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『ねこかわいがり、ねこかぶり 』
言吹・一子2568)&蓮巳・零樹(2577)


 人形師が、猫を抱えて自宅に戻ってきた。
「開けてくれ」
 彼が手ぶらで出かけてから、わずかに10分。何事かと10歳になった孫が戸を開ける。
 人形師は――蓮巳零樹の祖父は、慎重な足取りで玄関に上がった。
「わぁ、ネコだ。どうしたの」
「煙草屋の前で拾った。車に轢かれたらしい」
 歓声のような驚きの声を上げた零樹に、祖父は腕の中の黒猫をそっと手渡した。後ろ足には包帯が巻いてあり、割り箸で添え木がされていた。
「気をつけなさい。折れているから」
「うん」
「世話を頼むぞ」
「えぇ?! どうして僕が?」
「明後日までに仕上げなければならない仕事がある」
 祖父には気難しいところもあった。人形師は零樹の不満にむっつりとした顔を返すと、作業場に引っ込んでしまった。
 零樹の祖父は確かに、そのとき急ぎの仕事が入っているようだった。零樹にはまだよく仕事の内容はわからなかったが、祖父は何もしない日が多いわりに、たまに仕事が入ると作業場に篭りっきりになる。今さっきの外出は、ちょっとした気分転換のつもりだったのだろう。
 祖父には、照れ屋であるところもあった。零樹は祖父の口から、この黒猫を拾ったときの詳しい顛末をついに聞くことは出来なかったのである。
 そう、祖父の口からは。
「しかたないなぁ……」
 くにゃりとした、猫特有の感触。しかし、その毛並みは柔らかで心地良かった。零樹は歓迎するわけでも嫌悪するわけでもなく、ただ好奇心を剥き出しにして、黒猫を抱き上げた。
 二股に分かれた尾を、黒猫はひょいと持ち上げた。


 煙草屋の前を、子猫がうろついていたのだ。
 あの煙草屋のおばあさんは、よく魚屑をくれる――
 猫たちの間ではすでに貴重な通い先なのだった。
 だがその煙草屋の前は、よく車が通る。だから、勇気と実力ある猫だけがその煙草屋を訪れていた。その子猫は何も知らなかったか、余程の冒険野郎だったのだ。
 黒い車が颯爽と現れ、子猫はそこで逃げ出せばいいものを、その場ですくみ上がってしまった。
 黒猫、「一子」もまた、そのとき、煙草屋の前をうろついていた。気づいたときには走り出していて、さらに気がついたときには、煙草屋のおばあさんと、気難しそうな男に見下ろされていた。


 黒猫は何でも食べた。ふざけて抹茶団子を鼻先に近づけたときは、さすがにきらりと睨まれたが。
 零樹はこの猫が気に入っていた。猫が自分をどう思おうが構わなかった。彼にとっては、反応が予測できない玩具のようなものだった。捕らえた生物を玩具にする猫にとって、それはそれなりの屈辱であったかもしれない。
「でもちょっと、なんか……」
 すん、と鼻をすって、零樹は顔をしかめた。
「くさいなぁ」
 猫は青い目をすがめた。
「なに、『失礼だ』って? にらんだって、くさいのは変わらないよ」
 にい、と零樹は満面の笑みを浮かべた。その鼻先を、黒猫の爪がかすめる。
 零樹はひょいとそれを避け、
「まってて」
 居間を出て、風呂場に入った。

