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『あの鐘を鳴らすのは… 』
相澤・蓮2295

女の子四人組のグループが、着物を着て街を通り過ぎて行く。
おそらくは、今夜どこかでオールナイトで過ごし、そのまま初詣に行くつもりなのだろう。
街の大型テレビには、紅白歌合戦が映し出されていた。
今日は12月31日。つまり、大晦日である。
と言っても、もうあと少しでその大晦日の日も終わりを告げようとしている。あと少しで…今年は去年になる。
そんな夜の街を…一人のサラリーマンが歩いていた。
相澤・蓮。三十路一歩手前。四捨五入すれば三十路だか、辛うじてまだ二十代。
仕事納めも済ませて、来年までのほんの短い冬休みが開始されたのだが…
『いや〜!今年は温泉の予約が取れてね。家族サービスだよ』
『え?僕は妻とうちの実家に帰省します』
『彼女の実家に行こうと思って…嫌だな、結婚式には呼びますよ』
会社の友人はそう言って、蓮に手を振って笑顔で仕事場を去って行った。
蓮も笑いながら手を振るしかなかった。そう、せめて笑顔でなければやっていけない。
「なんだって俺はこんな気持ちで年明け迎えようとしてるんだ…」
思わず呟いた心の叫びも、街でカウントダウンをしようと騒いでいる若者たちの叫び声に掻き消された。
「帰省か…」
歩きながらふと考える。帰省と言われてもそもそも帰省する家が無い。ここ東京で一人で暮らしている部屋が彼の家なのだ。
「旅行ね…」
そう言われても、タダで行けるというのなら喜んで行こう。しかし、旅行に行くお金など…ない。
「彼女かぁあ…」
例え実家が無くとも、貧乏でも…せめて、せめてこの彼女の存在さえあれば!!と蓮は肩を落とした。
彼女さえいてくれれば、東京のマンションへ帰るのも楽しいだろう。
旅行になんて行けなくても部屋で紅白を見ながらゴロゴロしているだけで楽しいだろう。
「無い物ねだり…俺って…情けないよな…」
ポケットに入れていた手を出して、蓮は髪の毛をくしゃっと掻き揚げた。
そして目的地であるコンビニに到着する。
こんな状態ではあるが、せめてコンビニで年越しソバくらいは買って食べようと思いつき買いに出たのだ。
入り口のドアを開けてすぐに、「いらっしゃいませ」と微笑むレジの美人なお姉さんがまるで天使に思えた。
その前を通り過ぎて弁当売り場に向かう。インスタントでもいいのだが、その前に惣菜があればそれに越した事はない。
夜を過ごす為に若者が買い漁って行ったのか、おにぎりやサンドイッチ系はゼロに近かった。弁当系もほとんど残ってない。
「ソバは…と」
視線を上から下に移動させて、ソバが一つ残っている事に気付いてほっと笑みを浮かべた。
もしここへ来て、ソバさえ無かったら落ち込んでただろうなあ…と、蓮は苦笑してそれに手を伸ばした。
と、同時に。もう一つの手が伸びて、蓮の手はその手に触れてしまった。
慌てて蓮が手を離すと、その手も驚いたように引っ込める。
改めて視線を手の主へと向けると…それは十二、三歳くらいの色白な少女だった。
「ごめんなさい。あの…私、遅かったので…どうぞ」
「あ、いや…」
三つ編みにした髪が純朴そうに見えて、蓮はかしこまる。
そして、ソバを手に取ると…その少女の持っていたカゴの中にそれを入れた。
「え?いいんです…!どうぞ!」
「いや、俺はインスタントでいいし…君みたいに可愛い子からソバ取り上げたらバチが当たるよ」
蓮はそう言って微笑むと、ポンポンと少女の肩を叩いてインスタントラーメン売り場に移動した。
少女はぺこりと小さく頭を下げて、レジに向かう。
こんな時間にソバだけを買いに来る子もいるんだな…と思いながら、蓮は目の前にある”どん兵衛”を手に取った。
年越しソバにしてはあまりにも軽く安っぽく寂しいが、CMでもやっているくらいだから良いだろうと自分に言い聞かせる。
とりあえずそれ以外にもいくつか買い物をして、蓮は店を出た。
「確かK-1もやってたよな…」
どちら勝つというと、蓮は歌番組よりも格闘番組に興味がある。
今夜はどん兵衛を食べながら、格闘番組を見ての年越しになるだろうなあ…と思いながら歩きだした。
