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『一時の幻想詩、そこに永久の――、 』
ステラ・ミラ1057

 教会の扉の、激しく叩かれる音。一方では、出てはなりません! と何度も重なる、叱咤の声。
 しかし、その混乱の中で、女性は――漆黒の瞳の奥深いその女性は――ステラ・ミラは、その全てを、悟りきっていた。
 知っていたからこそ、
「神父様、わたしはあなた様のために、この扉を開けようとしているわけでは、ありません」
 この場で自分を唯一引き止めてくれる、この教会の主任司祭の方へと、いつもと同じ冷静さで、きっぱりと告げた。
 魔女狩りの盛んな、この時代。ふと立ち寄った旅先の街の教会に、成り行きでステラが厄介になってから数日間。
 ステラ・ミラは、魔女ではあるまいか――。
 持ち上がった疑惑に、今日の夕方、ついに市民が旗を揚げたらしい。
 確かに原因に、心当たりがないわけではなかった。ステラはこの教会の小さな少女に、請われるがままに、様々な事を教えてきていたのだから。
「ちょっと待って下さいよ! ね? 私がどうにか、しますから……ですから、ステラさんはそこを退けて下さい。私が、今、」
「街の人達を説得する――ですか? あなた様まで、疑われてしまいます。魔女狩りで犠牲になっているのは、何も女性ばかりではありませんからね……ですからそれは、認められません」
 例えばついこの前のこの神父の誕生日の時には、引退した商人のおじさんから砂糖を貰ってきたと喜ぶその少女に、遠く異国のお菓子の――カステラの作り方を、一から教えたりもした。
 今は二階で、騒ぎにも気づかずに、ゆっくりと寝ているであろうその少女は、この神父を父親代わりとして頼りにしている、好奇心旺盛な孤児でもあった。
 こっからニシには、なにがあるの? それじゃあ、ヒガシには? ぎりしゃせーきょーって、ナニ? ね、せーしょには、なんてかいてあるの? あたし、モジもよめるよーになりたいんだ……!
 近づき難いほどの、無表情。それが故の神秘さを湛えるステラを、しかし欠片ほども怖れる事のない少女の質問に、彼女は一つ一つ、丁寧に答えを返していった。
 しかし、どうやら、
 それが――仇となってしまったようですね。
 心の中で、付け加え、
「あなた様には、あの子がいます。もし神父様に何かあれば、あの子は、たった一人になってしまうのですよ」
 ステラの博学ぶりは、聖職者でもある神父が素直に驚きを示すほどのものであった。
 文盲率も高い中、しかも女性が――ふらりとこの街にやって来た旅の女性が、それだけの事を知っていたのだ。異教の知識も、多く含めて。
 或いはステラは、少女を誑かして何かを企んでいるのではないか。
 その疑いは日増しに広がり、強くなり、やがてこのような事態を生み出した。
「でも、ステラさん!」
 扉の叩かれる音は、時間と共にその派手さを増していた。この分だと破られてしまうのも時間の問題だと、ついにステラが、本格的に言葉を切り出す。
 急がなくては、ならなかった。
 この神父が、そうして、あの少女が。罪に問われないように、するためにも。
 共に生活したのは、短い時間。しかしその中には、口には出さないが、確かに感謝すべき日々も含まれていたのだ。
「神父(パードレ)――神父様、考えてみて下さい。あの子はあなた様のことを、こう呼んでいますよね」
 "padre"
 この国の言葉で、この単語は間違いなく、神父の事を指す。旧教の司祭にして、権力者。高い地位の、揺ぎ無い指導者。
 しかし、
 しかしその言葉は、同時に、
「ステラさん、何を、突然――、」
「"Padre, Ti amo"――、この前こんな光景を、見かけました」
『おとーさん、だぁいすき!』
 曇りの無い笑顔で、小さな娘が父親の胸の中へと飛び込む光景を。その娘を、暖かく抱きしめる、父親の姿を。
 その光景を見つめていたのは、ステラだけではない。その時偶々隣にいたあの少女も又、その光景を、見ていたのだから。
 少女は遠巻きに、その幸せを心に留めながら、こう、呟いたのだ。
「お父さん(パードレ)」
 ステラがそっと、口にしたその言葉に、
「――……!」
 神父が思わず、息を呑む。
 相変わらず、腰元に垂れるロザリオを弄る神父にも構わず、ステラは静かに言葉を続けた。
「女の子が、父親に――お父さんに、大好きだと、飛びつく光景です。そうして、もう一つ。わたしは、知っているのですよ……神父様、あなた様に、」
"Padre, Ti amo !"
 だーいすきっ! と微笑む、あの少女の姿を。
 神父様、だぁいすき――! ねぇパードレ、あたし、パードレのこと、
 二人の記憶の中であの少女が、日溜りの笑顔を広げてこちらを振り返る。
 ねぇ、
 だぁいすき……!
 ――違う、その言葉は、
「"Padre, Ti amo"――、」
 隠語だったのだ。
「でも、だからと言って……!」
「おそらく言い換えれば、"Prete, Ti amo〈司祭様、大好き〉"ではなく、"Papa, Ti amo〈パパ、大好きだよ〉"――ですから、どうか」
 絶句する神父を尻目に、ステラはそっと、扉の閂に手をかけた。
 ……神父様、
 だからこそ、どうか、