 後ろ足が不自由な黒猫は、零樹に抱かれて、もうもうたる湯気が支配する風呂場に連行された。古めかしい風呂の中に湛えられた湯は、その湯気の量からも想像できるように、かなり熱めに沸かされていた。
「ふぎゃ! みぎゃ!」
「あっ、いてててっ、あばれないでよ! くさいものは捨てるか、洗うか、どっちかしないとさぁ――」
 ということで、と零樹は湯を嫌がる猫を持ち替えた。
「いちばんぶろ、どうぞ!」
 ぽうい、
 そんな効果音がつきそうなほどに気持ちよく、猫は宙を舞った。ざっぷん。
「きゃあああぅ!」
「わ?!」
 白い湯気の中で、突如上がった人間の声。風呂の中に、人など入っていなかったはず。零樹は、猫に一番風呂を譲ったのだから。
「熱い! 熱い! ばか!」
 湯気を鋭い爪で切り裂き、確かに「人間」が、湯船から飛び出してきた。
 白い肌に黒い豊かな髪、ぱっちりとした大きな青い目、年頃の女だ。間違いない。零樹は思わず手で目を覆ったが、そんなことをしなくとも、「女」の裸は湯気で見えなかった。
 裸の「女」は零樹を突き飛ばし、裸のまま風呂場を飛び出して、片足を引きずりながら居間を駆け抜け、玄関の戸を蹴り飛ばし、天下の往来に踊り出た。
 しかし、幸いにも事情を知らない人間の目には触れることなく、「女」は玄関の戸が外れた家の中に戻ることとなった。
 ちょうど、仕事に行き詰まった零樹の祖父が、作業場から外に出ていて――難しい顔のままうろうろしていたところだったのだ。人形師は難しい顔のまま裸の「女」の突進を受け、倒れて、「女」としばらくもつれ合っていた。


「言吹一子です。よろしく」
「は、蓮巳零樹。よろしく……」
 こたつの前で正座をし、ふたりは深深と頭を下げた。
「ぼくはこの親切なおじいさんに救われました。いつか何か恩返しできればと。猫は恩を3日で忘れるなんて、誰が言ったと云う噺なわけですよ。ねえ、おじいさん。あのときぼくを抱き上げて――」
「仕事に戻る」
 零樹の祖父は渋い顔で一子の話を遮り、とっとと作業場に引っ込んだ。逃げたのだ、と零樹と一子はほぼ同時に同じことを考えて、噴き出した。
 が、一子と目が合った途端、零樹は赤くなって俯いたのだ。
 ――はだか見ちゃった。はだか。おんなのひとのはだか見ちゃった。見えなかったけど見ちゃった。ネコなんだけど見ちゃった。どうしよう……。
「どうかしました?」
「なんでもないよ!」
 一子の自然な問いかけに、零樹はコンマ8秒で返事をし、こたつにもぐりこんでテレビをつけた。
「……また、湯船に投げこまれてはかないません。足の怪我が治るまでは、この姿で。ああ、ちゃんと服は着ますから」
「そ……そう」
「何か問題でも?」
「うん。――ううん」
「どっちですか?」
「……両方かなあ」
「ろくな大人にならない感じがひしひしと伝わってきますねえ」
 ぬけぬけと本音を口にする黒猫は、にいいと大きな笑みを見せるのだ。
 『不思議の国のアリス』のチェシャ猫の笑みとは、きっとこんなものだろう。零樹はむっとしたが、一子の顔をまともに見ることが出来なかった。
 ――はだか見ちゃった。はだか。おんなのひとのはだか見ちゃった。
 はあ、と溜息をつく零樹の顔を、一子は猫の微笑みで覗きこむ。
「顔、赤いですねえ。何とも、可愛いですねえ」
「ほっといてよ」
 零樹は言い捨てると、赤い顔のままこたつの上の蜜柑に手を伸ばした。橙の皮に爪を立てると、一子はわずかに顔をしかめ、こたつから離れた。
「……みかん、きらい?」
「その匂い、鼻に悪いのです。ぼくは人間より鼻がききますから」
「あぁそう」
「……ろくな大人にはなれなくても、図太い大人にはなれそうです」
「……は?」
「ぼくが何であるのか知っているのに、まるでヒトのように捉えているから」
 それが出来る人間の、何と少ないことか――
 一子が俯いて髪をかき上げたとき、零樹はまたしても顔を赤くして、一子から目を背けた。しばらくの間、ふたりとも俯いていた。
「……ごめん」
 不意に、昼下がりのサスペンス劇場が流れる中で、零樹がそう謝った。
 一子には、何のことかわからなかった。一子は猫のように――猫そのものの仕草を見せた。首を傾げて、じっと見つめた。
 零樹はのろのろと蜜柑を食べているだけだった。
 立場はいつの間にか、会ったその日と逆転していた。

