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『悪月の出会いから 』
常・雲雁1917)&賈・花霞(1651)


 関帝はその日に雨で刀を砥いだ。
 雨はかの神の青竜刀を、如何にして磨き上げたのか。
 白髭の道士は磨刀雨を見上げていた。
 ふと、彼は剃刀のような気配を感じた。触れるだけで皮膚を裂かれそうなするどい気に、道士は長い眉をひそめ、無言で廟の門まで足を運んだ。
 地面に横たわり、雨をぱちぱちと浴びているのは――ひと振りの手蘭であった。ひどく刃毀れしていた。青い房のついたその手蘭は、かなり使いこまれたものに違いなかった。
 だがここは泰山の只中、戦とは縁がありつつも、ここまで戦の火が飛んできたことはない。道士は首を傾げ、年季の入った手蘭を拾い上げようとした。
『さわらないで。ねてるだけなんだから』
 たちまち手蘭は口を利き、まやかしの身体を現した。長い黒髪の、幼い少女のものだった。道士は驚きはしたものの、何も言わずに手を引いた。だが、逃げようとはしなかった。
 妖気と鋭気を帯びた――というよりは、妖気と鋭気のみで出来ている手蘭の付喪神は、毀れていた刃同様に傷ついていた。
 道士は大きく頷いたが、跪くと、付喪神の手を取った。年老いた道士はそのまま、付喪神を抱き上げた。
「せめて屋根の下で眠りなさい」
 付喪神が目を閉じて、道士の手の中には、古い疲れた手蘭が残った。
 道士は手蘭を抱いて廟に戻った。そのとき、道士と手蘭は、神の視線を感じたのだった。


 手蘭と道士が眠りについて、やがて数十年の月日が流れた。
 国は変わり、名が変わった。


 上元の日も暮れて、明に元宵が訪れようとしている。
 雲雁は花霞のために兎灯篭を拵えた。去年は、雑踏に呑まれて片耳が折れてしまった。花霞が髪を振り乱して泣き出したから、今年は去年の針金の2倍は太いものを使っている。それを思い出してみて、ああ花霞もものが壊れたら泣くようになったのだと――雲雁はしみじみとひとり大きく頷くのであった。ものを壊しても壊れても、それが当然だという面持ちでいた彼女は、いつ壊れた悲しみを覚えたのだろう。
「なにしてるの、大哥? はやく行こうよ! もうとおり、人でいっぱいだよう!」
「待ってくれ。これがなくちゃ元宵じゃないじゃないか……」
 口調はいつもの呑気なものだが、物思いから引き戻された雲雁は、慌てて蝋燭を用意した。出来あがったばかりの兎蟷螂に火を灯し、雲雁は家を出た。おめかしをした花霞が、頬を膨らませて立っていた。
「おそいよう!」
「ごめんごめん。去年よりも頑丈に作っていたからね。はい、こいつも連れて行こうな」
「わあ! ありがと! ことしのもかわいい!」
 花霞は灯篭の紐を引いて、歓声を上げた。通りはすでに灯で埋め尽くされようとしていた。子供たちが――花霞は外見も中身も、その子供たちと大差ない――兎灯篭を引いて走っていく。
 通りに出ている露店を眺めて、花霞はぐいぐいと雲雁の袖を引っ張った。
「浮圓子だ! たべよう、大哥! 浮圓子!」
「古い言い方だなあ。今どきみんなそんな呼び方しないよ?」
「……花霞、どうせ年よりだもん。ねえ、たべようよ。あれたべないと、お正月じゃないよう」
「自分で買ってみるかい?」
「うん、かえる!」
「ふたつだぞ。ちゃんとお礼を言って、敬語を使うんだよ」
「うん!」
 花霞は雲雁の手から小銭と取ると、灯篭を引きながら露店に走っていった。

