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『『伝説のサンプル職人』 』
氷女杜・冬華2053


 食品見本。
 これがなかなか奥が深いもので。
 安っぽいものから本物と見間違えそうな物まで、ピンからキリまであります。
 …それはやはり職人の腕によりますが。
 けれど、単純な技量以上に、こちらが求める商品の形、イメージを、確り伝え切れるかどうか――も案外重要だったりします。
 そして、そここそが一番難しいとも言えるのです。


 氷女杜冬華は考え込んでいました。
 フルーツパーラー・“ボノム・ド・ネージュ”の主である彼女は現在、新作のパフェをメニューに加えようと、食品見本の購入に来ています。ここはいつも食品見本を頼んでいる工場。そこで今回も頼もうと思ったのですが…間の悪い事に暫く手が空かない、と言われてしまったところ。
「そう…ですか」
「悪ィね。…最近どう言う訳だかちょうどサンプル依頼がどどっと来ててさ。今注文貰っても…いつもよりかなり待たせちまう事になる」
 …それで良いなら請けるがどうする?
 工場のお兄さんにそう問われ、故に冬華は考え込んでいたのです。
 なるべく早く手に入れたい。
 なので、いつもより時間が掛かる…と言われると、少々二の足を踏んでしまいます。
 けれど馴染みのこの工場に頼めないとなると…。
 他の店に頼むのもまた、いまいち気が引けてしまいます。
 …こちらで持っているイメージが、他の職人さんに上手く伝えられるかわかりませんから。
「本っ当に済まねぇなァ…“ボノム・ド・ネージュ”の姉さんにゃいつも世話になってるのによ…」
 こちらも困ったようにいつもの工場のお兄さん。
「いえ、困らせるつもりじゃ…駄目と言うなら他の手段で何とかしますし」
「本っ当に悪ィなァ…」
「…って兄貴、あの『伝説のサンプル職人』の話教えてあげたらどうっスか」
「ん? ああ、あのジジィの話か」
 弟分らしい工員さんに言われ、お兄さんは思い出したように相槌を打って来ます。
 冬華は何の事だろうか、と興味深げにお兄さんを見返しました。
 と、促されるようお兄さんは教えてくれます。
「いやさ、依頼人の思い描くイメージをそのまんま作り出すっつぅ『伝説のサンプル職人』のジジィが居るんだよ」
 最近この近くに越して来たって話でねぇ。
 前々から話だけは聞いていたが…実際手の届くところに来ちまったからな。ちょいと噂になってやがるのさ。
 …いつものお兄さんのそんな話を聞くなり冬華は身を乗り出し、是非その方に会わせて下さい、と訴えていました。

 その方ならば何とかなるかもしれない。

 …そして。
 冬華は、その『伝説のサンプル職人』とやらの工房までの地図を書いてもらい、ひとまずその場を後にする事になりました。


 地図を頼りに暫く歩いて、それ程経たぬ間に着いた先は。
 小さな工房でした。
 どうも主の職人さんは馴染みの工場の兄さんが『ジジィ』と言っていた通り、御老人の様子です。
 …但し、冬華の見るところ、かなり怪しげな人物でもありました。
 期待していただけに余計なのか、少々不安です。
「あのぉ…」
「ふ、皆まで言わんともわかるわい。お嬢ちゃんは食品の見本サンプルをお求めなのじゃろう?」
 冬華が声を掛けようとするなり、静かに微笑み、職人さんは言い切りました。
 そして答えも待たぬ内に、付いて来なさい、と工房の中へ。
 冬華は目をぱちくりさせますが、結局言われた通り、『伝説のサンプル職人』らしいその職人さんに付いて行く事にしました。
 新作メニューのサンプルの為に。

 と。
 その工房の中には。
「まぁ…!」
 並べられた棚の上に、精巧な蝋細工がずらりと。
 まるで本物にしか見えない、食品サンプルとしては恐ろしいレベルの出来の代物ばかり置いてありました。
 冬華は素直に凄いと思います。

 が。

 それ以上に――驚いたのは。
 部屋中に並べられた、等身大の…これまた本物の人間の如き出来の、蝋人形の数々。
 …少々不気味です。
 と言うかこれも仕事で作っている物なのでしょうか。
 これはむしろ本物と間違えそうで…怖いです。
 …それも生きている人間では無く、死体とでも見えそうで。
 見れば見る程、不気味です。

