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『be singled out 』
カール・バルク0396)&兆・ナナシ(0371)

 注がれた琥珀の温度でぬくもった白い陶器を両手で包み込む動作の合間、カール・バルクはちらとキャビネット上の置き時計に視線を走らせた。
「少し遅れているか」
それに目敏く気付いた…最早診療室なのか研究室なのか判然としない部屋の主が、さらりと発した言にカールは僅かに笑う。
「兆くんの事かな?」
「ナインスが、だが?」
人の悪い引っかけにまんまと…引っかかったふりで、カールは机上にカップを戻した。
 然して急務もない訪いの理由を察しているのなら、わざわざ言及の必要もない、と多少無精な感ではあるが。
 だが、付き合いの長い分、其処は相手も心得た風で、このようなこんな単純な引っ掛けにかかるあたりは、秘めたい情報でないと解しているだろう。
「危険な任務と聞いていたからね、少し心配かな」
だが、それは遊撃隊の特色の濃いナインスに所属するならばいつもの事、今更の感が強い。
「しばらく顔を見ていないうちに、心変わりでもしていないかと」
続けてそう嘯いたカールに、正面に座った相手は無精髭の浮いた顎を軽く擦り、解せない風で首を捻る。
「前から気になってたんだが、なんでまたナナシをファミリーネームで呼ぶんだ?」
話題の主は、フルネームを兆ナナシという。
「そんな余所余所しい仲でもあるまいに」
その苗字を与えた本人、いわばナナシの保護者とも言える相手が訝しげに問うのに少し笑い、カールは流れるに任せたままの金髪を片手でまとめて背によけた。
「初対面の時からの、つい、慣れで」
「名で呼ばれる方が好きだろう、アイツは」
余所余所しくない仲、であるなら余計にと、カールとナナシの気性、双方を知る彼にすれば、それでも疑問が拭えぬらしい。
「まずナナシの方で名乗らなかったか?」
問われて仄かに笑む。
 初めてナナシに出会った、あの情景は今でも鮮やかに胸に残る。
 突然降り出した、強く容赦のない雨から逃れてか、往来から人の姿が消えた、その一拍の隙。
 灰色に染まった町並みを切るように…雲間から注ぐ光を天使の梯子と呼ぶのだと、教わったのはいつの事だったか。
 帰り道を探すように天を見上げて、彼は一人雨の中に佇んでいた。


 光を宿して粉のような雨粒を纏わせて天を望む、窓の形に切り取られた様を聖画のようだと感じた自分に苦笑し、カールは傘を手に診療所の扉を開いた。
 住居も兼ねる其処から、不意の雨にあっという間にぬかるんで、足裏に張り付くような道に足を踏み出す。
 この区域は、お世辞にも治安がいいとは言えない。
 困窮は犯罪と隣り合わせで、大なりと、小なりと…ここの者は貧困は良き者を良きままでは生かしてはくれない事をを己が身で以て知っている。
 故に用心も警戒も自らの裁量に委ねられる…それが、普段見かけない人物ならば尚更、構い立てないのが常識だ。
 そうと心得ながらも、カールは横から傘を差し掛けた。
「身体を冷やすよ」
光は黒い防水布に遮られ…天使は人へ戻り、カールへとその眼差しを向ける、その瞳。
 警戒でなく、純粋な驚きを示したのは光に透ける右の金、感情の片鱗なく硬質に光を照り返す左の銀と。
 静と動を示すかのように異なる色彩が、カールを捉えた。
 傘を打つ雨音に紛れて、耳がチ、と微かな作動音を拾ったのは、無認可ながらもサイバー医の職業病か。
 最も、それでなくとも何の意図かは知れないが、カモフラージュもせずに晒された左目のサイバーアイに彼がオールかハーフ、どちらかのサイバーである見当は容易につく。
 無謀とも言える自分の行動に用心も警戒も怠りなかったが、彼の次の動きはカールの意表を突いた。
 ふわりと、柔らかな風に似た流れで。
 彼はカールを両手で抱き締めた。
「……ッ?」
咄嗟の出来事に、カールは傘を取り落とし、変わらずに注ぐ光の雨が降り注ぐ。
「君……?」
予測すら出来なかったその行動を訝しむ、カールの声に彼はハッと身を離した。
「あ、あぁ、えらいスンマセン。えらい失礼な真似してもぅて……」
独特の訛りが、何処か柔らかな印象を覚える公用語。
「なんやその……髪と目ェの色が、知っとった子ぉとおんなしやなぁ思たらつい……」
その言葉に伏せた眼に、ふと暗く…影のような感情が過ぎるのに黙ったまま、カールは僅かに目を細めた。
「気にしなくていいよ……けれど、ここでぼんやりしてたら危ないだろう。何をしてたんだい?」
カールの言葉に危ない理由にふと考えが及んだのか、今更ながらの警戒にじっと見上げてくる眼に苦笑する。
「見ての通り、武器は携帯していないよ」
軽く両手を広げてみせる。
 またジ、と銀色のサイバーアイが微かな音を立てた。
 探知機能が付加されている様子で、彼はカールの姿を上から下に向って視線を流す…無機質な眼差しに沿う金色の瞳はどこかひたむきさを感じさせ、警戒しながらも興味が勝つ仔猫の無防備さを思わせる。
「……其処の診療所で医者をやっている。カール・バルクと言う……サイバーも診るよ」
白衣と診療所を示しての名乗りに、彼は僅かに首を傾げた。
「あぁ、ゆうたらここいらに腕のえぇセンセイいらはる、ゆう話聞いた事ありますわ」
「ほぅ?」
どんな噂かは知らないが…まっとうなモノではないだろうと憶測がつくあたり、カールは自分をよく知っている。
「ここには何を?」
再度促すカールに、彼は「迷いましたんや」とジャケットの左肩の水を払う。
 その噂とやらを知りながら、その場を去る気配はなく、彼はもう一度空を見上げた。
「雨ん時にお陽さん照ったら、虹が見えるやゆうて聞いたもんで……」
理由はまるで子供のようで、カールはクと込み上げて来た笑いを軽い咳払いで誤魔化す。
「なんですのん?」
「イヤ……確かに、虹は出てるだろうね」
真っ直ぐな瞳を見下ろす。
「え? 何処に?」
カールを通り越して空を望む眼差し。
 金と銀に、色と質を違えたその瞳が光を透かしてまた弾く様は、対として人の意を得た輝石の如く…不均衡こそが美しく感じた。
「もっとずっと遠くから日を背にして立てば、今、君が立っているこの場所に立つ虹が見えるよ」
雨粒をプリズム代りに光の屈折が創り出す虹。
 その袂に立っているのだと言われ、彼は真っ直ぐに天を、首が痛くなりそうな程に頭上を見上げた。
「雲が動けば、窓からでも見えるだろう……診療所で服を乾かすといい」
僅か身を引こうとするのを促して肩に触れたカールの手に、躊躇に似た抵抗がかかる。
「そういえばまだ名前を聞いてなかったね」
努めて柔らかな声に、躊躇いがちに踏み出された一歩に呟くような答えが返った。
「……ナナシ、です」
「名無し?」
名乗るつもりがないのだろうか、とカールは胸の内で肩を竦め、それと同時にこの場限りとするつもりなら、それもいいだろうと、打算も巡らせる。
 傷つけて突き放す、それはいつもの一時の退屈凌ぎの倣いで、そうすれば後々の感情に患わされる事はない…その身勝手さが早計であったのだと気付くのは、彼を深く知ってからになるとも知らず。


