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『静謐、飄烈 』
杜部・叉李2257)&高遠・紗弓(0187)

■→□

 悪く無い。
 って言うか、ある意味良すぎる。
 ヤホー、なんて言いながら指先をひらひらと振ってみせて、俺――杜部叉李【モリノベ・サイ】は彼女にイカしたほほえみってやつを送ってやった。口の端をオシャレに引き上げて目を細めるアレだ。
 たいていの女の子は、俺がそんな風に笑うと照れたみたいにはにかむか、少し怒ったみたいな顔でそっぽを向いたりする。どっちにしろ、悪くない反応だと思う。女の子だぜ? 甘い砂糖菓子みたいに繊細で気ままな彼女たちの心を、少しでも乱すことができるのを喜ばない男なんていないんだ。
 ところが、彼女は違った。
 待ち合わせの地下鉄の改札、目印の真っ黒なストレートを肩の上ではたはたと跳ねらかせながら駆けてやってきて、俺の前で前かがみにはあはあと荒い息を吐いている。ヒラヒラもにっこり、もとりあえずは関係ないって感じ――ただ約束の時間に遅れてしまったことを丁寧に侘びながら、ときどき急いだサラリーマンや女子高生に肩を押されながらスミマセンっとか狼狽えていた。忙しい子だ。
「・‥…――っ、すみませ…何分ですか、私は遅れました」
「んーん、十分やそこらじゃない? そういうの余り気にしないから、平気」
「でも、私は遅れてしまいました。ごめんなさい、お詫びに今日は私がお金、出しますから」
 思わず失笑。
 女の子に飲み代払わせる程、少なくともまだ俺は落ちぶれてないつもり、だし。
 肩を竦めて、最近すっかり伸びた前髪をくしゃりとかき混ぜながら俺は彼女と視線の高さが合うように上半身をかがめた。多分、女の子にしては背が高い。でも、俺ほどじゃない。
「じゃあ、飲み代よりも欲しいものがあるな、俺」
「―――?」
 きょと、と彼女――高遠紗弓【タカトオ・サユミ】ちゃん、とか言うんだったか――が目を瞬かせる。彼女のコートの合わせの中で、逆十字の華奢なネックレスが揺れた。ようやく収まりかけていた呼気を呑み込んで、首を右に傾ぐ仕草。
 無駄な言葉は口にしない、ますます俺の好みな女の子だ。
 薄いくちびるを笑った形のまま噤んで、俺は彼女とは逆の方向に首を傾いだ。ちゅー。そんな擬音を脳裏によぎらせながら、柔らかそうな彼女のくちびるがそこに触れてくるのを少しの間、待つ。
「――ほっぺに、まつげ」
 だから、そんな言葉と共に、冷たい指先が俺の頬に触れた時、ちょっとびっくりして目を開けた。
 彼女が俺の目の前、じっと頬の辺りを見つめながら真面目な表情。きれいな貝の形に整えた爪の先で、まつ毛とやらそっと取り除き、それをふいと地面に捨てる。そして再び俺を見上げて、にっこり…と(それは、そんな言葉以外に表現しきれないほどの完璧な、完全な)笑った。
「・・・・・・。」
 これはちょっと、やられちゃったんじゃないか。
 っていうか、かなり。
「行きましょう?」
 にっこり、の口がそんなふうに俺に言って、彼女が先に歩き出した。
 俺は、左足の裏と背中を預けていた柱から離れて、数歩さきの彼女の背中を追い、速足で歩き出す。
 
□→■

 ずずず、と音が立ったので、慌ててストローから口を離した。
 逆三角形の小さなグラスの中身はいつの間にか空になっていて、それを見た彼が店員さんにもう1つ、とお代わりを注文してくれる。はしたない、なんて思われていないだろうかとちょっと不安になったけれど、何だかとても感じの良い笑顔を向けてくれたので大丈夫なんだと思う。
 ちょっといい感じの飲み屋近くにあるからと彼が誘ってくれたのは、今まで私が入ったことがないような薄暗いお店で、店員さんがみんなタキシードを着て出迎えてくれるようなおしゃれなバー。カウンターでバーテンさんがシェイカーを振っている。何を頼んだらいいのか判らなかったのでメニューと睨めっこをしていたら、彼が赤くて小さなグラスのアルコールを注文してくれた。私の目の色と同じだから、だそうだ。
「何だっけ、ほら――写真、撮ってるんだよね。変なヤツとかいるんじゃない? 今度はキミが、とかさ」
「ウウン。私、風景」
「あー、そっか。楽しい? そういうの好き?」
 この人と――友達が紹介してくれた。名前は…何だっけ?――話をすることに、少しずつ自分が慣れてきているのを感じている。10のことを伝えるのに、私はえてして3、もしくは2、くらいの言葉しか口にできずにいるのに、この人はそれだけで11くらいのことを理解してくれているような気がするからだ。普通の人ならきっと、『風景』だけじゃ何も判ってくれないだろう。私は、風景写真を撮るのを、メインの仕事にしているんです。そこまで音にできてやっと、自分の思うことを表現するということなのだと頭では判っているけれど。
「じゃあ今度、試しに俺を撮ってみて。新しい発見があるかも?」
「ウン、そうかも?」
 そう考えると、今度は逆に――自分はどれだけ、この人の伝えようとしていることを理解できているのだろうかと考えたりもする。
 例えば、さっきのまつ毛。
 この人が、私にほっぺのまつ毛を取らせたいばかりに、あんな所でずっと私を待っていてくれたとはとうてい思えない。何か、別のことを私に伝えようとしていたんじゃないか。例えば、形の良いまゆ毛を褒めて欲しかったとか?
「――サン。ほらー、紗弓サンっ」
 来たよ、と彼が私の前に新しいグラスを置いてくれた。さっき飲んでいたのと同じ、濃いピンク色のお酒がなみなみと注がれている。カシスベースのなんとか言う名前のお酒だったと思うんだけれど、例によって思い出せずにいる。
「俺もそれにしようかなあ。美味しい?」
「ウン、甘い」
 キールもう1つ、と――覚えて置こう――彼が注文する。店員さんを見上げている彼の首すじが、ちょっとセクシーだと思った。逞しい、男の人の強さのある首すじだ。
 セクシー?
 私は何を考えてるんだろう。
「――大丈夫? もしかして、けっこう…酔ってる?」
 テーブルに両ひじを突いて、彼が――思い出した。モノノベくん…違った?――私の顔をじっと覗き込んでいた。
 あ、赤い。ふと思う。きっと、外にいる時は暗くて良く判らなかったんだ。じっとまばたきもせずに私の顔を覗き込んでいる彼の切れ長の瞳は、とても深くて、茶色に近い――赤、だった。
「……赤い、んだ。」
 耳に届いた自分の声が、何だかとても楽しそうに聞こえた。何が楽しいんだろう、紗弓、どうしたの?
 そして、私の意識は暗転し――暖かくて心地の良い暗闇に、足を絡めとられていった。