『あの子の気持ちを、汲んであげて下さい』
 そう言い残し、ステラは大人しく、街の人の裁きへと身を委ねようと考えていたと言うのに。その上ステラにとっては、例え一人であったとしても、我が身を守る事など造作も無いというのに――次元すら操る、全能とも言えるステラへの魔女容疑は、??ある意味では?$ウしいとすら言えると言うのにも関わらず。
 捉えられて、暫く。
 彼女はもはや、釈放されていた――牢の鍵と、司教教書とを携えた、あの神父の手によって。

「ご存知ですか、ステラさん――私ね、この街の司教からは、随分と目をつけられていたんですよ」
 牢屋を守る男達へと、のんびりとご苦労様です、の挨拶を繰り返す合間に、神父は牢屋から連れ出したステラの方を振り返り振り返り、ゆっくりと事情を説明してくれる。
 松明の薄暗い灯りに、ステラには何度も、足元に気をつけるようにと促しながら、
「何の脈略も無いと、そうお思いでしょう? ね、話に脈略が無い、って……でもね、すぐに話は、繋がりますから」
 冷たい石の階段を、ゆるりと二人、並んで歩く。
 ステラはふと、松明の光に照らし出された神父の横顔をちらりと一瞥した――自嘲気味の笑顔を浮かべる、神父の方を。
 神父はその視線に気がついたのか、青い瞳で真っ直ぐと、ステラの瞳を覗きこむ。
 そうして、暫く。
 やおらふわりと、明るく取り繕うと、
「やめちゃいました」
 何かと決別するかの如くに、すっぱりと言い切って見せた。
 ステラに何を言わせる間も与えず、いつもの調子で付け加える。
「私、もうあの教会の主任司祭じゃないんです。とは言え、数日の猶予はありますけどね――でももう、すぐにこの街を出ます」
「どういう、事ですか?」
「まんまの意味ですよ。イヤですねぇ、ステラさん、私のこと、からかっていらっしゃるんですか?」
「そういう意味では、」
「――司教の所に、行って来ました。つい先ほどの、事です」
 不意に、思わずに問い返したステラからは視線を逸らし、神父は階段向うの闇をじっと見据えた。
 二人の足の進むその度に、松明の光が、淡く周囲の漆黒を追い払う。
 しかし、
「ねぇ、聖職者ってね、結構俗なものなんですよ。いや、むしろ普通の農民や商人なんかよりも、ずっと欲に塗れているものなんです――司祭は司教になりたがり、司教は緋色の法衣を纏いたいとそう願う。権力の、上へ上へと。そのためには、条件さえあれば、白も黒にしてしまうんですよ。教会と、神と、いいえ、教会の名の、その下に。聖職者の手にかかれば、罪も罪でなくなり、罪でない事も罪になる。私達の気分次第によっては、そういうものなんです」
 その背後には、振り払ったはずの闇が、再び帳を下ろしていた。
 闇は光となり、光は闇となる。
 永遠の繰り返しが、そこには、ある。
「聖職は、権力です。私はそれを、否定しません――だってそれは、事実ですから。事実私にも、それを頼って生きてきた所がある。私は、私だけは心から真っ当な聖職者やってます、だなんて、私は決して、そんな事を言ったりはしませんよ」
 いいや、違う。
 言わないのではなく、
「いいえ……私には、言えない、んです」
 さり気なく前言を撤回すると、神父はふと、その歩みを止めた。
 炎の光のその先には、外へと続く、扉。
「ああ、話を元に戻しましょう。でね、私は司教に目をつけられていたわけですけれども、今回はそれを、利用させて頂きました。条件を出しましたら、あっけなくステラさんを釈放して下さりましたとも」
 手を、かける。
 語る事は止めずに、振り返りもせずに、その扉を外へと押しやった。
「司教は私の存在を、邪魔に思っていらっしゃりましたからね。私が何かとこの教区のやり方に、口を出してきたのは確かですから。それで、ステラさんの釈放を条件に、一つこっちも、条件を提示させて頂きました。……まぁ、そういう事です」
 神父に勧められるがままに、ステラは外へと足を踏み出した。
 ――真夏の夜風が、するりと足元を拭き抜ける。
 小さく響き渡った扉の閉まる音に、ステラは音もたてずに、振り返った。