「実は冗談だと思っていた」
「なんだ、そりゃぁ」
長い沈黙の後の答えがそれで、相手は明らかな呆れを声に乗せた。
 はぐらかされたと思ったのは真実で、誤解はほどなく解けたものの。
「名無しと名乗られれば、普通は信じないだろう」
苦笑まじりの言と、部屋の扉が開くのは同時だった。
「……ただいまです」
その信じられていない当人…兆ナナシが、絶妙の間の悪さで其処に立っていた。
 会話がばっちりと聞こえていたのは、む、とへの字に曲げた口元が物語っている。
「おぅ、入れ」
辞する言葉を発する前に先手を打ち、部屋の主がカップを差し出しながら入室を促すのにナナシは渋々と足を踏み入れた。
「兆くん……」
「カールさんこっち来たはるゆうて聞いたんで」
あからさまに不機嫌…というよりも拗ねた語調でナナシはカールの言を遮ると、差し出されたカップを受け取り、そのまま口に運んだ。
「熱ッ!」
淹れたての珈琲は当然の如き熱で舌を焼く。
「バカかお前は……そうでなくとも猫舌な癖に」
「ひゃきゃ、ゆわいでくらひゃい……」
不明瞭な主張に外気に晒されてひりつく舌を、部屋の主は丁寧に検分すると「舐めときゃ治る」と診断を下す。
「兆くん、こっちは飲み頃だと思うよ」
カールはナナシの手の中のカップを自分の分とすげ替え、見上げて来る金と銀の眼差しにふと笑った。
「君の大事な人達の中で、こちらの名で呼ぶ人間はいないだろう?」
ついでのように、呼び掛けへの弁解を続けて僅か身を屈めた。
 熱に焼かれた箇所をぺろりと舐める。
「ささやかな『特別』を味わいたかっただけなんだけど」
寄せた身を離す寸前に耳元に囁きを残して微笑う…想像の通り、朱を昇らせて困ったように俯くその首筋まで赤い。
「また……そんなんゆうて、からかわいで下さい」
何に怖じてかは知らないが、彼はそうやってカールの本気を冗談と取る…自分よりも親しく名を呼ぶ者は多く、そして彼等と共に過ごす時間の方がナナシには多い。
 それ等に紛れてしまわないよう、せめて呼ぶ名だけでも。
 そんな子供じみた独占欲を持つ事など、欠片も信じはしないだろうが。
 届かない想いは切ないが、それ以上に眼前に立つ存在を更に愛しく感じさせるのに、このままならなさも楽しいので良しとしよう…満足げに微笑むカールと、赤くなったままのナナシを呆れた目で見遣り、部屋の主はごく当然の主張をした。
「余所へ行ってやれ」
と。
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PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2004年01月19日

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