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『鰹節への遠い道程 』
本郷・源1108

 唸る風。
 船縁に打ち付ける荒波。
 ここは四国、南国土佐。
 南国と言っても1月。冬真っ盛り。
 小雪が吹きすさぶ海を前にして、両手を腰に勇ましく立つ少女が1人。
 本郷源と言う、6歳にして様々な店を経営する少女だ。
 その隣に背中を丸めて立つ少女が1人。
 こちらは名を嬉璃と言う、座敷わらし。
「……寒い」
 ずるずるずるっと鼻を啜り上げる嬉璃に、源は鋭い視線を向けて言い放つ。
「情けないのう、これほどの寒さがどうしたと言うのじゃ」
 分厚いコートを着込み帽子を被り、耳当てにふかふかの手袋まで嵌めた嬉璃に対し、源の姿は何時もの見慣れた着物姿。
 見慣れないものと言えば綺麗に切り揃えたおかっぱ頭に巻いた捻り鉢巻……と言うかタオル。
「お主、寒くないのか?」
 尋ねる嬉璃に、源は平気な顔で首を振った。
 寒さなど、感じないほど気合いが入っているのだから。
「気合いが入っていないから寒いのじゃ嬉璃殿!」
 この冬の荒波よりも、暴風よりも勇ましく言い放って、源は力一杯竿を振り上げた。

 話は1週間ばかし前に遡る。
 冬だと言うのに今ひとつ売り上げの伸びないおでん屋台。
 冬と言えばおでん、おでんと言えば屋台、屋台と言えば源のおでん屋台。……である筈なのだが、何故か一向に客足が増えない。
 日毎夜毎、算盤を弾きながら源は考えた。
 場所が悪いのか、不景気なご時世が悪いのか、はたまたおでんの味が悪いのか。
 おでんの味が悪いとなると、大問題である。
 早速、源はおでんの調理法の改善を思い立った。
 おでんと言えば出汁が命。
 出汁と言えば鰹節。
「鰹節か。鰹と言えば高知県じゃの……」
 呟いて、ポムと源は手を打った。
 出汁に問題があると言うのなら、改善しようではないか。鰹節が命と言うならば、『伝説の鰹』を手に入れてみようではないか。
 市販のものではいけない。高知から取り寄せたのでは意味がない。
 自分で釣るのだ!
 料理人たるもの素材は全て自分の五感で以て吟味しなければならない。
 鰹を自分の手で釣って、自分の手で鰹節に仕上げてみようではないか。
 高知と言えば鰹の一本釣り。
 この手で、おでんの命を釣り上げよう。

 源は冬の海などもっての他、寒い日は炬燵で蜜柑に限ると言って聞かなかった嬉璃を、無理矢理引きずって高知までやって来た。
 高知空港からタクシーで一本釣り体験をさせてくれると言う店に向かった。
 道すがら、源は以前テレビで見た一本釣りの光景を思い出していた。面白い程に鰹が次々と釣り上げられる。
 あんな風に高知と言う場所では鰹は腐るほど釣れるに違いない、と信じている。
 しかし。
 船と釣り道具を借りた店の主人は、幼い2人の客を見て驚きで目を丸めた。
「ご主人。鰹の良く釣れる場所はどの辺りじゃろうか?」
 にっこりと可愛らしい笑みを浮かべて尋ねる源。その様子は大層無邪気である。
「今の季節にゃ鰹は釣れやーせん。2月か3月にゃやいっさん来た方がしょうえいぜよ」
「どう言う事じゃ。今の時期では鰹は釣れないのじゃろうか?」
 予想もしなかった返答である。源は慌てて店主に詰め寄った。
 聞くと、今は鰹の季節ではないのだそうだ。
 鰹は初春に沖縄の沖から黒潮にのって北上し、高知沖を通り、新緑の頃に伊豆半島近海へ、夏頃には東北や北海道辺りまで北上する。鰹を釣りたいのなら、2月下旬月から5月にかけてか、戻り鰹のやって来る秋でなければいけない。
「それくらいの下調べもせずにここまで来たのか」
 恨みがましい嬉璃の視線が少々痛い。
 日々の売り上げとおでんの味に気を取られた源、ついうっかり季節の事を忘れていた。
 回れ右をして帰ろうとする嬉璃の首を掴んで、源は言った。
「しかし全く釣れぬと言う事はあるまい!沖に出れば、1匹くらいは釣れる筈じゃ!のう、ご主人!」
 いや、まず釣れないだろう。強い風に煽られて転覆するのが関の山……と止める主人の言葉が嬉璃の耳に入らないよう両手で嬉璃の耳を塞いで、源は無理矢理、船と釣り道具一式を借りる事にした。
「まぁ、止めはしやーせんから、気が済むようにしちょき。精々風邪を引かぇい様にしとおせ。釣れんかったら、うちの店でこうていきおせね」
 関わらない方が良いと決めたのか、手を振る主人に見送られてやる気満々の源と迷惑極まりない様子の嬉璃は沖へ向けて船を出した。

