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『Money game 』
綾和泉・汐耶1449)&セレスティ・カーニンガム(1883)

「ここもバツ……か」
 一つ溜息を吐き出し、綾和泉汐耶が、後ろ手に扉を閉める。窓ガラスにベタベタと張られた「お部屋探しのプロ」とか「良質物件多数」とか書かれた張り紙を一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
「理想の部屋探しって、予想外に難しかったのね……」
 もう随分と長いこと、こうやって、汐耶は、希望の引っ越し物件を求め、歩き回っていた。
 長く住みたい自分だけの城探しだ。どれほど大変でも、妥協をする気は全くない。適当な所で手を打てば、かえって高く付くという事実にも、とっくの昔に気付いていた。結局は飽きてまた何処かに引っ越すことになるのなら、初めから、理想以上の家を見つけた方が、断然手間がかからない。
 きっ、とタイヤを軋ませて、不意に、歩道を歩く汐耶の横に、車が止まった。
「あら……」
 黒塗りの高級車の後部座席の窓が開き、そこから、セレスティ・カーニンガムが顔を出す。
 友人、と呼べるほど、親しい間柄ではない。あえて言うなら、知人、という表現こそが相応しい。その大して親しくもないはずの汐耶に、セレスティは、思いのほか人懐っこい笑顔で話しかける。
 身分違いの大財閥の総帥に対する気後れも吹き飛び、汐耶は、足がすっかり棒になってしまいましたと、二度、三度、靴の爪先で地面を叩いた。
「難しいですね。部屋探しって。そういえば、セレスティさんは、素晴らしいお屋敷を幾つもお持ちですよね? どうやって見つけてくるんですか?」
「新しい部屋が欲しくなったときには、私は、自社の不動産を使っています。うちの不動産部門には、なかなかのやり手が揃っていますのでね。よろしければ、綾和泉さんにもご紹介いたしますよ」
 この申し出は、渡りに船だった。自力で見つけ出すことには、そろそろ限界を感じ始めていたのだ。
「ぜひお願いします」
 いつの間にか車を降りた秘書が、後部座席のドアを開けた。汐耶が完全に乗り込んだのを確認すると、扉を閉め、運転席に戻る。セレスティが何かを言う前に、秘書は、カーナビを操作して、一番近いリンスターの不動産会社支店を探し出した。車はすぐに滑るように移動した。
「なかなか有能な秘書のようね」
 声に出して言ったわけではない。だが、汐耶のわずかな表情の動きから、セレスティは、彼女の心の声を知ったようだった。
「有能ですよ」
 満足げに、呟く。彼は頭の良い人間が好きだった。勉強が出来る、という意味ではない。必要なときに、最適な判断の出来る人間が好きなのだ。それは、難しい微分の計算問題を解くよりも、遙かに大切なことだと確信している。
「そういう人間は、決して多くはないことが、残念ですが……」



