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『unwinnable war 』
水無瀬・龍凰0445)&崗・鞠(0446)&橘神・剣豪(0625)

 水無瀬龍凰は、コシと目を擦った。
 昨日までの寒波で珍しくも積もった雪の反射に、穏やかな午後の日差しは綺羅と光の粉を散らす。
 それが眩しかったせいもあるが、予定のない午後、床に座り込んで背を預けたソファには、足を揃える挙措もしとやかな、恋人の崗鞠が居る…のんびりと、暗いニュースの付け入る隙のない料理番組を眺める時間、別に、血眼になってダイエットメニューのレシピをメモする必要もないし、お茶もお菓子に程よく腹もくち、幸せ、という陳腐な言葉を使いたくはないが、限りなくそれに近い心持ちに穏やかな眠りを誘われても仕方ないだろう。
 龍凰の手が、鞠の膝に触れる。
「どうかしましたか? 龍凰」
頬にかかる黒髪がさらりと流れるのを手で押さえ、向けてくる吸い込まれるような漆黒の眼差しは、穏やかな眠りの底で暖かく包み込む闇を彷彿とさせた。
「んー」
そのぬくもりに包まれて眠りに落ちれば心地よいだろう、と思いを行動に移すのは、眠気に半ば意識の溶けかかった龍凰にしてみればごく自然な流れに、鞠の膝に頭を預けようとする…その前に強固な障害が立ちはだかっていた。
「オレの鞠タンに触るな!」
龍凰の目標とする所の…鞠の膝の上でガウッと牙を剥く守護獣・橘神剣豪である。
 鞠の為に鞠の為だけに気力と根性できっぱり死んでいたにも関わらず、黄泉路を駆け戻って守護としての第二の獣生を邁進して豪毅なる……愛らしい、ポメラニアンである。
『邪魔だ退け』
龍凰は口の動きだけで…座り込んでいる自分のせいなのだが、生意気にも目線を同位置に置く剣豪に意を伝えた。
『お前が消えろ』
ガウガウと、こちらも口の動きだけで…否、犬科の発音は人のそれと同じではなく、如何にして龍凰がそれを判じたかは以心伝心に因るものが大きいのだが、とにかく剣豪の意も通じた。
 バチバチと両者の眼力が中空でぶつかり合い、絡んで火花を散らす。
 人間でも動物でも、正しい喧嘩は先ずメンチの切り合いから。いきなり後ろから殴りかかるのは確実な手段ですが卑怯です。余程の事態でない限り控えましょう。人から後ろ指差される覚悟があるなら止めません。
 瞬きすらしない三白眼に、殺意とも取れる強さで交わる視線、どちらも退かず、どちらも屈せず、互いが互いの圧力を強めようと顔の距離ばかりが縮まって行く。
「仲良しですね、二人共」
鞠の淡々とした感想が頭上から降りかからなければ、口と口との不幸な接触が起きていたろう、その距離は僅か2mm。
「うぉぁッ、アブねッ!」
「うわッ、汚ねッ!」
全く同時に飛びすさる、その距離も同等に鞠を中心点に1m。
「ちょっと待てテメェ、今聞き捨てならねぇ事言いやがったな!?」
龍凰の指を突きつけての弾劾に、剣豪は四肢をふんばってがうと吠える。
「汚ねーモンは汚ねーだろっ、臭うんだよ、歯磨いてんのかオマエッ」
犬の嗅覚は人間の1億倍あると言われている。
「ば……ッ! 磨いてるに決まってるだろーが、テメェこそドッグフード臭ェんだよ!」
「何言ってんだ、ドッグフードは栄養があるんだぞ、美味いんだぞ!? しーちきんよりたかいんだぞ!?」
「人間様の食い物と同列に並べんなッ! だいたいお前最近太ったんじゃねぇか? 二割り増し丸いぜ」
