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『願わくは今一度、終わりなき愛の喜びを 』
結城・二三矢1247)&月見里・千里(0165)

「いっそのコト、売っぱらっちゃえば良いのかも――、いくらに、なるのかな」
 聖なる夜、クリスマスを目前とした大都会のきらびやかなイルミネーションが、恋人達を優しく包み込む寒空の夜。
 しかし少女は――月見里 千里(やまなし ちさと)は一人きり、成り行きに任せて大きなクリスマスツリーの下に腰掛けたまま、ふと回想される思い出に、溜息を吐く事しかできずにいた。右手の薬指に嵌る指輪を、呆れたように見つめながら。
 気が付けば、右の手を掲げていた。
 一瞬の躊躇いを溜息と共に吐き出し、決意を固め、銀の映す光を仰ぎ見る――あの日と同じ視線の高さに、今度は未来ではなく、過去を追い求めながら。
 今思い起こせば、全ては或いは、逆夢でしかなかったのかも知れない。あの日の出来事も、携帯越しに千里が恋人を――結城 二三矢(ゆうき ふみや)を怒鳴りつけるまでの日々も、全ては刹那の夢のようなものであったのかも知れない。
 しかし、それでも。
 零れ落ちた溜息に、目の前の世界が霧掛かる。指輪の小さな銀幕に、想い出の破片が幾つも幾つも映し出されては消えていった。
 ――その中に、
 二人きり、夜まで二人きり、遊園地を駆け歩いた思い出があった。千里の誕生日、ゴンドラの中誓った愛に、受取ってくれたこのステディリングを掲げる彼女の姿を、瞳を細めて見守っていた視線があった。その優しさに、暖かさに、そっと導かれるかのようにして、自然と縮まり、やがては重なり合った二人の距離があった。
 名前を呼んでくれた、日常がある。振り返った瞳の、微笑む日常がある。耳元の声音に、驚いた日々がある。触れ合ったぬくもりに、愛しさを感じた夜が、共に越えた朝が、時間を忘れた、あの日が――、
 ふと悔しさにも似た感情が過ぎりすぎる。
 ……いくらに、なるってーのよ……。
 唇を硬く結びながら、千里はそっと掲げていた腕を下ろした。例えあの日の出来事が夢幻であったとしても、あの日の二三矢の想いがどんなに変わってしまっていたとしても、
 どうしてあの??想い?≠ノ、値段をつける事なんか――、二三矢、
「この、バカ……!」
 ――こんなもの、と。
 あれから何度となく捨てようとしたこの指輪を、それでも千里は、捨てる事は愚か、外す事さえできずにいた。
 千里の左手の指先が、冷え切った指輪の上にふわりと降り立つ。
 そうして今日も、躊躇する。
 はずしてしまえ。あんな人のことなど、もう知らないのだから。
 指輪に触れる手に、今一度力を込めてやる。
 あんな人もう、あたしには関係ないじゃない。
 クリスマスは二人きりで――そんな昔の願いなど、もう叶うはずもないのだから。
 しかし、それでも。
 あたしは大丈夫よ、きっと、大丈夫。二三矢、あんただけだって思ったら、大間違いなんだから。あたしの傍には、友達だって沢山――、
 沢山、
 ――と、
 不意にひたりと、千里の動きが凍りついた。一瞬感じた暖かな風に、懐かしい香りを思いがけず、感じたような気がして、
 ……バカなのは、あたしの方、か。
 自嘲気味に一蹴し、それでも思い任せに、顔を上げる。この場所にいるはずのないあの人の気配に、じっと正面を見据えてやった。
「ちー、」
 だから、信じてやらない。
「……やっと、見つけた」
 二三矢はここに、いるはずのない人間なのだから。
「随分探したんだよ? メールにも電話にも、返事、無いから――、」
 だが、目の前に立ち、千里を見下ろしていたのは、紛れもなく二三矢本人であった。
 或いは本気で千里の気持ちを知らないのか、わざわざ普通を装っているのか、二三矢はどこか照れたように頭を掻きながら、途切れ途切れの息と、いつもの口調で言葉をかけてくる。
 メールも電話も、そういえば携帯など、千里は暫く見てはいなかった。
 しかし大切なのは、そこではなく。
「何よ……」
 突然姿を現した二三矢の言葉も全て聞き流し、気が付けば千里は、勢い良く立ち上がっていた。


