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『贈り物の喜びを、あの人へもと 』
セレスティ・カーニンガム1883

 カーニンガム邸は、とにかく、広い。
 大掃除は、大晦日に――、
 とてもではないが、そんな事を言っていられる余裕などあるはずも無い。使用人総出で、見える所だけでも軽く三日はかかってしまう。その外にも、書庫や倉庫の整理をあわせて考えてみれば、
「ねー、もーヤダ、疲れた、駄目秘書。あたしは休むの〜、アンタとちがって、あたしはか弱い乙女だし」
 十二月二十五日。
 世間一般ではクリスマスという名で知られているこの日も、カーニンガム邸では大掃除が行われていた――尤も、使用頻度の高い部屋については二十日ほどまでに掃除が終えられ、二十一日のパーティにも間に合うようになされていたのだが。
「あたしはあんたとちがって、そんなにいっしょけんめいになれないもーん」
 台の下の方から聞えてくる声音に、ここ数日の出来事を思い返しながらはたきを動かしていた秘書は、一方的な休憩宣言にようやくその動きを止めて振り返った。
 窓から入り来る朝の光に、埃がきららに踊り舞う。
「……何ですか、その言い分は。それじゃあまるで私が、」
「シゴトチュウドク、てんけーてきなシゴトチュウドクってヤツ! だってフツーはさ、秘書がおーそうじにサンカしたりはしないでしょ? そうじしてるのは、使用人さんたちばっかりだもん」
 一気にまくし立てると、おそらくこの屋敷の主人の――セレスティ・カーニンガムの使用人としては、一番幼いであろう――或いは秘書よりも年上なのかも知れないが――司書の少女は、目の前の秘書の事を、脚立の上から引き摺り下ろした。
 高く、高く、長く、どこまでも列なる本の列。押し込まれた静けさの中には、しかし不思議な安らぎの色が、漂っている。
 古びた紙の香りに、秘書は仕方なく脚立を降り、少女へ向って微笑みかけると、
「今年の仕事が、終ってしまったんです。当然の事かと」
「すこしばサボタージュってことばをおぼえてみたら?」
「いいえ、他にやる事があるわけでもありませんし」
「さみしージンセイ……」
「……あまりそこは、言わないでおいてやって下さい……」
 ふと、からかわれながらにも、少女の腕の中のぬいぐるみに視線を止める。
 ――少し、日本の風習に肖って見ようと思ったのですよ。
 そんな上司の言葉を思い出し、
「それにしても、そのぬいぐるみ、本当にお気に入りなんですね」
「うん! 何せさんたくろーすのおじさんがあたしにくれたわけだし! きちんといー子にしてたのに、いままではそういえば、さんたくろーすのおじさんは、あたしにプレゼントなんてくれなかったのにね」
 秘書としても信じ難い事実であるのだが、この少女は、本に宿った意思の強められた存在――本に宿る精霊でもあった。実際秘書の方も、どこぞの旅先で、セレスの引き取ってきた古びた本から少女が具現してきたのを見てしまっているのだから。
 勿論そんな少女に、両親などいるはずもない。
 ――しかし、あの日、二十四日の真夜中に、時間帯にしては珍しく、上司に呼び出されて秘書が部屋まで出向いてみれば。
『『サンタクロース』からの、プレゼントですよ。正直、何を選べば良いのかには悩みましたが――これで一人ででも、眠れるようになれば良いと思いまして』
 寝支度を始めていた上司から渡された、大きなリボンのかかった箱。セレスは海色の瞳に優しさをほんのりと灯し、お願いしますよ、と、秘書に向ってほんのりと微笑んでいた。
 ……思い返せば。
 その上司の微笑みに、随分と自分が気恥ずかしくなったものであった。強がりで、それでいてかつ淋しがり屋なこの少女は、クリスマスイヴのあの晩も、本を読んでと秘書の所に来ていたのだ。仕事が泊りがけとなり、いつものように書類と睨めっこをしていた、秘書の元へと。
 ――大きな靴下を持って。
 口は悪いが、一緒にいる時間が長くなる内に、実の妹のように感じられていた存在――実の妹にも、随分前に他界してしまったあの妹にも似ていたから、という理由は確かにあったのかも知れないが――それは、認めるが、それでも間違いなく、今となっては少女が大切な存在であると言う事には、変わりはないはずだ、と言うのに。
 ……すっかり、忘れていましたよ。
 サンタクロースを楽しみにする子どもの気持ちも、それに応えてあげるべき、大人としての対応も。
「でも、そこまで気に入ってもらえて、サンタクロースのおじさんも、随分と嬉しがっている事でしょうね」
 事実上司は、その後の秘書の報告に、随分と嬉しそうに微笑んでいた。
 少女はまだ真新しい、抱き枕にも似たくたくたのぬいぐるみを、ぎゅっと強く抱きしめ、
「この情けなさが、駄目秘書にそっくりー!」
 無邪気に、微笑む。
 秘書は脚立の上に腰掛けると、そうですか、と、少女の頭を二度三度と軽く撫でる。
 それにえへへ、と微笑んでいた少女だったが、ふと、
「――そういえば、駄目秘書のトコロには、さんたくろーすのおじさんはきたの?」
「来ませんでしたよ。私はもう、大人ですから」
「……それじゃあ、おじさんのトコロにもこないの?」
「おじさん、って――、その呼び方は、」
 っと、言っても、無駄ですか。
「セレスティ様も……総帥ももう、大人ですからね。サンタのおじさんは、来なかったようですよ」
 その言葉に、少女はうーんと俯いた。
 かわいそう……と、足元をじっと見つめるその姿の、
「……子どもだけの、特権ですよ。大人の所には、サンタクロースは来ないんです」
 その肩を、ぽんと叩く。
 或いは、大人というものは――それだけ、夢を忘れてしまっているのかも、知れませんけれど。
 心の中に付け加えるのに留め、頬を綻ばせた。
 子どもの心を忘れてしまえば、サンタクロースなどは、ただのお伽噺か、もっと言ってしまうのなれば、十二月六日の聖人のニコラウス司教に起源する作り話でしかない。
 ……子どものような心を、いつまでも、忘れたくはないけれど――、
 社会はそれを、許しては、くれない。
「――そっか……」
「しかしセレスティ様の所にも、セレスティ様がまだ幼少であった時代には、きちんと来ていたのではないですか? ですから、良いんですよ、きっと」
 そのような話は聞いた事がなかったが、あまりの俯き具合に、秘書は優しい言葉を付け加える。
 と――、
 しかし途端、少女が思い出したかのように、顔を上げた。
 きょとん、とする秘書に、少女は良い案を思いついた! とばかりに両の手を広げ、
「……よっし! じゃあ、きょうのそーじはもうおわり! 駄目秘書、ちょっとつきあいなさい!」