 ……要するに、つまりは。話の脈から、読み取るに、
「つまりは神父様は、そのために、この街での聖職を捨てたと、」
 ここ数日間で見慣れた微笑に、いつもと同じ無表情で問いかける。
「我ながら、随分とお得な取引だったと、そう思いますけれど?」
「そのため、だけに」
「ステラさんは、そう思いませんか?」
 月光に、歩み寄ってくる神父の影が映り込む。
 石畳の、街並みに、
「――あなた様は、」
 夜の、静寂に、
「この街が、お好きなのではありませんでしたか?」
 ふと、ステラは思い出していた。毎日のように繰り返し、神父がこの街に住むその喜びを語っていた事を。
 世界に、溶け込むかのように。
 淡々とした、女性の声音が響き渡る。甲高い、とは決して言えない柔和な音色も、束の間の安息の時間に、鮮やかに言葉を描き出していた。
「……ええ」
「それなのに、神父様、あなた様は――、この街を、出ると言うのですか」
 応えた神父はその言葉に、はっと自分が口を滑らせた事に気がつかざるを得なかった。
 しかし、言い訳がましいとは、自分でも思いつつも、
「でも、世界は広いんですよ? ここより面白い所だって、きっと沢山あるはずです。それに、」
 それに、
「それに考えてみたら、良い事なのかも知れませんよ。田舎の方にひっこんで、のんびりゆったり暮らすのも、またきっと悪くはないんですよ。それにあからさまではなかったにしろ、司教から虐められるのにも、もう疲れてしまいましたしね」
 即興で考え出した理由を、つらりつらりと述べてみる。
 ――これは、自分で決めた事だ。
 後悔など、欠片もしていない。
 むしろ、
「そんな……のんびりゆったりと暮らせるような所に移動させられると、そうお思いなのですか?」
「――いいえ、まさか」
 むしろ自分の身分一つなどで、誰かを助ける事が、できるのなれば。
 それは――それは、本当に。
 本当に、お得すぎる、取引なんですよ。
「でもきっと、そういう生活も、できるはずですよ。求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば見出さん、門を叩け、さらば開かれん」
 ステラならば知っているだろうと思いつつも、それでもあえて、口にする。
 それは、或いは。
 ステラへの、言葉などではなく、
「マタイによる、福音書です。ね、こういう言葉も、あるんです」
 自分への、言い聞かせであったのかも知れない。
 たとえこの先に何があろうとも、これが自分で決めた道である事に、変わりはないはずだ。
 ……だから。
「ねぇ、ステラさん。私達の本来の役目はね、少しでも皆が幸せになれるように、って、そのお手伝いをする事なんですよ。きっと。世の中には、色々な不条理がありますけれどもね。喜んで、自ら進んでその責めを受けるのも、きっと私のお仕事なんです」
 確信は、無いけれど。
「私はね、そのための聖職だって、そう信じていたいんです。……いけませんか?」
 ステラは黙って、その言葉に耳を傾けていた。
 本心では、どう思っていようとも。
 ――本当にどうしようもない人だと、
 或いは、一言くらいは、言ってしまいたかったのだとしても。
「……なぜ、わたしにお聞きになるのですか」
「何となく、です。あなたが近くにいるから、でしょうかね」
 たとえそうだと、仮定したとしても。
 それ以上に、
「もう――もう、お好きになさって下さい」
 その言葉が、必要以上に重く感じられてしまって。
 ステラはそっけなく言葉を返すと、さり気なく神父に背を向けた。南の風に、漆黒の髪を遊ばせながら。
 
 それから、数日後。
 少女を連れた神父とステラとは、街道で別れの挨拶を交わす事となった。
 ステラが釈放されたその夜に立ち去ろうとしていたのを必死になって引き止め、ついでに転属の為の荷物整理やらなにやらまできっちりと手伝わせた神父は、
 ありがとう、と。
 別れ際には、腰元のロザリオをステラへと託して行った。その手にばいばーい、とステラに向けて手を振る、少女の小さな手をしっかりと握ったそのままで。



