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『こどくのさいご 』
神谷・虎太郎1511)&黒崎・狼(1614)


 読みたくない気分になったので、月刊アトラスを捨てた。
 小さなゴミ箱からは、月刊アトラスがはみ出している。部屋の片隅を見るたびに、彼の瞳に映るのは、『特集:ネットにはびこるムシの噂』の見出し。『月刊アトラス』というタイトル。
 彼は、神谷虎太郎は、無言で立ち上がると――ゴミ箱から月刊アトラスを取り出し、めりめりと折り曲げてから、再びゴミ箱に突っ込んだ。燃えるゴミの日は明後日だ。明後日までゴミ箱を見ることは出来ない。ゴミを捨てるのも、自分ではなく居候に頼むとしよう。今はいないし、いつ帰って来るかも定かではないが。
「……」
 虎太郎は溜息もつかない。
 骨董品屋『逸品堂』は、その入口を「準備中」の札で閉ざしている。札がなくても、1日にやってくる客は1人か2人がいいところ――
 それでも、神谷虎太郎は、とても店をやる気持ちにはなれなかったのだ。
 ひとり、友人を亡くしてしまった。
 死んでしまった。
 自分やこの世を呪う前に逝ってしまったのだ。
 もう、彼が生きている証を読むことは出来ない。
 虎太郎はまたしても立ち上がり、やはり無言で、ゴミ箱の中に適当なものを放りこんだ。このままでは立ち上がって通りすがったとき、ゴミ箱の中の月刊アトラスが見えてしまうから。
 見たくはない気分だったのだ。
 そして虎太郎は、『逸品堂』の入口を開けた。「準備中」の札も下げた。彼の1日が、いつものように始まった。

 所持金は155円だった。
「サンドイッチも買えねえ」
 彼は呻いた。サンドイッチも買えない上に、バスに乗ることも出来ない。ぶらり東京一人旅もここまでのようだ。
 彼は黒崎狼といった。まともな家はあったが(その家には金もあった)、色々と複雑な事情があって、ずっと帰っていない。今は東京に埋もれた骨董品屋に世話になっている身の上だ。楽な暮らしではなかったが、自由だった。骨董品屋の店主は呑気で親切でわりと頼れる男なのだ。少なくとも、狼が寝食にこまることはなかった。
「はアやれ……『帰る』か。……歩いて」
 狼にとって、骨董品屋『逸品堂』は、『帰る』べき場所だった。
 どこをどうしてやって来たのかわからない道を引き返し、黒崎狼が『逸品堂』に帰りついたのは、午後4時を過ぎた頃だった。

 年代ものの鉱石ラジオのスイッチが入っている。
 静まりかえった夕暮れに、DJの陽気なトークが、ざりざりとしたノイズ混じりで流れている。お届けするナンバーは……ああ、聞き取れなかった。ともかく、少し前の歌だ。イントロがそれを物語る。
 きっと、あの友人の年代が、懐かしむ歌だろう。
 死んだあの友人は、今このラジオを聞いていないだろう。
 そんなことはわかりきっているのだ。わかりきったことを考えて何になる?
 虎太郎は頬杖をつき、無意味にぱちぱちとそろばんを弾いて、古ぼけた大きなのっぽの古時計を見た。
「……ああ、これは、うっかりしていました……」
 その日初めての虎太郎の言葉。第一声と言うものだ。午後4時25分にして、その日の第一声。古時計は7時6分で止まっていた。日課にしているねじ巻きを忘れてしまっていたのだ。つい、うっかり。
 虎太郎はねじ巻きを取ると、古時計の穴に差し込んで、きりきりとねじを巻いた。時計が行き返り、鼓動が聞こえ始めた。
 もうあの友人の心臓が動くことはない。
 ちく、たく。
 虎太郎はカウンターに戻ると、ラジオのスイッチを切った。明るいDJがお届けしているナンバーは、まったく気が滅入るものだった。
 入口のドアが、その日初めて、虎太郎以外の人間によって開けられた。少しだけ軋みながら、木製のドアは開いた。
「あ、いらっしゃいま――」
 振り向いた虎太郎はしかし、そこで口をつぐむと、言い直した。
「『おかえりなさい』」
 いつの間にかいなくなっていた居候が帰ってきたのだ。
「『ただいま』」


「なあ」
「はい」
「メシ、ある?」
「料理はありませんが、食べるものならとりあえず、冷蔵庫の中です」
「ち。なァんだ」
「お好きなものを」
 客はいないが、虎太郎は店から離れるつもりはない。それを見て取ると、狼は大人しく(しかし口は尖らせていた)店の奥の住居に上がり、古き良きつくりの台所に向かった。
 流しは綺麗に片付いていた。
 狼は首を傾げた。
 三角コーナーは空っぽだ。流しについた水滴も少ない。まな板も乾いている。虎太郎は昼食を作らなかったか、食べなかったか、或いはその両方か。珍しいことだ。昼食をとる暇もないほど、店が忙しくなったとは――とても思えない。
 狼はだまって冷蔵庫を開けた。確かに、食材は豊富だった。だが生のキャベツやニンジンや卵を食べる気にはならない。狼は狼のように唸った。ただし、小さく。
 すぐに食べられるものは、魚肉ソーセージとヨーグルトくらいのものだった。一瞬でそれを食べ終えた狼は、だまって店を覗いた。
 虎太郎は、だまっていた。
 狼がふらりとあてもなく出かけるのはよくあることで、ふらりとこうして腹が減ったり雨に打たれたりして店に戻ってくるのも毎度のことだ。虎太郎は狼がどこに行って何をしたかなど、詮索することはなかった。
「なあ……」
 呼びかけようとしてから、狼は口をつぐんだ。
「何か?」
 虎太郎が顔を出してきた。いつも通りの、呑気な面構えだ。
「いや、べつに」
「いつも狼くんが観ていたドラマは、録画しておいてありますよ。ああ、最初5分ほど切れてるかもしれません」
「そりゃ、どうも」
 尋ねようとしたことは、それではない。だが、狼はそれを聞こうとしていたことにしておいた。
 ――何か、あったのか? どこで、何してたんだ?
 虎太郎が今まで自分に訊いたきたことがないのに、自分だけが訊くのは卑怯だ。狼はだまって、また冷蔵庫を開けた。