 セレスティに紹介された不動産会社社員を案内役に、幾つか物件を回ったが、わずか四件目にして、汐耶は、早くも理想の部屋に出会うことが出来た。
 まず、通勤に使う山手線に、近い。地下鉄駅に近いということは、それだけ人通りの多い場所に建っているに違いないのだが、意外なほど、環境は静かだった。
 マンションの敷地面積が広く、入り口が道路から少し離れた奥まった所にあるため、人の流れは目に付かない。防音防犯設備は完璧。銀行並みのセキュリティを誇る。
 駐車スペースも広い。マンション前の敷地と、建物の一階部分が、まるごと駐車場になっている。他にも、外国人の居住人を想定して造られているらしい高い天井など、全てが汐耶の希望に添っていた。これ以上の物件は、望むべくもない。
「ここがいいわ。ここに決めました」
 真新しい壁や床の感触を確かめながら、汐耶が弾んだ声を出す。4LDKの部屋は、全室フローリング仕様だが、入居者の希望によって、畳を敷くことも可能だという。
 ベランダは、ちょっとしたサロン風になっていた。椅子とテーブルが、既に備え付けられてある。ステンレスの網棚は何に使うのかと思ったら、わざわざ鉢植えの植物を置くためだけに、用意されたものらしい。
 贅沢ね、と、汐耶は、思わず苦笑する。が、いざ住むことになったら、早速、ここに観葉植物でも並べていることになっているのかもしれない。
「お気に召したようですね」
 興味深げにあちこちを見て回る汐耶の姿を目で追いながら、セレスティが、満足そうに微笑む。
 このマンションは、ただの紹介物件ではない。リンスターの人間が、直接、設計に携わった建物なのだ。日本の家屋らしくなく、全てが大きめに造られているのは、そのためである。
「善は急げと言うし、残りの部屋数も少ないみたいだし、ここで契約も済ませます。いいかしら?」
 不動産社員が、もちろんですと、大きく頷く。鞄の中に、既に必要な書類は用意されていた。汐耶ならばここを気に入ると、確信でもあったのだろうか。
 手回しの良さに妙に感心しつつ、汐耶は、慎重に契約書に目を通して行く。細かい文字を嫌煙して、この手の書類を読みたがらない人間は多いが、本の虫の彼女には、何ら苦痛を与えるものではなかった。
「セレスティさんには本当に感謝します。こんなに早く、こんな良い部屋に巡り会えるなんて」
「お役に立てて光栄です。……それにしても、この部屋なら、私が欲しいくらいですね」
「既にたくさんお持ちなのでしょう? 部屋ばかり増えても、体は一つ。ほったらかしになってしまいますよ」
「それも勿体ない話ですね」
 談笑する二人をやや遠巻きに見守りながら、秘書が、大丈夫だろうかと、不安そうに首をかしげていた。
 金持ちゆえに金銭感覚が常人とは異なるリンスター総帥と比べると、彼は、遙かに現実的な意識の持ち主だった。
 良質物件なのは認めるが、その分、恐ろしいほどに値が張るに違いない。汐耶の職業については、紹介されたとき、聞いてはいたが……たかが図書館の司書に支払える額でないのは確実である。
 案の定、提示された金額に、秘書は思わず目を回しそうになる。
 これが、例えば、セレスティ総帥ならば、ポケットマネーで買える程度なのかも知れないが……一般人がこんな借金をしたら、本気で首をくくりかねない。
「大丈夫なのですか?」
 秘書が、耐えかねたように、汐耶に話しかける。何が?と、彼女はどこか呑気に聞き返した。
「あまり無理をされない方が」
「ああ……お金のことね」
 うんうんと汐耶が頷いた。秘書の青年の心配は、十分に理解できる。少し前まで、確かに、このマンションの一室を買えるような資産は、汐耶にはなかった。
「株……ですね」
 セレスティが、汐耶の代わりに、疑問に答えた。
「綾和泉さんは、書籍購入のために、以前から、株をやっているのですよ。それが大当たりしたというわけです」
「株……ですか」
 そんなマネーゲームに、目の前の女性が手を出していることに、秘書は驚きを禁じ得ない。欧米ならともかく、日本では、株はまだまだ大衆文化ではないのだ。一部の投資家たちのための市場であるという感が、どうしても拭えない。
「しかし、それにしても……。この物件が買える程度の利潤を出すとなると……」
 はっとする。
 それだけの利益を作り出す方法が、一つだけ、あるではないか。
 あの財閥解体事件だ……!
「リンスターとの提携が決まったとき、かの財閥の株は、一気に跳ね上がりました。誰もがそれを求め、買い漁りました。その時に、冷静に状況を見極めて、高額で売りに走っていた人物が、ごく少数ながら確かに存在したのです。その中の一人が、ここにいる、綾和泉汐耶さんというわけですよ」
 その後、一気に没落した大財閥の株を大量に集めた誰かが、どんな状況に追い込まれたかは、汐耶の知るところではない。
 重要なのは、そのマネーゲームで、汐耶が、高級マンションを即金で買い取れるほどの利潤を上げたということだ。
 汐耶は、運や勘に任せての株式の運営はしない。決して金持ちではない彼女には、正直、それで大損を抱えることが出来るほどの余裕は無いというのが、実状である。
 だから、情報と分析能力を駆使して、いつも最小投資の最大効果を目指すのだ。警察や税務捜査官すらも見過ごした貪欲な獅子身中の虫の存在に、彼女は、かなり早い段階から、あるいは気付いていたのかもしれない。
「勿体ないですね」
 セレスティが、あくまでも経営者の目で、汐耶を見やる。
 そう。優秀な人間は、居すぎて困るということはない。
「我がリンスターに、キミを迎え入れたいくらいですよ。図書館の司書、という天職に付いてさえいなければ、多少強引にでも、財閥に引き入れていたのですが」
「私の株式運営は、ただの副業ですよ。経営云々に関わる才能は、私にはありません」
「才能の有る無しは、本人が決めることではありません。それは、周りが決めることです。キミには、先見の眼があります。少なくとも、それは確かです。だからこそ、惜しい、と思ってしまうのですよ」
「高く評価しすぎです。セレスティさん」
「私は正当な評価をしているだけですよ。綾和泉さん」
 くす、と、お互い、顔を見合わせて、笑った。
 それ以上言い募る意思は、青銀の麗人には、無いのだろう。拍子抜けするほどあっさりと、身を引いた。
「ここで止めておきましょう。私自身、しつこい人間は好きではありませんのでね」



 念願の良質物件も手に入れて、意気揚々と、汐耶が歩き始める。
 車で送ってやろうというセレスティの申し出も、断った。新しい城を、少しずつ遠ざかる景色の中に、見ていたかったのだ。
「私に、マネーゲームの才能、ねぇ……」
 あのセレスティ氏が言うのなら、あながち外れてもいないのかと、考える。
 株式の運営は副業だが、大事な収入源だ。先見の眼は、無いよりはあった方が良いに決まっている。
「このマンションを買って、さらに家具一式全部買い換えてもお釣りが来るくらい、まだまだ、たくさん余っているものね……」
 この金で、貴重な古書でも、手に入れようか。
「それよりも……」
 家で待っているあの子のために、特上のお寿司でも、買っていこうか。
「安上がりよね……私って」
 でも、こんなささやかな金の使い方の方が、ほっとする。
 ふと、新しい家のすぐ近くに、回転寿司の店があることに、気付いた。
「お寿司か……。たまにはいいわね」
 今度、家族で来てみようかと、真剣に考える汐耶の姿が、そこには、在ったとか無かったとか……。





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東京怪談
2004年01月28日

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