「違う! これはほとんど毛だ! オマエなんかハゲちょろけの癖に!」
剣豪のラインは確かに丸いが、それは大半がふわふわとしたオレンジの毛並みで、触れてもなかなか身に到達しない。
 が、その大半が身だと思う人間も多く、彼を評する中に丸々と太ったワンちゃんという呼称が混じるのが我慢ならない剣豪である…本犬の主張によるとスレンダーなのだそうだが。
 低レベルを保ったまま続く舌戦に、間に挟まれたままの鞠が彼等の名前を呼ぶ。
「龍凰、剣豪」
にっこりと微笑みつきで。
「はい!」
「ハイ!」
異口同音、ピシリと気を付けの姿勢を取る両者に、鞠は笑みを深めた。
「二人共、喧嘩はやめて下さいね」
言い、机上のティーポットから手元のカップに紅茶を注いで口に運ぶ。
 その行動は、室内での闘争を禁じる旨を暗に示唆している。
 以前に愛用していたカップは不慮の…というより、過失の事故で破損、廃棄せざるを得ず、その加害の要因を担った龍凰、剣豪によって新たに購入された物である。
 ただ、両者共、鞠に似合うと思われる柄の自分の好みを主張して譲らなかった為、鞠は奇数日に龍凰の、偶数日に剣豪のカップを使用する羽目となった…暦の概念に薄い剣豪、1年12ヶ月ある月の内ほぼ半分が奇数日で終り、全月奇数日から始るというさり気ない敗北にまだ気付いた様子はない。
 その優越感に多少気が落ち着いたのか、龍凰は物わかり良く頷いた。
「わかってるって、鞠。俺だってそう大人げなく、犬っころ相手に本気になったりしねぇよ」
言い、さり気なくソファに腰掛けて鞠の肩を抱く。
 負けじと剣豪も、パタパタとお愛想に尻尾を振りながら、鞠の膝にたし、と肉球の足を乗せて愛くるしさをアピールする角度で訴えた。
「鞠タン、オレだってちゃんと分かってる、分かってるよ! 鞠タンが愛してるのはオレだけで、だから龍凰がやきもち焼くんだって!」
ピシリ、と龍凰の額に青筋が浮く。
「退け、ケモノ」
「テメェこそ消えろ」
カチャン、と音を立てて、鞠がソーサーにカップを置く。
 それに急上昇していた龍凰、剣豪の怒りのボルテージは臨界寸前で凍り付く。
「……おい、ケダモノ。外に出てお話しやがりませんか」
親指を下に向けての挑発的な龍凰の提案。
「おぅ、ノータリン。オマエがそんなにお願いするなら聞いてやらないでもないぜ」
牙を剥き出して、敵意も顕わに受ける剣豪。
 口調だけは丁寧に言葉は荒く、意味する所は『てめえ、表にでやがれ!』『おうよ、決着つけたらぁ!』の意味である。
 当然、玄関に向うもの、と剣豪は足を出口に向けたが、龍凰はリビングに面したベランダの引き戸をからりと開いた。
 確かに外は外であるが、決着をつけるには狭くないだろうか、と訝しみつつ、剣豪は半身に道を譲る龍凰の脇を抜け、ベランダに降りた…途端。
 背後で戸が閉まった。
「何しやがんだッ!」
慌てて駆け戻るも、透明な硝子に阻まれて強かに鼻先を打つ。
 硝子の向こう、ふふん、と見下す龍凰が憎らしい…身長の高低にどうしても生ずる差であるのだが。
 しかも丁寧に、内鍵までかけられた。
「何すんだよ、入れないじゃねーかッ! 寒いだろーッ!」
その場で右往左往、肉球で硝子戸を押そうが引こうが、ダブルロックの鍵が外れよう筈もなく。
 しかも、カーテンまで閉められる。
 その僅かな隙間から、こちらを振り返った鞠の眼差しが剣豪の心を締め付けた。
 あぁ、鞠タン…オレがこんな卑劣な罠にハマッたが故にあの邪悪で凶悪で加減を知らない危険人物と二人きりだなんてそんな…ッ!