 東京が橙に染まっている。
 日が落ちる時間が早くなってきた。
 こうした日々を過ごしていると、太陽の活動時間の変化になかなか気づかない。あるときこうして、「もう日が落ちる」と気づくのだ。そうして虎太郎に冬が来る。エアコンは相変わらず壊れたままだ。このまま冬を迎えることになるのだろうか。きっと今年の冬は、寒さで死ねるだろう。今年の夏は、暑くて死ねるかと思ったが。
 どすん、と虎太郎の身体に衝撃が走った。鈍く、ともすれば心地いい衝撃だ。背中に温もりが広がった。
「……狼くん? あの……」
「何だよ?」
「いえ、どうかしましたか?」
 狼が出しぬけに、虎太郎の背中に持たれかかってきたのだ。さすがの虎太郎も戸惑った。答えには期待していなかった。どうせ、
「べつに」
 やはり、答えはこれだった。
「……」
「……」
「……重いんですが」
「俺はちっとも重くない」
「……」
「……冷蔵庫の中、色々入ってんな。夜、俺が作るわ」
 沈黙に堪えかねた勢いで、狼が普段はめったに言わないことを口にした。言ってから、狼は実は後悔したのだった。彼は料理があまり出来ない。虎太郎に頼りきりなのだ。それを知っているから、虎太郎も目を白黒させた。
「はい?」
「腹減っちまってさ。料理作ってると、何か、腹一杯にならないか?」
「……はあ」
「作ってるうちにさ、出来上がったやつ想像しちまって、こう、腹一杯に……」
「……なるほど」
「キャベツと豚があったな。お好みでもやろうぜ」
「……いいですね」
「焼いてくれよ。俺が作るから」
 ぷっ、と虎太郎は噴き出した。
 お好み焼きとは――さて、どこまでが「作る」と言えるのだろう? 焼くまでか? かき混ぜるまでか? 狼は、お好み焼きをひっくり返すのが苦手なのだ。
「長芋もあったよな。揚げ玉は……買ってこないとダメか? ここは大阪じゃないもんな」
 狼の青と赤の目が何気なく動き、カウンターの隅のゴミ箱をとらえた。
 狼が、あッと声を上げた。
「俺のシャツじゃないか! 何で捨てたんだよ!」
「ああ、……すみません。もうぼろぼろだったもので……」
 それは虎太郎が適当に掴んで捨てたもの。狼は虎太郎から離れて、ゴミ箱に詰めこまれたシャツを取った。
 シャツの下にあったものを、狼は見ない振りをした。
 虎太郎が捨てるはずもないものが、ゴミ箱の中にあったから。
「……なあ、何があったか知らんけど」
 狼は大股で台所に向かっていった。
「何か食わないと、死んじまうぞ」
 振り向いて、思い出したように付け加える。
「――あんたはそう簡単に死なないかもしれないけどな」

 しかし、実は、残念ながら――
 人は簡単に、死ぬものだ。
 神谷虎太郎の友人が、つい先日に死んで、いなくなってしまったように。
 虎太郎が振るった刃が、いとも簡単に殺してしまった。
 大いなる蟲の首は飛び、この世を呪える力が砕け、虎太郎は友と世界を救った。
 そのとき虎太郎は思ったし、言ったのだ。
「きっと、しばらくは寝覚めが悪くなるのでしょうね」
 それはまさしくその通りとなり、虎太郎は夜明けの悪夢と憂いに悩まされている。友のあぎとが目一杯に広がって、びっしりと並んだ牙が迫り、おまえを呪うと脅すのだ――
 殺せと願い、死にたいと嘆いたのは、他ならぬその友だというのに。
 黒崎狼は、それを知らない。

 ――私は、生きていかなければならない。あなたは死んで、私と狼くんは生きている。あなたが死んだおかげで、生きている。だからすみません、赦してほしいのです。
 虎太郎は囁くようにして祈るのだ。
 ――私は呪われたもののように死ぬでしょう。きっと、汚い屍を晒すでしょう。だからその日まで、「さようなら」を。その日が来たときに、私は「お久し振り」と言いましょう。あなたは、そのとき、怒るのでしょうか。
 かさ、こそ――
 虎太郎の祈りを聞き届けたか、店のどこかで、小さな足音がした。
 狼がするどく目を光らせて、棚から殺虫剤を取った。衝動のままに、彼は音の出所を突き止め、殺虫剤が入ったスプレー缶を振りかざした。




<了>
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2004年01月13日

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