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『精神回想 』
梅田・メイカ2165

 扉を開ければ、綺麗に整理された部屋が視界に映る。
 一日の授業過程を全て終え、淡々とした足取りで帰宅した梅田・メイカは、帰宅後一番、いつものように携帯を充電スタンドに置いた。
 充電中を示す明かりが灯るのを確認すると、そのまま手を伸ばし、コンポの電源を入れる。CDやMDをかけてもいいが、メイカの目的はラジオだ。
 ベッドに腰をかけ、機械的な印象を与える黒い髪飾りを外せば、銀糸がさらりと鳴く。
 軽く息を吐いて気を抜いたメイカの耳に、澄んだ音が聞こえてきた。
「今日は…フォークソング特集みたいですね」
 電波の障害もなく、スピーカーからスムーズに紡がれてくるのは、何処かしら懐かしさをかもし出す曲調。
 穏かであり暖かであり、賑やかささえも有しているそれは、不思議と落ち着く音色だ。
 耳朶をつくその音に、自然と、意識はそちらへと泳いでいった。
 クリアで懐かしいメロディに誘われるまま瞳を伏せ、メイカは昔のことを思い出す。

 初めに浮かんだのは、神秘的な光。メイカの第二の故郷であるフィンランドの夜空。凍るような寒さの中、虚空に浮かぶカーテンのように揺らめき光るのは柔らかなオーロラ。
 これは、日本へ来る前に見た景色…の、はずだ。
 次に浮かんだのは、静かなそれとは対称な賑やかさを持った、祭り。人の声、鮮やかな灯り。蒸し暑い夏の夜、涼やかな風に誘われての訪れだった。
 こちらは、日本へきてからの記憶…。
 美しい景色も、楽しい情景も、どちらも大切な記憶。そう、思い出だ。

 そこまでを思い出して。メイカは一度、瞳を開く。いつのまにか口許に微笑が浮かんでいたのに気づいた。
「今日は、何となく思いが巡りますね。やはり、曲のせいでしょうか…」
 何気なくコンポに視線を配った。曲は、まだ続いている。
 再び瞳を閉じ、メロディに合わせるように指先を動かしていると。また、昔の記憶が蘇ってくる。
 誘われるがまま。いや、あるいは意図的なのかもしれない。そう、過去を思い出そうと、心内で思案しているのかも、知れない。
 どちらにせよ、メイカの脳裏には次の記憶が映り始めていた。

 遥か彼方、世界の果てさえ思わせるほど先まで続く、地平線。
 広い草原に佇みながら見上げた空には、欠けた太陽が浮かんでいる。
 端から黒く塗りつぶされていくように、太陽が侵食されている。日食のはじまりだ。
 刻々と、ゆっくりではあるが辺りが薄暗くなっていく。まるで、宵闇の時分のように。
 誰が決めたわけでもない、地球と言う存在に起こる神秘。それを、メイカは一人で見つめていた。
 いや、誰かと一緒だったかもしれない。あるいはこの目で見ていたのだろうか。
 首を傾げだした記憶は次第に途切れ途切れになり、薄いフィルターがかかったようにぼやけ始めた。
 同時に、月が太陽の光もろとも喰らってしまったかのように、記憶の縁に闇がはびこる。
 皆既日食と呼ばれる、太陽が全て隠れ去ったその一瞬。メイカの思考は、何かに阻まれるように掻き消えた。
 それ以降は、何も、思い出せない。

「やはり、ここまでしか思い出せない……」
 やはり。そう、メイカは幾度となく、過去の記憶にふけっていた。
 だが、どれほど記憶を探っても、どうしても越えられない壁があった。
 壁というほど明確ではない。ただ、自分の記憶にはっきりとした自信が持てず、あやふやなものや断片的なものしか浮かばないという、それだけのこと。

 何か不思議なものが見える気もする。どこか遠くに移動しているような気もする。

 どこかで誰かが邪魔しているのかもしれない。どこかに何かを忘れてきたのかもしれない。

 自分が自分でないような気分。何かの呪縛から逃れたような気分。

 時々感じる、そんな感覚。
 自分の記憶は、強い印象だけをかき集めたものではないか。そんな不安を覚えたことも、あったかもしれない。
 何にせよ、昔を少しずつ辿っても、終いには霧がかかった森の中に迷い込んだような感覚に遮られ、回想は止まってしまうのだ。
「でも、今日は本当に良い歌に出会えてラッキーでした」
 やはり、知らずに笑みを零すメイカ。
 思い出せないのは仕方ない。出来ないと言って悩む必要もない。気が向けば、記憶の方から出てきてくれるだろう。
 気がつけば曲も終わりかけている。メイカは腰をあげると、くつろぎのために紅茶を用意しだすのであった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
音夜葵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月22日

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