 そんな剣豪の心中の焦りが室内に届く筈はなく、鞠は龍凰に問う。
「龍凰、剣豪はどうかしたのですか?」
「心配すんなって、犬だから喜んで庭駆け回りたい時もあんだろ」
ごろん、とソファに横になり、鞠の膝に頭を預ける。
「雪、でしたからね」
雪の日の散歩はいつもよりはしゃぎ回る剣豪を思い出して素直に納得し、ふわ、と額を撫でる鞠の手の心地よさに、龍凰は再来する眠気に瞼を閉じかけた時…
「オレの鞠タンが汚されるーッ! 」
キャンキャンワンワンと、その場でぐるぐる高速回転しながらの剣豪の叫びがご近所に響き渡る。
「人聞きの悪ィ事言うな、この四足歩行動物!」
漸く邪魔モノを排除し、訪れた安らぎの時間を邪魔されて龍凰がガバッと身を起こして反論する。
 同時、甲高い音でベランダに面した戸に引かれたカーテンが、内側に向って膨らみ…甲高い破砕音と共に、寒風が硝子片と共にに室内に吹き込んだ。
「オレの鞠タンに触るなーッ!」
ふわふわのオレンジの毛並も愛くるしいポメラニアンは仮の姿、必要に応じて人の姿も取れる剣豪は流石、伊達や酔狂で守護獣を張っているのではない。
 成年男性の姿をとった剣豪は、怒りのあまりに目に涙さえ浮かべて震える拳を龍凰に向けた。
「よくもオレの鞠タンを! 寄るな触るな近付くなーッ!」
咄嗟、龍凰が飛び退かなければ、その腹部を剣豪の手刀が貫いていたろう…それを証拠に手首までがソファに深々と埋まり、詰められたウレタンが覗く。
「いい度胸だな、このケダモノ…ッ! そっちがその気なら遠慮はねぇ! 人間様に楯突いた害獣の末路を俺がきっちりと教えてやるッ!」
床に片膝を突きつつも、いつでも攻撃に移れる姿勢を保つ龍凰の両の手に焔が結する。
 それは怒りの深度に紅蓮に青を帯び、常にそれよりも高温である事を示して眩い。
「へへん、やっぱりノータリンだな! オレが虫のワケねーだろ!」
「……理解る必要はねぇ、死んでも治らねぇバカのまま、地獄に叩き落としてやらぁ!」
 今、まさに決戦の火蓋が切って落とされる…!
 筈もなく、吹き込む風に黒髪を踊らせ、動きを見せなかった鞠が、すいと立ち上がった。
「龍凰、剣豪」
声は静かだった……そう、怒りも困惑も、あらゆる感情を欠落させ、且つ凍り付かせたような声であった。
 だが、鞠は確かに微笑んでいるのだ…風に髪を煽られるに任せたまま、睥睨する、眼差しの圧力は夜の帳よりも重く確かに龍凰と剣豪にのし掛かる。
「ごめんなさい」
「ゴメンなさい」
二人はその場に膝を突き、深く深く頭を下げた。


「幾度同じ事を繰り返して申し上げても改善されないのは、私の意見がそれほど軽視されているという証拠ですか? それとも常識の範疇にある要求すら成し得ない、余程の事情があるとでも。ならば度々にこのような事態を巻き起こす事がないように互いの関係の改善が必要かと察せられますが……」
鞠の説教は淡々と、滔々と途切れなく続く。
 だが、いい加減に切り上げて欲しいと思っても、それを口に出せる勇気など在ろう筈もなく、寒風に身を晒されながら拝聴している次第である…ちなみに鞠はコートを装備済だ。
 床の上にきちんと座り込んだ鞠に倣った正座の足は、痺れきって最早感覚がなく、膝から下の足がちゃんとついているのかすら自信がなくなる。
 併せて、絶え間なく吹き込む風は体温を奪って膝に上で握った拳も最早震える事すらせずに、意識が朦朧しする…因果応報とはいえ、一体何の拷問だ。
 だが、彼等の闘志は下火にはなったものの、費えたワケではなかった。