しばらく歩いて、ふと見ると…前方に先ほどコンビニで出会った少女が歩いているのが目に入った。
尾行と言うわけではないのだが、気になってその後を追う。どうせ蓮の家と同じ方向なのだから…怪しいという事もないだろう。
それに、夜中に少女が夜道を一人出歩いている事が心配だった。少女はコンビニの袋を手に、真っ直ぐに歩いて行く。
もしかしたら意外と近所に住んでるのかも…と、蓮は思った。歩いて行くにつれ、ふと、何かの音が聞こえてくる事に気付く。
それはゴーン…と響いてくる鐘の音…年越しにかけて行われる、除夜の鐘の音のようだった。
そう言えば蓮のマンションからそう遠くない場所に、小さなお寺があった。
おそらくそこで鐘をついているのだろう。もしかすると、甘酒くらいの振る舞いをしているかもしれない。
そんな事を思っているうちに、少女は道を右に折れて行く。
蓮のマンションへ帰るには真っ直ぐ行くのだが…やはり気になって後を追うように右の道へ向かった。
「うわっ…!」
曲がって直ぐに、蓮は多くの人が居る事に気付いて慌てて足を止める。
そこは細い路地になっているのだが、その路地いっぱいに人があふれて楽しげに話をしていた。
驚いて立ち竦んだ蓮に、近くにいる人が気付く。そして微笑みを浮かべると蓮を手招きした。
「アンタも鐘をつきに来たんか?」
「もうすぐ終わるから、はよ行きんさい」
優しげな老夫婦がそう言って道を開ける。
「もしかしてこれって鐘をつくために並んでるんですか?」
「ここにおるんはもう皆ついて終わってる連中ばっかりじゃ!まだの人はお寺の境内におるよ」
言われてみればそれもそうである。おそらくは、除夜の鐘の音が終わるその瞬間を待っているのだろう。
せっかく来たのだから…と、蓮は人の波を掻き分けてお寺への道を進んだ。
階段を上って寺の敷地内に足を踏み入れると、にぎやかな笑い声や楽しそうな雑談の声が聞こえてくる。
老若男女問わずに溢れ返るその場所に、小ぶりではあるが立派な鐘が据え付けられていた。
今、鐘をついているのは若いヤンキー風の男の子で、力任せに思いっきり打ち付ける。
その脇にお坊さんらしき人が立っていて、苦笑いを浮かべていた。
蓮が近くに行くと、鐘をつくために並んでいる列の最後尾に先ほどの少女の姿がある事に気付いた。
迷わず蓮はそちらに向かう。ポンポンと蓮がその肩を叩いて少女は蓮の存在に気付き驚いた顔で目を見開いた。
まあ無理も無いだろう。コンビニで出会った男が突然自分の目の前に現れたのだからストーカー呼ばわりされても不思議ではない。
しかし少女は驚いただけで嫌悪している様子もなく、優しげに微笑んでぺこりと頭を下げた。
「やあ、今日も寒いね?ちょっと薄着で寒くない?」
「そうですね…でも、大丈夫ですよ」
「君はどうして一人でこんな所に?」
「……お兄さんもどうして一人でここに?」
質問に質問で返されて、はぐらかされたような気分になったが、それよりも…
確実に十歳以上、いや、十五歳くらいは年齢差がありそうな子におじさんではなく”お兄さん”といわれた事が少し嬉しかった。
「俺はまあ一人が好きで今一人になってるってわけじゃないんだけどね…まあ…自然の流れでそうなったって感じかな」
「そうですか。私も同じようなものです」
ふふっと笑みを浮かべる。楽しげな、しかしどこか寂しげな雰囲気を帯びている微笑みだった。
「次の方、どうぞ」
お寺のお坊さんの声に、いつの間にか少女が鐘をつく番になっていた事に気付く。
少女はコンビニの袋を下げたままの腕を上げて…華奢な身体を大きく揺らして、鐘をついた。
腹の中に響いてくるような低い音が広がって行く。
「107つ目です…次の方…」
「わ!お兄さんで最後ですね!凄い!」
少女は笑顔で振り返ると、蓮にそう言った。108つの鐘の108つ目を鳴らせるなどという事、そうそう無いだろう。
たまたまついて来た先で偶然にもラッキーな出来事だなあ、と蓮はどこか照れながら鐘の前に立った。
見ると、先ほど道で出会った老夫婦も鐘の近くに来ていて楽しそうに微笑んで手を振り笑っている。
それ以外にも期待をこめたような眼差しで色々な人に見つめられて、蓮は少し苦笑いを浮かべた。
そして…