 ――流石に少し、驚いた。
 出会ったばかりの頃は少し見上げていた瞳に見上げられ、一気に怒鳴りつけられる。
「何よ、今更……! 電話は十年後で結構って、あたしはそう言ったでしょ?! まだ九年以上猶予があるんだから、どうぞごゆっくり!」
 一つ間違えば頬でも叩かれそうな気迫に、しかしそれでも、千里の前に現れた二三矢は欠片ほどの怯みすら見せなかった。彼女の言葉の一音一音を重く心に受け止めながら、一瞬たりとも視線の束縛を解こうとはしない。
 わかっていた。
 今回の件の非が、自分にある事くらい良くわかっていた。わかっていたからこそ、全てを受け止める覚悟と共に、寒空の中千里を探して歩き回って来たのだ。
「ちー、本当にごめんね。あの時は――、」
 言いかけて、言葉を飲み込む。
 違う、本当に言わなくてはならないのは、自分に関する言い訳などではなく、
「……ううん、俺の所為で、随分と辛い想いを、させてしまって」
 一人きりにしてきた時間の空白の重みを、決して知らないわけではない。
 ――同じなのだから。
 離れていたくなどない、という気持ちは、二三矢の方とて同じなのだから。
 その寂しさを紛らわす為に、メールをし、電話をし、時には手紙を書く。折角繋がった絆を断ち切らないように、より強く結びつける為に、感じる為に――引き寄せるように。
「辛い? 何であたしがそんな想いなんか――馬鹿にするのもいい加減にして!」
 静々と言い聞かせてくる二三矢の言葉に、しかし千里は首を横に振っていた。
 言葉を一蹴し、怒鳴りつける。
「あたしは二三矢なんていなくても元気にやっていけるわよ! 一人で元気に、やっていけるんだから……!」
 俯いたついでに、背中へと手を隠す。左手で右手を包み込むように、さり気なく後ろで手を組んだ。
 ……違う。
 心の奥底では、千里も知らず気が付いていた。本当に伝えたいのは、このような言葉ではなくて。
「だから心配せずに、新しい彼女でもつくって幸せに、」
 していてくれれば良いのよ!
 作り上げた本音に、言葉が詰まる。視界を滲ませるものと共に息を呑み、千里は慌てて体裁を整えた。
 寂しかった、辛かった、一緒に居てほしかった、せめて連絡くらいほしかった、本音を言えてしまえば、どれほど楽になると言うのだろう。唯一の繋がりを失ってからの不安を伝えられたのなれば、どれほど楽になれると言うのだろうか。
 しかしそれを言おうとすればするほど、二三矢を責め立てる言葉ばかりが次から次へと零れ落ちてくる。
 先走る感情に、理性がどうしても追い付かない。
 ついに会話を諦め、つん、とそっぽを向き、歩き出した千里の右の手を、慌てて二三矢が取り上げる。
「ちー! ちょっと待ってよ――こんなに冷たくなっちゃって……ねぇ、ちー、お願いだから、話を――!」
「聞く話なんてないわよ! 今更、聞く話なんか!」
「俺は――俺はちーのことが、大好きだから! 本当に、大切に想ってるから……だからお願いだから、話を聞いて、ちー!」
 振り切ろうとするものの、流石に男の力に敵うはずもなく、散々怒鳴り散らした挙句、千里は二三矢の方を振り向かざるを得なかった。
 街行く人々が、振り返り振り返り二人の方を眺めている。千里はわざと二三矢の瞳から視線を逸らすと、未だに取られっぱなしの右の手をじっと睨みつけた。
 そうして、暫く。それからも、一向に話を聞こうとしない千里と、伝えたい言葉を山ほど抱えた二三矢との口論が続き、しかし、
「……ちー! 恋人としては、最後のお願いでも構わないから……」
 その瞬間、千里の抵抗が止まっていた。再会してから初めて、二三矢の視線を真っ直ぐに見上げてくる。
 二三矢は何も言わず、千里を少しだけ引自分の方へと引き寄せた。
 その右手の指に未だに収まっていた、ステディリングに手をかけて、
