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『シャンパンは恋の媚薬 』
寒河江・深雪0174)&室田・充(0076)&九尾・桐伯(0332)



 酒は人類の友だ。
 それも、無二の親友といって良いほどの仲である。
 この魅惑的な液体が生み出されてから、ずっとそうだった。
 そしてこれからもずっとそうだろう。
 良き友であり続ける。
 もっとも、いくら親友とはいえ、推奨できない付き合い方もあったりする。


「はぁ‥‥」
 やたらと化粧の濃い女が溜息をついた。
 プラチナブロンドの髪が揺れる。
「ちょっとペースはやすぎない?」
 問いかける口調は、ごくわずかに心配そうだ。
 アンジェラという。
 天使をもじった名前とは裏腹に、やたらと光り物を身につけ、ど派手なワンピースに身を包んでいる。堕天使もびっくりだ。
 むろん、この名前は、偽名というかハンドルネームというか、ようするに本名ではない。
 ついでにいうと、女の恰好をしているが女でもない。
 本名は室田充。商社に勤務するごく平凡なサラリーマンだ。
 もっとも「彼女」にいわせれば、
「どっちが仮の姿かわからないけどねぇ」
 ということになる。
 まあ、このあたりは個人の趣味というもので、他人が口を挟むべき事ではない。
 ないのだが、日本という国では同性愛者はけっこう肩身が狭いのだ。幼児愛好者よりも毛嫌いされる。
 これは、世界の先進国の中では唯一である。
 服装倒錯だろうが同性愛だろうが、成人に達した大人のやることであればかまわない。だが、判断力も備えていない子供に手を出すというのは許さない。
 割と当然の考えなのだが、極東の弧状列島では欧米の常識は通用しない。
 なにしろ神秘の国ニッポンだから。
 ついこの前だって、馬鹿げた判決が下されたものだ。
 いわゆる成人指定の漫画は規制の対象とする、というのである。
 東京地裁の裁判長いわく、「わいせつかどうかは司法が判断する」。
 つまり、警察なり裁判所なりが恣意的に決めて良いということだ。ある日突然、警察官が漫画家や小説家の自宅に踏み込んで、お前の作品はわいせつだから逮捕する、などといって連行するわけである。
 どうしても戦前に戻りたいらしい。
 そのうち特高警察も復活することだろう。
 だいたい、見たくないなら見ない権利を行使すればいいのだ。わざわざ作る権利を侵害する必要などどこにもない。
「ふぅ‥‥」
 アンジェラがふたたび溜息をつく。
 思考の方向性が逸れてしまった。
 メランコリィの寄ってきたる所以は、天下国家の動向ではなく、彼女の目前でひたすら酒を呑んでいる友人だというのに。
「ねぇ深雪ちゃん‥‥」
「うう‥‥ごめんなさいごめんなさい‥‥」
「いやぁ、謝るような事じゃないんだけどぉ」
「ごめんね‥‥ごめんね‥‥」
 ぐびぐび。
 謝りつつも、グラスを口に運ぶ手は止まらない。
 けっして安いとはいえないロゼ・シャンパーニュがどんどん消費されてゆく。しかもヴィンテージなのに。
 この無遠慮飲酒マシーンは、寒河江深雪という。
 アンジェラの友人である。
 普段は雪のように白い肌が、ほんのりと桜色に染まっている。
 そりゃあ染まりもするだろう。二瓶目も、もう残りわずかなのだから。
 東京都内にあるマンション。
 親友同士が酒を酌み交わす。
 まあ、たいして珍しいシチュエーションではないが、聖バレンタインデー前夜に「女」ふたりで酒を呑んでいるという構図は、少しだけ哀しかったりする。
「私ね‥‥ずっとずっと北で生まれたの‥‥」
「知ってるわよ」
 今日に限定しても四度目のループだ。
 深雪の生い立ちなら、そらで言えるようになってしまったアンジェラであった。
「強い男を探してたの‥‥」
「うんうん」
 適当にあわせる。最も無難な対処法である。
「判ってる? わたしは最初から利用するつもりで桐伯さんに近づいたの‥‥」
「はいはい」
「最低‥‥嫌な女‥‥」
「でもいまは違うんだから良いじゃない」
「ううう‥‥からっぽ‥‥」
 泣きながら瓶を振る深雪。
 なかなかタチが悪い。
「はいはい。ちょっと待っててね」
「私まつわー いつまでもまつわー」
「‥‥‥‥」
 苦笑いを浮かべつつ、アンジェラがキッチンへと向かった。
 さて、酒の買い置きはまだあっただろうか。
 冷蔵庫を開け、覗きこむ。
「ベル・エポック‥‥か」
 呟き。
 ペリエ・ジュエの高級シャンパンだ。女同士で呑むような酒ではない。
「ま、しかたないわね」
 肩をすくめ、優美なフォルムをもったボトルを掴む。