 雑踏と灯篭が、気配と感情を呑みこんでいる。
 舞う獅子と龍が、炎を食う。
 雲雁は渦巻く魂の波に目を細めた。
 この、気塊をよく知っている。
 無数の魂が――感情が――人間よりも小さな器に詰め込まれて、何かがそれに灯をつけた。灯篭が激しく燃え上がり、火の中に目と口と耳が生まれ、爆発し、人ではないものを生み出した。
 舞う獅子も龍も、その炎を食らうことは出来ない。
 何故ならばその炎には、人によく似た感情と姿がある。
 花霞、
 彼女はその青い炎なのだ。

 雲雁がふと我に返ったそのとき、花霞の姿は『元宵』を売る露店の前になかった。しまった、と思ったそのときには、雲雁は通りに飛び出し、妹の姿を探していた。
「花!」
 しかしながら灯篭の波が、その声をさらっていってしまうのだ、
「花霞!」
 ふわり、
 そのとき、緑とも青ともつかぬ羽根が舞った。
「……ついて行くんだった。こんなに人が多いのに……何をやっていたんだ、私は」
 その日はどうも、物思いにふけるとしばらく戻って来られなかった。現に祭が始まる前もそうだった。渦巻く魂の流れが、雲雁の気を掻き乱すのか。
 それとも、舞い散る羽根が嘲笑うのか。
「花霞!」
 己が作り上げた灯篭の姿を追って、雲雁は走り出す。
 武財神を象った見事な灯篭が、目貫通りを行脚していた。その燃える視線と、何かを指し示す指が――
 青と緑の羽根、松明の炎を照らしている。雲雁は、息を呑んだ。


「ひとりなの? お嬢ちゃん」
 羽飾りがついた晴れ着の女が、『浮圓子』を買った花霞に声をかけてきた。
 花霞は頷いて、にこにこした。
「うん。ひとりで浮圓子かったの。花霞、もうひとりでおかいものできるんだよ」
「そう、偉いわ。それに古い言葉も知っているのね、花霞ちゃんは」
「花霞ね、こうみえてもおとななんだよ。にんげんはじゅうごねんくらいでおとなになるでしょ? 花霞はもう、それより生きてるもん」
「それは、凄いわ。それじゃ、おねえさんに色々教えて頂戴。おねえさんはね、あんまりひとのことを知らないから」
「うん、いいよ! 浮圓子、たべる? ……大哥のぶんは、またあとでかえばいいから」
「ご馳走になるわ。もう少し、静かなところで食べましょう。ここだとおつゆがこぼれそう」
「そうだね。どこ行こうか?」
 花霞は浮圓子の入った器をひとつ、女に渡した。空いた手で、女の手をしっかりと握り締めた。
 しかし、女の晴れ着の羽根飾りから、とてもよく知っている臭いがして――
 束の間、花霞は首を傾げたのだった。
 ただし、束の間。


 頑丈に作った今年の兎灯篭が、転がっていた。
 露店の前で、人々に蹴られて、灯もこぼれ落ちていた。
 だがそれは雲雁が自分で作ったもので――花霞と同じ髪飾りを、その耳につけてやっていたから、それがどんなに傷ついていても、雲雁には自分が花霞にやったものだとすぐに理解した。
「……灯篭も放り出して、一体どこに――」
 そしてまた見かけたのは、見たこともない鳥の羽根。
 雲雁は直感に身を任せた。手は、兎灯篭のそばに落ちていた羽根を取った。途端に身体の中に流れてきた気は、明らかに妖のものだった。
「『翼の下、我は現る。急々として律令の如くせよ』」
 囁きと祈りは言の葉に乗り、羽根は舞って、雲雁の姿はかき消えた。


