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『刹那遊戯―背中合わせの零― 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)

 ――――時は夜半すぎ。
 暖かい光で満たされた書斎には、二人の男がいた。
 一人はこの広大な屋敷の主人、セレスティ・カーニンガム。どんと佇む重厚な造りの机の向こうに姿勢よく座り、目の前の机の上には何冊かの大判の書物が置かれている。外出から帰ったばかりなのか、自室にいるというのに流麗な外着を身につけ、腰まで流れる輝く銀白色の髪は軽めにまとめられていた。
 対するもう一人はその部下、モーリス・ラジアルだ。彼にしてもつい先ほど美貌の主に召還を受けたばかりのようだが、こちらはいつもと変わらぬスーツ姿で、しげしげと主が持ち帰った数冊の古めかしい書物を見つめていた。
 心持ち後方に視線を固定したままのモーリスの肩から、僅かにその下まで伸びた細かい金の髪がさらり、と胸側に落ちてくる。骨ばった男の手がきめ細かく、白い顎に添えられ、思慮深げな深い 緑の双眸が息をついたセレスティに向けられた。
「今宵のオークションの戦利品はこちらですか」
主は「ええ」と小さく頷いてその長い髪をまとめた紐を解きながら、目の前の本に手を触れる。
「俗にいう――――稀覯本(きこうぼん)ですよ」
「……なるほど。河図洛書(かとらくしょ)、といったところですか。貴方が持つに相応しいものですね」
 稀覯本のそもそもの由来となる言葉を上げ、水に関する言語ですね、と暗に呟いたモーリスに、セレスティは穏やかに微笑する。肯定も否定もしない。ただ、慎重な手つきでそのうちの一つを開いてみせた。
「御覧なさい。……とても古い時代のものです。しかし、これほどにも繊細で、美しい絵が描かれている。今から読むのが楽しみですよ」
 心の底から嬉しそうなセレスティの様子に自分も微笑しながら、モーリスはその手元にある本に目を落とす。
「羊皮紙ですね。大量生産するには困難な素材でしょうに……。ああ、それも稀覯本となることに一役買っているのかもしれませんね」
 そう言いながらそれとなく本を検(あらた)め、その本の製造年代が意外とばらついていることに気づいた。
「……今日のオークションは荒れましたか」
 それとはなしに主を伺うと、彼は何かを含めた優美な笑みを浮かべるばかり。モーリスはその顔を眺めて微かな苦笑を浮かべた。
 稀覯本というものは、興味のない者にはただの古臭い本に映るが、価値を見出すものには何ものにも変えがたいほどの存在でもある。セレスティが出かけたオークションにもさぞかしそうした輩(やから)が多かったことだろうが……。
 これほどバリエーションに富んだ門外不出の本を集めたオークション主催者への微かな賞賛と、怨念ともいえる感情を背負ってきただろう主に僅かな心配を向ける。
 リンスター財閥の総帥である彼に手をだそうとするものはそうはいないだろうが、稀覯本は時に人を狂わせる。

