あらゆる分野の小説を生み出し、重鎮と囁かれていたはずだった。

 だが、彼は、死んだ。

 わずか二つの完結物語と、たった一つの未完作品を残して。
 それがアトラス編集長である碇麗華の元にあったのは、彼女の父親もまた、その文芸誌を作った若者たちの一人だったからだ。
 敬愛する兄弟子の唯一の未完作品を、弟弟子たちは、それぞれが書き写した。いずれ、この物語を完成させよう。そう約束をして。
 自分で書くのも良い。誰かに託すのも良い。結末のない彼の遺品を、完成させる。近い未来、遠い将来、どれほど違う道を歩み進めることになろうが、この誓いだけは変わらない。
 
 想いは、消えることなく、生き続ける。
 
「そうか。碇さんは、書き手に、お前を選んだのか……」
 うかうかしていられないな、と、父親が、笑った。
 この物語の綴り手として選ばれたのなら、それは、実力があるという、確かな証。物書きに、親も子も関係ない。年齢も学歴も必要ない。良い文章を生み出す力に、血筋は、何一つ、意味を成さないのだ。
 一人一人が、完全に、好敵手。
「まさか……父さんも?」
「私も、いずれ、この話を完成させる。それが何時になるかは、正直、わからないが……。必ず」
 父親が、机の引き出しから、一つの書類袋を取り出した。
 中身は、当然、あの原稿。三十年も前から、いつか完成する日を夢見て眠り続ける…………今は亡き人の、大切な遺品。

「ああ……そうか」
 
 唐突に、綾は理解する。
 白樺の森の、不思議な光景。
 見覚えがあるはずだ。幼い頃、綾は、この物語を読んでいたのだ。何日も何日も、憑かれたように机に向かう父の隣で、ちらちらと原稿を覗き見て、子供ながらに美しいと思った記憶が、鮮烈に頭の中に蘇る。

「ライバルだな。これからは」

 存外に真剣な表情の父を横目で見やり、とんでもない、と、綾は首を振る。
 自分など、まだまだ父親の足元にも及ばない。あまりにも遠すぎる。闘おうとも思わない。敵うはずがないのだから……。

「私からお前に言えることは、多くはない。だが、一つだけ、確かなことがある。碇さんの人を見る目は、本物だということだ。彼の才能を一番初めに見出したのも、碇さんだった」
 
 



 数日後、綾は、アトラス編集部に向かった。
 未完の原稿を持ち、鬼より怖い編集長に、すみませんと頭を下げる。
「小説は…………完成させることが出来ません。少なくとも、今は」
「今は……ね。それは、いつかは出来る、と、解釈して良いのかしら?」
「時間を頂けませんか?」
「そうねぇ……。とりあえず、私の父からの言伝が先かしらね」
 碇麗華は、綾の言葉を、恐らくは予期していたのだろう。ただ、悪戯っぽい微笑を浮かべた。

「〆切は、槻島綾が人生の幕を下ろす、遙か未来のその日まで、ですって」
 
 期日は、無制限。
 与えられた時間は途方もなく長く…………そこに行き着くまでに、あらゆる経験が、未熟な雛を、羽ばたく鳳へと、成長させてくれるだろう。





PCシチュエーションノベル(シングル) -
ソラノ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月12日

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