 西洋にはおそらく、まだまだ降誕祭の香りが、あちこちに強く残されているのだろう。
 二十五日が終るなり、日本の商店街はめまぐるしくその姿を変えていった。先日まであったクリスマスツリーは撤去され、そこには竹の葉が飾られる。聖母の微笑みは神道独特の色合いへと取って代わり、
 ……やはり日本という所は、どうにも変わった国であるようですね――。
 その変化が、ほんの少しだけ残念で――、もう少しだけ、日本にしては珍しい西洋のまどろみの中にいたかったと、ふと故郷の事が思い返される。
 良い思い出ばかりではなかったにしろ、決してそこに、嫌な思い出ばかりがあるわけでもない。あの街の一角には思い出の場所があり、あの時計台の下には、友人との邂逅の記憶もあった。
 時の流れに押し流され、その想い出は、セレスの心の内にのみ残されるものとなっていた。しかし、欠片ほどでも、波打ち際の小さな貝殻ほどにでも、暖かな幻灯が、残っているのなれば――、
 残って、いるのであれば……、
 ……おや……?
 寝返りに、銀色の髪がさらりと広がった。純白のシーツの上、光の反射に、ベッドの上の人物は――屋敷の主は、ゆっくりとその瞳を見開いた。
 光が、強くなる。
 ――光?
 映像を失ってしまった瞳にも、それだけははっきりと感じられる。星の光、月の光、太陽の光――雪の光、暖炉の光、灯火の光。機械の光も電気の光も、全ては確かに、セレスが世界を認識する上での、一つの手助けとなるにしろ。
 ゆっくりと意識が、現実へと引き戻されてゆく。
 くるりくるりと、思考が回り始める。
 夢か、ただの思い出か――夢か、思い出か、或いはやはり――、
 ……夢、ですか。
 そこで初めて、セレスは自分がベッドの上でまどろんでいる事に気が付いた。カーテンの隙間から差し込む朝の光に、どうしても思考が追いついていかない。
 いつも、そうだ。
 正直朝は、嫌いであった――めまぐるしいほどの時間の流れを、無理やり押し付けられているような気がしてしまって。もっと穏かな時の享受をと願えども、それはどうしても叶わないのだと宣言されているような気分になってしまう。
 意識の向こう側で、もう一度『思い出』が、思い出と言うなの夢世界が、セレスの事を呼んでいた。
 ……そういえば、今日は休日でしたっけ……?
 甘えるようだが、そうならばもう一度眠ってしまおう。必要であれば、誰かが嫌でも起こしに来るはずなのだから――。
 ――と、
 その淡い期待を裏切るかのように、扉を叩く音が聞こえてきたのは、その途端の事であった。
 仕方なく、ぼんやりとした意識の中で、セレスは手元のカレンダーに手を触れた――十二月、二十六日。二千三年の、最後の金曜日。
 ――平日。
『セレスティ様、起きて……いらっしゃりますか?』
 控えめな声音が、扉越しに聞えて来た。しかしその声音が、いつも自分を起こしに来る人物の物とは違っている事に、セレスはふと気がついた。
 重い体を無理やり起こし、咳払いを、一つ。
 いまいち出の悪い声で、とりあえず、と返事を返した。
『――そろそろ朝ですので、起こしに――、』
「ええ、どうぞお入りなさい」
 遠慮がちに扉が開き、まだ若い気配が遠慮しがちに部屋へと入り来る。そこで初めて、気がついた。いつも自分を起こしに来るあの人は、別用で多分、今頃は飛行機の中であろう事に。
 入室して来たのは、あの青年秘書であった。年内にこなすべき自分の仕事は全て終えてしまっているはずの、秘書。
 ……そんなまでしなくても良いと、何度も言い聞かせているのですけれどもね。
 この時期屋敷の人手も足りなくなるだろうと、あえて屋敷に泊まり込んでくれている秘書には、確かに感謝もしているのだが――、
「すみませんね、お見苦しい所を――、」
「い、いえ……」
 いかにも畏れ多くも、と言った気風で頭を下げてくる秘書に、セレスはふわり、と微笑みかける。慣れない場面に、困惑する彼へと、