 その日から、蓮巳家の食卓にはよく魚が出されるようになった。

 一子が髪をかき上げると、ふうわり薫るのは――
 野良猫の匂い。
 一子は普通の猫ではなかったので、折れた足の回復はかなり早かった。まだ庇いながらではあるが、ひとりで歩けるようにもなった。
 そんな折での出来事だ――
 零樹が夕食の片付けをしていると、足音もなく一子が背後に回りこみ、がばと抱きついてきたのだった。
「な、なにするんだよ!」
「おじいさんが言いました。おまえはたいへん臭いから、そろそろ風呂に入れと。あの日は何だかんだでお流れになってしまいましたからね。一緒に入りましょうか」
「お、おふろきらいなんでしょ?!」
「ええ、熱いのが厭なのです。猫は猫舌で猫手なんです。だから、ちょっとぬるめがよろしい。さ、入りましょうか」
「なんで! お祖父さんと入りなよう! 僕、まだいい!」
「もう子供はお風呂に入って寝る時間です。さあさあ、服を脱ぎましょうね」
「ヤだって! ヤだってば! 何で僕なんだよー!」
 それは、瀕死の鼠を弄る猫。
 くすくすと含み笑いをしながら、一子は零樹を風呂場に引きずっていった。華奢な腕だが力は強い。何故なら普通の人間でも普通の猫でもないからだ。

 零樹は実に手早く服を脱がされ、風呂場に突っ込まれた。湯船に満たされた湯は、あのときのものよりもはるかに温度が低い。湯気は少なく、最早「女」の裸体を隠してくれるものはなさそうだった。一子本人……本猫は乗り気で、さっぱり気にも留めていないようなのだが、零樹は狼狽に狼狽を重ねた。
「ひとりで入るよ! ほんとにいいったら!」
「そうつれないことを言わないで下さいよ。背中を流してあげますからねー」
「ああぁ……」
 かみさま。
 がらっと戸が開き、前を隠すわけでもない、堂々たる素振りの一子が現れた。
 ……かみさま!
 そう、もう湯気はなく、ただ、見るしか零樹にはかなわなかった。目を丸くして見つめるより他になかった。


「それじゃまた来るよ、お嬢ちゃん。先生によろしくね」
「はい。大事にしてあげて下さいね」
 人形師に修理を頼んでいた人形を受け取りに来た老婦人を、一子と零樹は気難しい人形師の代わりに笑って送り出す。老婦人が見えなくなるまで微笑んでいた一子は、微笑んだまま毒づいた。
「失礼ですね、『お嬢さん』だなんて」
「そら見ろって感じ」
「……何か言いました?」
「言ったよ。ひょっとして自かくしてないの、じぶんの外見? 名前だって『いちこ』だよ? だれがオスだなんてかんがえるんだか」
 零樹の呆れた視線を、一子ははね返す。
「本当にろくな大人になれませんよ、そんな口を利いては! それにぼくをオス呼ばわりとは失礼です」
「じゃあ、オカマ」
「……引っ掻きますよ」
「あっ、お祖父さんに言いつけてやる」
 チェシャ猫の笑みを顔に湛えて、零樹は走り出した。
「お祖父さーん! 一子にいさんが――」
「零樹! ぼくはまだ何もしてないでしょう?!」
 どたばたと、子供と猫が駆ける旧い家。
 高い声と足音の中で、人形師は難しい顔のまま人形の髪を梳る。




<了>
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2004年02月05日

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