「選んで、欲しいんだ」
 指輪の抜ける感覚に、千里が一瞬、身を震わせる。
 千里の右手から指輪を外しながら、二三矢は襟を正して彼女と向き合った。
 指輪と共に、両の手で彼女の右手を包み込む。冷え切った冬の夜に、千里の体温はすっかりと奪われてしまっていた。
 ゆっくりと、
 かけがえのない人を、優しく護るかのように――同時に今までの距離を、縮めるかのように、
「恋人で、いて欲しい――その想いは、変わらないよ。だけど、」
 二三矢はその手に、力を込めた。精一杯の言葉で、想いを、伝える。
「だけどもし、ちーが……ちーが嫌だって、思わないのなら、」
 握っていた手を、そっと下ろす。失ったぬくもりに、翳りを過ぎらせる千里の瞳からは視線を離さぬそのままで、二三矢はコートのポケットへと自分の右手を差し入れた。
 左手で、千里の左手を取る。
 持ち上げられた手の平に、千里がはっと瞳を見開いた。
「ふみ――、」
「受取って、ほしい物があるんだ」
 名前を呼ぶ声を、遮って。
「ちーのことを、ずっと、永遠に護りたいから。護らせて、欲しいから。良かったら、受取ってくれないかな……いや、受取って、下さい」
 ポケットから取り出した小箱を、千里の左手にふわりと載せる。
「Merry Christmas, Dear――恋人よりも、もっと大切な人であって、ほしいから」
 先ほど思い出していた真夏のあの日の既視感に、千里は思わず息を詰まらせていた。呆然とその箱を見つめていると、二三矢の手がゆっくりと自分のそれから離れてゆく。
 空高い夜景にも劣らないほどの輝きの中、千里の視線と二三矢の視線とが、無言のままに絡み合った。
「開けてみて」
 二三矢の言葉に、千里が頷く。千里は震える右手をそっと小箱の蓋へとかけると、甘い力でその封を解いた。
 ――刹那プラチナが、七色の光を映し出す。そうしてその、『永遠』を象徴する円環の上には、
「一体、どういう――」
「……勿論こういう事、だよ」
 『不滅』を現す小振りなダイヤモンドが、上品な素朴さで、星の如くに三つ四つと並べられていた。
 二三矢はもう一度、戸惑う千里の手を取り上げる。それから暫く、その薬指に――今度は右ではなく、左手の薬指に、ゆっくりと誓いの証をはめ込んでいった。
 ゆっくり、ゆっくりと。やがて指輪は千里の薬指にぴたりと嵌り、その動きにあわせてきららな光を携える。
 千里の手から零れ落ちた指輪の小箱が、地面の上で鈍い音をたてた。
 慣れない左手の感覚に、呆然と釘付けとなる視線。あえて選ばれた控えめな見目に、いつでもどこでも、恋人にそれをしていてほしいという、二三矢の願いが表れているかのようで。
「ちー、受取って、くれるかい?」
「――二三矢の大バカっ!」
 二三矢の一言を境に、千里は込み上げてきたものを誤魔化すかのように、その胸の中へと飛び込んで行った。腕を背に回し、ぎゅっと抱きしめ、
「本当に、バカなんだから……!」
 そうと言ってくれさえすれば、こんな事にはならなかったと言うのに。
 ――二三矢のこと、ヘンに疑ったりして……! 二三矢はこんなにも、あたしのことを、
「二三矢、あたし……!」
「ちー、黙って」
 一言くらいは、謝らなくちゃ。
 そんな千里の心内を知ってか、二三矢はしっかりと千里を抱き返し、その耳元で小さく囁いた。
 この世の全てから、大事な人を護るかのように身を縮め、
「一つ、言っておかなくちゃならない事が、あるんだ。だから、聞いていて」
 甘く、囁く。
 今最も傍にある、最も大切な存在へ、二三矢はそっと、零れる想いを言葉に詰め込んだ。
「愛してる」
 大きく息を吸い込んだ彼女へ、もう一度、
「ちーのこと、愛してるよ――」
 千里の頬へと、口付ける。一筋の軌跡に、しおはゆい甘味が感じられた。