 どちらが先に耐えきれなくなるか、どちらが先に落ちるか、それで勝敗を決すべく、互いで互いの様子を横目で伺いつつ、ひたすら耐える、耐える、耐える。耐えて耐えて耐えまくる。
 そんな二人が漸く解放されたのは、一番星の輝く頃。
「……解りましたか、二人とも」
痺れと寒さと、耳を右から左に流れる情報量に朦朧とした意識が、鞠の〆の一言に正気に返り、こくこくこくと二人は全く同時に頷いた。
「解ればいいのです……それでは、後片付けをよろしくお願いしますね」
二人の動作に鞠は少し笑って立ち上がり、夕食の支度の為にキッチンへと向う…盛大に粉砕された硝子は修理などという可愛い対応では追い付かない。
 明日にでも、業者を呼んで入れ替えさせなければならないが、当面はこの穴を塞ぐ必要がある。
 取り敢えず、割れたガラスはまとめてビニール袋の上から紙袋を重ねてベランダに出す。
「オマエのせいで鞠タン怒らせちゃったじゃないか」
ぶつぶつと、新聞紙を押さえる剣豪。
「いいや、間違いなくお前が悪い」
ピッ、と龍凰がガムテープで押さえた端を固定していく。
 低い声で言い争いながらも、なんだか息は合っている二人である。
「二人共、片付けは済みましたか?」
こくこくと頷く二人に、鞠は怒りなど微塵も感じさせずに笑みを見せた。
「そうですか。では夕食にしましょう」
怒りの解けた鞠も嬉しいが、夕食抜きを覚悟していただけに、龍凰と剣豪はいそいそと食卓に着いた。
「はい、剣豪」
ポメラニアンに姿に戻った剣豪の前に専用の皿が据えられる。
「ありがとう、鞠タン! イタダキマス!」
龍凰より先に貰えたのが嬉しくて、剣豪は盛大に尻尾を振るとやっぱり鞠タンの愛はオレ一人にモノ!などと考えながら勢いよく皿の真ん中に乗せられたハンバーグにかぶりついた。
 が、一瞬固まった後、剣豪ははくはくと口を頼りなく動かして中の物を呑み込むと、物といたげな視線で鞠を見上げた。
「美味しいですか? 今日の番組で紹介されていた豆腐ハンバーグです」
色も形も香りも立派なハンバーグだというのに、噛み応えがどうにも柔らかいと思った。
「龍凰が、太ったのではと言っていたのですが……実際、2kg程体重が増えているのは事実ですので、減量の頃合いではないかと」
小型犬の2kgは健康を害す恐れがある増加量だ。
「鞠タン、そんな!」
肉だと信じて食べたのが豆だっただけで充分ショックだというのに、これから減量生活が待っているとは。
「あーあー、大変だな剣豪。ま、頑張れよー」
せせら笑って、龍凰もハンバーグを口に運び…動きを止めた。
「鞠、コレ……?」
「はい。龍凰のもそうですよ……美味しくなかったですか?」
眉を下げられてふるふると首を横に振る…不味いワケでは決してないが、旺盛な青少年の食欲を満たすには、豆腐は頼りない食材であるに違いない。否、今は満たされても、消化の速さに空腹を抱えて煩悶しかねない一時間後が容易に想像出来る。
「剣豪だけにひもじい思いはさせませんから。皆で頑張りましょうね」
イヤ、皆で頑張ってもひもじいもんはひもじいから。
 男二人の主張は、鞠はまだ怒っているんじゃないだろうかという不安に、心中のみで発せられるに止まった。
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年02月09日

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