 ――数年の時が過ぎた。
 とある村の、小さな教会の中。小さな村への予想だにしない来客に、聖堂にはシスターの声が響き渡っていた。
「神父様っ! 神父様ってばぁ! お客さんですよー!」
 教会の外には、一人の女性が立っていた。漆黒の瞳に、漆黒の長い髪。
 しかし、その修道女に呼ばれて出てきたのは、その客人の女性の予想していた神父ではなく、
「……おや、客人とは珍しい……お嬢さん、何用かね?」
 全くの、別人であった。
 ゆっくりと、先に戻って来ていたシスターの隣に並んだ老神父へと、ステラは簡単に挨拶を済ませると、
「ここの主任司祭は、別の方ではありませんでしたか?」
 率直に問いかけられ、老神父は一瞬、言葉を失ったかのようであった。が、すぐに気を取り直すと、
「ふむ。そちらの方に、御用でしたか……前の主任司祭、はて、前の司祭は、」
「二年前に、天へと御召しになりました――病気で」
 少しだけ気難しい顔をした神父の代わりに、隣のシスターが言葉を続ける。
 シスターは一瞬の表情の翳りを、けれどもすぐに明るい笑顔へとくるりと一転させると、
「もしかして、前の主任司祭のお知り合いさん、ですか? でしたら、ごめんなさい。でも、わざわざこんな所まで来て下さるだなんて、でもあの人もきっと、喜んでいますわ」
 前の主任司祭のことを思い返し、胸の前で手を組んだ。席を外すかのように、静かに目礼だけして建物の中へと戻って行った神父に代わり、ステラをじっと見上げると、
「折角ですもの、その、お墓があるんです。この村の共同墓地、なんですけれど。ご案内しましょうか? でも……そういえば、」
 ――ふと、
「でも、不思議……あなたとは、どこかでお会いした事があるような気が、するんです。気のせいかな……」
 そこで初めて、ステラも、気がつく。
 頭を覆い隠す修道服の黒のコイフで、すぐには、気が付かなかったのだが、
「パードレとは、いつ頃からのお知り合いなんですか? あ、いえ、余計な事を聞いているのかも知れませんけれど……その、ほら、昔あたし達、あたしは良く覚えていないんですけれど、街の方に住んでいた事があるらしくって……って、あたし達って、実はあたし、その前の主任司祭に育ててもらっていたんです。その時に会ってたり、しないかなぁ、なんて」
 その微笑に、あの日の面影が残されていた。
 まだ幼かった、あの少女。あの神父のことを、パードレと慕っていたあの小さな少女が、そこにはいた。
 ステラの中に、思い出が蘇る。
 神父に抱きつく、少女の姿。誕生日のあの日、手作りの甘いカステラを目の前に、驚いたように微笑んだ神父。
 短い時間ではあった。あの街にあるのは、良い思いでばかりとも言えない――しかし逆に、あの街での日々は、確かに明るいものであったのだ。
 暗い歴史の闇に、翳りを許してしまったけれど。
「――あなた様には、これを」
 不意に、ステラはポケットから小さな小袋を取り出すと、きょとん、と小首を傾げた少女へと、手を差し出すように促した。
 差し出されたその手に、さらり、と音をたてる袋を、そっと載せ、
「部屋に戻ってからでも、開けて見て下さい。その方が、良いと思いますから」
「その方が、良い? って、どういう、」
「では、わたしはこれで失礼致します。あまり長居すると、次ぎの町まで着けなくなってしまいますから」
 ステラの発言の意図も、その正体もわからずに、話を聞こうと一所懸命に引き止める少女の方には答えを返さずに、彼女はくるりと踵を返した。
 ――あの袋の中には、あの日の別れ際、神父から貰ったロザリオが入っている。
 あの時聞いた赴任先の近くまでやって来たついでにと、立ち寄ってみただけではあったのだが、よもやこんな事になっていようとは。
 つまりは数年前、少女と共に手を繋ぎ、何度も何度も繰り返し、街道を、ステラの方を振り返ったあの姿が。
 ……神父様の、最後の元気なお姿だった、というわけですか。
 その歩みに従い、村の教会の姿は次第に遠くなってゆく。やがては目の前に緑の草原が延々と広がり、ステラはそこで、歩みを止めた。
 夏が、近い。
 南の風が、ステラの髪を舞い遊ばせる。
 そうして思い出したかのように、
 ステラはその髪を、静かに白い指先で梳かさせると、
「それにわたしは、ロザリオなど、使いませんしね。聖母マリアに祈りを捧げるわけでもありません――あなたも、そう思いませんか?」
 問いかけた。
 風の妖精の噂話でも聞いたのか、或いは、ステラの様子から、全てを悟ったのか――少し向こうで首を垂れる、ずっとここで自分を待っていたであろう、はしばみ色の瞳の青年の方へと。


Finis


13 gennaio 2004
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月14日

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