「い、くら、何でも、む、無理ぢゃ。早く、帰る、のぢゃ」
 寒さで歯をガタガタ言わせながら、嬉璃はかじかんだ手で懸命に釣り竿を握る。
 船を出してから既に2時間、魚のさの字もかからない。
「嬉璃殿!これしきで音を上げるとは情けない!そんな事では立派な釣り師にはなれぬのじゃ!」
「い、いや、なるつもり、は、ない」
「嬉璃殿!気をしっかり持つのじゃ!さぁ、もっと背筋を伸ばしてわしと勝負するのじゃ!どちらが真の釣り師の才を持っておるか!」
「人の、話しを聞けい……」
 嬉璃の言葉など、源の耳には届かない。
 鰹の一本釣りに掛ける情熱。そして、旨い出汁を取り、より旨いおでんを作ること。
 その想いが、今や源の全てである。 
 寒さや波の高さなど、全く気にはならない。
「必殺ぅっ!土ぉ佐の一本釣りぃぃぃ〜っ!!!」
 小さな足を船縁に掛けて、勢いよく竿を引く源。
 未だかつて見た事のないその熱さに、嬉璃は胸が震えるのを感じた。
 もしかしたら単に寒かっただけなのかも知れないが、兎にも角にも、胸が震えた。
「お、おんし……それほどまでに」
 跳ねる波飛沫。それを受けても踏ん張って立つ源。
 そして、力強く引き揚げた竿の先に食い付いた、一尾の鰹。
「つ、釣れたっ……!」
「鰹じゃっ!!」
 船上に飛び込んできた鰹は、痩せているもののビチビチと跳ねて大層活きが良い。
「やった!やったぞ嬉璃殿っ!」
 歓声を上げて、源は嬉璃に抱きついた。
 雪と波で散々に濡れた着物だ。
 しかし、そんな事に嬉璃は気付かなかった。
 冷たい源の手を堅く握って、狭い船上を2人で跳ね回って喜んだ。

「あれ、釣れたがかぇ。ほりゃあ良かったね。でも鰹節が出来上がるまじゃー半年かかるがよ。どうするが?ずっと高知におるがか?」
 たった一尾でも立派な鰹。
 誇らしげに鰹を抱えて、堅く手を繋いで帰った源と嬉璃に、店の主人は目を丸くして言った。
「何?半年もかかるのか?半年と言ったらもう夏じゃな。おでんの時期は過ぎておる……」
 折角釣り上げた意味がないではないか。
「はて……困った。もっと早くは出来ぬのじゃろうか?」
 尋ねる源に、首を振る主人。
「おんし本当に何も調べずに来たのぢゃな……」
 さっきまでの感動はどこへやら、嬉璃は冷たい源の手を振り払い、白い目を向ける。
「しょうがない……鰹節は買って帰るとするかの……」
 溜息を付いて、源は店頭に並んだ様々な鰹節に目を向ける。
「最低ぢゃのう」
 鰹生節に本節、本枯れ節……。
 物色する源の側で、嬉璃はこれ見よがしにくしゃみを連発する。
「なんじゃ?風邪かのう、嬉璃殿。これしきで風邪とは、まだまだ甘い……」
 しれっと笑って見せる源に、嬉璃は軽い殺意を覚えた。

end
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月26日

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