「そーれっ!よいしょォっ!」
力を入れて、しかし乱暴にならないように鐘をつく。
再び身体全体に染み込んで行くようななんともいえない心地よい音と振動が蓮の身体を駆け抜けていった。
「108つ目です…お疲れ様でした」
お坊さんの言葉に、蓮は嬉しそうに微笑んで後ろにいる少女に振り返った。
「あれ?」
しかし、今までそこにいたはずの少女の姿はどこにもなかった。
いや、それどころか、今までたくさん居たはずの人々の姿もほとんど見えない。あの老夫婦の姿も、だ。
しっかりそこに居るのはお坊さんと、蓮と同じく狼狽している数人の老若男女の姿だった。
「あなたの鳴らしてくれた鐘で、皆さん極楽浄土に旅立ったのですよ」
「え?」
戸惑っていた蓮に、お坊さんがそう声をかけて来た。しかし、言っている意味が理解できない。
「この寺では毎年12月31日に除夜ではなく108回の”送りの鐘”を鳴らしています…
これは今年一年の間に亡くなった方々の霊をきちんと極楽へ送り届ける為に…昔から行っている事なのです。
いつからでしょうか…この”送りの鐘”に、亡くなった方々が参加して下さるようになったのは…」
お坊さんは懐かしいものを見るような、それでいて切ないような目をして鐘を見つめた。
「いや、ちょっと待ってくれよ…じゃあ今までここにいた人たちは?あの子は?」
「お気づきになられなかったのですか?皆さん、亡くなっている方なのですよ。
ここに今残っている方は皆、自分達を送る鐘をついてもらうために、霊が選んで連れてきた皆さんなのです…
皆さん、お人柄が良いのでしょう…あなたも、何かの因果でここに呼ばれたのですよ…」


「何が旅行だ何が帰省だ恋人だ…!俺はここにちゃんとこうやって生きてる…それ以上の幸せがあるかってんだ…!」
蓮はマンションへの道すがら、やりきれない思いでそう叫んだ。
コンビニでしっかり買い物までしていたのに、死んでいたなんて。あのソバを食べる事なく、死んでいたなんて。
名前すら知らない。どこでどうやって生活して、どうしてあんな若い年齢で死んだのかも知らない。
けれど、たった少しの間の出会いだったけれど…忘れる事は出来なかった。
どうして自分はこの年の瀬にこんな思いをしているんだろうと、蓮は思いながらマンションのカギを開けた。
いつもの冷たい自分の部屋。
しかし、不意にテーブルの上に置かれた覚えの無い袋に気付き、蓮ははじかれたようにそれを手に取った。
何の変哲も無いコンビニ袋。しかし、中から出てきたのは…少女が買ったあのソバだった。
手に取ると、ヒラリと一枚の紙切れが舞い落ちる。それを拾い上げた蓮は…目頭が思わず熱くなるのを感じた。
『名前も知らないお兄さんへ。これを見ている頃には私は家族の元に逝った後だと思います。
私は去年、家族と一緒に事故にあって、一人だけ奇跡的に生存していました。
でも、今年。事故の傷が悪化して結局は死んでしまいました。だけど、やっと家族に会えます。凄く幸せです。
お兄さんがお寺に来た時は驚きました。嫌な思いをさせてしまったかもしれないけれどごめんなさい。
最後に出会えたのがお兄さんみたいな人で良かった。私の幸せをわけてあげますから、来年はいい年になりますよ。
それじゃあこれで。ありがとうお兄さん。これ、年越しソバ。食べてください。』
「ったくよー…妙な気ぃ使いやがって…」
蓮は、ははっと笑みを浮かべる。
文字から気持ちが伝わってくるほど”幸せ”が滲み出ていて、蓮の切ない気持ちに染み込む。
すると不思議な事に、切なさや寂しさは消えて何かを完遂した後のような達成感に変わって行く。
「じゃ、お言葉に甘えて年越しソバでも食べる事にするかな…」
そう言ってテレビのリモコンをつけて、蓮はお湯を沸かし始める。
テレビの中から聞こえてくるなんでもないただのテレビ番組の音が、何故かひどく幸せなものに思えたのだった。



[終]
PCシチュエーションノベル(シングル) -
安曇あずみ クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月25日

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