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『楽園 』
イヴ・ソマリア1548)&ケーナズ・ルクセンブルク(1481)

「ケーナズ! お出かけしましょ! もちろん変装も忘れないでね!」
 出会うなり、開口一番、恋人が、言った。
 咄嗟に意味を図りかねて沈黙するケーナズ・ルクセンブルクに、イヴ・ソマリアが、これこれと一枚の写真を突き出す。
「…………イヴ」
 そこに写っていたのは、黒髪黒目の、警察官姿の、ケーナズ・ルクセンブルク。あの土壇場で、イヴは、同行を余儀なくされた哀れなマネージャーに、ケーナズの写真を撮らせていたのだ。
「まさか、私に、もう一度、髪を染めてコンタクトを入れろと言うのでは……」
「やだ。大当たり。やっぱり通じ合っているのねぇ」
 この上もなく愛らしい笑顔を振りまきながら、イヴが、いそいそとヘアカラー剤を用意する。どうやら、自らの手で金髪染めを決行する気らしい。
 天下のアイドルにここまでさせるのは、ケーナズ・ルクセンブルクをおいて、他にはない。嬉しいと言えば嬉しいのかも知れないが……どうにも素直に喜べない諜報員が、そこにいた。
「大丈夫よ。ケーナズ。私の髪染めの技術は確かよ? 毎回、何かの調査の度に、変装して腕を磨いていたのだから!」
 ずるずるずる……と、恋人を洗面所まで連行する。
 ケーナズ・ルクセンブルクに、選択の余地は、全く無かった。



 日本でも有数の巨大レジャーランドは、やはり、本日も満員御礼だった。
 広大な敷地に七つものテーマポートを用意し、更にそれぞれが一日かかっても遊びきれないと言うほどに、このテーマパークは奥が深い。人が童心に返らずにはいられない、不思議な夢と楽しさに満ち溢れている。
 すごい、可愛い、と、単純な感想しか言えない自分の語彙数が、恨めしいほど。普段は毛嫌っている人混みさえも、さして苦痛には感じられなかった。
「コンサート会場のあの雰囲気に、似ているかも……」
 体中から溢れ出すような、この熱気。非現実を求めて、不思議な世界に浸る人々。イヴの歌を、束の間の夢を求めて聴きに来る人たちが放つ、あの高揚した雰囲気と、あまりにも酷似している。
「うん……ここは、悪くはないわ」
 圧倒される。「人間」の持つ心に。何の力もない、あまりに儚い存在。この世界に来たばかりの頃は、歯牙にもかけていなかったのに……今は、愛おしくさえ、感じる。
「ねぇ……ケーナズ。わたしね、最近、思うのよ。人間って、この世界で、実は、一番、逞しい存在じゃないかって」
 無駄なのに、足掻きを止めない。無益なのに、果敢に挑む。
 低い確率の奇跡ほど、彼らはものにしてしまう。あの忌々しい銀行強盗事件のあった夜、三階に潜む犯人たちを根こそぎ捕らえたのは、ごく普通の一般人だった。イヴのように、特殊な能力など、何もない。弾丸の一発で死んでしまうか弱い女が起こして見せた奇跡に、今も、驚きを禁じ得ない。
「しぶとさと、諦めの悪さこそが、人間の、一番の力だからな」
「ケーナズも?」
「どちらも、諜報員には、必要な性質だ。私も例外ではない」
「格好良かったわ」
 一流の狙撃手としての腕を、あの夜、見事に披露してくれた。彼は、軍人で、諜報員で、身一つで闘うことが出来るのだと、嫌と言うほど思い知らされた、一瞬。
「でも、お願い。無理だけは、しないで」
 なまじ戦闘力が高いだけに、不安になる。
 ケーナズは、無敵の勇者などでは決してない。なるほど、人より多少は身体能力が優れているだろう。不思議な力も身に付けている。
 だが、それは、決して万能ではないのだ。そもそも人間に万能な者などいやしない。人間は脆く崩れやすい生き物なのだ。その両手に抱えることの出来る量は、いつだって、呆れるほどに小さく、少なく限られている。
 間違いだらけで、失敗を繰り返す。
 若くいられる時間は恐ろしいほどに短く、いずれは、確実に、先に逝く……。

「でも、だからこそ、守るわ」
 
 心の中で、誓いを立てる。一瞬に近い短い時間だからこそ、大切にしたい。守りたい。
 絶対に、妥協はしない。
 親しくしている者たちを守るためなら、この身に眠る全ての力を引き出して、消えて無くなってしまっても、構わない。
 