 ――それから。
 嬉し泣きに泣いた千里を、二三矢がうろたえながらも何とか宥めて落ち着かせた後、二人は久しぶりに、東京の街を巡り歩いてきていた。
 街中に溢れる恋人達に混じり、クリスマスに浮かれる都会を十分に満喫し。二人腕を組み、その辺で安売りしていた長いマフラーを冗談で一緒に巻き遊び、喫茶店で話しに花を咲かせ。
「それにしても、楽しかった〜……でもまだイヴだから、明日があるのか。と言うか、明日が本番よ、ね? 二三矢?」
 そうして、今日の終着点。
 家で漫画を読むような心地でベッドに寝転がる千里を、二三矢はその脇に座り、振り返るようにして瞳を細めて見守っていた。久々の再会に尽きぬ話に、しかし一瞬、千里の声音に翳が差す。
「……でも二三矢、今度はいつ帰っちゃうの? 今度はヨーロッパ? それとも、アメリカ? また会えなくなるだなんて、そんな――、」
「あ、ちー、その事なんだけど、ね」
 言われて初めて、気がついた。今日一日のめまぐるしさに、すっかりと言いそびれてしまっていた、大切な事がもう一つある。
 二三矢は千里と向かい合うようにして、ゆっくりとベッドの上に寝転がった。
「俺、新学期から神聖都へ転入する事になってるんだ。だからもう、ちーと離れたりしないよ」
「……ウソ……!」
「本当だよ。これからはずっと――日本に、東京に、ちーの傍に、いる事ができるから」
 素直に驚く千里の髪を撫でながら、二三矢は小さく微笑みを浮かべる。試験勉強に追われる日々も、仕事に追われる日々も、全てはこの時の為にあったものなのだから。
 ずっと、恋人の傍にいられない自分を、不甲斐無く感じていた。もっと傍で支える事ができたのなれば、或いは、支えられる事ができたのなればと、何度となく感じてきた想いがある。
「ねぇ、ちー、だから――、」
 ――と、不意に、
 静寂をけたたましく砕き壊すかのようにして、携帯電話の着信音が鳴り響いた。あまりの心地良さにか、うとうとし始めていた千里の意識が、一瞬にして現実へと引き戻される。
 身を起こし、棚を見やった。
「ごめ、やだ、あたしだ……ちょっと待ってて、今――、」
「ちー、」
 棚から携帯を取り上げた千里の手に、二三矢の手がそっと触れる。何? と言わんばかりに振り返る千里の目の前で、二三矢は静かに首を横に振って見せた。
 その手から、自然な動作で電話を取り上げると、電話台の上へと置き去りにする。
 やおら二人の手が、するりと絡み合った。
 そのままそっと引き寄せ、二三矢は指輪の上に誓いの口付けを一つだけ落とす。
「だから――、」
 今一度絡み合った視線に、瞳を閉ざしたのは、どちらの方が先だったのか。縮まる距離に、気配は自然と重なり合い、やがて一つのものとなる。
 想いは、浅く、深く。そうして、深く、より深くへと――、
 着信音は、いつの間にかその鳴りを潜めていた。
 淡い灯火にも似た光の中、世界中の影が音も無く静寂に溶け込んでゆく。
 冬の夜長に、二人の想いの会話は、まだまだ始まったばかりであった。

 それから暫く、か細く呟かれた望みに応え、その灯りも、やがては闇と溶け込む事になる。
 深き聖夜の帳に、全てを与え任せるかのようにして。


Finis

25 dicembre 2003
Grazie per la vostra lettura, Buon Natale !
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月25日

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