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『守り花 』
蓮巳・零樹2577

【薊の記憶】

 薊(あざみ)は、冷たい女の代名詞。
 棘で武装し、不用意に手折ろうとする者に、ことごとく紅い痛みを伴う教訓をくれてやる。
 零樹のもとにある人形も、「薊」の名を持っていた。美しい花の名とは対照的に、無惨に焼けただれた、その白い貌。
 たかが人形とわかってはいても、正視すら難しい。気の弱い者なら、間違いなく、一目見て悲鳴を上げることだろう。
 薊は奇形の人形なのだ。捨てられていてもおかしくはないのに、内包した「力」の大きさが、彼女に、苦痛に近い生を与え続ける。消えることも許されない。顔が命と知りながら、その体は、二度とは再生叶わぬ神の樹木で作られているから、誰かが……今は零樹が……彼女に、存在を、強要し続ける。

「薊の顔の火傷の痕……」

 高名な人形師だった祖父が残した、最高傑作。
 長らく行方も知れず、その存在を人伝にわずかに知るばかりだった「薊」が、数年前、零樹のもとに戻ってきた。
 どういう経過があったかは、わからない。人形は、零樹の母校に寄贈されていたのである。校長室なんて人の出入りの多い部屋で、醜怪な表情を無言のまま晒していた。
 それを目にしたときのあの衝撃は、一生涯、忘れ得ることはないだろう。そこが校長室でなければ、そこに校長がいなければ、零樹は、一も二もなく祖父の遺品の人形を奪い返し、懐深くに抱いて持ち帰り、二度と、目に付く所には置かなかったに違いない。
 
「それにしても、あの顔の傷は……」

 人形の命は、顔。価値は、表情にある。それが壊れてしまった瞬間、人形は、存在の意味を失うと言っても過言ではない。どんな人形師でも、特に顔には気を使うものだ。
 まして、祖父の形見の最高傑作は、顔があそこまでいびつに歪んでいなければ、間違いなく国宝にも指定された代物である。そこに、一体、何があったのか。知りたいと思うのは、当然だろう。
 いや、零樹は知らなければならないのだ。薊を使役する者として、薊の真の主として、無関心の他人事ではいられない。
 
 
 
 手付かずのまま放置してあった自宅の蔵には、祖父の遺品が、数多あった。
 零樹の周りには、金目のものを無断で持ち出すような不埒な輩がいない代わりに、過去の栄光には、皆さほど興味を抱かないものらしい。
 祖父の思い出は、全て埃を被っていた。硯箱。掛け軸。細工用の道具一式。衝立に、箪笥。着物。たくさんの物たちに埋もれて、古い書棚を見つけた。何冊も、何冊も、本を引っ張り出す。奥が二重構造になっていることに、ふと、気付いた。薄いベニヤ板を剥がすと、黄ばんだ小冊子の群が現れた。
 
「祖父さんの日記か……」

 日記は、亡くなるほんの数日前まで、ほとんど切れ目なく続いている。
 気の遠くなるような、膨大な量だった。何冊か手にとって、眺めてみたが、字が達筆すぎてかえって読みにくい。
 祖父の死から、逆行して行く形で、日記の綴りを追ってみようか?
 それとも、日記の始まりから、順次過去を紐解いていこうか?
 ほんの少し迷ったが、零樹は、結局、後者に決めた。ずらりと並んだ日記の中から、一番日付の古い物を探し出す。
 逆算すると、日記は、ちょうど祖父が零樹の年齢だった頃から始まっていた。日記を付けるなどという、まめな習慣が間違ってもない零樹は、妙に感心してしまう。
「五月十八日……」
 薊の文字を、見つけた。
「今日、初めて、薊に会った」
 過去が、現実の重みを伴って、目の前に開かれる瞬間。





【過去の残像】

「娘のために、人形を、作って下さい。十歳までも生きないと、神にも見放された、あの子のために」
 目の前にいる品の良い夫婦が、そろって頭を下げる。
 零樹は戸惑った。咄嗟に、何が起こったのか理解できない。わからないままに下手に行動して、良からぬ結果を呼び込むのも馬鹿馬鹿しいと思ったので、しばらくは傍観者に徹することにした。
「娘は……薊は、我が家の贄なのだと、高名な霊能者が、仰いました。いずれ死ぬためだけに、生まれてきたのだと。ですが、私は、信じられません。信じたくありません。あの子はまだ九歳です。あと一年足らずで、運命に従い死ねと、誰があの子に告げることが出来ましょう?」
「望みは」
 祖父が、問う。
 まだ若い頃の、祖父。零樹と幾つも変わらない。二十歳にも達していないだろう。こんな若年から、祖父は、人形を作っていたのだ。
「身代わりの、人形を」
 夫婦が、答える。
「あの子の運命を、肩代わりしてくれる、人形を」
 祖父が、夫婦に、何事か耳打ちした。必要な材料を揃えよと言っているのだろう。運命を肩代わりする人形など、そんなもの、おいそれと作れるはずがない。人間は、所詮、積まれた石垣の一つなのだ。わざわざ苦労して星の配列を変えるだけの価値など、あるはずもない。