∞→?

「ごめんなさい。きっと昨日、私はおかしかったの。このことは忘れて、私も忘れるから。」
 ぱっちりと目を開いてから約10分の沈黙を守った紗弓が、ようやく口を開いて叉李に宣告したのは、そんな言葉だった。
 殺風景な――それはおそらく、さばさばとして性格の紗弓のものよりずっと――男の部屋。ベッドの上では今も叉李が、何を訊きたいのか、何を言いたいのかよく判ると言いたげな顔でウンウンと神妙に頷いていた。
 プツリと、紗弓の中で途絶えている昨日の記憶。何やら赤いアルコールをしこたま飲んだ――はっきりと赤だった、と記憶していたわけではなかった。カシスの香りだけが今も鼻の奥に残っていて、それで便宜上赤い酒だった、と脳内で置き換えているだけだった――そのあとから、今までの記憶が紗弓の中では綺麗さっぱり損なわれてしまっていた。コートだけはいつ脱いだものか壁のハンガーにきっちりとかけられていたが、少し寝乱れたシャツはそのまま1つもボタンが外れていない。
「オーケイ、紗弓。君の言いたいことはよく判る。でも誓って、俺は君に『何も』『して』『いない』。少なくとも、君が疑ってショックを受けるようなことは、何もね」
 そう言う叉李も、テーブルの上にじゃらじゃらとしたアクセサリーは投げ出してあったものの、昨日会ったときの服を着たままだった。毛布から上半身を起こしたまま、両方の手のひらで調子をつけながら、噛み含めるように紗弓へそう説明する。「酔って眠った君をベッドに寝かせて、俺も眠った。俺の部屋だし、俺にだってベッドで寝る権利があったと思わない?」
「みんな、きっとそう言うわ。テレビや雑誌で良く見るもの、何もしてない。何をしたかしていないかじゃないの。『一緒に』『1つのベッドで』『寝た』、それが1番重要なんじゃない」
 昨日、叉李に無防備でパーフェクトな笑顔を見せたあどけない紗弓の顔が、今は能面のように無表情に見えた。叉李は苦笑する、ちょっと悪戯が過ぎたかもしれない。
「判った、じゃあ言い方を変えよ。紗弓、君の好きなトレンディドラマでは、そのあと男は何て言う?」
「何てって、……それはドラマの中の話でしょう。今は関係ないわ」
「ドラマの話を持ちだしたのは君だぜ?」
「――判らない。あなたは、何て言うつもりなの」
 紗弓は叉李に背中を向けたまま、椅子に腰かけて自分のバッグの中をさぐっている。簡単な化粧道具しか入っていない、こういう時に限って!
「深く考えないでいいよ、別に。だからさ、俺と付き合ってみない?」
「・‥…‥・」
 ぴくん、と紗弓の背中が止まった。
 叉李はその様子をじっと見つめてたまま、毛布の中であぐらをかく。
「レンアイって、こういうことから始まるんじゃない? もちろん、こういう事から始まらないレンアイもあるだろうけど。それと同じくらいの確率で、こういうレンアイだってあるよ」
 しばらくの、間。
 紗弓の背中は、何かを思案しているようにも見えた。
 どうよ。叉李は紗弓の背中に、挑むような眼差しを投げる。
「‥‥‥そんなの、変」
 やはり、振り返ることもしないまま。
 紗弓が返したのは、そんな言葉だった。
 
 身繕いを終えた紗弓が部屋を出て行ってしまうまで、2人の間にそれ以上の会話はなかった。
 そんなの、変。
 紗弓の言葉が、叉李の脳裏でぐるぐると巡り回っている。
「――やれやれ、と」
 叉李は勢いをつけてベッドに倒れ込み、わしゃわしゃと両手で前髪を掻き回した。

 静謐、飄烈。
 杜部叉李と、高遠紗弓。鮮烈にして最悪な、互いの第一印象である。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月29日

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