 シャンパンの泡は人生と同じ。
 浮かんでは弾け。
 弾けては浮かぶ。
 じっと、深雪がグラスを見つめる。
「どうしたの?」
「ごめんね‥‥ごめんね‥‥」
 ぐすぐすと鼻をすする。
 歌ったり泣いたり忙しい。
 まるで幼い少女のようなありさまである。
「まったく。誰に謝ってるんだか」
 呆れ顔のアンジェラ。
 まあ、このあたりは問いつめるだけ無駄だろう。自分でも判っていないのだ。おそらく。
 明日はバレンタインデー。
 浮かれまくった菓子業界につられ、新たな恋人たちが生まれる。
 しかしその一方で、恋の弓をおく天使もいる。
「私は人妖だからぁ‥‥振り向いてなんて‥‥」
 言えなかった。
 渡せずに仕舞った言葉。
 心に錠を下ろしたつもりだった。
 つもり‥‥。
 そう。
 想いまでは消せなかった。
「だったら‥‥私が消えるしかないじゃない‥‥」
 ぽろぽろと。
 涙が溢れる。
「明日、本当のことをいう‥‥そしてあの人の前から消えるの‥‥」
「それで良いの? ホントに」
 アンジェラが言う。
 まっすぐに瞳を見つめて。
 強い光にたじろぐように、目をそらす深雪。
 ある意味で、ふたりはよく似ている。
 アンジェラに子を産むことはできない。絶対に。
 そして深雪は、雪女だ。
 男を喰い殺す魔性だ。
「‥‥この泡みたいに消えちゃえたらいいのに‥‥人魚姫みたいに‥‥」
「馬鹿なことを」
 やや怒ったように言って、新たな一杯をアンジェラが注ぐ。
「ごめんね‥‥」
「今度は何よ?」
「付き合わせちゃって‥‥」
「何をいまさら」
 くすくすと、お姉さんが笑ってくれる。
「それに‥‥」
「それに?」
「友達同士で呑むお酒じゃないでしょ‥‥これ‥‥」
「気にしない気にしない。どーせあたしもいまはフリーだしね」
「‥‥‥‥」
「それに、お酒だって呑んでもらっほうが幸せってもんよ」
 酒だけではない。
 女だって愛されるうちが花だ。
 皮肉を込めたわけではないが、深雪がうつむいてしまう。
「嫌な女‥‥私って‥‥」
 最初は利用するために近づき、今度は相手のためだと称して離れようとしている。
 身勝手にもほどがあるだろう。
 ただ振り回しただけだ。
「ごめんなさい‥‥とうはくさん‥‥ごめんなさい‥‥」
 詫びる声が、少しずつ小さくなる。
 やがてそれは穏やかな眠りへと変わっていった。
「やれやれ‥‥」
 この日、幾度目かの溜息をついたアンジェラが立ちあがった。
 毛布を取りに行くために。
 そして‥‥。


 水商売において、金曜と土曜の夜はかき入れ時だ。
 むろん、この「ケイオス・シーカー」というバーも例外ではない。
 たいして広いともいえない店内は、空席がないほど賑わっている。
 バレンタインデーの前日のためか、カップルが多いようだ。
 明日はもっと増えるだろうか。
 ところで、クリスマスやバレンタインは、女性が接客する店などは、意外と空くらしい。
 男のかっこつけというヤツかもしれない。
 奇跡のような手捌きでカクテルを作っているマスターは、かっこつけとは無縁だ。
 正真正銘、虚勢の必要もなくモテモテの二七歳である。
 九尾桐伯という。
「ちょっと失礼」
 客へのサービストークの最中。
 ポケットから微細な振動を感じてカウンター奥の厨房に消える。
「もしもし」
『あたしよ。忙しそうなところごめんね』
「まあ、仕事中でしたが。何かありましたか?」
『そうねぇ‥‥あなたの大事な雪兎ちゃんが酔い潰れて寝ちゃったわ』
 苦笑を含んだ声が、受話器の向こう側から聞こえる。
 相手もこういう業界に詳しい人間だ。
 それがわざわざ仕事中に電話するとしたら、それだけの理由があるということだ。
「なるほど‥‥」
 小さく頷く桐伯。
 長くした黒髪が彼の思考の軌跡を追うように揺れる。
『詳しい事情は道々話すけど、いつ頃これる?』
「今すぐにでも」
『あらまぁ』
 はっきりと笑い声が聞こえる。
 肩をすくめた青年の指先が有線放送のスイッチに触れた。
 流れ出すラストバラード。
 普段より二時間は早い閉店だ。


  エピローグ

 深夜の大都会。
 明るい夜を切り裂いて駆けるランチアストラトス。
 運転席の男は、バーテンダーの服にコートを羽織っただけという奇妙な恰好だ。
 フロントガラスに映る、たおやかな夜の姫と無数の眷属。
 きらめき、またたき。
 ネオンライトに圧されながらも、懸命に輝いていた。












                         おわり


PCシチュエーションノベル(グループ3) -
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東京怪談
2004年02月09日

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