「……今日もどうやら、寝坊してしまったようですね。どうにも朝は、慣れません」
 呟いて体制を変え、そこでふと気がついた。
 ――枕元に、変わった感触。
「……おや……?」
 指先に触れたそれに、手を這わせる。緩く掴み取り、引き寄せると、
「まだお気づきで、なかったようですね」
 リボンのかけられた、小箱が一つ。
 どうやら全てを知っているような口ぶりの秘書に、セレスは頭の中に疑問符を浮かべざるを得なかった。
 珍しく、困惑したような表情の上司に、
「サンタクロースは、随分と今年は忙しかったようでして――一日遅れの、お届け物だそうですよ」
 開けて見て下さい、と、秘書がゆるりと催促をする。
 促され、セレスはリボンに手をかけた。慣れた手つきで糸を解き、贈り物用の小箱の蓋を、そっと開けば。
「……マフラー、ですか?」
「ご名答です」
 箱の中に手を差し入れ、セレスはふんわりと畳まれたマフラーを取り出した。その形の不具合から、手作りのものだとすぐにわかる――おそらくは、
「ところで総帥、サンタクロースから、伝言が」
 おそらくはこの秘書に手伝いを頼んだ、あの少女の手による手作りの。
 ――さすが、お伽噺の精霊さんだけあって、随分と演出家なんですね。
 単純に嬉しいと、そう、感じられる。
「遅れちゃったけど、メリー・クリスマス――と。サンタクロースは、随分と頑張っていましたよ」
 秘書に手伝ってもらいながらも、珍しく、単調な作業を投げ出すこともなく、真夜中まで編み棒を動かしていた。大掃除を切り上げ、買いに行った毛糸で、次々とマフラーを伸ばしながら。
 セレスはふ、と微笑むと、届くはずがないとわかっていても、小さくお礼の言葉を口にせざるを得なかった。
 が、しかし、
 同時に一つ、気になった事がある。
 それは――、
「でもなぜこのマフラーは、こんなに長いんです?」
「――それでしたら、」
 秘書は珍しく、にっこりと意地の悪い笑顔を浮かべると、
「総帥の幸せを、願っての事かと。おじさんにくっついちゃあダメ! なんて、あの子はヤキモチを妬いていますけれどもね。本当はほら、銀髪で、赤い瞳のあのお嬢さんの事を――とっても、好いているみたいですよ?」
 最近に始まった、賑やかな来客がある。秘書としてはその来客者の名前こそ知らなかったが、応接室で彼女と談笑するこの総帥の姿を、決して見た事が無いわけではなかった。
 嬉しそうな、あの笑顔。少女の方はその談笑に、半ば無理やり加わった事があるだけあって、セレスの気持ちをより良くわかっているのだろう。
 ――すっごく、ね、たのしそーだったんだよ、駄目秘書。
「……一つのマフラーを二人で巻いて、という風習も、世の中には、ございます」
 上司の驚いた表情を尻目に、秘書は、談笑のあったその夜、いつものように本を読んでもらうべく部屋へとやって来た少女の、あの満面の笑みを思い出していた。
 この上司にも、幸せになって欲しい――。
 そう願う気持ちは、秘書としても変わりはない。必要以上に部下を労わり、大切にしてくれるこの上司だからこそ、
 ……そう願っている人は、きっと多いはずですから。
 いつも、微笑んでいて欲しいと。上辺だけの微笑ではなく、どうか心から、笑っていて欲しいと。
「――皆さん、随分と物好きなのですね」
「いいえ、それは違いますよ、総帥」
 頭を押さえたセレスに、秘書はゆっくりと首を振る。少女の言葉を、心に重ね、
 ね、駄目秘書。
「本当に、楽しそうですから――あの方と一緒にいらっしゃる時の、セレスティ様は」
 おじさんったら、ほんっとーに、たのしそうだったんだから……。


Finis

05 gennaio 2004
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月07日

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