 それは血の臭いであったと、花霞は気がついた。
 だが彼女がいくさ場で嗅ぎ、浴びてきた、生々しい血の臭いとは少しだけ違っていた。どす黒く腐った血の臭いであったのだ。
「花霞ちゃんは、本当にいい子ね。おねえさんは、ずっと花霞ちゃんと一緒に居たくなってきたわ。一緒に肉餅をこねて、米を炊きましょう。きっと楽しいわ、花霞ちゃんと一緒なら――」
 見つめてくる女の瞳が、禍々しい紅であったことに気づいたのは――少し遅かったか。
 だが、間に合った。
 手遅れではなかった。
「その子は人間ではない」
 青い鸞の羽根、雄叫びとともに、ひとりの青年が現れた。まるで風の流れのようにこの場に割り入ってきた青年は、さっと花霞の前に立ち、女の視線から護ったのだった。
「でも夜行遊女を勘違いさせるほどには、花霞も人間なんだな。私は少し安心したよ」
「邪魔だてするの? その子はわたしのものなのよ」
「私の妹だ。まだおまえのものではないし、これからもおまえのものにはならない」
 ほ、ほ、ほ――女はしかし、上品に嗤う。
 どこから取り出したのか、羽飾りのついた晴れ着のうえに、羽根で出来た衣をまとった。青とも緑もつかぬその羽根が、たちまち女を覆い尽くした。
「大哥! あ、あのおねえさん――」
「花霞は下がって! おまえを使うほどの相手でもない!」
『その子はもう、わたしのものなのよ!』

 びょう、と風が吹く。
 青と緑の黒い風。
 それは太古にこの国を滅ぼしかけた、白い狐の尾と見紛うか――
 元宵節においても人気のない、小さな祠の前で翼を広げるのは、九頭の禽であった。

「『風は眩む、闇を孕むおんなは灯をかき消そう。風は爆ぜる、羽根を纏うおんなは地を舐めよう。急々として律令の如くせよ』!」

 雲雁を飛び越えた鳥は、花霞にその鉤爪を向けようとしていた。そのとき言の葉の刃は完成し、音ではない音が生まれ、鳥の羽根が無残に舞い散った。鳥はとても女のものとは思えない悲鳴を上げた。花霞の身体に、どす黒く腐った血が飛び散った。九つの頭が狂ったようにばらばらに動いては、花霞と雲雁をねめつける。
 風が落ち、鳥は落ちた。
 だが鳥は立ち上がり、その翼の先を花霞に向けるのだ。
『あなたは……わたしの……子なのよ』
 孔雀の尾羽根のように、風切り羽根が伸びた。羽根の先端の模様は目玉そのものだった。伸びた羽根は触手のように、花霞を巻き取る。
「ひゃ――」
 翼の中に花霞を抱きこんだ鳥は、最早飛ぶことを放棄したか。
 否。
 九の頭のうちの八が爆ぜ、その血と羽毛が、たちまち翼を生み出した。鳥は9対の翼を持った。そのうちの1対もあれば、花霞を抱きすくめることなど容易い。8対の翼が羽ばたいた。
「花霞……!」
 印を結ぶ雲雁の前、
 鳥の胸の中で、
「花霞、おねえさんのこどもなんかじゃない」
 つめたい刃の声がした。
 ずバッ!

 青と緑の羽根が舞い散る。

「『苦の魂は、天命に抱かれよ。妖の道は天命の知らず道なれば。――急々として律令の如くせよ』」
 即座に印を変えた雲雁の言の葉は、鋭いものから穏やかなものに変わっていた。
 飛び散る女の魂が、珠玉に包まれながら天に昇っていった。
 花霞はそして、血を纏いながら地に降り立った。


「……だめじゃないか、花霞。おまえを使うつもりはないって、言ったのに」
「……だって」
 不満げに頬を膨らませる花霞に、雲雁は溜息をついた。きっとこの付喪神は、勇敢に戦ったことを誉めてほしいのだ。それがわかったからこそ、雲雁の気持ちは沈んだ。
 ――まだ、この子は刃なんだ。
 花霞の顔についた血を拭ってやりながら、雲雁は何とか微笑んだ。
「まあ……今回は、仕方ないか」
「大哥、おこってる?」
「怒ってないさ。さあ、街に戻ろう。元宵が終わってしまうよ」
 花霞は一見、不器用に微笑んだ。だが一見、人間の子供の微笑みのようであった。
 雲雁はその手を握り、ちらつく灯篭の灯に向かって、微笑みながら歩き出したのだった。




<了>
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2004年01月16日

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