 ………………まさか『本物』だったりしないでしょうね。

 と、内心で冷汗をかいた時。

 そこで立ち止まる冬華に、職人さんは更に促すようにこいこい、と手だけ出して手招きしています。
 あっ、すみません、と謝りつつ、冬華は慌てて職人さんの後を追いました。
 …やっぱり不安さは…増しているのですが…。

 で。

 着いたところは工房の奥、作業場らしいところでした。
 冬華は思わず、きょろきょろと辺りを見回します。
「ここは…」
「ここで作るんじゃよ。お嬢ちゃんの理想通りのサンプルをな」
「あ、やはりここが作業場なんですね。…ではあの、お願いします」
 素直にぺこりと頭を下げ、冬華は持っていたB4の封筒――その中身は撮って来た写真等サンプルの資料――を差し出しました。…怪しげな人であっても、棚に並べられていた作品を見る限り、腕の良い職人さんである事には間違いなさそうですから。

 が。

「要らんよ」
「え?」
 予想外の科白に冬華は顔を上げます。
 そこで。
 冬華に背を向け、がさごそと何か探していた職人さんがおもむろに手に取ったのは、不定形のふにゃふにゃ動く『なにか』でした。
「あ、あの…?」
 …なんだろうそれは。
 生物ででもあるように動いている。
「これはタダの…とはさすがに言えんが、『蝋』じゃよ」
 あっさりと教え、職人さんはその『蝋』を持ったまま、冬華の前へ。
 そして、何事かわかっていない冬華の前で、職人さんは…曰く、『蝋』だと言うその…『生物でもあるかのように動く不思議な物体』を無造作にびらりと広げ。


 転瞬。
 ………………冬華の視界が真っ暗になりました。

 …え?

 その『不思議な物体』で全身が包まれてしまったと気付いたのは少し経ってから。
 冬華は驚き、反射的に固まってしまいましたが――直後にはその『蝋』はあっさり拭い去られ…取り払われていました。


 ………………何ですか、今の。


「…あ、あの、今、何をしたんですかっ…!」
 我に帰るなり慌てて職人さんに詰め寄り、問う冬華。
 一方職人さんの方はと言うと満足そうに頷き、何事も無かったようにその『蝋』を仕舞い込んでしまいました。
 そして。
「お嬢ちゃんの型を取らせてもらったよ。…こうするとな、蝋が自分でお嬢ちゃんの持っているイメージを読み取ってくれる訳だ」
 だから資料は要らんのだよ。
 この『蝋』自身がお嬢ちゃんの求める形になってくれるのさ。
 …さて、これから作成するから、数日待ってくれるかな?

 静かに告げると、職人さんはそれだけでひとまず冬華を帰らせました。
 職人さんの言っている意味がよくはわかりませんでしたが…取り敢えず言う通りに帰ります。


■■■


 そして言葉通り数日後になりました。
 果たして職人さんの言葉通り、食品サンプルは完成しているようです。
 渡されたそれは冬華のイメージ通り、メニューに加えようとしている新作のパフェそのものの形です。
 資料――写真もまったく見せていないのに。
 冬華は素直にまた驚いていました。
 どうだね? と感想を窺う声に、有難う御座いますっ、と冬華は何度も礼を述べます。
 が。
 気にするこたァない。礼を言うのはこちらの方じゃ――と、かっかっかっと得意げに笑いつつ、職人さんは蝋人形の並べられている自分の後ろを無造作に示して見せます。
 と。
 良く見ると、その中に。


 雪の如き滑らかな銀の髪に、冷たくも柔らかい、穏やかに澄んだ青の瞳――。


 そう、冬華の姿を真似たような…否、彼女を、冬華を象ったとしか思えない姿の蝋人形が立っていました。

 冬華は思わず息を飲みます。
 慌てて、職人さんに詳しく聞いたところ――曰く、それがサンプル作りの報酬とか。
 職人さんの御趣味なのだそうです。

 …ってさすがに自分の蝋人形を初対面の方にいきなりコレクションされるのはちょっと怖いんですが…って元々の知人であったとしても怖い事は怖いんですが…。

 取り敢えず素晴らしいサンプルを手に入れる事は出来たのですが――。
 ――結局、これで良かったんでしょうか…?


 今更ですが、不安です…。


【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
深海残月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月20日

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