「無理だけは、するな、か。その台詞は、そっくり君にも当てはまるな。イヴ」
 
 君も、不死身でも無敵でもないのだから。
 素早くケーナズが反論する。イヴはどきりした。心を読まれたのかと思ったほどだ。
 確かに、ケーナズの言う通り。異界の女王の妹は、決して、神ではない。いや、神でさえも、この世界では、あるいは死に至るのだ。ましてそれと比べると、イヴ・ソマリアとても、一般人と何ら変わりはない。
 
「私は死なない。イヴ。少なくとも、君の見ている前で、君の望まない死に方は、絶対にしない」

 でも、寿命には、勝てないのよ。
 
 何かを振り切るように、不意に、イヴが、駆け出した。
 それを慌ててケーナズが追いかける。傍目には、どこにでもいる、当たり前の恋人同士。幸せそうに戯れる彼らの姿は、何の違和感もなく、周囲の景色に溶け込んでいた。
 
「さぁ、ケーナズ! 次は何に乗るのかしら? わたしとしては、やっぱり、メルヘンよりもスリルを求めてやまないのだけれど」
「奇遇だな。イヴ。その意見には大いに賛成だ」
 打ち合わせたわけでもないのに、彼らの足は、自然、鮮やかな原色の冒険の舞台へと向かっている。そこは、1930年代の中央アメリカ・カリブ海沿岸。失われた古代文明が広がる未開の大地だ。
 好奇心をくすぐる仕掛けが、それこそ唸るほどにある。
 一番人気の、失われた神秘の魔宮に、彼らは、早速、乗り込んだ。

「うぅーん。なかなかのものだけど、ちょっと物足りないわね。これならわたしの世界の方が、ずっとスリル満点よ」
 化け物が普通に跳梁跋扈する魔界と、安全第一なアミューズメントパークを比べてはいけない。
「私が仕事で潜入するどこかの基地の方が、緊迫感はあったな」
 007の舞台を、常から経験してきたケーナズである。非現実はお手の物だった。
「こうなったら、全舞台制覇よ! いざいかん。スリルとロマンを求めて!」
「どこで覚えたんだ。そんな台詞……」
「今度のミュージカル、冒険ものなの。ケーナズ、絶対に見に来てね」
「君の役は? 今の台詞から察するに、元気な冒険隊員か?」
「はーずれ! 黄金郷を守護する妖艶なる女王よ!」
「それは、何が何でも見に行かなければな。ついでに特A席を願いたい。君の姿がよく見えるように」
「もちろんよ。一番の特等席は、いつだって、ケーナズのために取っておくわ」
 
 会話が途切れることはない。
 長い長い待ち時間も、それが彼らに退屈をもたらすことはない。共に居ることが自然で、共に在ることが嬉しくて溜まらない。
 この楽園が、永遠に続くはずがないと、知ってはいるけど……。
 そこには必ず何かが残るから、いずれ訪れるその「時」が来ても、生きていけると、確信できる。

「わたしは、わたしの望む居場所を、見つけたわ」

 もっと過ごしやすい世界は、あるのかも知れない。
 異界の王族という立場を考えれば、たまたま初めに迷い込んだこの世界で決めてかかるのは、むしろ危険と言えるだろう。
 滅びかけた、あの茫漠たる大地で、主の帰還を待ち侘びている者たちの存在を、決して忘れたわけではない。
 それでも……。
 それでも。

「ここが、わたしにとっての、楽園なのよ……」

 自分を呼ぶ、ケーナズの声に、はっと正気付く。
 恋人の胸の内を飛来した、様々な思いに、青年は、恐らく気付いたことだろう。だが、何も言わず、ただ、くしゃりとイヴの頭を掻いた。
 ケーナズは、いつもそうだ。余計なことは言わない。何もかも見通しながら、本当に必要なことしか口にしないのだ。単純に無口なわけではない。言葉のもたらす重みを、正確に、知っているだけだった。

「何が欲しい?」
「……時間」
「時間はたくさんある。今までも、そして、これからも」
「本当に?」
「今まで、私が、君に嘘を付いたことがあったか?」
「ない……わ」

 ほんの数十年。
 楽園が続いて行く、時間。
 イヴにとっては、幻のように、儚い。

「でも……」

 強い想いは、「一瞬」をも、「永遠」に変えるから。
 願う限り、「楽園」が、消えて無くなることはない。





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東京怪談
2004年01月28日

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