「運命を、肩代わりしてくれる、人形。定められた死すらも、覆すことの出来る、人形。可能かどうかは、わからないが……やってみよう」

 それからの祖父は、憑かれたように、何体も、何体も、人形を作った。
 薊という少女のために、薊に似た美しい顔の人形を、作る。九歳の女の子は、味家も色気もない作業場に、よく遊びに来た。青年の傍らに座って、ただ黙って、青年の仕事を見守っている。あるいは、自分を救う唯一無二の可能性だと、彼女は、誰に教えられなくとも、知っていたのかもしれない。
「その人形が完成したら、あたし、死ななくても、いいの?」
「そうだ」
 ぶっきらぼうに、祖父が答える。少女は、めげる様子も、恐れる気配もない。
「あたしの家はね、昔、偉いお武家様だったんだって。悪いことを、たくさんしたんだって。罪のない人が、悲しんで、苦しんで、死んでしまったんだって。だから、その人たちを鎮めるために、生け贄が必要なんだって、言ってた」
「意味がわかって言っているのか?」
「わかんない」
 少女は、答えた。
 嘘だ、と、零樹も祖父も、思った。
 少女は、自分の運命を知っている。贄として生を受けた。贄として生を閉じる。ただそのためだけの、存在。他に、彼女が在るための意味など、無い。



「生きろ。人形は、必ず、完成させてやる」
 


 薊のために作られ、薊の名を与えられた人形が、完成した。
 その日の晩、少女の住む旧家から、大火が起きた。
 両親は確かに娘の腕を掴んでともに逃げたはずなのに、外に出てみると、それは、全くの赤の他人だった。使用人の子供だった。薊は、まだ、中にいる。
 暗い夜空を舐めて、納まりを知らず燃え広がる、紅蓮の劫火。浄化の炎だと、誰かが叫んだ。武家の家は、かつて、人を傷つけ殺しすぎた。これは制裁だと、廻る因果なのだと、狂ったように、誰かが笑った。
「ふざけるな!」
 その声が、自分のものだったのか、祖父のものだったのか、零樹にはわからない。
 祖父が、炎の中に飛び込んだ。
 焼け付くような大気に咽せながらも、奥を目指す。自分も焼け死ぬかもしれないという恐怖は、不思議と感じない。ただ、焦る。時間がない。大人の男でも、この煙と熱気には気が遠くなりかけるのに、まして十歳にも満たない子供には、あまりにも過酷だ。

「こっちよ」

 女の子の、声がする。
 炎の中で、導く声。
 そんな馬鹿なと無視するには、声は、はっきりとした響きを持ちすぎていた。青年が、走る。焼けて崩れ落ちた襖の向こうに、倒れている小さな人影を、見つけた。
「薊!」
 少女を抱き上げる。この渦巻く火炎の中にいたのに、彼女には、不思議と、かすり傷一つ無かった。
「薊……薊! 無事か!?」
 今は、それを確かめている暇もない。
 青年は走った。彼が選んで走る場所だけが、なぜか、辛うじて倒壊を免れていた。炎が、逃げるように道を作る。間違った方向に進もうとすると、また、背後から、声が彼らを呼び止めるのだ。
「そっちじゃないよ。こっちよ」
 祖父が屋敷を飛び出すのと、建物が崩れ落ちるのと、ほとんど同時だった。
 恐怖に駆られて、振り返る。高く、強く、凄まじい音を立てて吹き荒れる火炎の向こうに、小さな人型を見たのは、一瞬のことだった。
「薊……」
 無惨に焼けただれた顔を、真っ直ぐこちらに見据えて、人形の薊が居た。
 人間の薊は、無傷のまま、青年の腕の中にいる。
「身代わりに、なったのか……」
 人形は、そのまま、紅い渦の中に消えた。
 二度と、彼らの前に現れることは、なかった。





【守り花】

 十歳までも生きられないと死を宣告された少女は、それから四十年を生き延びた。
 当たり前のように結婚し、子を産み、やがて家族に看取られながら、静かな最期を迎えた。
 零樹は、誇らしげに、手元に戻ってきた「薊」を見やる。
 気持ち悪い、とは思わない。人形は、立派に役目を果たしてくれた。薊の死の運命を、食い尽くしたのだ。醜い傷は、その戦果。長らく、人から人へと流れ歩いてきたのは…………それだけ多くの「魔」を、胎内に取り込み昇華し続けてきたからだろう。
「薊……、か」
 仏壇の引き出しを開け、一枚の古い写真を取り出す。
 若い頃の祖母が、無愛想な祖父の隣で、微笑んでいた。写真の裏には、走り書きのような汚い文字で、ただ一言。

「薊と」
 
 薊は守った。
 零樹の家族を。
 零樹の存在そのものを。
 薊が居たから、今の零樹が、そこに在る。
 彼女を醜いと罵る資格のある者など、ただの一人もいやしない。

「イギリスでは、薊は、国花になっているらしい」

 スコットランドの、救国の花。かつてスコットランドに攻め込んだノルウェー軍の兵士が、アザミを踏み、その痛さに声を上げてしまったために、スコットランド軍に気づかれ、不意討ちが失敗したという話がある。薊の棘が、スコットランドを守ったのだ。
 腫れ物や湿疹が出たときの塗り薬にもなるし、解熱、止血の薬としても用いられる。若葉は棘すらも食用となり、旧約聖書に登場するほど歴史も古く、人との関わり合いの深さには、思わず目を見張るほど。

「薊は、守りの花の名、か……」

 その顔の傷すらも、勲章となる。
 薊が守護の力を発揮してきたという、確かな証。
 奇形と呼ばれても、なお、そこにあり続ける、一つの約束。

「お前も、大変だろうけどな。まぁ、仕方ないから、もうしばらくは僕に付き合えよ」

 人形使いが、人形に、語りかける。
 仕方ないからね、と、答える声が、ふと、聞こえてくるような気がした。

「守ってあげるよ。この花の名にかけて」
「期待しているよ。なぁ……薊」





PCシチュエーションノベル(シングル) -
ソラノ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月28日

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