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『流れる水の決意 』
相生・葵1072


 その瞬間、自分はただの子供でしかなかった。
 ゆっくりとしか動かない時間と切り取ったようなパーツだけが鮮明な記憶。
 後ろを付いてきていたはずの弟がどうしてあんな所で寝ているのだろう。
 手を引く大人が何かを言って連れて行こうとする、弟はあそこにいるのに置いていけない。
 駆け寄ろうとした手をつかんで止められた。
「……でも」
「行っちゃダメ」
 首を振り大人の人は哀しそうに眉を下げる。
「どうして……」
 ゆっくりと振り返り、止まっていた思考が状況を理解して行く。
 弟は葵の目の前で交通事故にあったのだ。
 ほんの僅かなタイミング。
 いつくかの不幸な偶然。
 それが重なって、葵の後を追いかけていた弟はその小さな体をはじき飛ばされた。
 耳に痛いブレーキ音はハッキリと思い出せる。
「……あ」
 声が出ない。
 今になって足が震えて座り込みかけた体を抱き留めてくれる。
 何も出来なかった。
 子供はやっぱり子供で、どうする事も出来なかったのだから。
 もちろん葵が悪い訳じゃないと言われたけれどそれは、忘れる事のない記憶として残っている。
 幼い頃の不確かで鮮やかな記憶。



 時は流れて中学の頃。
 切っ掛けはなんだったのか今となっては思い出せないし、思い出す気にもならない。
 大切な事だけ覚えていればいいのだ。
 とにかくそのクラスメイトは日頃から葵に因縁を付けてくるような少年で、事あるごとに突っかかって来たり睨んだりしている。
 そこにあった感情は確かな妬みと悪意ある行動。
 そう言った相手は関わりたくないのだが、やっぱり陰湿な嫌がらせを受け続ければ腹が立つ。
 今日だって、態とらしく廊下を歩く葵にぶつかってきてはバランスを崩したのを見て鼻で笑ってみせる。
「見えなかった、そんなとこ歩いてるなよ」
 いい加減にしろと言いたかった。
 でもここで思ったままを口にすれば、相手が突っかかってくるだけである。
「あっそ」
 何事もなかったように歩き出した葵の反応も、相手は気に入らなかったようだ。
「待てよ!」
「……なに?」
 ムッとした表情の葵に、相手は何か傷つけるための言葉を探す。
 その言葉を待つほど馬鹿じゃない。
「もう行くよ。君も、もっと別な事したら?」
 冷ややかな言葉と共に立ち去った葵に、カッとなり顔を赤くさせる。
 このままいつも通りにいられるはずだった。
 数日後、あんな事があるまでは。


 いつも通り学校に来た葵に普段とは違う目線が集まる。
「何かあったの?」
 僅かに狼狽えながらも、一人の女の子が教えてくれた。
「あのね、黒板……」
「えっ?」
 教室に行くと、大きく書かれた中傷の文字。
「お前弟死んじゃったんだって?」
 どこで調べたのか、面白いネタを仕入れたとでも言いたげに笑っている。
「かっわいそー、お前みたいな兄ちゃんもって」
 浮かんだのは、あの時の光景。
 鮮明な部分だけがグルグルと渦巻いている。

 倒れている弟。
 車のブレーキ音。
 手を引かれていく事。
 何も出来ない自分。

「ーーーっ!」
 黒板消しを手に取り、書かれた文字を消し始める。
「なんとか言えよ」
「やめなさいよ……」
「うるさいな、弟どうして死んじゃったんだよ?」
 それ以上、聞きたくなかった。
 傷口をえぐる言葉。
「……もう」
 やめて欲しい。
「なんだよ!」
 睨み付ける葵と他のクラスメートの視線に流石にバツが悪いと感じたのか、教室を出て行ってしまう。
 言葉を、残して。
「お前が悪いんだぜ」
 今度ばかりは、耐えられなかった。
 行き先は……いつも彼が居る屋上。
 きっとそこにいると思い葵は後を追う。
 鉄製の扉を勢い良く開き、屋上へと飛び出すようにして相手を捜した。
「な、なんだよ……」
 たじろいだ相手は葵に負けじと言葉を探す。
「本当の事だろ!」
「うるさい!」
 睨み付けて……力を使う。
 水を操る力。
 ただし操るのは呼び出した水ではない。
 液体は、人の体にも流れている。
「な、なん……」
 掌や目に見える肌全体にじっとりと汗をかき始めていた。
 このとき葵が使ったのは血液への干渉。
 上がり始めた血液の温度に、何が起きているのか解っていなくても、恐怖だけはハッキリと理解したらしい。
 本来冷却剤として昨日しているはずの血液が温度を上げたらどうなるか、答えは明白だ。
「が、はっ……っ!?」
 地面へと倒れ、呻きだしたクラスメート。
「な、た……たすけ」
 ガクガクと痙攣を起こす必死に表情に唐突に我に返り、力を止める。
「ーーーーっ!」
 今……何をしようとした。
 怒りに我を忘れ、死なせてしまうところだったのである。
 熱を帯びた血液は凝固し、そのままにしたら死んでしまう。
 ゆっくりと温度を下げで……それでも結局は病院に運ばれる事になってしまった。
 葵の前を掠めた死の気配。
 この力は自分にとって大切なものであったはずだ。
 それが使い方次第では危険な物へと変化してしまう。
 だからもう二度とこんな事に使ってはならないと……もっと別な事に使うべきだと心に決める。
 水を操る力は、決して人を傷つけるための力ではないはずなのだから。

 護るための力なのだ。

 例えばそう、いま目の前にいる綺麗な女性を護るために。
「怪我はないですか? お綺麗なお嬢さん」
「はい、ありがとうございます」
 もう誰も亡くしたりはしない。
 その決意と女性の笑顔を護るために力を使おう。
 それがいまの葵が出した答えだ。

 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
九十九 一 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月10日

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