 ――それだけの力を持ったものなのだ。

(……何があろうと、私が守ればいいだけのことだけどね)
 翡翠の原石を思わせる眼を細め、見やった主は繊細な長い指でそっと本を取り扱っている。
 中には脆く、簡単にばらけてしまいそうなものもあるようで、いつも以上にその指が慎重に動いているのがわかった。
 モーリスはしばらく沈黙を守ったままその様子を眺めていたが、やがて、口を開く。
「――――それで、御用とは何なのでしょうか。何なりとお申し付けくださいませ」
 半ば、答えの分かった問いを心地よい声音で紡いだ。
モーリスは、あるべき姿を失ったものを元に戻す能力を持つ。かつての美しい調和を取り戻す力を。
 目の前に積み重なった、在りし日の姿を僅かに残す本の数々を見れば、主の用向きも察しがつこう、というものだ。だが、その内容がわかっていようとも、よほどのことがない限り彼は明確な指示を待つ。自らの雇い主が差し出がましい真似を嫌うと、よく理解しているからだ。
 忠実な部下の言葉に軽く頷き、セレスティは手元の本を示した。
「この本たちは随分保存状態がいい方ですが、やはり本として読むにはどうにも欠けた箇所があります。貴方の能力で元の姿に、戻してもらいたいんですよ」
「ええ――――貴方の仰せのままに」
 限られたものにしか見せない微笑を浮かべ、モーリスは手を添えて腰を折った。
 そうしてセレスティに差し出された本を受け取ると書斎の中央ほどに据えられた丸テーブルの上にそっと置く。
 その様子を見ながら、言い足りなかったのかセレスティはそれから、と付け加える。
「扱いには気をつけてください。中には再生羊皮紙として使われているページもあるかもしれませんから」
 主の言葉にモーリスは本へと落としていた深い緑の双眸(そうぼう)を、麗しい彼へと向けた。尋ねるように紡がれた言葉はほんの一言。
「……パリムプセスト?」
 セレスティはにっこり、と微笑んだ。
「私はキミのそういう聡いところが好きですよ」
 羊皮紙という素材は、通常のパピルスよりも丈夫で、長く保存し、何度も繰り返し読まれることに適している。しかし、何度も広げて読み、ページをめくり、という動作を繰り返している内にだんだんとかすれて読みにくくなってくることだけは避けられない。それで、かつての本の製造者たちは読みにくくなったそれをもう一度なめし直し、新しく書きなおすという方式を取った。
 モーリスがあげたパリムセプトという本は、その方法で作られた本の中では有名なもので、「重記写本」と呼ばれる聖書を書き写した本の名前だった。
 モーリスはその言葉に魅力的な笑みを浮かべてみせ、やがて答えた。
「私の能力をお忘れですか? お望みならばその書き直される前の文章を携えた姿で本をお返ししますよ」
 こうして、と本に添えた手をそっと離した彼の手に不可視の力が灯る。
「語りかければ……すべてのものは私に答えてくれます。あるべき姿に戻りたいと――――」
 モーリスのささやきに呼応するように、テーブルに横たわるだけだった本がまるで生き物のように宙に浮かび上がる。途端、忠実な部下の顔は神秘的な色を帯び、繊細な手は的確に施術を進めていく。
 調和の力に身を晒した本の姿は、真白い光の中でぱらぱらとページを震わせながら、まるで失われた躯(からだ)を取り戻していく喜びに震えているかのようだった。
 それを目にしながら、セレスティはゆったりと椅子の背もたれに身をもたせかける。見ているのは、一人の自分が雇った男と、生まれなおしていく愛しい本の姿。

 ――――創造。生誕。死去。輪廻。

 まるでその縮図を目の前にしているかのような気分になる。否。まさにそれに等しいことが目の前で起こっているのだ――――。
 本というものを、セレスティはひどく愛している。何千、何万という時を悠久を過ごす自分に本は一時であろうと様々なものを与えてくれるから。
 そして、今宵、本があるべき姿に戻る。生まれたての本を手に、自分は何を思うだろう。
 古びた記憶の残滓(ざんし)に触れた自分は、歴史に触れるだろうか。恐ろしいほどの感情の奮いを感じるだろうか。覗き見てはならない禁断を見るだろうか……。
 稀覯本を集める、という行為は大抵の場合コレクターの心理が働いている。しかし、セレスティの場合は多少違った。
 彼は知っている。稀覯本が持つ多面性、そしてその危うさを。
 世の中に流通することがなく、地下深く納められている、もしくは何処かへ隠されている本たちの出自を探ることは彼には一種のスリルだ。
 無機物からある種の情報を読み取ることができる彼にとって本はただの文字を書き連ねたものではない。セレスティは時にその本が稀覯本となるまでの意外とつまらない経過を知るし、また時には自分が手にしているものがパンドラの箱であることに気づく。
 触れてみるまでそれはわからない。いわば、びっくり箱のような存在。
 長生種の自らがほんのひと時身を任す遊戯。……そこにあるのは無か、有か?
(……どちらでもかまわない。無ならばそこから有を。有ならばそれ以上の何かを、私は必ず得てみせる)
 リンスターとて、そうして築いた。いわんや、自らが何らかの働きかけで無に戻ろうとも、それの何が恐ろしいことであるのか。
 悠久の時を生きるセレスティ・カーニンガム。それが自分。
 零(ぜろ)になったならば、また原初から始めればいいだけのこと――――。

 唇に微かな笑みを浮かべ、陸に上がった人魚は時の流れから舞い戻ってくる本の姿を眺めている。
 夜は、ゆるやかにその身を濃紺に染め成している。背後から射しこみ、照らしてくる月の蒼は自分が生まれ育った母海を思い出させる深く、穏やかな色。

 ――――本がすべて元の姿を取り戻せば、始めよう。
 一仕事終えたモーリスには、ねぎらいの言葉と温かいヴァン・ショウを。そして、自らには刹那の遊戯を?
 絶対など存在しない。揺ぎ無い明日もありえない。いつでも――――この世は”零”と背中合わせに生きる世界。……だからこそ、美しく、鮮烈で。長く生きる自分をも飽きさせない色彩を持っている。

「……今宵、私は何を見るのでしょうかね」
「…………え?」

 ぽつり、と呟かれた言葉に、施術を続けていたモーリスが首を傾げて主を見やる。
 セレスティはただゆっくりと首を横に振った。いたずらっ子のような無邪気な笑みを、その顔に浮かべて。


END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
猫亞阿月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月26日

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